みのりのある日々
樹は黙って、風になびきながらそこに在る

深田みのり(日本語教師)


病室という社会

 出会いの場は日本語学校だけではない。病院もそうである。私はクローン病という消化器系の病気の20年選手なので、病院との縁は深い。

 もう10年以上前になる。そのときの病室は3人部屋で、中條さんという福島から来た気のいいおばさんと、22歳の私と、川合さんというおばあさんの3人だった。川合さんは静かな人で、記憶に残っている言葉といえば、「子どもを産むというのはすごいことですよ」と、「あんたのボーイフレンドに『彼女は顔がぽちゃぽちゃしているけど、お尻もぽちゃぽちゃっとしているね』と言っておいた」の二言ぐらいだろうか。

 私には祖母の記憶がない。3歳のときに他界した。だから川合さんと一緒にお風呂に入ったときは、その紙のようなおっぱいに本当にびっくりした。『意地悪ばあさん』のマンガの通りだ! そのオドロキがきっかけとなり、三世代でベッドに横たわりながら子どもを産む話になった。どんな内容だったかは忘れてしまったが、川合さんのぽつりぽつりとした語りに中條さんが、「んだ、んだべ」と相づちを打つ、その空間がとても真摯で宇宙的だったことを覚えている。

 忘れられないのは、川合さんのつれあいのおじいさんが見舞いに来たときのこと。川合さんはひたすらあおむけに寝ている。左手がたまに思い出したかのようにパタパタとベットの脇を叩く。だから眠っていないことは確かだ。おじいさんはというと、ひたすらじっと座っている。長い沈黙の世界である。二人はずっとそのままであり、左手のパタパタという音だけが時の経つのを知らせていた。

 意外にもその情景はその後何年もの間、何度も私のこころに蘇り、鮮明になっていく。世間を見ていると、皆が皆、迷いとわがままと怒りの道を乗り越えて、そんな自然体になれるわけでもなさそうだ。多くが年を増してもそんな境地にもなれないし、黙っていられない。

 もし、街に1本の樹もなかったら、人間は絶えられるだろうか。樹は黙っている。そしてただそこに在る。川合さんはそんなふうだった。寛容さともちょっと違う。包み込むのではなく、たださわさわと風になびきながら在るのだ。
(地球人通信1996.10)