面白荘だより(4) 文=土岐浩之

             
         シルエットのアザミ   貝を採る人 

           
            
スローライフ、スローフーズ
                  料理は想像力だ
                    食文化を支える豊饒の海


 スローライフとかスローフーズとかいう言葉がはやりのようだ。
何をいまさらという感じがしないでもない。
春、面白荘周辺の岩場はびな貝や小さなウニを採る人たちで賑あう。

ワカメの季節は終わり、いま、磯ではびな貝ぐらいしか採れない。地元の人は
それをみそ汁に入れたり、煮て食べたりしている。ワカメもヒジキも磯で摘むが、テングサも
摘んでトコロテンを作る。オキュウトという博多の名物もオキュウト草から作る。
すべてはスローフーズだ。

 そう言えば風が吹いて舟も出せない日、まる一日昆布を煮ていたことがある。
出汁をとったあとの昆布が冷凍庫にたまったから佃煮を作ろうと思い立っただけのことだ。

          ★夫婦善哉と昆布        

むかし『夫婦善哉』という映画があった。
たしか、淡島千景と森繁久弥の主演だった。

わたしがその映画を観たのは高校生か大学1年ぐらいのころだと思う。

その中で森繁が昆布を煮るシーンが妙に記憶に残った。

七輪の火を団扇でぱたぱたあおぎながら露地にしゃがみ込んで昆布を煮ている。

昆布は弱火でゆっくり、ゆっくり軟らかくなるまで煮なければならない。一日仕事だ。

スローフーズなどは織田作之助の時代には当たり前だった。それがいま見直されている。

森繁のおやじは、昆布の番をしながら振り返りざま、淡島千景の尻をなでる。
『おばはん、頼りにしてまっせえ』という有名なせりふが耳に残った。
いや、お尻をなでる・・・というシーンが本当にあったかどうかは定かでない。
私の想像の産物かも知れない。

元芸者でしっかり者の蝶子と一緒になったために勘当された船場のぼんぼん柳吉。
けなげで一途な女と、甲斐性のない男の不思議な心情を大阪の街を舞台に描いた
織田作之助の原作がすぐれていることは言うまでもないが、映画も傑作だった。

女好きで、”髪結いの亭主”めいて、いかにも頼りなげな森繁の演技は見事だった。
監督は豊田四郎だったか? 見事な演出だった。

これが男の理想や・・・と思うた。以来、わたしは長年”髪結いの亭主”を夢見てきたが、
ついに実現しなかった。

いま、わたしは昆布を煮ている。七輪ではないが、レンジの上に餅焼き網を載せ、
遠火にしてじっくりと煮ている。もう、二日にわたって煮ている。

酒を入れ、梅干しと椎茸を入れ、ショウガを入れ、山椒の実を入れ、コトコトと煮ている。
だいぶやわらか〜になった。汁気が少のうなってきたら、砂糖を入れ、また、しばらく煮込む。
そのあとでしょうゆを加えるんや。

いっぺんに入れたらアカン。何回かに分けながら、しょうゆを加えていく。
ほんまはどないするんか、知れへんけど、ワイはこないにするんや。
・・・と、いつの間にか怪しげな関西弁になっている。

途中で何度も味見をする。
『おう、だいぶええ味になってきたで。そろそろ、またしょうゆ入れたろ』てな塩梅やねん。
まるで森繁のおっさんや。

昆布の佃煮が出来たら、前につくった蕗の葉っぱの佃煮とあわせて、蕗昆布も作ってみよう。

料理は想像力だ。
できあがりの味を想像して、オリジナル料理を創造していくときの楽しさは、
絵描きが真っ白なキャンバスに向かうときや、陶工が粘土の塊を手にしてろくろに
向かったときに似ているかもしれない。

昔からある昆布の佃煮のような常備菜には、先人の知恵がつまっている。
それに触れるだけでも楽しい。それは、古伊万里を模写していて、
ふと、絵付けをした人の心に触れるのと似ている。

   ★ヒマ人は忙しい

 ヒマな漁師はよく、チャリンコで散歩をする。きょうも散歩の途中、土手のアザミを摘んで帰ってきた。

ここらには店らしい店はほとんどない。ラーメン屋が一軒と最近出来たコンビニが一軒あるぐらい。
ファミレスもなければマックもない。もっともわたしはファミレスには滅多に入らない。

