多峯主山から天覧山と飯能市街地天覧山、多峯主山、釜戸山
奥武蔵詳細地図というのを入手して眺めるうち、伊豆ヶ岳周辺は歩いているものの、それ以外の地域はほぼ未訪なので、少しまとめて歩いてみようという気になってきた。まずは飯能駅から天覧山を経て子ノ権現に続く稜線を歩いてみようと、暖冬の一月に西武池袋線に乗りに行った。


9時過ぎに飯能駅に降り立つ。コーヒーショップと観光案内所だけ開いている駅ビルを抜け、奥武蔵に向かうバスの停留所がある北口に出る。まずは本日の昼食を入手しようとコンビニを求めて駅前商店街に入り込んでいったが、見つからない。脇道まで見て回ったが見あたらない。駅まで戻り、観光案内所で教えてもらうことになった。
案内所で天覧山までのわかりやすい地図も入手したので、商店街を楽に抜けていく。ところどころにアニメ『ヤマノススメ』の登場人物の等身大パネルが設置されている。飯能に住む山歩きする女子中高生たちの物語で、主人公の成長物語でもある。たまたま入った洋菓子店では関連商品(クリアファイルなど)が販売されていて、まだまだ人気は衰えていないらしい。あとから知ったが、この洋菓子店「夢彩菓すずき」は主人公のバイト先として作品にも登場する店なのだった。
洋菓子すずきの前で、あおいがお出迎え
洋菓子すずきの前で、あおいがお出迎え
日に焼けて赤みが飛んでいる・・・
ショッピングセンターがないせいか街中は落ち着いたものだった。商店街が終わると観音寺という寺がある。境内ではこの年の暖冬のせいですでに梅が咲いていて、あたりに漂う甘い芳香に包まれながら本堂に向かうと、驚いたことに白象の像がある。その傍らには『ヤマノススメ』のパネルがあり、この象の前でアイスクリームを食べる登場人物たちの絵が置いてあった。白象とパネルとで驚いていて気づかなかったが、じつはこれは鐘楼なのだった。象は昭和40年代に檀家の方たちが作られたという。鐘は戦時中の金属供出で失われたらしい。
寺の脇の住宅地を抜けて行くのが天覧山への道のりなのだが、間違えて境内の墓地に入り込み、そのまま山中のような諏訪沢を超えて、大きく真っ白な市民会館の裏に出てしまった。もと来た道を戻り、住宅街を抜けていく。鉄腕アトム象の立つ公園を左に見るようになれば、車道の向こうがようやく天覧山入り口となる。
入り口の脇にはタイムズマート飯能店というコンビニがある。『ヤマノススメ』の"かえでさん"が軒先で出迎えている上に窓ガラスから窺える店内が尋常ではないので、入らざるを得ない。予想通り、店内の一角はこの作品の博物館のような状態で、ポスターが貼られタペストリーが下がり等身大の人形まで飾ってある。感心して眺めていると時間がすぐに経つ。
タイムズマート飯能店の中
タイムズマート飯能店の中。
かえで、あおい、ひなた、ここながお出迎え。
いやよく作ったものだと・・・
 
店長がこれを一人で全部?と聞いてみると、ファンのかたが持ち寄ったのだという。もとは”巡礼者”用に寄せ書きノート一冊から始めたものが、いまやこの作品を愛する人たちが入手したものを自発的に持ち寄り、場を成長させているとのことだった。寄せ書きノートはすでに何冊にもなっており、日本国内(鹿児島やら札幌やらも)はもとより、海外(ドイツやら香港やら)からの巡礼者の一言が書かれている(日本語で)。力作のイラストも多々あり(この場で即興で描かれたもので、水彩画まである。原作者のかたのもある)、感嘆することしきりだった。
罫線の上に記された熱意の量に圧倒されて長居をするあいだ、来店する客が「これはいったいなんですか?」とレジの向こうの店長に尋ねるのが耳に入る。その都度店長は丁寧に応対していた。


