Winged-White 【インド連発】 その41〜45 インドX連発
◆インドとほほな旅話。 byA.Matsu!
  ブッダガヤ〜吹田
  (データは20世紀のものです。)
菩提樹
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その36〜40←
その41.【青い車】
その42.【ホテルマンとチップ】
その43.【1000ルピーよこせ!】
その44.【マザーハウスへ】
その45.【検査結果】

その41.【青い車】 1996/09・ブッダガヤ

体調は依然よくない
誰を道連れにするわけでもなく
無いものねだりで、ここまで来てしまった

そこにいたままだったら
閉塞感に潰されそうだった
あの時予想もできなかった格好で、ここにいる

(chorus)
さんざめく葉の緑 おだやかな日の光
あらがう必要がどこにあるんだろう
あざやかな寺院の壁 池の中の竜像
大悟の地は安らぎに、満ちていた


菩提樹の傍らで
その人をまねて座禅してみる
何か分かんなくても、もう別にいいや

観光客めあてのガラクタ
土産屋の生活の声が届く
笑いながら手を振り、歩いてく自分がいる

(chorus)
快活な売り子達 少女の和らいだ笑み
全部が全部それでいいんだね
象骨の首飾り へんてこりんな神様
見たまんまのこの世界が、輝いていた


(bridge)
ズボンをビショ濡れにして川を渡り
スジャータに乳粥をねだってみたり
楽しんでるうちに日も暮れてきた


(chorus)

とくに変わり映えもせず、
オレはただ嬉しがっていた――


鏡の中の一人
座禅のマネゴト
土産屋通り
君はだーれだ?
ヘンな神様ぁ
ネーランジャー川
スジャータ、こっちだ! 日暮れ 家路


 ここに辿り着くまで、妙に悲壮感が漂っていた。体調はガタガタ、時間も無し。不安と焦燥にまして「目的地の崇高さ」は、まるで自分自身までカッコイイかのような錯覚をさせていた。

 だが、乗り合いワゴンの屋根の上に乗り、風に吹かれつつブッダガヤへと近づくにつれて――気が楽になってきたんだろうか、そんなことはどうでもよくなってきていた。


 そして――なぜかスピッツ「青い車」が、頭の中に流れ始めた。それはブッダガヤにいる間、止まることはなかった。
上の文は「青い車」の歌詞ではありません――念のため。
 本来、この日の僕を表現するには「青い車」の歌詞そのものを書くべきで、後は蛇足だと思うんだけど――(こういった場合、著作権法上どういう記述をすれば妥当なんだろう?)、もしよかったら上の文章の横に、「青い車」の歌詞を重ねてみてください。)

その42.【ホテルマンとチップ】 1996/09・ガヤ

 ガヤで泊まっていた宿は、かなり程度がよく、1階のレストランも高級感溢れるものだった。
 ブッダガヤで知り合った韓国人の兄妹と、ここで少しゼイタクな夕食を共にしたのだが、カシミール=ナンのオイシサはトップクラスだった。

 とここまでほめておいて、インドらしいスタッフとのやりとりを……。

 チェックアウトは済ませ、夜行列車の予約を頼んでブッダガヤに観光しに行った。荷物もフロントで預かってもらっていた。
 ところが帰ってみると、予約は取れていなかった。スタッフも申し訳なさそうに、次の列車の予約は手数料無しでさせてくれと言う。しょうがない。宿代もマケてもらって、もう一泊することにした。

 同じ部屋に戻る。するとホテルのスタッフが「忘れ物だよ」と、折りたたみ式のハンガーを渡してくれた。

ガヤの駅前道(ドロドロ……) 「お、気がきくじゃん、サンキュー」
 10ルピーも渡しただろうか。しかし、彼は不服そうだ。
「もっとくれヨ」
「……いくらほしい?」

「50」

 ああーん?
 そのプラスチックのハンガー、そんなに大したもんじゃないぞ?

「……そうか。
 君がそう言う。オレが50渡す。君は満足だ。それはいい。
 しかし――50はハンガーより高い。オレは悲しい。悲しい思い出を、このホテルから持って帰る。君はそのホテルのスタッフだが、それで満足か? そーかそーか満足か。ほら50ルピーだ。受け取りたまえ」

 彼はインド人らしくない素振りで、困り始めた。やがて、
「ア、アー……ノー・サー(おお、「サー」扱い!)」と、手を振った。

「どうして?」
「それは私の仕事に――ふさわしくない」

 ――オッケー!!!!

「今、君はホテルのことを自分のことより大事に思った。その気持ちは素晴しいものだ。このホテルは君がいれば良くなる。あ、これはオレの気持ちだ。取っといてくれ」

 50ルピー、あげた。


その43.【1000ルピーよこせ!】 1996/09・カルカッタ

 ガヤで一日ロスした。
 この宿でギリギリの判断をしていた。
 カルカッタのマザーハウスにはぜひ立ち寄りたかったが――。

 帰りの便まで後3日

 鉄道ならばすぐさまデリーにとって返すべきだろう。カルカッタから飛行機を使えれば一発なんだけど……金が足らない

 クレジットカードに頼っていた今回の旅では、そのカードが盗まれた途端、本来旅自体が終わっているはずなのだ……もはや、これまでか?

 もう一度ガイドブックを読んでみる。
 「Youth Fare」割引――30歳未満は25%OFF!
 自分の歳を数えなおす――いやそれは大丈夫。
 残ってる金を数えなおす――ギリギリ足りる――!

