新刊「夢見る力」
(作品社)
1995円


おおえまさのり
1942年生まれ。1965〜69年映画制作のためニューヨークに渡り、スピリチャルムーブメントと出会う。その後インドを旅してチベット仏教に出会い、「チベット死者の書」(講談社)を翻訳。以後精神世界やニューエイジの展望を切り開くさまざまな企画・出版・学塾などに携わる。現在、自然農と向き合いながら、いのちの夢見を育んでいる。



エッセイ
個を超えるということ〜境界を超える対話〜
日本トランスパーソナル学会発足
じゃんぴんぐ・まうすへの旅――D

神話の宝庫である夢見の時間

 わたしたちは、おそらく、多分、象徴――比喩や暗喩――によってそれらを語る他はないと思われます。そのため神話はどこまでも象徴によって編み出されているのを見ることができます。

 だがその神話が、共同体の崩壊によって有効性を失い、そしてまた激しくノイズに侵されてしまっているからには、わたしたちは、わたしたち一人ひとりが、自分の心の内奥に広がる(オーストラリアのアボリジニによって「ドリームタイム」と呼ばれる)“夢見の時間”へと潜り込み、そこで対話することによって、自ら掴み取るしかないのではないでしょうか。わたしたちはとても困難な時代にいるといえます。

 神話を再生するには、まず、わたしたちが神話的な時間に住み直すことが求められるのではないでしょうか。神話の生起する場がなくてはなりません。論理的思考が先行する直線的な時間の中では、神話そのものが機能するところがありません。神話のことばがなく、神話の成立する場がないのです。

 “環の中に住み直す”ことが求められねばなりません。永遠の今ともよばれる円環的な時間の中に秘められた、流動的な知性や無意識の宝庫に横たわる英知(円環的な思考)の中に潜り込む必要があります。

 わたしたちの社会はかつてそうした時間を持っていました。

 ドリームタイムの世界観を持つアボリジニの人々もそうですが、地球上の多くの民族が、かつては円環的な時間を共有していました。
 そして社会それ自体が、そうした時間の上に成り立っていたものてす。

 生は円環の中にありました。インドでは次ぎのような生の円環が描かれています。

 人生は、知識を学ぶ学生期(ブラフマチャーリア)、家庭を築く家住期(グリハスタ)を経て、森に住んで内面を見つめる生活を送る林住期(ヴァーナプラスタ)を送り、ついには霊性との一体化を目指す出離期(サニヤース)に至ると。そしてその生は、出離後(死後)、再びこの世界に生を得て巡ってくる“円環”として捉えられています。

 その社会では、妻子を養い、富を築くことは人生の一段階にすぎず、生が目指すものは、内面を見つめ、夢見の時間に潜り込んで、精神的、霊的な生活を送ることにあります。それを至上の価値とするのです。
 (だが、今日のインドもまた、それらとは遠く離れたところに向かいつつあります。原爆を保有し、富を求めて市場経済に深く呑み込まれ、呑み込まれたいと欲望している姿が見られます。)
 
 かつて(71年、77年、そして80年)インドを旅したことがあります。インドを旅していると、次第に円環的な時間の中に誘われていってしまいます。頭の中から、昨日や明日が消えてゆき、今ここが永遠性をもって現れ、永遠の今ここから永遠の今ここへの時間の内にいる自分を見出してしまいます。そしてそこが自分の故郷のように思われてきさえします。そこで生まれ育ったわけでもないのにです。こども時
代の、暖かな羊水に包まれたような永遠があり、それ故に、こころの、あるいは魂の、永遠の故郷を感じるのではないでしょうか。ロマン・ロランは「インドは人類の故郷である」とさえ呼んでいます。
 
 この故郷性とは何なのでしょうか。

 そこには、輝くばかりの陽光の中で、ほとばしるばかりの原初的ないのちがきらめいていたばかりでなく、心や魂を融かし去ってしまうばかりのスピリット(霊性)や“夢見の時間”に満ち、かつ“夢見の時間”とこの世界が互いに呼応しながらまぶしさを放っていたものがありました。

