涼しいタイ 年の瀬のチェンライ
*** 2003年12月23日〜2004年1月2日 ***

ゴールデン・トライアングル チャオプラヤ河の初日の出 サンティブリCC 鳥ソバ

★旅の始めに ★チェンライというところ
★観光は楽しい? ★ゴルフ もっと深く、もっと楽しく
★まどろみのタイ・マッサージ  ★パリパリとカリカリ
★おかず食堂  ★ネットな社会 ★埋もれる日本人
★ナイトバザール  ★サムロに揺られて
★バンコクの年始年末  ★旅は終わって


★旅の始めに
私は今バンコク・ドンムアン国際空港のターミナル1で国内線に乗り継ぐためにのんびりと腰をおろしている。
前回の旅行は成田空港でたいへんな災難に遭った。旅行会社が潰れてチケットを受け取れなかったのだ。(旅行代金を取り戻すために今なお係争中、詳細はこちら
それに比べ、今回は何と順調なことか。まあこれが当たり前なのだが。
今日は12月23日なので、けっこう早めに会社の仕事をきりあげてしまった。サラリーマンでありながらこうして旅行に出るのはいろいろな意味でパワーがいる。
この2週間くらいは確かに慌しかった。もちろん仕事も忙しかったが、潰れた旅行会社の問題で弁護士に相談に行ったり、そうそう年賀状なんかも慌てて作成したし。。
そもそも今回の旅行の航空券もなかなか確保できず、旅行会社と何度もやりとりをしてようやく2週間前に取れたのだ。
女房も毎週のようにフリマでアクセサリー販売に精を出していて、あまり一緒に過ごす休日もなかった。
そんなせわしい日常だったが、旅に出てしまえば、もうこっちのものだ。(笑)

ここ2年ほど年末はオーストラリアをレンタカーで回ったが、さて今回はどうしようかと考えた。
そういう旅は何回しても飽きないが、前回の困難が少々頭にあったのかレンタカーで移動していくのはちょっと難儀に感じてしまった。
今回は何もしないでのんびりしたい。そして、すぐにタイが頭に浮かんだ。タイには毎年のようにちょこちょこと行っているが、意外に強行日程でのんびりという感じには程遠かった。
よし、タイの田舎で心底のんびりしようということで、今私はバンコクの空港にいるわけだ。
目的地はチェンライ。私としても初めて訪れる町だ。
心のおもむくままにゴルフとマッサージと読書に明け暮れる、そんな旅が始まった。

★チェンライというところ

お寺(ワット・プラケオ) 人気のラーメン屋 市場 商店街 床屋さん

チェンマイならば知っている日本人は多いだろう。古い話だが、玉本事件などもあったし。ところがチェンライはあまり知られていない。私も知らなかった。チェンライはタイ最北の県(チェンライ県)の都で、人口は数万人。ミャンマーやラオスの国境までもう数十kmのところだ。13世紀にランナ王朝の都として栄えたそうだ。チェンライを京都になぞらえると、チェンライはさしずめ奈良といったところだろうか。
北部に位置しているためにもともと気候は涼しいし、今の時期は雨季明けの乾季に当たるので一年で一番よい気候だ。さすがに日中は30度以上になるが、湿気はあまりないし、日が暮れると急に涼しくなってとても快適だ。日本の高原の初夏といった感じだろうか。
そういうわけで、バンコクなどの都会の人々が避暑のために訪れる。この年末年始も大人気で、ホテルも満室状態だ。日本でホテルの予約がなかなか取れなかったときは欧米人眼光客が大挙して押し寄せているのかと思ったが、実際は国内旅行者が多いようだった。
そうした避暑以外だとやはり山が近いので外国人には山岳トレッキングとか山岳民族訪問などで人気があるようだ。

県都なのでそれなりの規模の町だが、高層のビルといってもせいぜい10階建てくらいだし、主要な交通手段はソンテオ・トゥクトゥク・サムロでいわゆるタクシーは走っていない。だからバンコクやチェンマイほどの喧騒はなく、ちょっとのんびりとした雰囲気が漂っている。

★観光は楽しい?
私は旅行は好きだが、観光はあまり好きではない。
旅先に行ってもスーパーマーケットで時間をつぶすのは好きだが、ガイドに連れられて名所を巡るのは好きではない。ツアーに参加すればそれなりに興味深いこともあったりするが、どうにも疲れてしまい気が進まない。
チェンライも観光するには事欠かないところで、町には小さな旅行会社がたくさんあっていろいろなツアーを組んでいる。
私と違って相棒(妻)は実は観光好きなのだ。彼女一人でツアーに乗ってしまうことがよくあるが、今回は一日だけ付き合うことにした。暇なのでまあ観光でもという感じだった。

