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Holocaust ――The borders――
Chapter:ZERO

Lina―― リーナ ――   第3話

 この距離なら、音が耳に届く前に逝けたかも知れない。
 苦しそうな表情、その額に小さく開いた穴から、赤い糸を引きながら首を仰け反らせる。
 最期の表情――科白はもしかして、彼女の最後の抵抗だったのかも知れない。
――馬鹿な奴だ

   がき

 彼女の持っていた銃、Python.357が床に叩き付けられた。
 鈍い金属音がして、リノリウム製のタイルに突き刺さって、マズルが根本からぽっきりと折れた。
 シリンダが弾け、ぽとぽとと小さな音と同時に薬莢が床面にばらけて転がる。
 煤けたケースの一つがミノルの足下まで転がって――彼は、ものもいわずにそれを踏みつけた。

 悲鳴。

 恐らく銃声を聞きつけたのだろう、女性が駆け込んできた。
 それはつい先刻まで『リーナ』の看護婦だった女。
「予定通り『処分』した。…報告と処理を頼む」
 彼女にそれだけ伝えるとミノルは部屋を立ち去った。



思惑



「ねえ、貴方の名前を教えてよ」
 施設では特別扱いに近い彼は、他の人間達と話す機会は少なかった。
 職員よりも『彼等』の方に近いせいもあったが、それは計画責任者のお気に入りというせいでもあった。
 『素体』と呼ばれ、また『唯一の成果』という呼び名でも呼ばれていた。
――もし同じような仲間が見つかればいい
 半ばそういう気持ちで、命令をこなしていた。
 命令は――『お前と同じ者を探せ』。
 世界各国のあらゆる場所から、様々な理由で集められた人間達。
 ここには――このHephaestusの施設には、既に何十人という人間が確保されている。
 何の理由でここに呼ばれてきたのか判らないような、子供ばかり集められている区画。
 隣にはもう少し凄絶な理由の区画があり、そこには彼女らよりずっと年上の人間が匿われている。
 彼等は――殺されるためだけに。
「……ミノルだ。ミノル=ヒイラギだ」
 特別彼女と面識があったわけではないが、壁向こうの区画にいるはずの年寄り共よりは親近感が持てた。
 他の連中に見せるような怯えた表情ではない、明るい笑顔。
 首筋に見える文字のような痣――施設に入所した際に打ちこまれるタグ。
 洗っても消えない、特殊な投薬によって消すことのできるマーキングだ。
 ミノルの身体のどこにもそんなものはなかった。
「ミノルね。あたしはリーナ」
 リーナという名の少女は利発そうな話し方の、深いエメラルドグリーンの瞳をした、ブロンドの少女だった。
 ドイツの農園に育った、活発な子供。
 ただ――そう、彼女は生まれつきの病気を持っていた。
 正確には遺伝子異常による脳の異常が、彼女の肉体を蝕んでいたと言うべきだろうか。
 検査の結果、脳に腫瘍があるという。
――…ただの、病気の子供じゃないか
 ミノルは施設を見て回りながら、自分と同じ匂いのする人間なんかここにはいないとそう感じた。
 判らないのは、どういう基準で彼等がかき集められたのか。
 自分のように何年も子供から育てるのが面倒臭くなったのだろうか。
 明るく自分に話しかける子供を見ながらそう思った。

「素体がまだ一人だけというのはどういうことだ」
 施設を任された男は、不機嫌そうに話す初老の男に頭を下げている。
「いえ、しかし、予定通りの能力者だけは確保しています、実験データとしては最低限度問題は…」
「黙れ」
 彼はいつ見ても険しい貌をしている。
 既に年齢は四十代だろうに、異常な程の存在感と強烈な威圧感を感じる。
 しかしその一方で、神経質で細かい性格をした嫌な男だという印象を与える。
「素体があがらないことには結果として上げられないんだ。…判らないのか」
 白衣が似合いそうなものなのにいつも暗い色のスーツを着込み、威圧するように殺気を漲らせている。
「い、いえっ」
「……急げ。ミノルにも探させているが所詮…」
 男は『檻』に目を移す。
 コンクリートでできた病院のような建物。
――この中からは同じ臭いは見つからない
 所詮人間の殻のなかで、出来損ないの人間を演じているだけに過ぎない人形共。
 『檻』の中ですら、彼等は人間以外の何者でもない。
――一歩踏み出せば…それだけで充分だというのにな
 口元を歪めて、白衣を着た男を見下ろす。
「投薬と精神圧迫を強化して能力が出ないようなら破棄だ」
「はいっ」