 そしてそこ、“夢見の時間”こそは、神話の宝庫であり、わたしたちはずっと“夢見の時間”と呼応しながら生きてきたのです。

 だが今、その喪失が故郷の喪失を招いています。

 『美しい国へ』(安倍晋三著・文春新書)の著者は、その故郷性を取り戻そうとして、教育基本法の改正や憲法の改正を声高に叫んでいます。そしてそこでもまた、一つの、神話の再生が語られようとしています。

 わたしたちの故郷性とはどこに、どのようにあるものなのでしょうか、そしてわたしたちの神話はどこに、どのようにあるものなのでしょうか。わたしたちは民族主義的ノイズを取り払いながら、それらの問題を見つめてみなければなりません。

 わたしたちの歴史が、『古事記』や『日本書紀』をさらに遡ることができないとすれば、それは貧しく悲しいことです。それ以前には、弥生や縄文の豊かな文化や、さらに遥かなる壮大な人類の歴史があるからです。

 意識のスペクトルにおいてはどうでしょうか。

 人類はそのはじまりにおいて、一人ひとりが、深い闇に秘められた夢見の時間と向かい合って濃密な対話を繰り返しながら、わたしは誰であり、わたしたちはどこから来て、どこへ行こうとしているのかを紡ぎ出しそうとしてきました。それられの、わたしの神話から次第に、わたしたち(部族といった共同体)の神話へと広がり、神話が共有されてゆきました。そこではわたしたち一人ひとりが霊的存在であるばかりでなく、すべての生きとし生けるもの、この宇宙に存在する星々や太陽などの万物が霊性的存在でありました。

 しかし、狩猟採取生活から農耕生活に移ったときに、人類史に大きな変化が起こったのです。

 狩猟採取のそこにおいては、族を形成しつつも、基本的に、一人ひとりが、自ら動物を狩り、植物を採取して、生活をすることができました。ところが農耕がはじまると、一粒の麦が幾百倍にもなり、かつ蓄えることができるようになりました。格差社会が生まれ、階層化し、やがて富めるもの、あるいは力を持ったものが権力者となり、やがて国家を形成してゆきました。その過程において、人々は権力者によって夢見る時間を奪い去られた結果、夢見の時間と対話できる者は、巫女やシャーマンへと限定され、さらには権力を掌握した王のみが、神に連なるものとされ、他の者たちからは、神性や霊性や夢見が奪い去られていったのです。

 『古事記』や『日本書紀』もまた、こうした過程の中で作り上げられてきたものです。そこには様々な部族に伝承されてきた神話の集成の要素もあると思われるものの、総じては、権力者のノイズに満たされた神話を形づくっているのが見えます。各地方の国つ神が次々と征服され、殺されていった歴史がそこに書かれているのをわたしたちは目にすることができます。

 カミや霊性は、本来、そして今も、わたしたち一人ひとりの内に息づき、すべての万物の内に息づいているものに他なりません。だがそれらが、わたしたち一人ひとり、一つひとつの生き物やものたちの内から奪い去られてしまったのです。カミ(霊性)はまさに、その時そこで、殺されてしまったのです。

 神性や霊性が奪い去られたために、物や動物や人は、破壊され、収奪されてきました。破壊し、収奪することができたのです。人はそこにカミや霊性を見なくなりました。人の内にもです。

 そして王君のみが神となったのです。

 それでもなお、わたしたちの国には、山や森が霊性の宿るところとされ、あるいは霊性そのものとされるスピリットが生きつづけてきました。

 しかし近代化を急いだ明治政府は、廃仏毀釈令を出して仏教を破壊し、神社合祀の命を出して神社を統廃合し、それまでの神道を非宗教的な、国民の道徳的儀礼として、大地や森や海や川や遍路に息づいていた八百万のカミガミ(霊性)を排除して、大地や森や海や川を単なる資源として収奪する近代化を推し進める基層を作り上げ、西欧列強の一神教に倣って、天皇のみを万系一世の神(現人神)としてしまったのです。こうして再び、カミが殺されたのです。