●山岳民族の村

アカ族のおばさん カレン族の娘さん カレン族の子供

チェンライから車で1時間くらいのところにいくつかの山岳民族が集まっている村がある。観光慣れしているというか、観光で生計を立てているようで、入村するときに一人250バーツ(約700円)払わされる。700円というとたいしたことがないように思われるかもしれないが、タイではけっこうな大金である。昼食10回分くらいに相当するのだから、法外とも言っていいくらいの金額である。入村料以外にも手作り品を販売しており、町の土産物屋とあまり変わらない。飲物も売っているし、観光客用のトイレはピカピカの水洗だった。
その日はかなりの観光客が訪れていたので、山岳民族ってけっこう儲かると思ってしまった。

ここはアカ族、ラフ族、カレン族の集落がある。ガイドさんによると全部合わせても200人足らずで、部族同士の中はよいとのこと。
山岳民族にさほど興味があるわけではないので、それぞれの民族の説明を受けてもその違いがわからなくなってしまう。ただ覚えやすいのはカレン族。いわゆる首長族だ。首に金属性の輪を付けた部族というとなんとなくイメージがわくだろうか。私もテレビでは何度か見たような気がする。
あの輪はかなり重たくて5kgもある。5歳から輪を付け始めるそうで、だんだんと重くしていき最後には5kgになる。何故あんな輪をするようになったかということだが、虎から身を守るために始めたとか。(ホンマかいな?)
我が女房は首長族にえらく興味を持っていたようで、妙に感動していた。
ガイドさんの話だと、政府はこうした山岳民族の保護にはだいぶ力を入れているそうだ。

●古都チェンセーン

廃墟その1 廃墟その2 由緒ありげな仏像

山岳民族の村から1時間ほどでチェンセーンの町に着いた。14世紀にチェンセーン王朝の都として開かれた町だそうで、とても落ち着いた佇まいだ。町の至るところに廃墟のような寺のあと(今も寺?)がある。上半身がもげてしまった仏像も多いが、大きな地震があったためらしい。
チェンセーンはメコン川に沿って開けているが、その対岸はラオスだ。日本人的には川向こうが異国というのが、ぴんと来なかった。
ここからあのゴールデン・トライアングルはすぐ近くである。

●ゴールデン・トライアングル

←ミャンマー  タイ    →ラオス アヘン博物館

誰でもゴールデン・トライアングルという地名は聞いたことがあるだろう。そう、タイ・ラオス・ミャンマー(ビルマ)三国にまたがる世界屈指の大麻薬地帯である。
この地帯では昔から阿片の栽培がさかんだった。阿片自体はそんなに中毒性の強いものではなく、薬としても使われるようだが、これになにか化学的な調合をすると、あのヘロインができるのだ。
特にアカ族は阿片が好きで、アカ族の男は奥さん(3人までもてる!)に働かせて自分は阿片ばかり吸っていたらしい。とても羨ましいことだが、ガイドさんはとても厳しい表情で非難していた。
タイでは今は阿片の栽培はかなり厳しく取り締まっているようで、今ではラオスとミャンマーでしか栽培されていないそうだ。
それでもこの村は「ゴールデン・トライアングル」を観光地として売り出そうということで、ゴールデン・トライアングルの看板のある展望台があり、その周辺には土産物屋がいっぱいだ。そして、阿片博物館(入場料20バーツ)なるものも建ってている。中には阿片関係のいろいろな資料(阿片の作り方や吸い方もわかる。)があって、まあまあ面白い。

●国境の町メーサーイ

タイ側の入国管理 国境にかかる橋を渡る人々 お土産いっぱい タイ最北の地

ゴールデン・トライアングル観光も終わり、もうチェンライに帰るのかと車の中で1時間ほどうたたねしていると車はやけに賑やかなところに止まった。
ここはどこかと尋ねるとミャンマーとの国境の町、メーサーイだった。
国境付近はすごい賑わいだ。多くの商店、土産物屋が軒を連ねている。タイ最北の地の看板があったりして、観光地化しているのだ。
タイ人であればIDカードを示し、50バーツ(約150円)を払うだけでミャンマーに行ける。
ミャンマーのほうが物価がかなり安いらしくてほとんどが買物目当てで行くそうだ。どうりで戻ってくる人たちは大きな袋を下げている。
ちなみに外国人は250バーツか500バーツくらいかかるらしい。

