XI.

既存交通機関の衰退〔1〕自動車(a.自家用車)
   転ブ普及期でも、自家用車は移動個室の性質を持つことも手伝って、そうそう衰退はしなかった。しかし、基幹産業としての位置が転ブ・情報産業に奪われるに従い単価・維持費は高騰し、次第に自家用飛行機やクルーザーのような『ぜいたく品』と同様の扱いを受けるようになった。また、道路交通網の渋滞はまったくなくなったが、整備費も大幅に削減された。

 
 家にいた幸哉と恵里は、続いてエリに警告の電話を入れた。彼女は自分の職場の住所がどこか分かっていた。だが、それでも転ブが使えない、殺される危険がある、というのは、安心とはほど遠い知らせだった。幸哉は一生懸命彼女を励ました。必ず必ず、生きて会おうと。
 エリが職場でしばらく呆然としている間、幸哉と恵里は必死になって弁護士を検索した。人権問題について定評のある人で、できれば転ブ事故の民事裁判に携わったことのある弁護士。弁護士の側からは検索しきれなくて、転ブ事故の判例を引っ張り出して、それの被害者側弁護士をずらっと並べて……。いよいよ一人か二人に絞り込んだとき、その名前に恵里が『おや?』というような顔をした。
 ヨヨハトって、めずらしい名前よね。
 ヨヨハト=シン事務所のHPには事務所の電話番号が記されていた。幸哉がすかさず電話をかける。受付に、転ブ事故に巻き込まれたと告げると、しばらくお待ちくださいと言われ、すぐにヨヨハト本人が電話に出てきた。
 「代わりました、私がヨヨハトです。一体どのような事件なのですか」落ち着いた、誠意にあふれる声だった。
 幸哉は自分の名前と恵里の名前を告げ、自分たちが四人に増えてしまったことを正直に話した。
 「今は、四人ともご在宅ですか」
 二人が出社していることを言うと、ヨヨハトは少しあきれたが、
 「もし本当だとすると、これはあなたのおっしゃるとおり、政治的にも波紋を生じる重大事件です。普通の事件だと警察に通報するのが一番でしょうが、本件の場合、あなた方のご不安も、よく分かります。どうでしょう。一度、人権擁護団体にご相談なさってみては」
 「転ブを使っても身の危険は、ないでしょうか」
 「あり得ません――と、言いたいところなのですが、私も実は気にかかっているところなのです。これだけ込み入ったシステムで、間違いの起こらないはずはないのですが、ほとんどマスコミの話題には上らない。どうも抜け落ちている闇の部分が、ありそうなんですよね。この法治国家でも」
 「では、僕らはどうすれば」
 「大事をとるなら、使わない方がいいでしょう。しかし転ブなしの生活は、非常につらいと思います」
 「だから相談してるんですけど」
 「分かりました。すぐに今から言う人権擁護団体にアクセスして、ご相談してください。あなた方が本当に四人であることを確認でき次第、提訴の準備に移りましょう」
 「あ、あの」恵里が口を開いた。
 「つかぬ事をお伺いしますけれど、ヨヨハトさんの奥さんは」
 「は、はい? ああ、うちの家内が何か」
 恵里が自分の職場の名前を告げると、ヨヨハトはやや驚いたようだった。
 「じゃあ、あなたは家内と同じ職場に」
 「ええ、隣のデスクです」
 「ほう、それはそれは。世間は狭いもので。ん? そうしますと、今家内に電話を掛けると、もう一人のあなたが確認できるわけですな」
 「え、はい……あ、でも」もうエリは退社しているかもしれない。
 「すぐ確認しましょう。少し待っていてください」
 場面変わって恵里の職場。ヨヨハトさんのめったに鳴らない携帯電話の呼び出し音が鳴り、その無味乾燥な電子音に周囲は少しもの珍しそうな表情をしていた。
 「もしもし。あ。あなた? ふふ何よ、何かあったの? 晩ご飯のご希望でも?」
 「私も仕事中だよ。いいかい。ここからは黙って聞いてくれないか。……君の隣に今、エリさんはいるかな?」
 「……」
 「いや、そこまで黙っていなくてもいいんだけど」
 「ああ、エ……」
 「黙って!」
 「――何よ?」と言いつつ、ヨヨハトさんは席を離れた。どうも様子がおかしい。