 『美しい国へ』の著者は、大地や森や人をなお一層破壊、収奪することで、さらなる経済的発展を押し進めると宣言しつつ、その一方で神を語ろうとしています。

 それは、神殺しをしながら、神を語ろうとしているようなものではないでしょうか。彼は森や大地を資源としてのみ見て、破壊、収奪して、霊性を殺し尽くそうとしているのですから。そのような国に霊性が宿ることなどできるでしょうか。とても美しい国が形づくられるとは思われません。

 花や小鳥のさえずる美しい国があれば、人は誰に強制されることもなく、国を愛するでしょうし、そうした国を人は誰に強制されることもなく求めるのではないでしょうか。

 美しい国を形づくるには、大地が再び霊性を取り戻すことこそ、求められなければならないのではないでしょうか。わたしたちの外部にある葛藤は、わたしたちの内部にある葛藤の反映に他ならないのです。
 わたしたちは、大地が語る声に、もう一度耳を傾けてみる必要があります。

 大地は夢見の種子を宿す母胎です。母なのです。

 人は今一度、母の胎に潜り込み、その羊水の内で夢見ることを求められているばかりでなく、自ら、無意識的にそれを激しく欲しているのが見えます。人は今、激しく
渇いています。


じゃんぴんぐ・まうすへの旅――C

神話の再生へ

 
翌、9月11日の夕刻には、丘の上のスカイ獅子吼の、火の焚かれた大きなティーピーの中で、北山耕平さんとのトークと、古屋和子さんによる「じゃんぴんぐ・まうす」のストーリーテーリングがありました。トークは、神話の再生が問われるという話しに及んでゆきました。

 『じゃんぴんぐ・まうす』の物語は、ネイティブ・アメリカンにとって、自分とは何か、自分はどこから来て、どこへ行くのかを指し示してくれる物語でした。

 『じゃんぴんぐ・まうす』が今再び注目されるのは、そうした要請が常に、わたしたちの内にあるからに他なりません。自分とは何か、自分はどこから来て、どこへ行くのかを指し示してくれる神話がなければ、わたしたちは不安でしようがない。日常、わたしたちは忙しくさせるものの中で、ただひたすら自らを掻き立てて忙しくしているものの、立ち止まって自分を見つめてみると、自分が何者なのか、自分がどこから来て、どこへ行くのか何も分からない自分がいるのに気づかされます。

 かつて共同体が生きていた時代には、その共同体が持っていた神話によって、自分とは何者であり、自分はどこから来て、どこへ行くのかということが与えられていました。

 しかし神話は今、わたしたちにとって、とうに奪い去られてしまって久しく、わたしたちは、神話の再生にとって、とても困難な時代にいます。

 わたしたちが神話的思考の中に住んでいないということに加えて、わたしたちは神話と神話の激しい衝突、それらを巡る血なまぐさい殺戮を経験してきているからでもあります。

 神話はしばしば、あるいは大いに、ノイズに満たされています。その民族、その宗教、その国家のノイズです。民族主義的、宗教原理主義的、国家主義的な装いに覆われてしまっていることが多々あります。

 今日の世界を見ていると、神話と神話の衝突に彩られていることが分かります。わたしともう一人のわたしの、民族ともう一つの民族の、宗教ともう一つの宗教の、国家ともう一つの国家の神話を巡って、激しく憎み合い、血を血で洗うような殺戮がつづいています。歴史を俯瞰してみれば、何千年にも渡ってそうしたことがつづいてきているのが見えます。歴史とは、神話を巡る殺戮の歴史であることが分かります。

 
そもそも人類は妄想する生き物であるといえます。わたしたちは、ヴィジョンしたり、イメージしたり、夢見たり、あるいは妄想したりすることを、しごく当然なことと思っています。だがそれは、生物界で見てみると、とても特異なことです。