●ガイドのリットさん
観光はそれなりに楽しかったのだが、私が一番興味を持ったのがガイドのリットさん。ガイドといってもその小さな旅行会社のれっきとした経営者である。日本語が多少話せるので、日本語ガイドツアーを売りにしている。
何故日本語が話せるのかというと、10年ほど前、大学で社会福祉の先生をしていたリットさんが研修で2年間日本に滞在したからなのだ。宿舎は狛江(小田急線)で毎日満員電車でもみくちゃにされたことを懐かしそうに話していた。
つまり大学の先生だったらしいが、どういうわけかその後旅行会社を興したわけである。そして日本語が少し話せるのを生かして日本人観光客を取り込もうとしているわけだ。日本語といっても日本に行くまでは別に日本語の勉強をしていたわけでもないので、日本滞在中の2年間だけの経験だ。だからあまり日本語は上手くない。リットさんの言っていることの半分も意味はわからないのだ。この程度の日本語で日本語ガイドツアーをしてしまうというそのガッツというかずうずうしさががすごい。そんなふうに変に感心してしまった次第。
見た目はひょうひょうとしていてやる気があるんだかないんだか、よい人なんだか悪い人なんだかよくわからない。でも山岳民族の村を訪れたときに目立たぬように子供達にお菓子をあげていたときの笑顔が印象的。まあよい人なんだろうと思う。

★ゴルフ もっと深く、もっと楽しく
チェンライ近郊にはゴルフ場が2つある。
一つはWaterford Valley。ここは町から40km離れているので、町に滞在してプレーするというのは少々しんどい。
ということで私がプレーしたのは、町から10kmほどのところにあるSantiburi Country Clubだ。
とても素晴らしいゴルフ場で、設計をしたのはRobert Trent Jones 2世。ゴルフ設計者としてはとても有名で、日本の高級ゴルフ場もけっこう設計している。
戦略的なコースということになるのだろう、池もバンカーも多く、フェアウェイもうねりがあって、なかなか平らなところがないくらいだ。河川敷コースで育った私としては、うーんと唸ってしまうくらいのゴルフ場だ。
ゴルフ場の掲示板によると、来年1月にはプロの試合も開かれる。うん、なかなかのゴルフ場なのだ。
料金は平日はグリーンフィーが1300バーツ(約4000円)、キャディフィーが200バーツ(約600円)で、私がタイでプレーしたゴルフ場の中では、けっこう高いほうだ。
問題は交通手段だが、自動車をチャーターすると高いので、トゥクトゥクと交渉をして往復で200バーツ(約600円)ということになった。
トゥクトゥクはタイではとてもポピュラーな乗り物。バイクの後部に座席と屋根をくくりつけたもので、バンコクなどではもう時代遅れで数も減ってしまったが、ここチェンライではまだまだ主要な交通手段である。
カンチャナブリでゴルフをしたときもトゥクトゥクを利用したが、ちょっと恥ずかしい。川奈ゴルフクラブに軽トラックで乗りつける感じなのだ。多くの高級乗用車が乗りつける中で、トゥクトゥクは私たちだけだった。
プレーしたのは、12月25日(木)・26日(金)・29日(月)・30日(火)。年末のタイの事情がよくわからないので、どの程度の混み具合か心配だった。25日・26日はさほで混んでいなかったが、29日・30日はだいぶ混んでいた。やはり休暇に入って遊びに来ている人たちが多いようだった。
  
今回は26日を除いて他の人たちと組んでプレーをしたが、なかなか多彩な顔ぶれで面白かった。
25日に一緒に回ったのは、2人のタイ人。学生(大学生?)とビジネスマン。学生のほうはバックティーを使用していてまあまあ上手い。ビジネスマンは始めて2年だそうでフォームはぎこちないがなかなかのパワーだった。そのビジネスマンにゴルフを始めてからの年数を聞かれた。正直に答えられず、まだ10年だとさばをよんでしまった自分が情けなかった。(笑)年数並みにもっと上手くなりたいものだ。
29日に一緒に回ったのはシンガポール人とタイ人(2人)。シンガポール人は奥さんがチェンライ出身のタイ人だそうで、休暇を取って遊びに来ているとのこと。タイ人2人は彼の甥だそうだ。シンガポール人といっても中華系のようで体格もよくなかなかのテクニシャン。安定したプレーには脱帽だった。

30日に一緒に回ったのは30代後半に見えるタイ人女性1人。この日は妻も一緒に回ったので、プレーヤーは女性2人、男性1人(私)。当然キャディさんは女性3人、ということで、一行6人中男性は私1人という恵まれた(?)一日だった。
そのタイ人女性には少々興味をひかれた。もちろんタイのゴルフ場でも女性を見かけることは珍しくないのだが、だいたいは夫婦連れや女性のグループだ。彼女の話では、ラヨーンに住んでいるが、休暇を利用して母の住むチェンライに遊びにきたとのこと。バンコクから8時間かけて車で来たというが、その車は格好のよいジープ。しかも英語堪能で、私よりも上手い。(当たり前だ。)ゴルフもプレーし慣れている様子で、50台前半くらいでは回っている。
彼女は何者かとプレー中ずっと気になっていたが、帰り際に名刺を貰ってなるほどと思った。会社は、日本人の多くが知っているドイツ系製薬会社。彼女はラヨーン工場の技術マネージャーという肩書きだ。想像するに、タイのキャリア・ウーマンということなのだろう。うん、たいしたもんだ。

