ニューワーキングの時代

競争ではない労働

木ノ内博(学生援護会)


 「アメリカ社会において競争は魚にとっての水みたいなものだ」と、『競争社会をこえて』(法政大学出版局)の著者アルフィ・コーン氏は本書の巻頭で述べている。アメリカに限らず、近代の工業社会は均一労働で、互いに競争させることで生産を拡大させてきた。

しかし、競争は生産を拡大させるものだろうか。製品の規格を統一せずに、二社がしのぎを削った結果、大変無駄なことをやってしまったこともある。すぐに思いつくのはビデオの規格をめぐってであろう。

 こうした産業のもつ性格が教育を歪めてもいる。むしろ教育的な弊害の方が大きいとも言える。一番になる人の後ろには、多くの一番になれなかった人かいる。一番になれなかったことで新たにチャレンジをする人もいるだろうが、多くの人はこころに傷を負うことになる。


 製造の仕事が減り、対人サービスが主な仕事になってくると、相手に対するおもいやりといったことが大切になってくる。競争では相手に優しい気持ちをもつことはできない。共感、力の弱い者に対する暖かなまなざしが必要だ。


 そういう意味では、松岡正剛氏の『フラジャイル』という本がおもしろい。目立たないもの、微力なもの、力の弱いものが、従来の力とは別の力をもち始めている。


 競争ではない労働。最近、農業に興味をもつ人が増えているが、植物に向き合うときには、競争の意識はないだろう。園芸を趣味にする人たちも多い。きっと競争疲れをしているのかも知れない。
(地球人通信1996.10)