 現世人類以前の、原人といわれる人たちやその他の生き物たちの脳は、それぞれの機能に従って、分かれて作用していました。だが現世人類になってはじめて、脳の壁を越えて、互いの脳のニューロンがつながりはじめて、飛躍的に容量が大きくなり、その結果として幻想や妄想を抱くことができるようになったのです。

 人類とは、その誕生において、妄想する生き物――ヴィジョンし、夢見、夢見をアートする存在であるといえます。

 その証左に、脳内には、妄想したり、ヴィジョンしたり、夢見たり、超越(トランス)することを快感と感じる、アヘンの類似物質であるエンドルフィンの受容体が組み込まれています。(それらはすべての生き物たちにも組み込まれているのかもしれませんが。)

 ゲーム機に興じる人々。人はバーチャル・リアリティの世界に、我を忘れて、遊ぶことのできる生き物です。

 それと同時に、まさにその故に、わたしたち人類は、わたしを超えた“絶対”を求めずにはいられない存在です。世界が妄想のものであり、妄想を生きているのがわたしであるからには、そこに自己を究極的に満たしてくれるアイデンティティや実体はなく、その故に、わたしは妄想を超えた世界を求め、そこに自己を支えてくれるアイデンティティや実体を求めずにはいられないのです。人類は発生以来、究極の、神という実体を求めないではいられない宗教的存在として存在してきたのです。

 しかし、人類が妄想する存在である以上、わたしたちはそれら超越神たちが、究極的には幻想であるという理解をもつことなくして世界は成立しないのではないでしょうか。この理解がないために、世界は混乱の只中にあるように思えます。

 多様な神が、互いに他を殺し合うことなく、互いに他を認め合いながら、創造的にやってゆくには、互いが、己を超え出て行くこと、己の小さな死を引き受けること、己の神の小さな死を引き受けることによって、多様でありながら“非二(二つではないこと、分かれてはいないこと)”であること、つまり“一つでもなく、かと言って二つでもないこと”が求められねばなりません。そうでなければ、世界は多様のままの混乱です。

 世界や神々を妄想と見、妄想として吹き消した時、そこに立ち現われる世界とはどのようなものなのでしょうか。そもそも妄想それ以上のものは、(主体・客体のない)非二の中で、存在するもなのでしょうか、存在するとして主体も客体もないものをどう語りうるのでしょうか。語ることは可能なのでしょうか。


風の輪学校ルン掲載
より


じゃんぴんぐ・まうすへの旅――B

環の中に住み直す


 9月10日、石川県の白山市で「白山虹の祭」があり、ゆめやえいこさんと共に、つづら折りのトンネルの続く安房峠を越えて、富山から金沢に出て、加賀一ノ宮白山本宮「白山比淘蜷_」の鎮座する、獅子吼高原の会場へと五時間半のドライブ。以前、三井さんのところで自然農の研修をしていた富山の河内あきおさんたちの企画。

 会場では、下の公園(パーク獅子吼)と、ゴンドラで結ばれた丘の上のスカイ獅子吼の、二会場に分かれて、コンサートやトークの多彩な催しが繰り広げられていまし
た。

 到着した時には、『スロー・イズ・ビューティフル』の辻信一さん、未来バンクの田中優さん、そして映画『ヒバクシャ』の鎌仲ひとみさんのトークが進行していまし
た。

 トークの会場は木づくりの円形劇場で、ゆったりと坐り込んで対話することのできる空間作りだ。

 対談は『木を植えましょう』(南方新社2002年刊)の正木高志さん。以前、歌手のネネさんから、正木さんのアンナプルナ農園のお茶を頂いたことがあって、一度お会いしたいと思っていたところだった。

