Winged-White 雑感 2002/05 Notes
雑感index ナイス本
更新履歴 aboutWW profile
2002/06← →2002/04
雑感最新号

【ていねい語ムズカシ】 2002/05/31

ウチの近くに小学校があるが、体育の指導がどうもヘンだ。

「〜しましょう ……
 …… もっとちゃんと手ェふれー!
 〜してください ……
 …… ダラダラすんなぁ!」

こんな繰り返し。言っているのは一人の教師だ。
聞きようによっては多重人格者が指導しているようにも思え、おかしい。

先生も苦労しているな、と思う。
教師が生徒に強権的な態度をとらなく(とれなく)なって久しい。が、それでは秩序だった指導はしづらい。 指導者のパーソナリティに団体が心服しきっていない場合、ていねい語調でミッション=クリアは難しいのだ。
例えば救急救命では、「救急車呼んでください」ではダメで、「救急車呼んで!!」と命令しなければならない。「お願い」では人は即座に行動しないのだ。

まだ団体活動を始めて間もない大勢の小学生を、「おだやかな口調で」指導する。さぞかし難しいことだろうと思うが、自分のスタンスをどちらにおくべきか迷ったまま指導するのでは、生徒の信頼も得られそうにない。どうにも悪循環。

かえってこういう多重人格的指導は、人格形成期の生徒に悪影響があるような気もする。ここまで考えると、笑って済ませられる問題ではない。
これ以上の責任を学校側に押し付けるつもりはない。教師自身ものびのび教育できないという風潮が、心配なのだ。

教師だけではない。小泉サンのメルマガも、まれに「です・ます調」から「だ・である調」になることがある。今の日本を指導してゆくのは、並大抵のことではないだろう。この方も教師同様、苦労している。
〔2002/6/27:ちょうどこれを書いた頃から、語調が「だ・である調」中心に移行している。バックナンバーをお持ちの方は、ご確認を。〕



ところで僕も人のことは言えない。この使い分けは難しい。
この両者はガラリと雰囲気を変えてしまう。中間色を出そうとすると、スタンスの崩壊した文章になりかねない。
ただ文意を伝えたいだけでも、どちらにすべきか考え込むことがある。

語調礼儀断定形式性訴求力相手一体感
「です・ます調」普通
「だ・である調」両極
(この表、主観的でファクターがあいまいです。)

どちらも長所がそのまま短所になる。
口語的な文章には、両者いずれかを適当にくずして、リラックスさせることになる。 本来両者が混濁する文章は好ましくない。が、自分の印象や感情だけは「だ・である調」で素直に表現したり、ピンポイントで読者に直接呼びかける時などのみ「です・ます調」を用いる、という場合もある。

ちょっと面倒だけれど、それだけ日本語の表現方法は豊富だということだ。
後は、その使い手次第なんだけど……ネ。

他の手法としては、広告コピー・新聞の見出し的な、「語尾省略・体言止め」もある。 (例:【ミラクル・スマイル】【うそこニュース】等)。
確かに語尾を省略すれば、「ターゲットは広くなる」。
また、
「書き手の存在感が希薄になる(広報性を帯びる)」
「テンポよくキャッチーな文章になる(場合によっては軽薄になる)」
「語尾操作による自由度が効かなくなる」
という傾向もあるので、機に応じて使うべきだろう。

(2002/05/31) 戻る

【新処方箋はできるか】 2002/05/29

インドには、あらゆる宗教紛争を解決する処方箋が、歴史の中に散りばめられているという。
確かに、ヒンドゥ・仏教・ジャイナ・イスラム・シク、そしてカトリック(ポルトガル)・プロテスタント(イギリス)――ぱぱぱっと考えて、これだけ多くの宗教がダイナミックに関与している地域も、珍しいと思う。

で、なんでカシミールがうまく解決しないんだろう。

昔との違いは、
  • 軍事力のみで解決するのに、相当面倒な手順が必要になった。
  • 一国のみでなく、国際関係の中で解決しなければいけなくなった。
  • 宗教のみでは、世界が語れなくなった。
他々、たくさんあるだろうけど、ゆっくり吟味しながら昔の事例と対照すれば、軍事力によらずパキスタンとインド双方が微笑みあえる方法を、歴史の中から見出せるかもしれない。

もし、他の大国に借りを作らないような解決ができたなら――相次ぐテロにうんざりしている某国が教えを乞うような、「哲学先進地域」に返り咲けるかも、しれない。

でも……。
お互い核兵器に頼りだすようでは、まだまだ遠い、かな。

(2002/05/29) 戻る

【ドイツもコイツも】 2002/05/19

「まったく、イツもイツも!」
というのが口癖の友人が、昔いた。
この言葉、周りを否定して「自分は肯定する」オイシイ言葉である。
だから僕は、毎度毎度「イギリスもフランスも」と合いの手を入れていた。相当クダラナイけど、茶化さなきゃ気が済まなかったのだ――

