面白荘だより(6) 文=土岐浩之

  
もやい結びのフリーカップ  上空を舞う仲良しトンビ     カブトガニの甲ら。まるでエイリアンだ


            仲良しトンビがやってくる

             とれたてワカメは長寿の薬

               これが人生最後の遊びか?
  

                    
 キラキラ、海に夏に日差しが戻ってきた。やがて浜辺に子供たちの歓声がはじける夏。
といっても、前に書いたとおり、海水浴客は数えるほどだ。ここまで来なくても、もっと手前に
海水浴場はいくらでもある。それなのにわざわざ市内から電車で小一時間掛けてやってくる
人たちもいる。やはり水がきれいだからと、その家族は言った。マイビーチを褒められると
ちょっぴり嬉しい。
 面白荘には、変わった客がやってくる。中でも、毎日のように尋ねてくるのが、
トンビだ。 海岸にもいろんな客がやってくる。面白荘周辺の来訪者たちを紹介しよう。

        ★仲良しトンビやエイリアン

 夕方、いつものようにねぐらへ帰る白鷺の群れ。列をなして西の空目指し飛んでいく。
そのあとで、いつものようにトンビがやってきた。リビングで本を読んでいると、
バルコニーすれすれにやってきては、『きょうは、いるかな?』とでもいうように中をのぞいていく。

べつに餌付けしているわけでもないのに、いつもやってくる。もう、すっかり顔なじみになった。
帰り際には、リビングの窓すれすれに飛んできて翼を振り、決まって挨拶をしていく。律儀なヤツだ。

彼が来るのは、もうすぐ日が落ちるというころ夕方だ。
ときには『何してるんだろうな?』というように首を少しかしげて飛んでいく。
リビングのガラス戸を開いて、口笛を吹くと、また低空で飛んでくる。

バルコニーに出てぐるぐると手を回すと、ゆっくりと上空を旋回しながら
こちらを見ている。けれども、決してすり寄っては来ない。

こないだバルコニーの手すりの上に、油揚げを置いておいた。
トンビが油揚げを食べるかどうか知らないが、<トンビに油揚げさらわれた>と
言うし、<油揚げ一丁、進上よ、ホーイ、ホイ>という歌もあった。

置いたときはどこかへ行ってしまい、姿を見せなかったが、気が付いたらなくなっていた。
ただ、餌付けはしないようにしようと思っている。きっと彼も望んではいまい。
この豊かな海周辺では、食うに困るということはないからだ。

バルコニーには、ときどき、セキレイやヒヨドリも来る。
絶対に餌付けはしないようにしているのだが、雨上がりなど水浴びに来る。
ベランダのくぼみに溜まった水たまりで、遊んでいく。

鳩は来たらすぐ追い払う。鳩やカラスは図々しいから嫌いだ。
ここのトンビはとてもシャイで遠慮深いところがある。

カモメはバルコニーには来ないが、釣りをしていて、小魚を投げてやったり、
釣り上げたイカを浜辺でさばきながら、内蔵をカモメにくれてやったりする。
まあ、礼儀正しく食べて、浜辺をきれいに掃除してくれるのでありがたい。

あのトンビは、わたしが居ないときはどうしているのか? 姿が見えると必ずやってきて、
翼を大きく振りながら帰っていくが、どこに住んでいるのか訊いたことはない。

海岸を歩いていたら、水の中から突然、異様な顔が現れた。一瞬、エイリアンか? と思った。
それは、カブトガニの甲らだった。しっぽは取れていたし、明らかな骸だ。
拾い上げてにおいを嗅いでみたがほとんど臭くもないので、持ち帰った。

表から見ても宇宙人っぽいが、裏はまさにエイリアンのように不気味な表情だ。

カブトガニはご存じ国の天然記念物だ。もちろん生きていれば捕獲は出来ない。
この近くには、カブトガニの産卵場になっている干潟がある。そこからでも流れ着いたものか?