●もっと深く、もっと楽しく
成田からバンコクに向かう機中で、私は中部銀次郎氏の書いた「もっと深く、もっと楽しく。」という本を読んだ。中部氏はアマチュアゴルフ界の神様のような存在だそうで、会社の同僚に薦められて彼に本を借りたのだった。
本の内容はというと、技術論というよりは精神面についてふれている部分が多い。読み進めるうちに、うん、うんと唸ってしまうことの連続で、読み終わったときには、「よし俺もこの本の教えに従えばもっと成長できる。」と確信したのであった。
さて、Santiburi Country Clubでのプレーぶりはというと、一言でいえば、滅茶苦茶だったのだ。
最初のうちはまあまあよいショットもあったのだが、日を追うに従い凡ミスが目立ち、最終日にはシャンクが連続して出たりもした。
もう2度と出すまいと誓った大台のスコアが2回も出てしまい、最終日などもう一生出ないと思っていたスコアが出てしまった。
あの本を読み、精神的にも数段成長した(と思った)私だったのに、何故。。。。

コースに連続して出ればよいスコアが出るなどという幻想はかなり以前に捨てている。ゴルフはそんなに甘いものではない。本番・練習・本番・練習という繰り返しが技術を向上させるわけなのだ。それはもちろんわかっている。それを差し引いても非常にお粗末なプレーぶりだった。
わかっちゃいるけど、そのとおりやれないのが、ゴルフ。ゴルフの道は一日にしてならず、ということなのだ。
もっと練習をきちんとしようと誓って、今年の私のゴルフは終わったのであった。(涙)
以下は中部氏の本の一節。ゴルフに興味のある方だけ読んでみてください。

わたしはいつも不思議に思うのだが、雑誌や本で技術論を読んで、いったい技術が向上するものだろうか?少なくともわたしは、改善されたりするとは考えない。まれにそういう例はあるのかもしれないが、それはおそらく読んだゴルファー氏が自分なりにヒントをつかんで、自分自身でスイングを直すなりした結果のはずである。そうでなければ、世の技術論によって、ほとんどのゴルファーはロングショットを放ちながら曲がらず、アイアンショットはピンに絡み―――要するに、みんなスクラッチ・プレーヤーになってしまっているのではないか。
暴論をあえて吐くなら、活字による技術論はほとんど益をなさない。ゴルフ論で役に立つのは、ゴルフに対する考え方について説かれたものだけである。ボビー・ジョーンズの「ダウン・ザ・フェアウェイ」が多くのゴルファーの心をとらえて放さないのは、終始、この球聖がゴルフについて何を考え、どうプレーしたかを書きつけているからにほかならない。読者はそこから、自分で自分のゴルフを向上させていく“何か”を感じとればいいのである。
本来、ゴルフ論とは、そういうものだ―――と、わたしは思う。


★まどろみのタイ・マッサージ
タイの物価は日本と比べればもちろん安い。だが、その中でも私が割安と感じるものもあれば、割高と感じるものがある。私の目安だが、円換算した金額を4〜5倍してみて日本の物価と比べてみるのだ。例えば屋台のラーメンは20バーツ。円換算すると約60円でこれを5倍すると300円。タイのラーメンは日本に比べると量が少ないので、まあこんなもんだろうと標準の判断を下す。
私のタイでの行動は非常に狭い領域に限定されているわけだが、その中で一番割安に感じているのがタイ・マッサージだ。
これまでの経験だと、ホテルで頼んだりすると当然高くて2時間で500バーツ(約1500円)。町のマッサージ屋だと2時間で300バーツ(約900円)。こちらが日本人旅行者だとわかると500バーツとふっかけてくる店もあるが、相場を知っているのだと言うとすぐに300バーツに下がる。
ところがチェンライのマッサージ屋はなんと2時間で200バーツ(600円)なのだ。これは安いとしかいいようがない。例の換算をしてみると、600円の5倍は3000円。日本のマッサージは経験がないので何ともいえないが、2時間なら1万円から2万円はするのだろう。
どうもケチなことばかり言っていて恐縮だが、それほどタイ・マッサージはお得なので、是非是非試してほしいと言いたいわけだ。

