個を超えるということ

境界を超える対話

トランスパーソナル学会発足

 1971年、「国際トランスパーソナル学会」は、アメリカ西海岸で設立された。1985年、第9回会議は京都で開催され、これを機に、日本でもいくつかの翻訳書によって、トランスパーソナルが紹介されたが、時期早尚という困難な面も多かったと聞く。それから約10年、「日本トランスバーソナル学会」(運営委員長=安藤治氏/東京医科大学精神科医)が、発足した。


 トランスパーソナルとは、「個を超える、個の境界を横断する」という意味。西洋の合理主義、個人主義という言葉で特徴づけられる近代社会がもつ限界によって生み出された。個人主義を押し進めるあまり、バラバラで閉鎖的な状況に陥った「個」を、再び新たな形でつながりを回復しようとする大きなうねりを背景にしている。


 日本でも、さまざまな分野におけるトランスパーソナル学という学問は、近代的な閉鎖的枠組みを乗り越えて、新たな道を探ろうとする方法論、代案である。昨年の夏から準備が進められてきた日本トランスパーソナル学会第1回会議「境界を超える対話」は、今年(1996年)5月、南伊豆国民休暇村で4泊にわたり開催された。講演者のおひとり、作家のおおえまさのりさんに、会議の報告をしていただいた。




大いなるものがたりを求めて
おおえまさのり


失ったものを間い直す


  1960年代からニューエイジ、精神世界、ホリスティック(包括的)、セラピー、トランスパーソナルといった、こころや霊性のフィールドを開拓してきたさまざまな領域の朋友たち、(心理学者、精神科医、セラピスト、宗教学者、社会学者、画家、作家、一般参加者)500人あまりが、第一回日本トランスパーソナル学会に集まった。これまで地道に1粒、1粒蒔いてきたこころの種が一斉に花開いたかのようであった。

 しかし会場の華やかさとは対照的に、会議にはオウム真理教の重い影があり、こうした問題をどう超えてゆくかがトランスバーソナルに問われているのだという発言が出された。


  今日の生命や環境の危機を招き、かつまたオウム真理教を生み出させたのは、私たちの社会が、永遠性と結びついた生と死の大いなるものがたり(神話)を失くしてしまったことにあるのではないか。若い世代からは、「私たち白身の、大いなるものがたりとしての精神のしかるべき枠組み、システムを見いだすことだ」という発言がなされた。

  これに対して、会議の最後に登場した、日本のトランスパーソナル学を開拓してきたハワイ在住の吉福伸逸さんは、子どもとの暮らしについこう語った。「子どもには決してこうしろ、ああしろとは言ってこなかったものの、子どもにとっては不満があるらしく、こうしろ、ああしろと言ってほしかったと言っている」 これは、ある一つの枠組みや価値観と同一化してしまう危険性をひしひしと感じてきた私たちの世代と、システムを作りたいという若い世代の相剋のドラマと重なってくる。

トランスパーソナルの開く未来

 どのようなものであれシステムには、オウム真理教に見られたように、教条主義や原理主義に陥ってしまう危険がつきまとう。現在、世界各国で勃発している民族、宗教紛争の嵐、そこにあるのは、個々の大いなるものがたりを巡っての、血で血を洗うまでの憎悪の戦いに他ならない。

  それにもかかわらず、再び大いなるものがたりを作り出そうとする私たちは、互いの境界化を超えた、地球市民的な、すべての人が己に気づきながら共生してゆける脱同一化のものがたりを、本当に見いだすことができるというのだろうか。


  吉福さんは「トランスパーソナルは個に終わる」と結んだが、その「ひっくりかえり」のなかに、トランスパーソナルの行方を見ることができるように思った。「空」を実体化することをかたくなに拒否し続けてきた仏教の一つの経典、『般若心経』がいう、空がそのままで色(存在)であり、色の他に空はないという「ひっくりかえり」である。禅においては、はじめ山であったものが山でなくなり、そしてそれが再び山としての個の中に「ひっくりかえってくる」それである。


  限りなき脱同一化の「空」のそれが実現されるところは、今ここに立つ私たち一人一人の個の他になく、かくして脱同一化の「空」のそれが実現されるところは、今ここに立つ私たち一人一人の個の他になく、かくして脱同一化の果てにある永遠性と結びついた生と死の大いなるものがたりもまた、この色(存在)の中にその姿を現し出し得るはずではないかと。


 個がバラバラになり、その果てにさまざまな危機に直面してしまったこの世界を解き開いてゆくことのできる、「ひっくりかえり」の妙味。矛盾を超え出た、肯定の大いなるものがたり。これを紡ぎ出してゆけるかどうか、トランスパーソナル学は、今、、自らに問おうとしているように思う。その一歩がここに歩み出されたのである。今後の展開を、自らもそれを担いながら注視してゆきたい。



トランスパーソナル学会ってどんなところですか


  知性、こころ、身体、精神性、コミュニティ、エコロジー、アートといったさまざまな角度から包括的でバランスのとれたアプローチをします。特定の価値観や信念を促進するのではなく、既成の枠にはとらわれず、さまざまな意見や価値観が出会う場です。


  学会は、学術的な理論を積み重ねるだけの学者や研究者たちだけのものではなく、広く一般に誰でも参加できる。トランスパーソナルとは、個を超え、自分というアイデンティティを超えて、他社、人類、生命(いのち)、地球、宇宙を「感じる」体験です。あえて学会という既成の名を用いたのは、あくまでもしっかりとした「学」「知」というものが、基礎として非常大切なものとしてあると考えるからです。(安藤治氏/『トランスパーソナル1』より)

(地球人通信1996.10)