戦前から戦後、波乱に富んだ20世紀をたくましく生き抜いてきた我がおじいちゃん、おばあちゃんたち。彼ら、彼女たちはどんな青春を過ごしてきたのだろうか。何を食べ、どんな夢を描き、何に喜び、怒り、悩んできたか。どんなおしゃれ、どんな恋愛をしてきたか。フツーのおじいちゃん、おばあちゃんに根掘りはほり聞いてみることにした。きっとそこには高齢化社会を楽しく生き抜く魅力的な知恵の源泉がたくさん隠されているはずだから・・・・(編集部)



私の青春時代

年を重ねるほど、明るい色の服を着るのよ

西野マサ子さん(69)

東京都杉並区生まれ。現在、箱根の有料老人ホームに入居。実家は米穀商。安田銀行でタイピストを務めていた19歳の時、終戦を迎える。結婚後、大阪に移り、夫と死別した後東京に戻る。お茶とお花は師範の腕前。



流行はサザエさんの髪形


  戦時中に娘聞代を過ごしましたから、食べることに精一杯で、おしゃれなんてとてもとても。銀行でタイピストをしていた頃は、自分でこしらえたモンベに白の開襟シャツ、ヘチマ襟のブラウスね。胸には名前と血液型を書いた布を縫い付け、防空頭巾を斜め掛けにするのよ。


  パーマはかけていました。当時ドカン(土管)っていう頭が流行ったの。サザエさんみたいに頭の真ん中にロールを作るの。燃える炭の上に波状の金属の板を置いて熱し、パーマ液をつけて巻くんです。衛生状態が悪くて、ドカンの中をシラミが行ったり来たりなんていう人もいたわ。そんな人はお酢で髪を洗っていました.。


  私の住んでいた杉並は比較的空襲にあわず、うちも焼けずにすみました。空襲警報が鳴ると、壕にミシンを入れるのが私の仕事。昔のミシンは重いでしょう。空襲というより、それがいやでねえ。


  終戦前の1年は.支給されていた銀行の昼食も食券に代わります。メニューといっても、お米やお芋が重湯の中を泳いでいるような雑炊だけでした。終戦のどさくさで銀行は辞めて、おけいこごと(花嫁修業)を始めました。日本橋の今の東証あたりはボコボコに焼けちゃってねえ。うちは兄が早く復員してきたんで助かったんです。米屋はすぐには始められなかったけど、兄が食料営団に就職できました


モンペからフレアースカートに


  モノはなかったけど解放感はありました。終戦直後は、「女は全員坊主にしないと襲われる」なんて言われたものだけど、結局、日本軍が外国でしてきたことを自分の国でもやられるだろうって思っただけなのよね。


  当時は進駐軍が持ち込んだブランケットでコートを仕立てたりしました。ウールだから当時としては良いものだったんですよ。それに兄が復員した時に持ってきた落下傘(パラシュート)で作ったブラウス。あれ全部バイアス(斜め)布ですから、まっすぐなところを探すのが大変だったわ。羽二重でできていて、とても軽くて薄いの。

  母の着物も縫い直しました。縞や小柄の着物からはスーツをとります。進駐軍が持ち込んだものを真似して作るのよ。


  戦前はブラジャーなんかなかった。体の線がはっきり出ないように、胸の大きい人がサラシを巻いていたくらい。それから一時期、三角の布にギャザーを寄せて縫ったブラジャーが出たこともありました。今のようなブラジャーは、戦後、進駐軍が入ってきてからよ。


  モンペからフレアスカートになって、私が40代の頃は、ミニが流行っていたの。おそるおそる着てみました。昔は脚出すなんてなかったねえ。でも、流行るとそれがヘンじゃないのよ。少しづつ短くしていってねえ。えんじ色のツーピースなどを着ていました。この頃大阪に住んでいましたが、東京に来たらもっと短くてねえ。


眉墨は木の燃え殻


 娘時代のお化粧は、ウテナクリームと口紅を塗るくらい。母の時代だと、メイクアップするのはおしゃれな人でした。貝殻に入った口紅を薄くひき、粉おしろいをはたく程度。化粧品といっても薬屋の片隅で売っていた「ウテナ」や「クラブ」くらい。


  戦後はポーラの訪問販売や資生堂も出てきたの。私たちの世代で、アイラインやアイシャドーを使う人は派手な人、水商売風という感じかしら。私は、おしろいに軽く頬紅、そして口紅と眉墨。眉墨は桐の木を細く切ったものを燃やして、その燃え殻で描いたの。桐は果物の箱を利用していました。マッチの消し炭を使う人もいたけど、あれは眉が抜けてよくないのよ。年とともに眉は薄くなるから年をとるほどしっかり描いた方がいいの。これが、若くみせる秘訣ですよ。私の母の世代は、着物も柄の細かい渋くてくすんだ色を着るの。そりゃ地味ですから、母の年齢と同じになっても、私は着ないわ。年をとるほどきれいな色を着るべきだと思うんです。


 明るい色のものを着ているだけでいい物に見えますしね。実はね、ふふ、私デサイナーになりたかったの。主人が書をやっていたこともあって着物が好きだったから、私もいっぱい買ってもらったけど、なまじ良い物を見ると不幸ね。かえって着るものが少なくなっちゃうんですよ

聞き手:川又由紀子 (地球人通信1996.7)