 テーマは「旅そして再定住」。

 正木さんは、わたしがアメリカに向かった頃、インドに向けて旅立ったという。

 わたしには、3歳の、戦火の中で死を突きつけられて引き裂かれた自分の生を取り戻す旅として、この六十年があったように思われるというところから話しをはじめた。

 それぞれの旅が語られた後、再定住について話しが進んでいった。
 以下にわたしのトークの概要を記しておきます。

 「わたしとわたしでないものに分けて考える“論理的思考”が推し進めてきた近代化。昨日から今日、今日から明日へという“直線的な時間”が推し進めてきた進化。その果てに今日の世界の崩壊劇があるのではないでしょうか。

 これに対して、野生の自然や神話の物語が持っていた“円環的時間”というものがあります。今ここから今ここへと、今ここを巡ってゆく円環的時間のことです。そこには、“環のつながり”の内において物事を考えようとする“円環的思考”が息づき、多様で、流動的な知性や夢見の時間が秘められています。“夢見の時間”とは、心の内奥の自然と対話する時間であり、それはわたしたちの内に潜在する力です。ド
リームタイムとよばれる、夢見の時間、いのちの夢見の場から、創造的な生命の力を
再び引き出してくることが問われています。

 耕やさず草や虫を敵としない自然農を10年近くやってきていましたが、大地性と
いうことが実感として掴み取ることが出来ないでいました。そんな時出会ったのが
オーストラリアの先住民であるアボリジニの世界観でした。

 オーストラリアの先住民であるアボリジニの人々は、大地には植物の種子が宿って
いて、その種子の内にはその後に形づくられる植物の夢見が宿されていて、植物はそ
の夢見を形にしてこの世界に立ち現れてくるのだといいます。そのように、生きとし
生けるすべての生命には、生命を現し出す力ともいえる「ドリームタイム(いのちの
夢見)」が宿り、そのドリームタイム(いのちの夢見)を実現しようとしてこの世界
に現れ出てくるのだということです。

 そのいのちの夢見(ドリームタイム)は、天のドリームタイムから虹の蛇によっ
て、大地にもたらされてくるといいます。わたしたちが見ている虹は、虹の蛇の可視
光線的な部分であり、その前後に虹の蛇の頭としっぽがあるといわれます。

 いのちの夢見の宿る大地を破壊しては、いのちがどうして育まれることができるで
しょうか。わたしたちの文明は限りなく大地を搾取し、汚染し、破壊してきました
が、夢見の宿る大地を破壊しては、夢見が形をとってこの世界に現れ出てくることは
できようがありません。

 そしてこのいのちの夢見とこの世界の関係は、ミヒャエル・エンデの果てしない物
語の、ファンタージェンとこの世界のこどもたちの夢見の関係に似ています。こども
たちの夢見る力が消えてしまうと、ファンタージェンが消え去り、ファンタージェン
が消え去るとこの世界が消え去ると言う関係です。ドリームタイムがこの世界を現し
出し、この世界がドリームタイムを創り出している関係にあります。ですからアボリ
ジニの世界観がめざしているものは、夢見と自然界が同時に存在し、それぞれがもう
一方のイメージであるような世界、生き方だといえます。

 わたしたちは、いのちの夢見を育む大地を取り戻しながら、わたしの壁を突き破っ
て、夢見の時間へと潜り込み、そこからいのちの夢見を紡ぎ出してくる必要がありま
す。「夢見る力」なくして、世界が立ち現されることはなく、その夢見を育むのは大
地なのです。わたしたちは大地性を、そして内なる自然という霊性を取り戻す必要が
あります。


 わたしたちは今一度、立ち止まって、わたしたち自身と世界を見渡してみるべきで
す。文明の果てにわたしたちはいのちを見失い、様々な病に侵されているといえま
す。その元凶には、世界から、いのちから内なる自然である霊性が奪い去られていっ
たことがあります。世界や大地、そしていのちに宿る霊性が奪い去られて、それらが
単なる物になったために、わたしたちはそれを収奪し破壊することができたのです。
そして世界から霊性が失われていったのは、大いなる神秘の闇の場に息づくいのちの
夢見をわたしたち自身が葬り去ってしまったことにあります。