ハウラー橋

 ――明朝、カルカッタに着いてからは、慌しく行動した。
 まず宿の確保。サルベーション・アーミーのドミに滑り込む。
リクシャーのじいちゃん  次にインディアン・エアラインズへ。リクシャーのじいちゃんもガンバって運んでくれた。バッチリというか、結構ヤバイ時間だけど――明日夜のフライトを手配できた。

 旅の最後が、つながった。
 これで後はマザーハウスに行くだけだ――。



 昼下がりにならないとマザーハウスのボランティア本部は開かない、とどこかに書いてあったので、そこらを散策することにした。

 カルカッタ公園、フォート・ウィリアム(要塞。州政府管理で一般人は入れない)を横目に、フグリー河畔からヴィクトリア記念堂に向かおうとした。
唯一いたのは、このスゴイ寝相のじいちゃん。
 ……どうも道に迷ってしまったようだ。周りにはオレ以外誰もいない。

 (地図には道があるのだが)南側には水路があったりして行けない、で歩いていると、いきなり検問付きの要塞の門がババーンと出てきた。

 ちょっと……やばいな。
 引き返したのだが、アーミーが一人、ついて来てしまった。

「オマエは何をしに来た」
「ここは立ち入り禁止区域である」
「罰金を100ルピー払いなさい」
「罰金を500ルピー払いなさい」
「罰金を1000ルピー払いなさい」


 困ったなぁ。
 しかし「罰金」がハネ上がっていくのは、逆に単なる脅しだということだ。理解できないフリをして歩いていたが、なかなか人通りのあるところまで出れない。仕方無しに。

「……Willsを一本、どうだい?」

 インドの一般的なタバコの中で、最高級のやつだ。
 友達にでもあげるようなさりげなさで――けっこうギリギリの演技。

 アーミーは無言で受け取り、帰っていった……。ホッ。

 ビーリー吸ってなくて、よかった〜あ。
 しかし何だったんだ、1000ルピー。


その44.【マザーハウスへ】 1996/09・カルカッタ

 いらんところをフラフラしながら――ついに4時ごろ、「マザーハウス(マザー=テレサ主宰「神の愛の宣教者会」本部)」に到着。

 仏跡巡りが主体だったとはいえ、最後の日々はここでボランティア三昧をするつもりだった。
 それが、何やかやで余すところたった一日、それもギリギリのやばいスケジュールでだ。

 それでも――ここに辿り着くことができたのは、感慨無量。
 自分の中の急性キリスト教的使命感も、教会の雰囲気でついつい熱くなり、ついでに目頭も熱くなってしまった。

オ、マリ〜ア!
 しかし。
 一日だけだと、特にボランティア登録をする必要はないらしい。
 いや、登録できないらしい。ということは……
 「ちいさなメダル」(ホントは「不思議のメダイ」)もらえないなぁ。残念。

 明くる当日、病状悪化のため、マザーはミサを欠席。残念。

 「残念」「残念」と思うことは、何かの欲目でボランティアをしようという、しょーもない自分がいる、ということだ。そんな自分に、残念。

 ミサのうちにそんな自分に気づいただけ、ヨカッタ。
 少なくともこの日は、まあまあ清新な気持ちで行動できたと思う。


 ――この日の出来事については別に記したことがあるので、多くは書かない。夕刻、カルカッタ・ダムダム空港のロビーで得た、ドあつかましい確信(独り合点)で代言しておこう。

プレン・ダンにて 「名も無い一人のボランティアとして諸事に携わったとき、こんなオレさえも、マザーそのものだったのだ」

 他のボランティアのみんなもそう、シスター達もそう。一人ひとりが、その意志の体現者なのだ――。

 過分な光栄に、頬は洗われ続けた。
 それは今も、続く。


その45.【検査結果】 1996/09・吹田

 デリーに着いてからが大変だった。ドメスティック(国内線)とインターナショナル(国際線)で、デリーは空港が別なのだ。

 国際空港行きのバスを探し、飛び乗る(これ、タダだった)。そして飛び降りる。たったかたーと出国手続きを済ませ、余ったルピーもダージリン=ティーに化けさせ、インドを後にした――。


 機内で聴いたYen Town Band(Chara)の「あいのうた〜Swallow Tail Butterfly」は、ひどくロマンティックに旅の終わりを歌い上げてくれた。
 調子に乗ってエコノミークラスでコニャックを頼んだりする。


 家に帰り着いて、一日以上寝散らかした。英語で寝言を発し続けるオレに、家族は恐れをなしたそうな。


 だがその後、恐れおののくのはオレ自身。
 ――帰国後3、4日経っても下痢が止まらない。
 実にラージギール以降、10日以上も、水のような下痢が続いていたのだ。

 お医者さんを訪れると、血液と便の検査をしようと言う。この年は日本でO−157が猛威を振るった年、検便では強制的にO−157の検査が付加されていた。オレの方は厳重な検査に越したことはないので、一も二も無く承知した。


 そして数日が経ち――検査結果を聞きに行った。

「今回検査した分では、とくに感染症には罹っていないという結果ですね。しかし……。

あなたの血中コレステロール値、これはね――軽い飢餓状態を示してますよ」

「え??」

「ですので、栄養のある食べ物をたくさん摂って、早く回復してください」

「……はぁ……」

――その後、「回復」には実に1週間以上を要した。




夕暮れ時のカルカッタ


「インド・1〜仏跡巡り編」



ご笑覧サンキュ〜。


SoonまたComing : 「インド・2〜バック・トゥ・インディア編」

だもんで、【インド連発】は、まだまだ続きます――。


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