「目覚め」と「眠り」
小栗 ある人が書いている文章を読んでなるほどな、と思ったのは「眠り」と「目覚め」。「目覚め」という言葉には、何かに目覚める、という前進的なイメージがあります。「眠り」は、むしろ後退的なイメージです。でも、「眠り」がはたして後退といえるのか。そろそろ、そういう疑問が出てくるようになりました。「目覚め」ということで言えば、経済が「目覚め」続けて、もう右肩上がりでは生きていけないということです。
それでは右肩上がりではない経済をどう生きるか、ということになります。『眠る男』はそのヒントになるかもしれません。
植物人間とも言える「眠る男」拓次は、なかなか意昧深な主役だと思います。いろいろ象徴的な意味を帯びているように感じられました。例えば、生物的存在、人間としての存在、人間を超える霊的存在、多面的な存在として扱われているように感じられます。
小栗 そういう中間に位置する存在、それは生と死の中間に位置することもあるでしょうし、内と外の中間に位置している、あるいは人間と生物、宇宙との中間に位置する。いろんな不思議な広がりがあるような気はします。
知的なところで何かをやろうとするときに、それが非常に障害になって動けない。しかし、あの「眠る男」のようにレベルをずっとそこに沈めて、生きとし生きるもの、そのレベルに感覚的なり、もっと動物的なところでもし出会えれば、そういう問題というのは、意外に軽く乗り越えることができるかもしれないという感じがします。

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