 リーナ=ハインケル。
 カルテを見回して一人の少女を候補に上げる。
 この少女はある意味ではずば抜けた能力を持っている。
 但し実用的ではない。
――まぁどうでも言い
 責任者であるあの男は成果さえ上げれば文句はないようなのだ。
 であれば、答えは難しくないだろう。
――無理矢理にでも『素体』を作り出してやればいい
 ただ彼にはまだこの研究の意味は分かっていない。
 人道に反する兵器開発の一つであることだけは確かだ。
 だが、そんなこともどうでもいい。
 Hephaestusに入った時には既にそれも承知のことだからだ。
 ただ今の地位と給金を保つためには、成果を出さなければならない。
 今までは実験データだけで良かったというのに――
「…ミノルを呼んでくれないか」
 彼は秘書に言った。
――無理矢理にでも、彼女を『素体』にしてみせる
 リーナのカルテを机に投げた。
 そこには――ミノル=ヒイラギの名前が記載されていた。

「何か用か」
 ミノル――『獣人計画』唯一の成功例の一つ。
 まだ高校生にも満たない身体年齢だが、兵器としての商品価値は高い。
 その威圧感と存在感――多分、自在にそれもコントロールできるのだろうが――は、計画を立ち上げた責任者に似ている。
 殺伐としていて、鋭い刃のようで、そしてあからさまな敵意を見せつけてくる。
「お前もこの計画の一端だからな。手伝ってもらうさ」
「だから何の用なんだ」
 所長は眉を寄せて不機嫌そうに口を歪める。
「お前、檻の女に知り合いがいるだろう」
 一瞬貌を歪めるのを所長は見逃さなかった。
 畳みかけるように言葉を繋ぐ。
「だから丁度良いのだ。リーナ=ハインケルを『追いつめて』くれ」
 ミノルは白衣の男を睨むことしかできない。
 誰にも見せないような笑みを浮かべている少女の貌を思い出す。
――でも、もうそれを思い出すことしかできなくなる。
 死なない為には、命令に従う。
 それは今でも対して代わりはしない。
「…判った」
 既に何人も人を殺してきたのだ。
 今更、一人の人間――それも病気で長くない少女をいたぶる事ぐらい、何とも思うわけがない。
 相手はただの人間なのだ。
 所詮自分の――仲間ではない。
「殺すなよ」
「判っている。どうせ…いや、努力しよう。もしかすると手加減できないかも知れない」
 ミノルは口元をわざと歪めて見せた。
「『人間』ってやつは脆いからな」
 右手を挙げて背を向けると、彼は『檻』へと向かう。
 迷う代わりに即座に行動する――邪魔な考えが生まれないうちに。
 殺すような思いを抱かないうちに。
 去り際のミノルの背は、所長にとっては責任者と変わらないものだった。
――人間外の存在め
 獣人計画――そういう名前の兵器開発プロジェクトが存在した。
 過去形で言わなければならないこのプロジェクトは、現段階では兵器開発とは言い難い側面を見せ始めていた。
 最凶の兵士を作成するというこのプロジェクトは、名目だけを残して消滅した。