値段ばかりでなく内容も紹介しよう。
最初に泊まったワンカム・ホテルの周辺はマッサージ屋が集中している地域のようで、ぶらっと歩くだけでも5〜6軒は見かけた。
看板に英語や日本語の表記をしている店もあれば、タイ語だけの表記をしている店もある。店の前には若い女性(マッサージ嬢)がたむろしていることも多いし、何か得体の知れない雰囲気も漂っているので、最初は入りづらいかもしれない。しかし、そんな危険なことはない(と思う)ので、えいっと中に入ってしまおう。言葉なんか話せなくても相手はマッサージを受けたいのだとちゃんとわかってくれる。ただ、料金だけは最初しっかりと確認しておこう。

マッサージ部屋 足もみ 起き上がり えびぞり

私が入ったのはホテルから徒歩15秒の店。ただ近いというだけで適当に選んでしまった。
靴を脱ぎ2階に上がるとそこがマッサージ部屋だ。布団が7〜8個くらい並べて置かれた大部屋だが、カーテンで一つ一つを仕切れるようになっている。そしてマッサージ用のズボン(柔道着のようなだぶだぶのズボン)とシャツに着替える。
さあいよいよマッサージだ。タイのマッサージは古式マッサージとも呼ばれるくらい伝統的なもので、バンコクのワット・ポーというお寺にはマッサージの学校があったりする。
そのマッサージだが、特徴的なのはとにかく脚を攻める(責める?)という点だろうか。まず最初の1時間は脚だけだ。マッサージ嬢は彼女の手、肘、足、膝を駆使して、私の脚を徹底的に揉んだり捻ったり押したり伸ばしたりする。これでもかこれでもかとしつこいくらいだ。
脚が終わると腕や背中に移ってくるが、脚ほど時間はかけない。そして最後の30分くらいはストレッチといってもいいような感じでかなりアクロバティックな体位(?)も取らされる。
ざっとこんな感じだ。
とても気持ちがよいのだが、結構ハードで、私は3つの恐怖を覚えるくらいだ。まず一つ目は筋肉を揉むときにグリグリとやられて「姉ちゃん、俺を壊す気か。」と言いたくなる。次はマッサージ嬢が私の上に乗って全体重をかけるときで「姉ちゃん、アンタの体重何キロか知ってるのか。」と言いたくなる。そして最後はえびぞりなどのアクロバティックな体勢を取らされるときで「姉ちゃん、日本の中年オッサンの体の固さを知っているのか。」と言いたくなる。
そんなわけで寝込んでしまえうことはなく、少々緊張感を持ってなすがままにされているのである。そう、まどろんでいるという表現がぴったりだ。
このまどろみの世界に毎日浸ってしまえるのはタイ旅行の醍醐味だと思う。(ちょっと大袈裟か)

★パリパリとカリカリ
たわいない話だが、今回の旅行で一番笑ってしまったのであえて話そう。
以前何度か上海に行ったが、中国人が堂々と間違った日本語を使うのには呆れを通り越し、畏敬の念を覚えたものだ。
その際たるものが空港で売られていた「P−モコド」チョコレート。そう、正しくは「アーモンド」チョコレートのことなのだがあまりチェックもせずに間違ったスペルのまま大々的に販売していた。
もちろん私たち日本人も外国語は苦手なわけで、日本の町なかでは誤った外国語が溢れていると思う。しかし、中国人の大胆さにはかなわない。日本人ならばもう少し確認するのになぁと思ってしまう。
今回発見したのはチェンマイのコンビニで売っていた「CHECKER」という名のバタークッキー。マレーシアからの輸入品で、英語に並んで日本語の表記もある。
まずパッケージの表面の商品名。「チエツカー」の「エ」と「ツ」が大文字になっているのはよくあるとして、最後の「ー」が縦書きなのにそのまま横書きになっているのはすごい。
次は横面。「すべてのオケーションに美味で楽しまれる」との日本語がある。オケーションを日本語訳するのはもうあきらめたようだ。
「Crispy & Crunchy」の日本語訳は「パリパリとカリカリ」となっている。正しいがちょっとおかしい。
最後が裏面。そのまま転記してみる。「私達のクリームを多く含んだ,原料の品質は最高級でしかも。パリパリしたチヨッカーバター クッキー を試食してください。風味に富んだ ーーそれはまさに美食家の夢です。」
ちなみに「多く含んだ」の次の「,」の位置は行幅のまん中だ。

日本語をある程度知っているのはわかる。しかしちょっとずれている。それがとても微笑ましく、そして中国人の大様さと行動力を感じてしまうのだ。
マレーシアからの輸入菓子だが私は見た瞬間に中国系の会社の製品だと決め付けていた。(笑)
値段は30バーツ(約90円)タイのコンビニのお菓子の中では高価なほうだが、ついつい買ってしまったのは言うまでもない。

