面白荘だより(1) 文=土岐浩之


燃やす人。 遠くに面白荘が見える

 午後から予報通り雨となった。
誰からか貰った植木鉢。花が枯れたのでベランダの隅に置いておいたら、
いつの間にか名も知らぬ雑草が芽を出した。若草に雨が降り注いでいる。

眼下の海に、どこかの釣り人が舟を出している。
舟も人も、対岸の島影も、すべては煙雨の中。水墨画の世界だ。

どこへも行けないし、わたしはリビングで、やきものの写真を撮り始めた。

  わたしの名は自称”ぐうたら漁師”。マスコミの仕事をリタイアして既に8年。
福岡の海辺に住み着いて自給自足の暮らしをしている。

仕事も頼まれない限りしない。
漁に出るのは食べ物が無くなったときだけ。それも食べる分しか獲らない。
そんな、ぐうたらな漁師の四季折々の暮らしをのぞいてみますか?

そこには日本の都会に住む人たちが忘れかけた豊かな時間の流れがある。

     ★面白荘の風景

  そもそも、わたしが玄海国定公園に住まい、『ぐうたら漁師』を自称し始めたのは
いまから8年ほど前の話である。

それまでは東京の、それも六本木という雑踏の中に暮らしていた。

六本木の暮らしにも飽きてきたし、仕事(新聞記者)も卒業する。
そうなったら、念願の海辺に住もうと決めていた。

数ある海辺の中で、博多を選んだ理由と、決めるまでの経緯はまたの機会に譲ろう。
ともかく、きれいな海で暮らしたい、それだけだった。

六本木のネオンの海も悪くはないが、そろそろ自然な暮らしがしたかった。

博多の西方にあたる玄海国定公園地帯。その海を見下ろすように、ここらでは
珍しい高層マンションがぽつんと建っている。

そのてっぺんに住むことにした。

マンションは少しも高級ではなかったが、借景が気に入った。

広めの(30畳ほどの)ルーフバルコニーからは対岸の糸島半島やその向こうの
玄界灘が一望できる。


天気のよい波静かな日は、見下ろせば海の底まで透けて見えるようだ。

入江の左手には小さな船溜まりと、石積みの波戸が見える。
右手には張り出した岬があり、西風からも東風からも守られていた。

国道から一歩海岸沿いに入った道路に面して建つマンションは意外に静かだった。
防風林を兼ねた松林を隔ててすぐに砂浜である。

一応は海水浴場だから、夏は海水浴に訪れる人たちもいる。
賑やかな日に、バルコニーから人数を数えてみたことがあった。
98人しかいなかった。

江ノ島や湘南の芋洗いのような浜辺と違って、ここにはがなり立てるスピーカーもない。
よしず張りの脱衣場や、アイスクリーム屋もいない。

最近、近くにコンビニが一軒できたが、それ以外に店らしい店はない。
マンションから歩いて365歩の最寄り駅は、JRの無人駅である。
夏はホームを蟹が歩いている。

北側は海だが、国道と線路を隔てた南側には、背振山系に繋がる山並みが
連なっている。マンションからは海と山の両方を眺めることが出来た。

わたしはこのマンションの最上階を『ペントハウス・面白荘』と名付けた。

この名前は東京にいたころ、信州に山小屋を造る予定があり、その小屋の名前に
するつもりだったのだが、海辺の小屋の名前になってしまった。

いまでは郵便も『面白荘』で届くまでになった。

     マイビーチは自分の生け簀

  食いしん坊のわたしは、東京にいたころは週に1回は築地に買い出しに行っていた。
旨い魚が食べたかったからだ。

しかし、いまは滅多に魚を買うことはない。
目の前の海(マイビーチと呼んでいる)は、わたしの生け簀でもあり、
冷蔵庫代わりでもある。

大物は滅多に釣れないが、日常のおかずぐらいは何とか釣れる。
魚種も豊富な、まさに豊じょうの海なのだ。

五月、キスが釣れる。そろそろ小アジも釣れ始める。

しかし、ぐうたら漁師を自認するわたしは、食べ物が無くなるまで舟を出さない。
舟は出しても、釣り竿も持たずに海上散歩と称して手漕ぎの舟でゆっくりと
そこらを漂っている。

釣りをしても、たいていは自分の食べる分しか釣らない。

たくさん釣って冷凍しようなどとは考えない。
冷凍の魚を食うより、大きな生け簀がそこにあるのだから、また釣ればいいのだ。

野菜はどうするかというと、これがまたよくしたもので、少し歩いたところに、
脱サラをして畑や田んぼを耕している友人がいる。
わたしは、彼のことをひそかに”山幸彦”と呼んでいる。