ファーストフーズの店にも、ほとんど入ったことがない。
一度だけ、開店早々のマドリッドのマクドナルドに入ったのと、マニラでやはり
ケンタッキーフライドチキンの店に入ったことがあるぐらいだ。

ラーメンに限らず、インスタント食品はほとんど食べない。
レトルト食品も同じ。冷凍食品は別。この中にはときどき優れものがある。

インスタント食品でも、今あるかどうか知らないけれど、マッシュドポテトの
粉末があった。あれは山などに行くときは、なかなか便利だった。

ラーメンというものをだいたい数年に1回ぐらいしか食べない。
めんは嫌いじゃないが、ほとんどはうどんかそばかスパゲティ。ラーメンが特に嫌いという
わけでもないけれど、特に食べたたいと思わない。

コンビニ弁当は食べない。
最近はセブンイレブンとローソンがおにぎりで競い合っているけれど、
コンビニのおにぎりは良くできていると思う。自宅にご飯があるから、買わないだけ。

ほかほか弁当の中には美味しいものがある。以前に一度だけ食べたことがある。
だけど、食べる機会がない。
遠足とかピクニックなら自分で作っちゃうし、旅の途中ならお店に入ればすむ。

デパ地下はときどきのぞく。<ほていち>(ホテルの1階)も面白いからのぞく。
だけどお総菜は参考にはするが、まず買わない。

ただ、便利だなと思うお総菜は天ぷら。ひとりで天ぷらを揚げるのは不経済だから。
買ってもいいと思う。

要はヒマ人であるのと、料理を考えるのが好きだから、ファーストフーズに縁がないのだ。
ただ、素材はよくあちこちで探す。だから値段には詳しい。
困るのは博多にはいいチーズ屋さんがないこと。そして高い。

そのかわり、魚が新鮮で安い。
だから美味しい店より、美味しくて新鮮で安いものを置いている素材の店を
探してしまう。

スローライフと言うけれど、ぐうたら漁師にとっては都合のいいキャッチフレーズだ。
『いやあ、スローライフを楽しんでますよ』と、言ったことはないが、怠け者の言い訳にはなりそうだ。

仕事は頼まれたときだけしかやらないし、漁に行くのも食べ物がなくなったときだけだから、
ヒマなことこの上ない。”サンデー毎日”のくらしである。

ただ、このヒマ人は、ヒマになると、すぐに何か遊びを思いつく。
ヒマさえあれば遊んでいると言ってもいい。遊ぶ時間に追われるほどだ。

ロクに絵も描けないのに焼きもののデザインを考えてみたり、昔取った杵柄でレディースファッションの
デザインをしたりもする。
そうかと思うと、いろんな創作料理を考えては作ってみる。作るだけでは飽きたらず、人に食べさせたりする。

わたしにとっては遊びだが、実験台にされる人はいい迷惑に違いない。

先日、『おにぎりパーティーをやるから来ませんか?』とお昼のお誘いがあった。
たまたま、作ったフキ味噌と肉みそがあったので、おにぎりの具に持参した。

蕗の葉っぱで作ったフキ味噌を見て『あら、あたし葉っぱは捨ててたわ』と、奥さんが言った。
なんかよその家の無駄を指摘したような気がしてどきりとした。
でも、味は好評だったから一安心だった。

ときには、器ごと持参することもある。ちりめんと松の実で簡単佃煮を作ったので、
唐津焼の小さな向付に入れてご近所に持っていったことがある。
『すてきな器ね。いえ、味もすばらしかったけど』と慌てて付け加えてくれたが、旨かったかどうか?

できるだけ人を味の実験台にはしないように気をつけようと自戒している。


唐津焼の小さな向付と簡単佃煮


      ★アサリは育つか?

 雨だよ〜ん。遊びに行けないよ〜ん。雨の日のぐうたら漁師は何をして過ごしているのか?
本を読んだり、メールを打ったりはいつものことだ。

きょう、枇杷の若葉を貰った。
山幸彦さんから、山ウド、アスパラ、甘夏、初物のエンドウ豆といっしょにいただいた。

枇杷の若葉は天ぷらにすると、もちもちして美味しいそうだ。
知らなかったなア。

柿の若葉も食べられるんだってさ。知らなかったなア。知らないことばっかりだ。

あしたはお豆ご飯を炊こう。

きょうは、アスパラとベーコンを炒めて卵でとじよう。
味付けは塩、コショウに隠し味でお醤油をちょっぴり。

山ウドは、こないだアスパラといっしょに黄身酢和えにしたから、
きょうは酢みそでいただこう。

そして椀種にも少し使おう。あとは、あすにでも天ぷらにしようかな。

最近スーパーでタラの芽を売っているのを見た。何とそれは中国製だった。
こんなものまで輸入している。確かにタラの芽はここらの山でも探すのが難しくなってはいる。
だからといって輸入しなくてもいいではないか。

