面白荘だより(2) 文=土岐浩之


面白荘のルーフバルコニーから見た風景。波静かな入江に朝日が昇る


 キス釣りのシーズンは、ここらでは田植えから稲刈りまで・・・と言う。

まだ苗代にも早い春先、ワカメ採りの季節も終わり、貝掘りには潮が悪い。
そんなとき、ぐうたら漁師は山へ柴刈りに・・・じゃなくてフキノトウを摘みに出かける。

ここらの野山は山菜の宝庫だ。けれどもぐうたら漁師は山菜採りはあまり得意ではない。
タラの芽などを探すのも苦手だ。せいぜいフキノトウを摘んだり、ノビルを摘んだりする
程度。ただ、藪鳴きの鶯に誘われて野山を歩く。

      ★篭いっぱいの春     

 山菜摘みの途中で、畑をやっている”山幸彦”さんちに寄る。

自分で摘んだわずかなフキノトウのほかに、ここでもたくさんフキノトウをいただいた。
それだけではない。ノカンゾウ、山ウド、フキ、ツクシ、ノビル・・・篭いっぱいの春を貰った。

下ごしらえでフーッ。ツクシの袴取りをして、鍋を3つ並べておいて、フキやノカンゾウなどを
時間差で、次々と茹ですぎないように茹でては水にさらし、ざるに上げていく。

蕗は例によって油揚げといっしょに炊いた。少し残して、酢みそでも食べる。
その合間にツクシの卵とじでもこしらえておこう。
ノカンゾウがいまは美味しい。軟らかくて甘みがある。これは酢みそでぬたにして食べよう。

ノビルはそのまま肉みそを付けて食べる。山ウドとフキノトウは半分は天ぷら、残りは酢みそで。
蕗の葉っぱは炒めてチーズ味噌で和えよう。

最近、蕗の葉っぱの新しい調理法を覚えた。一つは煮干しの粉や出汁を取ったあとの
昆布といっしょに、しょうゆ、酒、みりんで味付けし、タカノツメを加えて佃煮にする。

これは、にぎりめしの具にしたり、酒の肴、お茶漬けにもあう。大根おろしで和えると
またひと味違った旨さだ。

もう一つはじゃこといっしょにサッと炒め煮した『蕗の葉じゃこ』。
これはNHK『きょうの料理』で覚えたが、いずれも熱いご飯に載せると、やたら食が進む。
こんな日は、昼からずっと下ごしらえしたり、調理したりして半日がかりになる。

 【ある日の献立】

  ・キスの南蛮漬け
  ・たたきゴボウと蕗の酢みそ
  ・蕗の葉っぱの佃煮おろし和え
  ・ワカメとレタスの吸い物
  ・豆腐とアスパラ・ベーコン
  ・モッツアレラ・トマト

 この中でお金を出して買ったものは、豆腐とモッツアレラチーズだけ。
調味料は別として、食材のほとんどは海と山の恵みだ。

いつだったか、ワラビをいただいた。

酢みそか辛子マヨネーズ和えにしようと、とりあえず重曹で茹でておいた。
鮮やかなワラビの紫がかった緑色は春の色だ。

ワラビかゼンマイを詠んだ句があった。
ええと、ええと、あれは誰の句だったかなア。思い出せない。

下ごしらえで、また指先が少し黒くなった。

ああ、やっと思い出した。その句は川端茅舎の作で、わらびではなくゼンマイだった。

  ぜんまいの のの字ばかりの 寂光土 

なぜか、 のの字 のの字の・・・・と覚えている。

阿蘇の草千里の春。足下にのの字、のの字とゼンマイが芽を出している。
のの字の上に寝転がりたくなった。寂光土ではなく、子供心に浄土のようだと
思った。あれは中学生のころだった。

中学生のころに読んだきり、川端茅舎の句など読んだことがない。
なぜか、いま草千里の風景とともに鮮明に思い出した。

春草の匂いとこの句の記憶が、どこかで結びついているのだろう。
匂いの記憶とは不思議なものだ。

今夜の面白荘の食卓は、また春の香り満載だ。

     ★終の棲家を決めるまで

 定年前に考えた。どこの海に住むか? 
海外も考えた。よく行ったマレーシアのタンジョンジャラ周辺、ニュージーランドの南島、
しかし年を取って帰りたくなるかも知れない。やはり日本にしよう。

日本のどこに住むか?

