面白荘だより(3)  文=土岐浩之

          
古平戸(江戸後期)の鮑鉢(表)     三つ足は貝殻の形をしている(裏)   
サイズは横24センチ、縦18センチぐらい。お刺身を盛ってときどき使います



          ぐうたら漁師のヘンな趣味
            平戸焼の陶工たち
              北極圏からのメール



 面白荘に住むぐうたら漁師は、若いときから妙な趣味を持っていた。
いわゆる骨董趣味なのだが、持っているのはほとんど実用に使う器。
壺などのように飾るものはほとんどない。

何で器かというと、友人たちは、『要するに食いしん坊だからだよ』と言う。
その通り、面白荘では江戸時代の古伊万里の茶碗で飯を食い、漬けもの皿までが
中国の明代の焼きものだったりする。

とびきり高価な古美術品を集めてるわけではない。器として使えて美しいものを
いくつか集めているに過ぎないけれど、何となく楽しげだし、もちろん骨董品愛好家にとっては、
こういう器で食事をするのは、こたえられないだろう。

      ★古平戸の美しい肌

 ことしも有田の陶器市は大にぎわいだった。
100回目で、400年祭でもあったからか、史上最高の人出だったようだ。

わたしは有田に行くときは、陶器市の始まる2日ほど前に行くことにしている。
混雑してゆっくり見られないからだ。ことしは何となく行きそびれて、陶器市が終わってから
行った。

その代わり、同じころに開かれる平戸焼(三川内焼)の陶器市『はまぜん祭り』には
前日に出かけていった。

大々的に宣伝する有田の陶器市。そのすぐ隣といってもいいほど近い三川内は
知る人ぞ知る古くからの皿山である。

隣の鍋島藩が磁器を輸出し、莫大な利益を上げているのを見て平戸藩主は
なんとかわが藩でも作ろうと、国中を掘り返して磁器の材料となる石を探させるが
なかなか見つからなかった。

朝鮮から陶土を取り寄せたも言われているが、そのうち天草陶石が発見されて、
あの透き通るように美しい平戸焼の白磁が完成する。
やや青みがかった古伊万里の肌より、平戸焼の白磁は抜けるように白い。
だから、染め付けの青がいっそう引き立つのだ。

元禄から天保のころは、もちろん藩の御用窯だったし、ほとんどが献上品だった。
だから、平戸の古いものは数も少なく、上質のものが多い。

三川内(平戸焼)の窯元を訪ねるのも久しぶりだった。
途中の川には鯉のぼりが泳いでいた。皿山に着いた。
あしたから『はまぜん祭り』(三川内の陶器市)なので、みんな準備に忙しそう。

祭りののぼりが風にはためいて、柿若葉が萌え立つように輝いて、
各窯元の家の前にはテントが立ち並び、とりどりの器たちが並べられていく。
活気があって楽しそう。

 焼酎と浜で買ったサザエを手みやげに、顔なじみの窯元を訪ねた。

『こんにちは〜。誰かいる〜?』おやじは、庭先で魚篭(びく)の手入れをしていた。
『おう、何ね居ったとォ〜? 忙しかろうもん』
『何のわたしゃあ、ちっとん忙しうはなか。全部息子たちのしよりますけん』

『土岐さんの来なさったよ』と、奥さんに声をかけている。
奥さんも昔からの顔なじみだから、飛んで出てきて、久しぶりに話す。

おやじは、ほんとにヒマそうに魚捕りの道具などを手入れしている。

『何ねそらあ?』
『ウナギでん捕ろうか思うてですな。ばってん魚篭に穴んほげてしもうてですな』

『ふうん、ウナギはウケで捕るとね?』
『何の、これでほう、こぎゃんして釣るとですたい』と短い引っかけ針を見せた。
『ああ、石垣の穴とかば探って釣るとやろ?』
『はあ、そうですたい』

のどかな閑人たちの会話。

『そういやあ、いつか写真ば見せてもろうたばってん、古平戸の鮑鉢のあったでしょうが、
 あの裏側の三つ足はようでけとりますなあ。ホラ貝殻の形ばした三つ足ですたい』
『ああ、鮑鉢ねえ。あれはわたしも気に入っとるとよ。あれに刺身ば載せて食うと、
 ひと味違うごたる気のする』

『そら、旨かでっしょう。一度実物ば見せてやらんですか?』
『よかよ。いつでんヒマな時、遊びに来んしゃい。ほかにも平戸焼きの古かとのあるけん』

閑人たちは、古平戸のことなど、ひとしきり焼きもの談義に花を咲かせる。

最新作が並ぶ展示場に行く。

新しく加わったしだれ桜の意匠。染め付けの桜が皿やコーヒーカップに
こぼれるように咲いていた。

懐かしい露草の文様。山帰来、秋海棠、木莓の文様・・・・。
どれも優しく美しい。

山水画のような平戸焼きの絵付け。可愛い唐子たちも並んでいる。
透き通るように白い肌に、呉須(ごす)の青が美しい。
色ものは、一つもないのに、ここには色があふれている。

    ★三川内のちらし寿司

 『そうそう、こないだ、ホンモノの天然呉須を見せてもろうたよ』
『ほう、あれはもう貴重品ですもんなア』
『そうげなね。中国にはまだあろうもん』
『どぎゃんでっしょうかア?』

『一度、肺炎騒ぎの収まったら、中国の窯場巡りばしてきたら良かよ』
『そうですなア。わたしも行ってみたかちゃあ思いよります』
『景徳鎮(中国の元時代からの染め付けの窯場)も、だいぶ復活したごたるよ』