乱獲をしなければいいだけのことだ。しかし、山菜でも魚でも、取るだけ取って、なくなったら
輸入する。これがいまの日本だ。そのうち中国の山からもタラの芽が姿を消すに違いない。
いずれ地球からタラの芽がなくなる日が来るやもしれぬ。

『世界の乱獲王』などという悪名を頂戴しないうちに、乱獲を避けて資源の保護に心がけたいものだ。
最近、近くの浜のアサリが減ってきている。これも乱獲が原因ではないかと気にしている。

マイビーチから、岬を一つ回った西の浜だが、そこでよく採れたアサリが、最近あまり採れない。
わたしは数年前から、アサリを採って、小さいのがあると、マイビーチへ放流してきた。
育つかどうか分からなかったが、最近はまで遊んでいた子供が小さなアサリを見つけて
『お父さん、貝がいたよ』と父親に言っていた。

父親は貝を見て『どれどれ、へえ、アサリが居るんだね』と言っていた。
『ああ、ぼくが少し稚貝を撒いておいたんですよ』と言うと、驚いたような顔をしていた。
まだ、育っているかどうかは分からない。でも、貝を一つ見つけただけでも嬉しいものだ。

アサリも食べる分しか採らない。
みそ汁分とか、きょうはボンゴレ分、バター焼き、酒蒸し、アサリご飯・・・と、楽しませてくれる。

枇杷の葉の天ぷらを教えてくれた奥さんには、電話でキス飯の話をしてレシピを教えてあげた。

鯛飯の代わりに考え出したキス飯。同じ白身の魚だから上品で美味しい。
レシピと言うほどではないけれど、『また釣れたら持っていきますから』と言っておいた。

雨でしばらくは行かないけれど、ホントの漁師は雨なんか全然気にしない。
本職は風が吹くと漁を休むが、雨なら必ず舟を出す。
そこがぐうたら漁師との違い。

明るい雨の日だったけど、出られないからパソコンを少しだけグレードアップする準備をした。

まず、メモリーを増やすために拡張メモリーをインターネットで購入した。
256に512を加えたから、メモリーは768メガバイトになった。
このところ反応が鈍くなりかけていたPCもこれを増設すれば、ツーカーになるだろう。

増設が終わったら、そろそろADSLを申し込み、同時にIP電話も開設を準備するつもり。
そうすれば電話代も安くなるし(国内も、特に海外が安くなる)、ダウンロードのスピードも上がる。

といっても、まだここらのADSLはやっと8Mbpsだ。はやく16Mになってくれないかなア。
光ケーブルも通ってはいるが、まだランニングコストが高すぎるし、私にはそれほどの必要性がない。
年金暮らしの漁師には不釣り合いだと思っている。

雨が降ると、こんなことして、かえってお金を使うことになるみたいだけど、
これはすべてずっと以前からの計画だったから、無駄遣いではない。

神戸の悪友は『早くIP電話をつけろ』とうるさく言ってきている。
神戸-福岡が3分8円は確かに安い。それも同じプロバイダ同士にすれば無料だという。
もちろんアメリカの1分9円も大助かりだ。

天気予報はあすも雨が降ると言っている。夕方、雨が上がったので、少し海岸を歩いた。
マルとココ(犬の名前)に逢った。
犬の名前はすぐに覚えるが、飼い主の名前はなかなか覚えない。

ココのおやじさんとか、ジロウのお母さん、マルのおばさんという風に覚えている。

ジロウのお母さんは、このところ海藻拾いに夢中だ。
犬の散歩をしながら、熱心にテングサや、オキュウト草を拾い集めている。

わたしはテングサは拾わない。ほかの海藻と絡み合っているのをより分けて、ゴミを取り除き、
洗ったり、干したりと面倒だからだ。

オキュウトも食べるのは大好きだけれど、作るのは面倒だ。
スーパーで売っているオキュウトやトコロテンを見ると、すぐに根気のいい人たちの姿が目に浮かぶ。
それに膨大な量の海藻も目に浮かぶ。日本人の食文化を支えている豊饒の海が目の前にある。

(2003.5)