カブトガニで思い出すのは、なくなった作家の安部公房さんだ。
東京・杉並の安部さんのお宅を訪ねたとき、玄関の壁に、カブトガニの甲らが
飾ってあった。

気むずかしい人も多い作家とのインタビューで、最初の一言の切り出しにはいつも
苦労する。しかし、この日は困らなかった。カブトガニのことを聞いたら、安部さんは
すぐに話に乗ってきてくれたからだ。

いつの間にか面白荘に住み着いているのがベランダの住人・壁チョロだ。
夫妻なのか兄妹なのかは知らないが、白いレンガタイルに似た保護色で、いつも二匹
いっしょにチョロチョロと歩いている。

夏の夜、網戸に張り付いて、灯火をしたってやってくる虫たちを餌にしているらしい。
昼間は、赤い大きな非常ベルの後ろに隠れてひっそりと暮らしている。
彼らには「チョロ」と「チロ」という名前がある。

これが、人間以外の主な来訪者の顔ぶれである。

 人間の珍客と言えば、2年前の夏、イタリア娘が面白荘にやってきた。
名前はルイザといった。ルイザは、浜辺で日光浴をしたりしていたが、退屈そうだったから、
声を掛けた。人なつこい彼女は『あの波戸にはここから行けますか?』と片言の日本語で
聞いた。

彼女を波戸へ案内したあと、面白荘のティータイムに招待した。
お茶を飲んでしばらくおしゃべりしたが、彼女はほとんど英語は話せない。
日本語もほんの少し。私はイタリア語はほとんど知らない。それでもパスタのことになると
ほとんど通じた。料理や食べ物の話は楽しい。

彼女はいまでもクリスマスカードを送ってくれる。

       ★おきゅうとには未挑戦

 冬から春先は、魚があまり釣れない。食料不足になりがちな季節だ。
面白荘の住人は生き延びているだろうか?何を食べているのだろうか?

 3月初めのある日。きょうもワカメ採りに行った。
朝は午前7時半頃から小舟を出して採ったが、
風が出てきて、小雨も降ってきたので、30分ほどでやめた。

夕方の引き潮を狙って、今度は磯に、つなぎの長靴を履いて出かけ、
またバケツ一杯採った。

日中は暖かいが、まだ水温は冷たい。ワカメを採ろうと、腕まくりして
水の中に手を入れると、痛いほど冷たい。
秘密兵器のわかめ刈り用の鎌が大いに役に立った。

茹でるのは後にして晩飯を食わないと腹が減ってたまらない。

今夜は鶏肉の筑前煮、ワカメと豆腐の温奴、菜の花の辛子和え、
ナマコの酢の物、厚揚げと白菜の煮たん・・・などなど。

ワカメと交換でいただいた野菜や山菜もこの季節、大いに食卓を賑わせてくれる。

ワカメ採りは楽しい。それに新のワカメは本当に美味しい。
北九州に「和布刈神事」(めかりしんじ)という年中行事があるが、昔の人が
ワカメ採りを神に祈った気持ちがよく分かる。

摘んできてすぐに洗って茹でると、黒いワカメが、さ〜っと鮮やかな緑色に変わる。
メカブはぬるぬるするので、別に取り分けて、酢醤油で食べたりする。

シーズン中は食べる分だけ採って、あまり熱心に採らないが、シーズンが
終わりに近づく春先には、急に熱心になってバケツにいっぱい採ったりするのだ。
そして、塩を一杯まぶして冷蔵すると1年ぐらい保つ。

ワカメ料理もいろいろと試した。
男の料理だからいい加減だが、何か一ひねりしないと気が済まないタチなので、
料理の本を見ても、滅多にその通りに作ったことがない。
要するにただの天の邪鬼。でも天の邪鬼は発明の母だと信じている。

ワカメとレタスの吸い物、これはよく作る。簡単だからでもあるが、
黒漆の吸い物椀に、ワカメの緑とレタスの薄緑がよく似合うからでもある。
サラダにもよくワカメを使う。うどんにものせる。

うどんに載せるアイデアは、メル友から教えて貰った。
冷たいうどんの上に生ワカメ、大根おろし、油揚げ、花かつお、刻みネギを乗せ、
つゆをぶっかけて食べる。
炒めても食べる。天ぷらにもする。

ワカメと豆腐の温奴もうまい。これは昔からある食べ方だが、薬味をいろいろと工夫する。
コチュジャンや豆板醤、ナンプラーなど、アジアの調味料を上手く配合すると
独自の薬味が出来て楽しい。