★おかず食堂

食堂入口 各種惣菜 各種カレー 豚肉と野菜の炒め物 エビフライとカレイの唐揚

タイの旅行で食事をする場所はというと、これまでは屋台とか(外国人用メニューの置いてあるような)レストランが多かった。地元の人がよく行くような「食堂」っぽいところにあまり行ったことはなかったのだ。
タイによくあるのは惣菜を作りおきにしてある食堂だ。客は食べたい物を指さしてゴハンの上にのせてもらう。それで代金はというと30バーツ(約90円)くらい。こうしたところにあまり行かなかったのはやはり見た目がちょっと食欲をそそらないというか。。。
外国人が日本の作りおきしている定食屋にきたとしよう。カウンターには肉じゃが、ひじきの煮物、納豆、焼き魚、豆腐の味噌汁なんかが置いてあるわけだ。こうした店が一番日本的な食べ物をおいてあるわけだが、日本的な匂いが充満しているし、外国人にはちょっとしんどい。こんな感じで私もこれまではタイの食堂を敬遠していた。
だが、今回は自然とそうした店で食事ができた。カウンターの食べ物にも食欲がわいたし、タイに来て20年でようやくタイの匂いにも慣れてきたのかもしれない。

毎晩のようにそうした食堂で食事をしていたが、ある日のメニューは、白身魚のフライ、豚肉と野菜の炒めもの、たこと野菜のカレー炒め。これにゴハンとビールを付けて、全部で140Bバーツ(約400円)だった。当然2人分の代金だ。ひょっとしたらこれまでで一番安い夕食だったかもしれない。

★ネットな社会
タイを旅行していてだいぶ以前からネットカフェが目に付く。バンコクのような大都市に限らず、ホアヒンとかカンチャナブリのような小さな町でもそうだ。
ここチェンライでもちょっと歩けばネットカフェにぶつかる。これまで私はこうしたネットカフェのパソコンは日本語対応はしていないと思い込んでいた。たしかに以前はそうだったようだが、時代は変わった。ネットカフェの姉ちゃんに聞いてみると、日本語対応しているというのだ。
というわけで、タイで初めてネットカフェを利用した。ワンカム・ホテル近くの店を毎日のように利用した。
置いてあるパソコンは10台くらい。けっこう繁盛していていつも半分以上は埋まっている。
客はというと、欧米人とアジア人(タイ人?)が半々くらいの感じで思ったよりもアジア人が多い。通信速度はまだまだ遅く、ADSLに慣れてしまった日本人としてはちょっとイライラしてしまう。別の店のチラシに「高速256K」などど宣伝していた。チェンライではまだブロードバンド時代は到来していないようである。
でも便利な時代になったもんだ。私は毎日、趣味の株式相場をチェックしていた。

★埋もれる日本人
チェンライで日本人はあまり目立たない。日本人観光客自体がそんなに多くないせいもあるし、私の目からは皆がタイ人や中国人に見えてしまう。だから隣で急に日本語が聞こえてきたりすると驚いてしまう。日本人はいないようでけっこういるのだ。ネットカフェで株価チェックをしていたときも、気づくと隣のパソコンにヤフー・ジャパンが表示されていたり。
一番驚いたのがゴルフ場。前の組は中年男女の2人組。オッサンのスウィングがめちゃくちゃ自己流なのだ。体全体を使って巻き割りをしているような、ものすごいアウトサイド・インのフォームなのだ。逆に考えるとあれでクラブがボールに当たるのだからかなりの経験者ではあろうと感心するくらい。私は思った。「うん、まだまだタイではゴルフは普及していないんだよな。さすがに日本でもあそこまで個性的なフォームは見ることができないよ。」と。だから、キャディさんに前の組は日本人だよと言われてびっくり。
よくよく考えれば自分も髭面の国籍不明・年齢不明の怪しい外観。失礼しました。

★ナイトバザール

かなり賑やか 織物 山岳民族を描いた絵 木彫りのカエル アクセサリー

チェンマイのナイトバザールは有名だが、チェンライにもナイトバザールがある。ガイドブックを読むとチェンマイほど規模は大きくないと書いてあったので、あまり期待していなかったが、かなり大きなものだった。その一帯に18時過ぎから次々と屋台が店開きする。
さまざまな物が売られているが、やはり手作り物が多い。絨毯、ハンカチ、衣類、ガラス工芸、彫り物、アクセサリー、宝石、カバン、絵画等々、とにかく何でもある。
場所柄、山岳民族の手作り物(多くは布の刺繍をした物)も目立つ。面白いのは、山岳民族特有の帽子のようなものを被ったオバサンが多いのだ。帽子を被らないとただのオバサンだが、よっこらしょと帽子を被る。その数があまりに多いので偽山岳民族オバサンもかなりいるのではないかと疑ってしまう。(笑)

