IX.

ジェリディアム(Gelidium)
   ウォークスルーの発展技術。物質の再構成を適切な位置から始めることによって、再構成済みの部分を適切な速度で前方に押し出す技術。この技術によって大型の物質も転ブ・再構成生産が可能になった。鉄鋼・船舶製造などにも応用されている。ジェリディアム対応で大型の輸送用転ブは一般にアクセスゲートと呼ばれている。ジェリディアムの語源は不明。

 
 マンションでは、恵里と幸哉が言葉少なに沈黙した表情になっていた。二人とも向き合ったまま俯き、表情もかたくなだった。昨日夕陽に撃たれながら、純粋すぎるラブシーンを演じた二人とは思えないほどに。
  ――昨夜は四人離れて寝て――エリはソファで眠り、二人の幸哉は床でザコ寝して――朝を迎えた。
 起床後やはり夢ではなかったという事実を四人とも確認して眉間にしわを寄せた。四人で摂る朝食はやはり不思議なものだった。
 朝食を摂りつつ、ショッピングモールに一度問い合わせようということになり、電話をした。閉店中の録画サービスになっているのを見て愕然とした後、HPでも検索したが、『十月一日ウォークスルー設置!』という掲示以外、さしたる情報はなかった。
 そのうち、幸哉(ユキヤ)の出勤時刻が迫ってきたので、どうしようと相談になった。
 非常事態であるにもかかわらず、エリはどちらか一人の幸哉を会社に行かせることを主張した。幸哉の出勤状態は極めて不良であり、これ以上の勤務未消化は妻としてまったく認められない、と。
 「じゃあ、こうしよ。今からジャンケンして、どっちの僕が行くか決める。仕事に行く方は、残った方が問い合わせやクレームする内容については文句を言わない。だって考えることは、まったくおんなじ僕とエリちゃんだもん、ね」
 こう言ったのは、意外に思われるかもしれないが、昨日会社をさぼってくだらない冗談を言いつづけていたユキヤの方だった。がしかし、今はどちらが真面目か、不真面目かという性格付けなどありもしない、どちらも正真正銘の幸哉なので、どちらが言っても別におかしくはない。
 彼等は16回あいこを繰り返した後、ユキヤの負けで決着した。
 「違うよ〜。勝った方が仕事に行けるに、決まってるじゃ〜ん」
 勝った幸哉はニコニコ笑いながら首を横に振っている。二人の恵里に目を向けると、こちらはコワイ顔で首を横に振っている。
 「あーわかったわかった。行きますよ。行きゃあイイんでしょ、まったく……近頃の若いモンは、働きもしないで人に働かせおって……ぶつくさぶつくさ……」
 彼の出社を見送った後、今度は恵里もしくはエリの出勤時刻も近づきつつあった。
 エリが自分で自分を思いやるように、「昨日はお昼も食べないで大変だったでしょ? 問い合わせ頼むね」と恵里に言い放つと、そそくさと準備をして出て行った。
 こうして、恵里と幸哉がマンションに残った。
 ばたん。という音がしたのが9時半。
 この音と同時に彼等はカクカクの四角形の動きに変わっていた。交わす言葉もどこか角張っていた。
 「ゆゆゆユキヤさん? もももうすぐ、ショッピングモール、開店してたりだよ、ね」
 「たた、多分。あ、あそう。さっきホームページにもそー書いて、あっテ、た、ね」
 無理も無い。本来愛する二人だけの閉じた世界は、今や仕事に出かけた二人と共有されるべき世界とも考えられ、誰と共有すべきかも分からない。恵里はどちらの幸哉を愛するべきか見当もつかないし、幸哉にとってもそうだった。なのにお互いの対象は今目の前にいてそれは疑いようがない。
 そんな不安定な状況だから、本当はお互いがお互いの愛情を確かめたくて仕方が無いのに、外に出た彼らが枷になって、その欲求を満たすことができないのだ。
 『例えば僕は、エリちゃんと一緒に仕事をサボっているだけなんじゃないかな』と、幸哉がふと思ったりするのも仕方のないことで、むしろそちらの方が本来は現実的だったりもする。だが、現実は飽くまで現実だ。信じる信じないといった次元の問題ではない。
 「よ、よし。まずは問い合わせ。だ。で、どう話したら、いい、いいんだ?」
 「ゆ、ゆ、ユキヤさぁん。しっかり、してよォ」
  幸哉は、ぎくしゃくしながらはたと困った。いきなり私達が四人に増えました、では、何が言いたいのかさっぱり分からないだろう。
 ショッピングモールの昨日の顧客訪問履歴を調べてもらうか。そうすればミラーサイトとオリジナルで僕らのIDがダブっているのが分かるはずだ。 
 しかし……。