 「エリさんの名前を今そこで口にしないで欲しいんだ」
 「え、ええ。あの、いますよ」
 「普段と変わったところは別に無いか」
 「少し心配事があるみたいだけど」
 「間違いなくエリさんなんだね」
 「ええ、間違いなくエ……」
 「ストップ! ストップ! ストップ!!」
 「あ、ごめんなさい」
 「……いいかい。落ち着いて聞いてほしい。エリさんは僕の仕事のお客さんだ。彼女の人権が蹂躙される可能性がある。いや、既に蹂躙されている。そこで君にお願いがあるんだが、エリさんを今から言うところに、お連れして欲しいんだ――できれば、転ブ無しでだ」
 「分かった。あの子は私も気に入ってるし」
 「一緒に退社するとか、妙に目立つことはしないようにね」
 弁護士は妻に場所を告げて電話を切り、ついで幸哉達の自宅に折り返し電話をした。
 「いや、幸運でした。エリさんはまだ会社にいました。場所が近いので、家内に二人で人権擁護団体へ直接向かうように言っておきました」
 「それは、どこなんです?」幸哉は口を挟んだ。
 ヨヨハトは人権擁護団体の名称と代表者、サマリー=シバの名を告げた。
 「サマリー!?」
 恵里はまたもや、びっくりしていた。昨日の異変に立ち会っていた、あのサマリーの名前が出てくるなんて、今日は一体どうなってるの?
 「おや? またお知り合いですか」
 「え、ええ。大学で……」
 「サマリーさんがお知り合いだと、心強い。彼女はこの方面で、すでに誰にもひけをとらない実績を残しています。きっとお二人……失礼、四人にとって最良のアドバイスができるでしょう」
 「サマリーって、昨日の話に出ていた人?」
 「そう……今何をしてるか、聞いておけばよかった」
 「ご自宅にいるよりは安全でしょう。私もニ、三用事を済ませてから、出来るだけ早く彼女のところへ行きましょう」
 「ヨヨハトさん、本当にお世話になりますが、よろしくお願いします」
 「今はあなた方全員の無事が、何よりも大事です。一人ずつになってしまった場合は、夢でも見たんじゃないかと言ってとぼけられる可能性も、無いとは限りませんから。とにかく、サマリーさんと会ってください。それと……」
 ヨヨハト弁護士は大きく息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと言い添えた。
 「サマリーさんの団体にはアクセスしない方が、いいかもしれません。盗聴される危険も無いとは言えません。念のため今からサマリーさんご本人の電話番号と住所を言いますので、こちらに電話して、向かっていただけますか」
 ヨヨハトの告げた電話番号は、恵里の携帯電話のアドレスと一致していた。住所も、ヨコハマの彼らの自宅からさほど遠くないところだった。まさか彼女がこんな仕事をしていたとは。
 ヨヨハトとの電話を切った後、恵里はサマリーに電話した。
 「あら、エリ? ユぅゑぇ〜イ! 元気ぃ?」
 本当に、人権擁護団体の代表者? 午前中からハイテンションだ。
 「サマリー。……実はお願いがあって、電話したの」
 「なぁに?」
 恵里は昨日のことと、ヨヨハト弁護士との会話を話した。サマリーはひどく憤慨し、
 「昨日、本当についていってあげたら、よかったわね。ごめんね」と恵里に優しい声をかけた。
 恵里の目が滲み始めた。「ありがとう、サマリー」
 「泣いてる場合じゃないのよ、エリ。あなた今、国を敵に回し始めているのよ。多分もう気づいていると思うけど、もう一人のエリやユキヤさんを失うことも、エリにはできなくなっているんじゃない」
 「うん、……うん」
 もう一人のエリは自分と等価だし、二人のユキヤも等価に最も愛する人だった。
 「だから、がんばって! すぐに会おう、エリ! ユキヤさんと一緒に。私の家、事務所の二階だから……あ、ところで、もう一人のユキヤさんには連絡したの?」
 その声を聞いて、しまったという顔をしつつ、幸哉はユキヤに電話し始めた。
 

(第12章へつづく)

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