店の数はものすごく多いのだが、人波にもまれることもあり、じきに飽きてしまう。
となるとあとは食事だ。

客席はちょっと暗い 魚のすり身の揚物と野菜炒め ロースト・ダック 天ぷらと巻物

ずいぶんと大きなフードセンターがすぐわきにある。広場を囲むようにして30店くらいの屋台が並んでいる。外国人観光客が多いので、だいたいの店が英語表記もしているので注文もしやすい。
タイでよく見かける屋台が大集合というわけだが、ちょっと異色の屋台を2つ紹介しよう。
まずは日本食の屋台。タイでありそうでないのが日本食の屋台。ここは観光客が多いのでそれを狙ったわけだろう。営業しているのはもちろんタイ人のおばさん。
メニューとしては、天丼・カツ丼・握り寿司・巻き物等々。
試しにえび天丼と太巻きを食べてみたが、うーん、ちょっとねぇという感じ。太巻きはまあまあなのだが、天丼のほうはあまり美味しくはない。30バーツくらいのものにあまりケチは付けられないが。。
これだけの屋台激戦区で勝ち抜いていくのはちょいと難しいような気がする。
もう一つの店は店名を「Chiang Mai Insect」という。そう、昆虫を調理して売っているのだ。日本でもイナゴやタニシを食べるのだから、そんなに違和感はない。イナゴやイモ虫やらいろんな虫が売られている。その中で日本では嫌われ者のあのゴキちゃんに酷似した虫もいる。英語名を見るとコックローチとは書かれていない。
Water*****と書かれている。それで思い出したことがある。以前中国人の友人から、中国では水性のゴキブリを養殖して食べるということを聞いたことがある。ひょっとしたらこいつがその水性ゴキブリかもしれない。
さすがに食欲はわかず注文をすることはできなかった。店自体あまり繁盛していないようだった。

★サムロに揺られて
サムロという乗り物がある。いわゆる人力車で、自転車の後ろに座席を取り付けたものである。バンコクではもう見かけないが、チェンライでは珍しくはない。しかし、乗客を乗せて走っているサムロは稀で、だいたいがサムロの溜まり場で客待ちをしている。(のんびり昼寝をしている。)やはり時代の波に押されているのだ。
そういうわけサムロの運転手は年配者が多いが、肉体で勝負しているだけあって、皆よい体をしている。特にふくらはぎの筋肉などはモリモリとしている。

料金は距離に寄るが町内ならば40バーツから50バーツくらいでトゥクトゥクとあまり変わらない。乗り心地はまあまあで、のんびりとサムロに揺られて町をのんびりと眺めながら走るのと気持ちがよい。
こんなサムロがいつまで生きのびられるのかとふと寂しい気持ちになってしまった。

★バンコクの年始年末
大晦日にチェンライからバンコクに戻り2泊し、日本には1月2日に帰る予定になっている。本当は4日に帰国したかったのだが、飛行機が込んでいて思い通りの日程にはならなかった。こうした時期のバンコクに行ったことはなかったが、やはりかなりの混雑のようで日本でホテルを予約しようとしてもなかなか空きがなく、ようやく出発3日前に確保したくらいなのだ。その混雑ぶりをちょっとだけ紹介しよう。

●ホテルは満室
バンコクではいつもは1泊3000円(2人で1部屋、朝食付き)程度のホテルに泊まる貧乏旅行者だが、今回予約したホテルはモンティエン・リバーサイド。町からは少し離れているが、チャオプラヤ河に面したまあまあよいホテルだ。(そうは言っても1泊9000円程度とバンコクのホテルは安い!)大晦日の19時くらいにホテルに着き受付でバウチャーを渡すと、受付の男性はパソコンを操作して空き部屋を探し始めた。しかしなかなか見つからないらしく5分くらいキーボードをかちゃかちゃと操作している。心なしか顔つきも険しくなったように感じた。やばい、、バンコクの大晦日の19時、ひょっとしたらもう部屋がないのではないかとの思いが脳裏を横切った。これまでの旅行でも予約していたホテルに泊まれなかったことは何度かあるのだ。受付の男性のキーボードを叩く手が止まり、彼は言った。「満室なのでエグゼクティブ・フロアの部屋をお取りしました。」なんともラッキーにもグレイドの高い部屋を用意してもらえたのだ。(もちろん追加料金はなし)部屋はさすがに広く(バスルームが自宅のリビングルームより広い!)、とても眺めのよい部屋であった。

●レストランも満席
こうして部屋を確保し、私たちは夕食を食べにマーブンクロンセンターに向かったが、これが大間違い。このショッピングセンターのある地帯は日本でいえば新宿・渋谷のような若者の町なのだ。レストランのあるフロアに行くとどの店も若者が行列を作っている。うーん、大晦日ってこんなに込んでいるのかあと驚きつつ1時間も待って焼肉を食べたのだった。