その学生時代、「人格形成における戦前とのミッシング=リンクが、日本人にはあるのではないか?」と考えたことがある。

社会的な「個」ではなく、単なる「私」に向かう現状では、社会関係は収縮する。 結果、全体主義の悪い部分は残存したまま、私利私欲が横行する社会機能マヒの暗闇の中に、「個人」が埋没してしまう。

現在の社会問題の噴出――学級崩壊、少年犯罪、職業モラル低下、他、他、他……の一因は、ここにあると、今でも思う。
また、戦前の高潔な人格者の話を聞くと、とても今の僕らにはマネできないような気がする。 どうもどっかで、切れてる。何かが根本的に違う。
この国での生活にボディブローを与えてきているようで、空恐ろしい。


で、外務省。
世襲官僚――親の威信と才覚、そして人格を継ぐはずの人々にして、現在の体たらく。
ま、送別会で宣戦布告をすっぽかしたようなトコロ(これは勿論在アメリカ日本大使館、昔も今も大使館の「頂点」だそーな)だし、それがちゃんと世襲制で旧態依然というか……えっと、どうフォローしたらエエの? にしても「英文が読めなかったから、突き返した」って、ホント? これ、職能・態度・行動――全部そろってメチャクチャよ?

「官僚である前に人間だった」杉原千畝は、もう外務省にはいないのだろうか。
(この言葉、裏返すと「人でなし外務省」になるなぁ……ワーオ)
もう恥はかき倒した(まだあるの?)のだし、もっと堂々とやってくれ!

さあ、みなさんご一緒に。せーの。

「まったく、イツもイツも!」

「イギリスもフランスも」

――。

名誉回復を祈る!
〔2002/05/25:一部カットしました。〕
(2002/05/19) 戻る

【国境線、遥か】 2002/05/11

「国境線」を越えた幼な子は、組み伏せられた母(?)の悲鳴を呆然と聞いていた。
クラクションの喧騒は大きくなる。
無力なる国へ、ようこそ。
この国では客人よりも国境線よりも、サラリーの計算が大事なんだよ。
明日にすりゃよほどマシな国境線を越えられたかも。
さっさと帽子を返さなきゃ。あーあ。

客が家に来た。他国の武装警官が応接間に上がりこんで、彼をひこずっていった――まぁ普通は、ビビりますな。
ただし、家の主人はその道のプロ、それでメシ食ってるお役人様がたなんだけど。

国境線を駆け抜ける、これも元々異常事態。
やすらけく訪問しあえるための、領事館。
たったそれだけのことができないのは、なぜ?
あの小さな門扉の前に、悲しみの川が横たわっている。

 僕がデリーのパキスタン大使館を訪れた時には、門の中(つまりパキスタン側)で警官に持ち物チェックをされた。この時はアーミーナイフを申し出て、預けている。普通、こうあるべきじゃないのかな。
 今どき、走って簡単に受付まで突破できる領事館てのも、どうなんだろう。もし「敢えて客人をノーチェックで迎え入れる」という自負があるなら、領事館員は日々命がけの覚悟が必要だ。かかる事態に対しても、即、体を張って抗議できるはず。
 どうも整合性を欠く。「天然よいこ」の考えられる域では、ないかも。
(2002/05/11) 戻る

【ミラクル・スマイル】 2002/05/02

にしても、「生茶」のCMは元気デマス!

主人公の女性は、ふとしたことで「生きかえるん」。
一話目は園児の行進ごっこで。二話目はフェリーとのエールで。
手にはキリンの生茶、という設定。
ちゃんと時代背景にシンクロしてるのも、かなりスマッシュ。
(三話目は「空」かな――裏読みしすぎ?)
〔三話目?は森で説明編でした。うーん……ちょっとピンボケしたかな?
 四話目(野球編)での復活はウレシ。るん♪〕



昔電車に乗っている時に、目の前に座った女性に惹かれた。
申し分なく好みのタイプなんだけど……なぜか表情に憂いを含みすぎ。 もっといい顔してればなぁ、と思っていた。
やがて次の駅で隣の席の人が降り、一つ席を隔てていた彼氏と合流した。

――その時の彼女の笑顔といったら!

まるで初めて陽を浴びたお花のよう。
なんだそゆことかぁ、と落胆するより、単に嬉しかった――その瞬間に出会えただけで。 一曲書けちゃったほどだ。タイトルは章題のとおり。

こんな笑顔にはこっちが「生きかえるん」。

(2002/05/02) 戻る


雑感最新号
(2002/06←) (→2002/04)

雑感index ナイス本
更新履歴 about WW profile
© A.Matsu! 2002 Winged-Whiteのトップへ