面白荘に住み始めてから、ワカメは買ったことがない。
養殖ワカメやカットワカメが食べられなくなった。歯ごたえがないのと磯の香りが乏しいからだ。

ひじきも採れるのだが、こちらは下処理が面倒なのでわたしは採らない。
浜へいって本職の漁師のおばさんが作っているのを眺めながら、分けて貰うのだ。

ワカメもヒジキも健康食、そして長寿の薬だと漁師のおばさんは言っていた。

博多の郷土料理に「おきゅうと」がある。海藻から作ったトコロテンみたいな食べ物で、
むかし博多の町は『おきゅうと〜、おきゅうと。オキュウトはいらんか〜』という売り声で
目覚めた。

地元の人はオキュウト草を拾って作るらしいが、これも手間がかかるので、まだ挑戦していない。
マメな人なら、やることはいくらでもある。

     ★遊びか夢か、それとも本気?

 決してマメな方ではない面白荘の住人だが、一つだけ夢中になってやることがある。
それは焼きもののデザインだ。始めたきっかけは親しい窯元から『作ってみてよ』と
頼まれたからだ。

 やってみると、意外に難しい。
特に平戸焼(三川内焼きとも言う)という四百年の伝統を持つ磁器だから、新しい
デザインを作っても、それが売れるとも限らないし、売れうる売れないは別として、
陶工たちにも、買う側にも受け入れられるかが問題だ。

 陶工がそっぽを向いては描いてくれないし、描いてくれても消費者が見向きもしなければ
そのデザインは消えていく。こうして消えていったデザインがどれほどあったろうか?
窯は違うが、有田の陶工の家に残る江戸時代のデザイン集を見せて貰ったことがある。
いま見ても、ハッと驚くほど新鮮で美しかった。

江戸後期、盛んにヨーロッパに輸出された日本の磁器。
四百年の伝統を持つ平戸焼に新たな伝統を創り出そうというのだから無茶な話である。
例によって彼の遊びの一つのようでもある。だけど、本気のようにも見える。

 平戸焼の伝統的な文様は唐子を除けば、山水画や草花などが圧倒的に多い。
その中に、『これまでにない斬新で美しいデザインを生み出したい』という。
さらに『その文様が平戸焼の新たな伝統になるのが夢なんです』と熱く語る。

 もしかすると、残り少ない人生の、これが最後の遊びで、夢なのかも知れない。

実際、ヒマさえあれば、いくつもいくつも下書きを描いている。
そのうちの一つ『もやい結び』は、すでに製品化された。

舟をもやうときのロープの結び方をデザイン化したものだ。

写真はフリーカップだが、同じデザインでパスタ皿とサラダ皿のセット、そば猪口など
いろいろ作られていた。
自分がデザインした焼きものが店先にずらりと並んでいるのを見るのは不思議な感じだ。

「デザイン・メモ」(由来)として、彼はこう書き記している。
結婚式の引き出物などにも使えるようにと、いう配慮からだった。
 
     ☆ ☆ ☆

 「結び」は古来、日本では縁起ものである。
 ボーライン(BOW line)は、King of Knot(結びの王様)と呼ばれる。
 それほど信頼性・安全性が高く、重要で基本的な結び方といえる。
 BOWは舵先、船首のこと。日本では「もやい結び」と呼んで、船を杭などに
 つなぎ止めるときによく用いられる。
 愛するひと、親しい人たちの心をしっかりとつなぎ止める一品にどうぞ。

     ☆ ☆ ☆
    
製品化した窯元に聞いてみた。

『誰でも好きというわけでもなかごたるですね。やっぱり、若い人が目を止めますね。
それと逆に、長年平戸焼を見続けてきた人が、面白いと言って買って行かれます』。
地元よりも博多の市内、博多よりも京都で売れたそうだ。都会好みなのかも知れない。

 落語も歌舞伎の台本も最初から古典があったわけではない。
すべて初めは新作だった。それが長年語り継がれ、演じ続けられていく中で
磨きがかかり、古典として生き残った。

いまの平戸焼の、伊万里の伝統的な文様もおなじだ。
それを創り出した陶工は、それが古典になるとは思わなかったかも知れない。
伝統として生き残るのを見ずに死んでいった。

わたしは、自分が作り出したデザインが、わたしの死後、平戸焼の伝統になっていれば
こんなに嬉しいことはない。だがそれは生きている間には見えない。
そういうところが気に入っている。

(2003.6)