●お寺も大行列

周辺は大混雑 大型バスも お寺の中も人人人 ワット・ポーの寝釈迦像 お祈りする人々

翌日は元旦。とても眺めのよい部屋だったので、チャオプラヤ河からの初日の出を拝んだあと、初詣に行くことにした。街にお寺はいっぱいだが、一番格式が高いのは、ワット・プラケオだ。王立寺院のような存在で、日本でいえば明治神宮のようなものか。(?)タクシーに乗ったが、寺が近づくに従い大渋滞で、なかなか車が前に進まない。考えてみればタイの人口の95%が仏教徒、しかも皆信心深い。元旦にお参りするのは日タイ共通ということなのだろう。
仕方がないのでタクシーを降りて歩き始めたがすごい人だ。当然ワット・プラケオは一番人気だろうと想像し、隣にあるワット・ポーに行くことにした。ここは寝釈迦像で有名な寺だ。やはり人人人でちょっとだけ仏様を拝んで退散した。
相棒(妻)はバンコク観光したことがないので、お寺巡りをしたかったようだが、さすがにあきらめてしまった。
それからショッピングセンターで時間をつぶしてからタクシーでホテルに帰ったが、タクシーの運ちゃんが「お寺への行列が10kmにもなった。」と言っていた。かなり大袈裟なような気がするが、タイでも元旦は初詣が定番ということのようだ。


●レストランは停電
元旦の夕食は、タイでの最後の夕食。タイの最後はタイスキで締めることにした。最近は東京にもタイ・レストランが増えたのでタイスキもポピュラーかと思う(私は日本ではタイスキを食べたことがない。)が、ちょっとだけ説明しよう。
タイスキの「スキ」はすき焼きの「すき」なのだ。タイ人の多くは日本のすき焼きとタイスキは似たようなものだと思っているらしい。でも全然すき焼きとは違う食べ物だ。しいて言えば寄せ鍋といったところだろうか。いろいろな野菜、肉、魚介類を材料とした鍋物だ。楽しいのは各自が好きな具をメニューを見ながら注文できるという点。店のメニューを見ていると楽しくなってくる。
タイスキ・チェーン店として有名なのは「コカ」と「MK」。どちらの店もバンコクの街に隈なく店舗展開している。MKのほうがより大衆的な店のような気がする。それで今回はMKのシーロム・センター店に入ることにした。
やはり込んでいてほぼ満席状態だったが、5分ほど待って席に着くことができた。席に着くと、急に店内の電気が消えた。停電だ、しかし他の店の電気は付いているので、MKだけの停電のようなのだ。復旧までに15分はかかっただろうか。でも何故MKだけが停電なのか。
すぐにわかった。MKは各テーブルの火力に電気鍋を使用しており(コカも同じ?)、フル稼働したために容量をオーバーしてしまったようなのだ。テーブルの上にはきれいな赤い電気鍋が置かれている。ひょっとして日本でも今はやりの電磁調理器(IHヒーター)かと思ったが、調べてみるとただのホットプレートだった。電力会社が職業柄あまり好きでない私としてはちょっと安心したのだった。

★旅は終わって
新しい年になって既に10日が経過した。会社勤務の最初の1週間はやはりつらいものだった。旅行でボーっと過ごせば過ごすほどそのあとの苦しみは大きくなる。
それにしてもサラリーマンは悲しい生き物だ。いつも混雑した時期に高い金を払って飛行機に乗る。航空会社の経営状態は悪いようだからきっと普段は空席だらけなのだろう。なんて愚痴をこぼしても始まらない。

ところで、今回の旅行でチェンライの町で毎日ぶらぶらとしていて何か懐かしいものを感じた。なぜこうした感覚にとらわれるのかとずっと考えていたが、最後にわかった。
そう、土なのだ。別にチェンライは緑の多い町というわけではないので、公園が多いとかそういうことではない。ごちゃごちゃとした町ででこぼこした道も多く、そうした道のかたわらには草むらがあったりする。けっして花壇とかいった類のものではなく、ただ雑草が生えている草むらだ。そうした草むらには赤茶けた土が顔を出している。この土が私の郷愁を誘ったのだ。
今の東京はコンクリート・ジャングルという言葉がぴったりで、よく言えばとても整備された街だ。人工的に作られた公園とか花壇でないと土を目にすることはあまりない。しかし、私の子供の頃の東京(の下町)はこうではなかったような気がする。まだまだ空き地やら草むらが残っていたような。
そういうわけで私がチェンライの赤茶けた土になんとはなしに懐かしさを覚えたわけである。
日本人(東京人)は経済的な繁栄の代わりに何かとても大事なものを失ってしまった、などと巷でよく言われる言葉が頭をかすめた。
どうもつまらない幕切れになってしまった。
年のせいなのかもしれないなぁ。。。(苦笑)



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