 大地や世界の、そしてわたしたち自身の破壊を止め、いのちの息づく豊かな地球を
取り戻すには、大地の、世界の、わたしたち自身の霊性を取り戻すことです。そこに
霊性を見ることのない環境保護政策では、大地やいのちへの人間中心主義的な支配の
壁を破ることはできようがありません。そして霊性を取り戻すには、大いなる神秘の
闇に息づくいのちの夢見を取り戻すことです。霊性に秘められたいのちの夢見こそ、
生命の源であり、あらゆるものが生起してくる創造の泉です。

 今まで述べてきたことを一つのキーワードで言うとすれば、“環”ということ。
“環の中に住み直す”ことが、今わたしたちに求められていることではないでしょう
か」


 次ぎに、正木さんの話しを、彼から頂いた『木を植えましょう』からフォローしな
がら見てみたい。

 正木さんは、彼の妻が癌になった時、「森も病んでいる」という声を聴いたといい
ます。

 わたしたちのいのちは、森(光合成を行う植物)によって生み出され、わたしたち
の文明は、森(森から生み出されてきた資源――石炭や石油や材木や植物や、植物に
よって支えられる動物や人という奴隷や植民地など)を収奪することによって成り
立っています。

 地球はそもそも自給的に成り立っているために、地球上には利益というものは存在
しません。そこに利益が存在するのは、他からの略奪があるからです。しかし、誰が
誰から奪うというのでしょうか。自分が、自分にほかならない環境(自分とは自分以
外の環境のすべてから成り立っている)から奪い去るのです。それ故、利益を求めれ
ば求めるほど、人は苦しむことになる、と。

 正木さんは自分と環境の関係を、漬物と糠の例えで説いています。漬物の中に、漬
物の環境である糠が染み込んでくることによって、漬物は美味しくなり、糠漬けの糠
が腐ってくれば、漬物も腐ってしまう、と。

 どこから、いつ収奪がはじまったのでしょうか。それは、狩猟採取生活から農耕生
活に移行してからです。農耕のそこで、一粒が500倍にも1000倍にもなりまし
た。その利益を求めて、略奪や階層や権力や国家が生まれていったのです。

 わたしたちの文明は収奪をつづけています。収奪によって成り立っています。
 持続可能な開発というけれども、開発は収奪なくしてはあり得ません。

 幸福とは何でしょうか。わたしたちにとって、幸福とは、花や鳥によってもたらさ
れる、平和もです。それ以上の幸福があるだろうかと、正木さんは問いかける。
 そして「新しい時代に着地するためには、歴史に働きかける何かがなされなければ
なりません。……木を植えることだ!……とぼくは木を植えながら、そう感じたので
した。……木を植えるところに新しい時代は誕生する。木を植えることが新しい時代
なのです」

 そう、わたしたちの文明は、森を収奪する歴史だったわけですから、森を復活する
ところに新しい時代はあるはずです。

 そして「木を植えることに、反対はありません」とも。

 正木さんは、今、阿蘇の麓に住み、森の思想を育みつつ、伐採された裏山の国有林
にケヤキやヤマザクラやクヌギなどの雑木5000本を植えて、森を育てている。




じゃんぴんぐ・まうすへの旅――A

小さな花


 9月9日、重陽の節句の日、米国同時多発テロから5年を迎え、東京の明治公園で
BE-INの集まりがありました。わたしは、庭に小さなピンクの花を群れ咲かせていた
「あい(藍)の花」を持って出かけました。40年近く前の、1967年の春、ベト
ナム戦争が激化してゆく中、若者たちが、手に花を、そしてもう一方の手に「Love &
Peace」のサインを掲げて、サンフランシスコ(政治学者のダグラス・ラミスさんもその目撃者ノ一人)とニューヨークに集まったのでした。ニューヨークのBE-INの渦中にいて、わたしはムービー・カメラを廻していました(その記録映画に『HeadGame』があります)。当日の、ピーター・マックスが描いたサイケデリックなフライヤーが我が家にはまだ大事に取ってあります。