『はあ、そうらしかですな』
『一時は、量産品ばかり作ってひどかったもんねえ』

中国の陶磁器が昔のような優れた品を作り始めたら、日本の有田焼などは
ひとたまりもあるまい。三川内も脅威に違いない。

露草文の皿を手に取ってみた。わたしは露草のフリーカップを持っているが、
新しく加わったパン皿や小判型の小皿もある。

『こればもろうて帰ろうかね。2枚ずつ新聞紙にでんくるんでちょうだい』
『はあ、これでよかですか?』おやじは、言いながら値札をはがしている。

『いくらね?』と尋ねると、半額の値段がかえってくる。
『いいとォ〜?』『はあ、よかです』。
いつものことだが、買うのが申し訳なくなるほどだ。

もう一軒の窯元で。

『こんにちは〜』
『あーら、おいでなさいました』

ここでは、今年2月ごろ、北海道の友人を連れて案内したとき、
彼らが気に入った皿があったが、大声で呼んでも誰もいなかった。

しかたなく、わずかなお金にメモを添えて残し、黙って5枚貰ってきた。
おそらく5客そろいで、ン万円だろうと思ったが、数千円しか置かなかった。
これでは泥棒同然だ。

友人が『大丈夫でしょうか?』と心配そうに聞いた。
わたしは『ああ、あとで電話入れとくよ』と言った。

帰宅して電話を入れると、展示場に残したメモもお金も気づいていない。
『はあ?そうですか。あとで見ときます』と、のんびりしたものだ。

そんなわけで、きょうは、ここにも不足代金の代わりにお酒を1本届けに行った。
彼は不在だったので、奥さんに渡す。

『こないだ黙ってドロボーして帰ってきたけんね。申し訳なかったって
言うといてね』

『はあ、いいえ、そげなこと。ご丁寧に、ありがとうございました』奥さんは
恐縮した顔。だが、恐縮なのはこっちの方だ。お酒ではとても足りないはず。
でも、彼は、きっと笑って何も言わないだろう。そういう男だ。

三川内の窯場には、いい陶工たちがまだ大勢いる。
すっかり商売が上手くなった有田に比べ、昔の良さもいっぱい残っている。

帰ろうとすると、さっきのおやじに呼び止められた。
『ちょっと待ってください。いま、家内が何か言いよりましたけん』
奥さんが、慌てたように皿に一杯のちらし寿司を盛って、追いかけてきた。
『これば食べて貰おうて思うて、いま作りよったとですよ』

明日からの祭りに、客に振る舞うちらし寿司だが、三川内のぬくもりと同じ
温かだった。
感謝して、高価な皿ごともらって帰ってきた。

    ★From the Far North(北極圏からのメール)

 その夜の面白荘のメニューは、いただいたちらし寿司を一口だけ食べて
あとは明日に回し、きのうの残りの『蕗の葉じゃこ飯』を先に片づけた。

おかずは、山ウドの天ぷらの酢みそ和え、わかめとレタスの吸い物、
蕗と油揚げの炒め煮(残り物)、カツオのたたき。ひじきの佃煮など。

 深夜、PCを開くと北極からメールが来ていた。
カナダの北極圏に動物の写真を撮りに行っている息子からのメールだ。
特に変わったことはなさそうだ。

いつだったかヨーロッパへ行く途中、カナダのバンクーバー空港が濃霧で使えず、
北極圏への玄関口のフェアバンクス空港に降りたことがあった。

冬だったが、ずらりと並んだ小型飛行機が、プロペラに氷柱を垂らしてうずくまっていた。
カナダ北極圏というと、すぐにその光景が目に浮かぶ。

息子は滅多に長いメールはよこさないが、クリスマス前には毎年カレンダーを送ってよこす。

『Merry X'mas! カレンダー送ったよ』・・・ほとんど、それだけの短いメールを添えて。

ニューヨークに住んで、ほとんど日本には帰ってこないが、自分の写真のカレンダーだけは
毎年送ってよこすところを見ると、まだ親父のことを忘れてはいないらしい。

何日かしてカレンダーが届いた。
『オヤジになった自分の息子の写真を見るのは、ヘンな気分だろうな、と思いつつ・・・』
プロフィールの自分の写真の横に、こんな走り書きがあった。

別に変な気分じゃないさ。元気そうで何よりだ。
ホームページに載っていたプロフィールの写真より少し太った感じもするが。

『オヤジになった』とかいうけど、そういえばわたしの若いころに似てるかなア。
だけど、あいつはいくつになったんだろう。
え? 41歳? ウソだろう。ぐうたら漁師はさすがにぞっとした。

小学生のころ、アメリカに1カ月ばかりホームステイさせたことがあった。
大学を出て、アメリカへ行ったのも、そんなことが影響していたかも知れない。
いつの間にか写真家なんぞになっていた。

彼の写真を見たある女性は『優しい写真ねえ』と言っていた。

確かにどう猛なヒグマも彼が撮ると優しく写る。

わずかの音や光にも敏感なナキウサギなんか、望遠にしてもよく撮れたな。
シロクマやカリブーたちは、もう友達なんだな。かなりのアップで撮っている。
孤高のハクトウワシはそうはいかないだろうけど。

なんでもカナダ北極圏は、油田の開発で動物たちのすみかが危機に瀕している
らしい。彼のホームページを見ると、いつもそのことで警鐘を鳴らし続けている。

だんだん話が息子自慢の親ばかになってきた。この辺でやめにしよう。

しかし、地球規模で環境問題にも目を向けている息子を、
ぐうたら漁師はひそかに誇りに思っているようだ。



現代の平戸焼 露草文染め付け皿

(2003.5)