ニューワーキングの時代

泣いたり笑ったりできる人

木ノ内博通(学生援護会)

  戦後の50年、どんなことを考えて私たちは働いてきたのだろうか。アメリカ的な生活様式に憧れて大量生産、大量消費、そして大量廃棄を行ってきた。今、これが急速に冷めつつある。それでは日本の経済は成り立っていかない、と警笛を鳴らす人もいるが、もうそういう豊かさでは幸せにならないと知ってしまったのだからどうしようもない。

 ものづくりの労働が減って、サービス労働が増えている。サービス労働は従来の定型労働に比べて驚くほど多様であり、これまで社会的弱者と言われてきた高齢者や障害者の参加も可能である。多様性をもった就労形態になると、働く側がどのような働き方をしたいのか、考えをしっかりともつ必要が出てくる。

  もちろん、働くことだけではなく、生活のなかに働くということをどう位置づけるかが大切だ。知り合いの看護士は重度障害者のためにまばたきで文字入力ができるパソコンを開発したが、それのさらなる開発と障害者や家族、医療機関のネットワーク作りのために最近病院を退職した。彼は頼まれると看護士として仕事をしたり、パソコンソフトの開発をしたりするが、それは会社の仕事と言って自分の仕事と区別している。

 若い人のなかには、高度な専門知識をもちながらそれで高給を稼ごうとしない人達が多い。もっと稼げるのにもったいない、と私は考えるが、そういうことに関心の薄いのならしょうがない。自分に納得できることをやるのがなによりだ。

 J.ロバートソンは『未来の仕事』(勁草社)という本で、成功のイメージの過去と未来の違いを比べている。過去の成功のシンボルは、名声や知名度、高収入、高学歴、会社での地位、ひんぱんな海外旅行。これに対して未来の成功のシンボルは、自由時間、仕事と遊びの一体化、金銭より尊敬と愛情で報われること、大切な社会コミットメント、よく笑う人・涙する人、愛情行為などを挙げている。


 笑ったり泣いたりできる人が成功者というなら、私の心も少しは軽くなる。

(地球人通信1997.4)