 兵士を一人作るために余計なお金を掛けすぎるのははっきり言って無駄以外の何者でもなく、『格安で造れる』というメリットの消失がプロジェクトの変更を余儀なくされた。
 それが人間の追求という特殊な条件を含むようになった直接の原因でもあった。
 人間を越える筋力、人間を越える視力…戦闘能力を強化するには様々な事が考えられる。
 骨格が丈夫になれば、筋力は向上しより大きな砲を撃つことができる。
 より早く走ることができる。何より大人と子供の喧嘩のように、格闘戦でも威力は発揮されるだろう。
 計画の命名は、ターゲットとなる遺伝的な脳異常の病気『獣人症』から取られている。
 責任者の名前は柊 宰博士は医学および微細工学の権威であり、大脳生理学まで手を染めるという奇妙な人間だった。
――はっきり言って信用できない
 だから所長としてここにいる彼は、計画に参画する事そのものには賛成しがたいものがあった。
 計画の中心にいるのは人間ではない化け物共だ。
 それを信用しろと言うのだ――無茶な相談だ。
 何より彼も気がついていた。博士のもたらす臭いが、人間よりもそれ以外の獣に近いという事に。
 素体――ようするに『獣人』は、兵器として単体で充分な能力を持たなければならない。
 脳異常の例としてよく上げられるのがサバン症候群と呼ばれる、あまりに大きな記憶力を持った人間がいる。
 彼等は大抵、何らかの肉体的な異常も併発している。
 表情を巧く作れないとか、脳から来る異常だ。
 原因は脳の欠損による『特定部位の肥大』による物である。
 だがそれらを失う代わりに常人には持つことがあり得ない能力を持つに至る――
 獣人計画で集められた先天的および後天的な異常者はそれが故だった。
 束のような書類を眺めて所長は溜息をついた。
 博士に言われて選択した素体候補のリーナは典型的な先天的障害者で、突然の蜘蛛膜下出血――大脳皮質の圧迫により倒れる。
 倒れた直後病院に運ばれた際には脳内部の腫瘍が発見されたが、金銭的都合から退院。
 以降彼女は幻覚を見るようになったという。
 脳波測定に異常は見られない――それはある意味では正しくはなかった。
 彼女の周囲にいる人間の脳波に『自動調整』されるという奇妙な特徴があった。
 簡単に言えば彼女は全自動で電波を拾うアンテナのようなものであり、彼女の見る幻覚はそれが原因だった。
 しかもそれは、周囲にいる人間の思考過程までも捉えるという非常に希なテレパスの一種だった。
 カルテに寄れば能力は無自覚無意識の状態で最も確実に発揮されるという。
――彼女を素体に仕上げられなくても、実験結果は充分に取れるだろう
 それを利用すれば別に、素体を作るのも難しくないはずだ。
 端末を操作して、彼女に埋め込んでいるモニタのログを画面に表示する。
 タグと同時に打ちこまれる脳波および肉体の状況を監視する小型センサの情報は各人毎管理されているのだ。
 どこで何をしているのか、脳内麻薬量と酸素摂取量などからほとんど把握することができる。
 そして――

