ニューワーキングの時代
場所からの解放
木ノ内博道(学生援護会)

 仕事の考え方が今大きく変わりつつある。そうした、いわば未来萌芽を紹介しながら、私の考えるニュー・ワーキングのイメージを具体的に紹介したい。


 先日、在宅勤務の話をしていて笑われてしまった。仕事をするのに会社と自宅しか思い浮かばないのは発想が貧困だというわけ。確かに、電話やコンピューターなどの情報端末が自由に使えれば、車の中でも旅先でも仕事はできる。そういう時代がくるのはそんなに先のことではないだろう。

  場所に縛られていては人間らしい労働とはいいがたい。普通の電話だと、あの人がいるだろうな、という場所に電話をかけて、「すみません、○○さんいますか」と、まず聞いているかどうかを確認する。ところが移動電話だと、「今、どこにいるんですか」と場所の確認をする。トイレにいようが、映画を見ていようが大きなお世話。 

 江戸時代の封建社会では、人々は土地に縛られていたが、近代になっても会社とか自宅とか、やはり場所に縛られていたことに気づく。これからは、場所に縛られない、場所から解放できる社会がやってくるだろう。

 何か、問題解決をはかる時、ネットワークに協力を呼びかける。いわば、みんなの知的支援を得て仕事をする。それによる問題解決はそのままネットワークに参加するみんなのものでもある。個人的な生産が個人にとどまらず直接みんなの生産物になる。

 しかも、こうした問題解決作業は、その人なりの個性と能力で行うことが特徴で、つまはじきにされることはない。その人に見合った支援が受けられる。

 一方、工業社会では均一労働が求められ、能力的に劣るものは仲間として認めてもらえなかった。工業社会がつくった教育の体制も同じことがいえる。

 ポスト工業社会を美化しすぎるかも知れないが、労働の彼岸にたどりつきたい。能力や個性を疎の人なりに発揮して、生きがいも感じられ、しかも仲間が支援してくれる、そういう環境ができるといい。ラッシュや家庭?からも解放されて。

(地球人通信1996.7)