XVIII.

 転ブ技術の周辺〔4〕宇宙開発
   宇宙ステーションに転ブを搭載することで、作業員がロケットに搭乗し、地上からそれを発射する必要はなくなった。ペイロードも必要最小限で済むので、宇宙開発の安全性向上と低コスト化に大きく寄与した。また、宇宙飛行士をデータ保存したり交代制にするシステムを宇宙船に採用することで、恒星間レベルの長期的な有人宇宙探査も、現実味を帯びることになった。


 ユキヤを待つ三人は、それぞれの形で彼の生還をひたすら待っていた。
 特にエリは、自分の存在が宙ぶらりんになっている気がしてならなかった。ユキヤがいない場合、自分が一人余ってしまう、と、自分で決めてかかっていた。
 昨夜サマリーに止められていたにも関わらず――遂にいたたまれなくなって、自分の携帯電話を使ってユキヤに電話してしまったほどだ。
 「もう一度エリちゃんに代わるね」と幸哉が言った時に、彼女は手を伸ばしかけた。が、幸哉が自分の横にいた恵里に電話を手渡したので、力なくその手を元に戻した。自分が幸哉の『エリちゃん』じゃないような気がして、そばにいるはずの彼は、とてつもなく遠い存在になったように感じた。
 恵里は、エリほどには自己の存在自体に自信を無くしていなかった。たった半日、幸哉を占有したようになっていただけだったが、これは彼女達の不安を大きく異なるものにしていた。しかし、それでもユキヤが還らなかった場合、一方のエリと残った幸哉を争うような、不毛で悲しい状態になると直感していたし、それは誰も望んでいないのも、はっきり分かっていた。
 幸哉にしてもそれは同様で、二人の恵里を二人とも妻として愛することには抵抗があるし、かといって片方を選ぶという大それたことは考えもつかない。どちらの恵里にも全幅の愛を注ぎ得ないジレンマに悩まされていた。ユキヤが無事で還ってくることのみが、最高にして無二の解決だった。
 当然ながら、夫への愛情そのものや、自分の分身に対する愛情、これらを抜きにしては考えられない。だが、むしろユキヤが――いや、彼のみならず四人それぞれが、彼らの存在事由を規定する小宇宙の調和に、欠くことのできない要素になっていたと言った方がいい。彼らは、四人の中だけに完結する梵我一如を感得していたのだ。
 ヨヨハト弁護士は夜半にサマリー宅に到着したが、詳細な方策を皆で講じるのは、ユキヤの安否を確認した後にした方が良いことを悟っていた。そこで、飽くまでユキヤが生還することを前提として、簡単な所見を説明した。
 今までにこんな事件が無かった訳ではないこと。ニ年ほど前、サマリーと共に当たった事件では、被害者は提訴を取り下げてしまった。その時追求できなかった転ブの欠陥が指摘できるチャンスでもあること。しかし、裁判になった場合は判例など無いも同然で、国などがどんどん控訴することも考えられ、長期化するかもしれないこと。
 だが、重大な過失には違いない。今後同じような事件を二度と起こさせないためにも、早急に告発すべきだということ。
 国家は、彼等四人の基本的人権を保障しなければならないこと。彼等は、四人全員がお互いに生きる価値を持つと考えている限り、彼等の生存権を阻害することは、誰にもできないはずであること。
 賠償請求は、非常に込み入った計算になるが、当然できること。
 ヨヨハトはこれらを皆に説明し、サマリーも彼等を勇気づけた――。
 
 残る一人――ユキヤは、必死でサマリー宅の近辺を逃げ回っていた。
 あの黒服達は、一体何だったんだろう。ヤバかったかな。いきなり呼び止められそうになったんで、逃げ出してしまったけど。やっぱりタクシーの運ちゃんの言ってたことは、本当だったのかな。しかし――何故追ってこないんだ?
 路地裏で壁を背に、荒れた息を落ち着かせる。
 二人のエリちゃんが、もう一人の僕が、僕を待っている。
 彼にも、自分がいなくなることがどれほど他の三人に苦痛を与えるか、分かっていた。二人の恵里はもちろん、もう一方の自分が考えることは、自分と一緒のはずだった。
 もう一度、サマリー宅の番地を確認した後、ゆっくりと路地から顔を覗かせて、辺りに人がいないことを確認した。
 汗を拭いた後から、また油汗がにじみ出る。前後を確認しつつ、電柱の陰を頼りに進んでゆく。公衆電話も探していたが、いかんせん住宅街では全く見つからなかった。あてになるのはペンキの剥げかかった住所標、そして最終目的地であるサマリー宅だけだ。日が暮れ切ってしまうと、面倒なことになる。
 もしサマリーさんの家まで、手が回っていたら? ……その時は、僕等全員の絶望なのかもしれないな。

 へんてこおじさんと双子の姉妹に――幸哉がケイトを相手に、そこに二人の恵里が加わった、お人形さんごっこをしていた最中に。
 ブザーが鳴った。
 サマリーは慎重に来訪者に名を尋ねたが、それが幸哉と同じ声の持ち主だと分かると、玄関に集まったみんなが歓喜の声を上げた。
 「ユキヤさん」
 「僕か?」
 「ユキヤさん!?」
 
 玄関ががらりと開かれた。
 西日を背に、髪の毛とネクタイがだらしなく曲がった彼がいた。
 
 エリと恵里は真っ先に彼に抱きついた。
 恵里はそれまで、幸哉が自分の夫のような気持ちでいたが、彼を見た途端、苦難を越えてきた夫を迎える一人の妻になっていた。
 エリに関しては言うまでもない。
 幸哉も、何故だか急に自分がいとおしくなり、背中から彼を抱きしめた。

 ――彼らの周りに、祝福の静寂が続いた。
 ヨヨハトおばさんは夫にすがり、弁護士はその肩を優しく抱いた。
 サマリーは初めて娘に見せる涙を、流れ落ちるままにまかせていた。
 ケイトは人形を持ったまま、くりくりした大きな瞳に彼らの姿を焼き付けていた。
 

(最終章へつづく)

© A.Matsu! 2000-2001 大禍時(おおまがとき)Indexへ