 一週間もしないうちにリーナは『壊れた』。

 リーナはミノルへの指示後四日で逃亡した。
 薬物による急激な肉体バランスの崩れから、その後のミノルによる処遇はだいたい想像できた。
 担ぎ込まれた時には既に彼女は『死体だった』という訳だ。
 まるでそれを初めから知っていたように、所長の前に呼ばれたミノルは不機嫌そうないつもの笑みを浮かべていた。
「手加減できなかったのさ」
 どうせリーナを殺してしまった事に対する事だろう、と思って彼は呟いた。
「それについては、確かだ。…御陰で意外な所にいた素体を上げることができた」
 所長は何の感情もなく言い、茶色い封筒を投げてよこす。
 無言でそれを拾い上げ、右手で弾くように中身を調べる。
「賞与だ」
「は?」
 眉を寄せてくってかかるように所長を睨むミノル。
「『リーナ=ハインケル』を素体としてあげたのだ」
「リーナは…」
「死んでいる訳ではなかった、ということさ」
 掴みかかりそうなミノルを抑え込むように言葉を続ける。
「思わぬ拾いものだったよ。ご苦労だった」

 そして彼は再び所長の前にいた。
 苛々する程、この所長には恨みがあった。
 だから今回の、博士の指令については胸がすくものがあった。
 冷たい瞳を、突然入ってきた少年に怯える男に向ける。
「きっ、貴様っ」
 今回は呼び出されたわけではない。
 元々彼の元にいるわけではないのだから。
 ただいつものようにふてぶてしく彼の前で立ってやる。
 口元を歪めるだけの笑みを浮かべて。
 彼には想像できた――『リーナ』との接触を確認した時から決まっていたようなものだ。
 ミノル自身、一番良く識っている少女だったのだから。
「『リーナ』を確認できなかったとはどういうことだ」
 ミノルは敵であると。
 博士の側の人間――いや、存在だと。
「…何も。文字通りだ。データ全ては確保、既に送らせてもらった」
 『檻』に軟禁状態だった少女はリーナとは別人だった。
 何より、戦闘能力としての彼女はまるで役立たずであり、精神的にも既に『実験体』以下の存在だった。
 ミノルは淡々と事実を述べて、懐に手を入れた。
 黒い、兇悪な姿をした――銃。
 人間を消すには兇悪すぎる銃。
「…最後通牒だ」
 ポケットに片手を入れた格好で、僅かに胸を反らせてミノルは言う。
「ま、待て、俺は――」
「この施設毎計画を抹消する」
 そして笑みを浮かべた。
「確か言ったよな?『投薬と精神圧迫を強化して能力が出ないようなら破棄だ』」
 理解していなかった。
 実はそれが、自分に対する言葉だとは思ってもいなかった。
 そして、ミノルの懐から銃が見えた時、爆音が鳴り響いた。


「それで?」
 アメリカ西海岸の片田舎、町外れにあるモーテル。
 人気のないぼろぼろの建物に、薄暗い部屋。
 管理が行き届いていない代わりに、少し汚いのを我慢すれば安全が買える場所。
 ここには警察は来ないが、代わりに葬式屋と薬屋には事欠かない。
 『柊』のコネは、割合太いものだった。
「どうした、何を黙っている。話したくないのか?」
 気のせいかいつより上機嫌な声で話しかける少女。
 どうやら気に入ったらしく手元で帽子をくるくるといじり回している。
 年の頃は中学生ぐらいだろうか。
 可愛らしい顔立ちをしているのに妙に険のある表情を浮かべる。
「話したくないんじゃない」
 星の薄明かりだけが部屋に差し込んでいる。
 灯りをつけたくないのか、灯りがつかないのか、それとも何かを警戒してのことなのか。
 少女の前には、ベッドに腰を掛けるミノルの姿がある。
「…ちょっと不思議に思っているんだ。こうやって話なんかする必要ないだろうからな」
 貌の半分を闇に沈めると溜息混じりに呟いた。
 少女は目を僅かに開き、やがて年不相応にいやらしい響きの笑い声を上げる。
「明日には、日本に飛んでもらうんだ。しばらく一人で行動してらうんだからな」
 帽子をいじる手を止め、彼女は机の脇から酒瓶を持ち上げた。
 その仕草も子供というよりは呑み慣れた大人…言葉遣い、表情どれをとっても子供には見えない。
「…人間は話をすることが大事だと聞いた。精神衛生上、な」
「俺は」
「今日の私は非常に機嫌がいい。…黙って、言うことを聞け」
 言いながら瓶の蓋をはずし、グラスに琥珀色の液体を注ぐ。
 氷はないが、彼女は丁寧に淵で酒を切るとミノルに差し出した。
 ミノルは黙ってそれを受け取る。
「それに、お前の口から話してもらうことが楽しいんだ」
 少女はにっこりと笑みを浮かべた。
 その笑みは――笑みだけは年相応の表情を作る。
――だからミノルは戸惑いを覚える。
 目の前にいる存在が人間ではなくただの人形であることも。
 それが今の人生を作っていることも。
 彼女が、あまりにも人間的であることも。
 何もかもが彼にとって不自然だった。
「単独行動中のお前は常にモニタできる。いざとなれば電話を掛けるだけで良い」
 だけど逆らう理由はなかった。
「……頼むぞ」
 彼女に真剣な表情でそう言われることが、あまりにも当たり前に感じられたから。
「ああ」
 グラスを一気に煽って、彼はそれを部屋の隅に投げ捨てた。
 細かく砕ける音がして、グラスは部屋の隅でただのゴミに変わった。


 踵を返すようにして向かう日本。そして――
 それからの二ヶ月、猟奇的な殺人が続くことになる。


◇次回予告

  突如襲いかかる暗い夢。
  「それだったら例の話の方が俺は気になるんだけどね」
  変わらない日常を演じ続ける中、それは兇悪な牙をむき出しにする。
  でもまだそれは、始まりに過ぎない。

 Holocaust Chapter 1: 実隆 第1話

 えー♪そりゃ自分に決まってるでしょーが
                                            冥い夜がやってきた                      

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