 1)きれいな海が目の前にあるところ。
 2)食べ物の美味しいところ。
 3)自然災害(地震や台風)の少ないところ。
 4)女性が美しいところ。
 5)焼きものの窯場に近いところ。
 6)都会まで1時間前後でいけるところ。
 7)それでいて不便なところ。

おおよそこんな条件で、終の棲家を探し始めた。

日本全土の海は、数年掛けて、ほとんど泳いで回った。
各駅停車の列車で、車窓から海を眺め、良さそうだと思ったら降りて泳ぐ。
また列車に乗る。降りて泳ぐ。この繰り返しで北海道をのぞく沿岸を泳ぎまくった。

東京から出発して千葉、茨城、福島、宮城、青森・・・と太平洋岸を北上し、
日本海側に回って青森から山形、秋田、新潟、富山、福井・・・・と南下していく。

山陰から九州へ渡り、沖縄から再び北上して瀬戸内、畿内、和歌山、東海、
伊豆、そして湘南から東京へ。

きれいな海は日本にもたくさん残っていた。

中でも印象深いのは、東北では三陸海岸、男鹿半島周辺、佐渡の海。
しかし、東北の海は冷たい。3分も泳いでいると唇が真っ青になった。
地元の子供達は平気な顔をしていたが、私は海岸の屋台で名物の丸こんにゃくを
ほおばるまで震えていた。

北陸の海も美しい。神秘的な富山湾や若狭の海。食べ物のおいしさも魅力的だ。
山陰の北兎海岸は透明度が高いことで有名。焼きものの窯場も近い。
けれども、北陸や山陰は冬が長い。夏好きの私には向いていなかった。

 これがまあ 終の棲家か 雪五尺 

一茶の句に、こんなのがあったが、雪深い土地にわたしは住めない。

やはり友人の多い九州か沖縄だ。
その中で、すべての条件を整えていたのが福岡だった。
なにより地震と台風が少ないことでは九州の中で福岡が一番だろう。

福岡の海岸を東から西へ歩いて回った。
こうやって徹底的に調べて回るのはやはり記者時代の習性だろうか?

金印が発見されたことで有名な志賀島周辺も海はきれいだが、あいにく海岸線が
西向きだ。北部九州の冬は北西の季節風が吹く。
冬の西向き海岸は、韓国辺りからたくさんのゴミが打ち寄せられ、浜辺が汚い。

西側に岬が張り出して風よけになっている入江を探そう。

ドーム球場に近い百道浜は昔はきれいな海水浴場だったが、いまでは人口の浜辺に
なっていた。

西へ西へと歩き、ようやくたどり着いたのがこの地だった。
唐津には窯元も多い。有田焼、平戸焼きの窯元も近い。
近くに漁港があるから、釣れなくても魚が手にはいるだろう。

バブルがはじけ、売れ残ったマンションを値切って買ったのだった。

自慢できるのは豊饒の海と山、180度の眺望だけだ。

      ★シケの海で

 海だから当然シケの日もある。特に冬は北西の季節風が吹き続き、
漁師はお手上げだ。

ある晩秋、シケの海を眺めてわたしは読書三昧。

ときおり、ヒューッ、ゴォォォーッ・・・と、風が唸り、心をかき乱す。
山麓の竹林は狂ったように髪振り乱す。海岸の松林も揺れている。

押し寄せる波が岩を噛み砕き、咆吼を上げる。
激しくなった雨脚で、視界が悪くなった。
対岸はもう、墨絵の世界。

牙をむく白波、襲いかかる三角波。
浜辺には人っ子ひとりいない。沖を行く船影もない。
かすめ飛ぶ海鳥の影もない。

垂れ込めた灰色の雲に、海鳴りが響く。
怒り狂う海鳴りが響く。

こんな日は黙ってやり過ごすしかない。
秋の穏やかな日差しが戻り、海が微笑みを取り戻すまで。

吹きはじめると数日は止まらない季節風。

風といえば春は黄砂がやってくる。遙かゴビ砂漠や黄河流域から細かい砂の粒子を
運んでくるのだ。黄砂が降ると、空が薄黄色に染まる。
靄かな?と思うと黄砂だったりする。

ことしは、ゴビ砂漠がまだ雪解けしていないころに黄砂が降った。
遠くイラクの砂漠から砂を運んできたのだという。
イラクの土が減り、日本の領土が増えるのだろうか?

ぐうたら漁師はきょうも浜へ出た。
魚を釣るわけでもなく、ぶら〜り、ぶら〜り、浜辺を歩いた。

黙々とゴミを拾っていた。
ビニール袋、空き缶、ペットボトルなんかを拾っていた。
いつものことだ。

この浜で、ゴミを拾う人は彼だけではない。
犬を連れて散歩しながら拾う人。
なんとなく拾って帰る人・・・

こうしてみると、この町もまだ捨てたもんじゃないな、
ぐうたら漁師は、そう思った。

ざぶざぶと海に入って、波間に漂うビニール袋を拾う。

ああ、きれいになった。
ぐうたら漁師は、美しい海を眺めて独り言を言うと、帰っていく。


マイビーチから面白荘を遠望する   

(2003.5)