 このBE-INに倣って、9・11後、東京でもBE-INが開かれ、今年で5回目。争いや憎しみを克服する原点として「愛」を掲げて、コンサートやアート・パフォーマンスが繰り広げられました。

 今年のテーマはLove Energy。エロ・テロリストを自認するタレントで歌手のインリンと対談することになっていました。ところが本部に顔を出してみると、インリンに圧力があって、彼女がトークに参加できないという。対談は急遽、9・11後「Chance」を立ち上げ、現在は「みどりのテーブル」代表の小林一朗さん、元「フォーブス」誌アジア太平洋支局長ベンジャミン・フルフォードさん、グローバルピースキャンペーンのきくちゆみさん、難波の歌人龍玄さんたちとのトークとなりました。

 トークの後には、インリン・オブ・ジョイトイの演奏がはじまり、夕暮れと共に、40m大のピースマークに、1500本のキャンドルが点されて、平和の祈りが歌い、踊られてゆきました。

 9・11後、アメリカではブッシュ批判のフォーク歌手ディクシー・チックスが反愛国的だとして糾弾され、彼女たちのCDがブルドーザーで壊されるイベントがあったといいます。

 67年、最初のBE-INの行われたその秋には、作家ノーマン・メイラーらの呼びかけで、激化するベトナム戦争に反対する国際統一反戦デーのデモが10月21日、アメリカの首都ワシントンで行なわれ、米国防総省ペンタゴンまでデモ行進したものです。映画『フォレスト・ガンプ』に、その再現シーンを見たことがある人もいるかもしれません。ノーマン・メイラーの9・11インタビューに「ベトナム反戦では『夜の軍隊』で描いた67年の国防総省へのデモが転機となった。ごく普通の市民が5万人もワシントンに集まり警官隊に棍棒で殴られるのを怖れずに行進する。その光景を見て、老練な政治家だったジョンソン大統領は国民の支持を失ったと実感した」(朝日新聞06年9月9日号)とありました。わたしもニューヨークから駆けつけて、記録映画『No Game』を制作しましたが、その時の報道写真を見た、評論家の加藤周一さんが、2003年、次ぎのように書いているのを目にしました。

 
「一九六〇年代の後半に、アメリカのヴィエトナム征伐に抗議してワシントンへ集った『ヒッピーズ』が、武装した兵隊の一列と相対して、地面に坐りこんだとき、そのなかの一人の若い女が、片手を伸ばし、眼のまえの無表情な兵士に向って差しだした一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう。その花は、サン・テックスSaint-Exの星の王子が愛した小さな薔薇である。また聖書にソロモンの栄華の極みにも比敵したという野の百合である。(中略)

 私は私の撰択が、強大な権力の側にではなく、小さな花の側にあることを、望む。望みは常に実現されるとは、かぎらぬだろうが、武装し、威嚇し、瞞着し、買収し、みずからを合理化するのに巧みな権力に対して、ただ人間の愛する能力を証言するためにのみ差しだされた無名の花の命を、私は常に、かぎりなく美しく感じるのである」(『小さな花』かもがわ出版2003年刊)

              
 その、愛を込めた小さな花には、彼や彼女の全存在、いや全世界が参入してあったのではないでしょうか。憎しみや対立を超えてゆく力としての愛がそこにあり、環境(他)もまたわたしに他ならないからには、どうしてわたしがわたしを傷つけることができようかと。

 平和は、戦争によってではなく、平和を生きることによってのみ実現される他ないのでは。BE-INの会場の、歌やパフォーマンスや1500本のピースマークキャンドルの、一つひとつのそこには、そしてそこに集った一人ひとりの心の内には、小さいけれども、小さな愛の平和が実現されてありました。ピースマークキャンドルのそこから東京の大地に、夢見る力が立ち上がってくるのを覚えた。世界の変容へ向けて、わたしたち一人ひとりのさらなるLove Energyの発露が問われています。


「小さな学校の小さな新聞」に寄稿された記事をここに転載をさせていただきました。