わたしが、たまに釣れた魚を持っていくと、山幸彦さんが、代わりに山ほどの
野菜をくれる。いつもエビ鯛で申し訳なく思っているが、おかげで、野菜も
ほとんど買わずに済む。

こうして自給自足の暮らしを始めて、はや8年というわけだ。

 もちろん冬の間は、魚もあまり釣れない。
海でとれるのは、ワカメ、ヒジキなどの海草類、それにナマコぐらいだ。
たまに、大きな赤いかが捕れることもあるが、一冬に数えるほどだ。

この冬は3回ほど赤イカを捕まえた。
そのうちの1匹は、体長1.2メートルぐらいあり、背中に担ぐと、足が引きずるほど
大きかった。あとは7,80センチの普通サイズだった。

この赤イカについては不文律のオキテがあり、独り占めせずに、近所に分けてあげる
ことになっている。だから、そばに人がいたら、必ず分けて上げることにしている。
だいいち、一人では食べきれないのだ。

イカが捕れる季節になると、急に散歩の人が増える。
1日1回、犬を連れて散歩していた人が、2回も3回も散歩するようになる。
お目当てはイカ拾いなのだ。

わたしは面白荘のバルコニーから、眺めている。
赤イカは遠くからでもすぐに分かる。海の色が赤く染まるからだ。
たいていはカップルで泳いでいる。

翼をくねらせながら、ゆったりと泳いでいる様はじつに優雅だ。
泳いでいる赤イカを見つけると、急いでルアー竿を持って海岸へ降りていく。
そしてルアーを投げて引き寄せるのだ。



     ★熱い生ヒジキ

 ワカメは自分で採るが、ヒジキはあとの処理が面倒だから自分では採らない。

こないだ自転車であちこちと散歩した。
ついでに港の方へ行ってみた。

漁師のおばさんが、ドラム缶でひじきを煮ていた。
煮上がったら網ですくい、トロ箱に移す。
それを、さらに戸板の上で二日ほど干し上げる。

干し上がったら袋に詰めて産直の市場に出荷したりするのだ。

『おばさん、精が出るねえ。見とると、ひじき煮るとも大ごとやねえ』
『ああ、大ごとよ。まず水洗いせにゃならんでしょうが。それから、こげんして
煮てくさ、それでまた干さんならんけんね』

『腰の痛うならんですか?』
『ああ、痛うなるねえ。これもただ煮たっちゃつまらんとよ。鉄ば入れて煮らんと
 つまらんとよ』

『鉄ば入るっとですか? そらあ、釘の錆びたつとかですか?』
『そうそう、そぎゃんとば入れて煮ていくと、こげん黒うなるとよ』
『はあ、そうですか。昔ん人の知恵ちゃあたいしもんですねえ』

『ほんなこつねえ。あんたはどこから来んしゃったと〜?』
『あそこのマンションですたい』
『ああ、そうね。田舎がよかでっしょうが。娘たちも東京さ行っとるばってん
 健康には田舎が一番たい』

『はあい、取れたてのひじきやら、ワカメやらば食べよったら病気はせん』
『そうたい。あ、少しあぐるけん持って行きんしゃれんね?』
『はあ、そんなら少し分けてもろうてよかですか?』そう言って小銭入れを
出しかけた。

すると、おばさんは『何ね、何もいらんよ。わたしゃ、いつも誰にでんこぎゃんして
 あぐっとよ』そう言いながら、煮上がったばかりの生ひじきを、袋に詰めてくれる。

どうしても代金は受け取ってくれないので、ありがたく頂戴することにした。
『こんにゃくとか、油揚げとかと一緒に炒めると美味しかもんねえ』
おばさんはレシピまで教えてくれる。

『わあ、まだ熱々やねエ。どうもありがとう』袋の生ひじきは、ほんとに熱かった。

 わたしは、よく、こういう知らない人とすぐ親しくなる。
そして、野菜やなんかを貰ったりする。これは日本でも海外でも同じだ。
なぜか、よく声を掛けられる。どうも話しやすいらしい。

たいてい、おばあさんやおじいさんが多いけれど。

その夜はヒジキを煮た。おばさんの教えてくれたとおり、油揚げと糸こんにゃくを
入れて炒め煮した。とれたて、作りたてのヒジキは炒めても磯の香りが部屋中に
広がった。恵みの海の香りだった。

(2003.5)


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