 幸哉は新たな疑問を生じさせていた。当然今から僕はショッピングモールか転ブの施工業者か誰かに、クレームをつけるために電話をかけようとしている。ここで僕等が四人被害にあっている、その被害総額は? とりあえずマンションは二ついる。他はボックスとかで再構成させればいいだろう。タンスとかは『ジェリディアム』でやってくれるはず。ここまではほとんどマンションの頭金、と。当たり前だよな。
 しかし――会社は? 友人は? 同窓会は? 初恋の人は? 両親は? 思い出や人間関係は絶対にコピーできない。できるはずがない。もししようと思えばドミノ式にもう一つの世界が必要になってしまう。これは――。すごい額が請求できるぞ!!! ムヒョー、ラッキ〜〜!!
 そう考えてみれば、この反対が、殺人か。やっぱり罪、重いよなー。一人の人の『世界』を潰すわけなんだから。復讐法式に考えると、この殺人の場合の刑罰はラクだな。その加害者の『世界』を無くせばいい。と言って、すべてにそれが該当するわけじゃないけれどもネ。この考え方が仮に正しいとして、僕らの場合はそれを裏返しにすればそれでいいかというと、そうはならない。責任者を二人に増やしても、意味が無い。
 かといって、『世界』を二つに増やすなんて、できっこない。人間食っても五合半、世界とおんなじ額もさすがに要求できないよネ、そりゃそっか。死んだわけでもなく増えたんだから、かえって金クレって言われたり……そりゃないか。まず命の値段ほどにゃ賠償請求できない、できないかな? 僕等はこのままいけば、社会的な生活を著しく阻害されることになるはずだ。
 「おや?」
 幸哉はちらほら、生きる、死ぬなどと考えていて思い当たってしまった。茶化した考え方は、もうできなくなっていた――簡単に解決できる方法が、一つある。
 「……エリちゃん。やっぱりショッピングモールに問い合わせるのは、やめた方がいい」
 「え? どうして?」
 彼は彼の考えを手短かに話した後、重い声で彼なりの結論を言った。
 「僕等が一人ずつ、殺されるかもしれない」
 「え?」
 「僕等は、昨日あわててショッピングモールとか転ブ業者とか、警察とかに連絡してなくて、本当によかったんだ……」
 恵里も考えだした。殺される? 自分と目の前の幸哉が殺されるというのはさすがに想像を絶していたが、仕事に行ったユキヤやエリが殺されるのを考えるのも苦痛だった。彼等が恵里、幸哉であるという主張を自分達と寸分違わず持っているというのも、十分理解している。
 「そんな、じゃあ私達これからどうなるの?」
 「……」
 幸哉はいつになく眉をびりびりと動かしていた。
 「先に連絡しなかった方とか、ミラーサイトのショッピングモールに転ブした方とか、あるいはまったくランダムのロシアンルーレット式に、転ブした瞬間に目的地に再構成させないようにすれば……もしそれができれば、だけど、あっさりと片方を消去できる。今僕等が電話をかければ――」
 「外にいる二人が転ブした瞬間に、いなくなっちゃうかもしれないってこと?」恵里はきょとんとした顔で付け加えた。
 「そんなひどいこと、できる訳がないじゃない」
 幸哉は眉間をつまみながら、眉毛をきつく八の字にした。
 「この事件の、前例がなかったわけじゃないんだ。だけど」
 恵里は射すくめられた蛙のような目をして、じっと聞いている。
 「だけど、転ブで偶然二人になってしまったその人は、その四日後に変死したんだ、『二人』とも。……ずいぶん前の話だけどね」
 幸哉は天井をにらみつけた。
 「発表では転ブテロの仕業で人体に変異が生じたためか、とか言ってたけど、ちゃんとした検死結果などは聞いていない。どうも納得いかなかったんだ。素人推量だけど、二人に再構成されちゃった理由とは、関係なさそうだったから」
 「どういうこと? 転ブで体がおかしくなったんじゃ、なかったってこと?」
 「僕はこういう科学技術モノは好きだろ? だから、あの事件のニュースはチェックしていたつもりだ。でもあれからぷっつり報道が無くなっていた。考えられるのは……」
 口を半開きにしたままで幸哉の話を聞いていた恵里が、唇をほとんど動かさずにその言葉を継いだ。
 「報道規制……」
 「うん。今、世論の転ブ支持を少しでも失うのは、政界や経済界にとって大打撃なんだ。どの国もこの新技術の覇権を握ろうと――新世界の覇者になろうとしてて必死なんだ。マイナス材料は抹殺しておいた方がいいに決まってる」
 「じゃあ私達……、マイナス材料になっちゃったの!?」
 幸哉は黙って頷いた。
 そのまま視線を下に落とし、二人の間に長い沈黙が続いた――。
 ややあって、幸哉が口を開いた。
 「とにかく、何があるか分からない。今から転ブを使うことさえ危険かも知れない。僕等も、外の二人も!!」
 

(第10章へつづく)

© A.Matsu! 2000-2001 大禍時(おおまがとき)Indexへ