店を出ると、飯能に到着してから2時間以上経っていた。駅から寄り道せずに歩いてくれば20分の距離である。おそらく本日の予定は修正を余儀なくされるだろうが、これはこれで楽しい。アニメの登場人物たちが飯能の街中を歩いていて、ばったり出会いそうな気になってくる。
天覧山へ登る前に、麓にある能仁寺に詣でていく。自分でも「なかなか登り出さないな」と呆れ気味だが、本日は行ったきりのルートで帰ってこないものだから多少の寄り道はやむなしだろう。(だいぶ多いが。)
能仁寺は曹洞宗の禅寺で、広い境内は掃き清められていて清潔感が漂う。本堂前にある火焔のような現代オブジェが少々違和感があるものの、青空と天覧山を背負った空間は広く静かで、街中の喧噪をいったんリセットするのにちょうどよい。山に向かって慌てようとする心も鎮めて本堂の大屋根など見上げてみるのだった。
能仁寺
能仁寺。庭がよいらしいが今回は割愛。
境内の入り口に戻り、ようやく天覧山を登り始める。初めは舗装道が続き、公園のなかを行くかに思える。下ってくるのも子連れの若い家族だったり、軽装のお年寄り夫婦だったりと、こちらの山姿のほうがふさわしくなさげである。そうは言っても低くても山は山で、舗装されているとはいえ勾配があるところは通常のペースで歩くと息が上がる。
中間点の広場を過ぎるとやっと山道となった。左右に道筋が分かれるところは左手の岩場経由を選ぶ。岩が出ているが手は使う必要はなく、5分も登ると山頂だった。
『ヤマノススメ』で主人公のあおいが初めて登った山頂は、あおいの言うとおり、大して登っていないのに眺めがよい。飯能市街地はもちろんのこと、奥多摩から丹沢にかけて広がる展望が予想外にすばらしい。大岳山の右手に御前山が見える。神奈川県民としては左手に見ることが多いので新鮮味がある。
天覧山から奥多摩方面を遠望
天覧山から奥多摩方面を遠望。
正面に大岳山、右に御前山。左に富士山が白く霞んでいる。
遠く離れて立つ川苔山がまた美しい。奥多摩にあって眺めるとどことなく冴えない姿なのだが、ここからだとゆったりとした独立峰の風格があった。
古いガイドを読むと山頂には茶屋があるとある。山行後に知ったことで、奥多摩を望む側に建っていたらしい。いまとなっては跡形もなく、到着時にもまるで気づかなかった。景色を堪能したのち改めて山頂を見渡すと、腰を下ろせる場所はみな占有されていた。一休みできる場所を探して多峯主山へと続くルートに入り、すぐ現れる四阿に入って簡単な昼食とした。あちこちで家族連れが食事をしていた。


天覧山の賑やかさを背にして多峯主山へと向かう。なにも荷物を持っていない散歩姿の人は見る限りいなくなり、多少は山の雰囲気となってくる。
天覧山と多峯主山の間の西ノ谷
天覧山と多峯主山の間の西ノ谷、元は耕作地だったらしい。
浅く広い凹地を過ぎ、見返り坂を過ぎるとジグザグを切るような登りになる。天覧山は195m、多峯主山は270mと高さはないが、だからといって登りが緩やかかというとそんなことはない。汗を拭いながら着いた多峯主山山頂は、天覧山同様に人が、とくに家族連れが多かった。ちょっとした岩の上に立って「山頂だ!」と宣言する女の子がいる。鬼ごっこをする三姉妹がいる。天覧山と多峯主山は子連れで一日過ごすには最適な山だろう。
多峯主山山頂
多峯主山山頂。彼方に武甲山。 
多峯主山も眺めがよい。なにより正面に見える武甲山と大持山・小持山の姿がじつに凛々しい。さんざん削られながらも天を刺す武甲山は崇高さすら感じる。上手い具合に山々を眺められる場所が空いたので腰を下ろし、天覧山では割愛した湯沸かしを開始する。
ザックを開けるとクッキーが目に入った。洋菓子店の「すずき」で買ったもので、これをお茶菓子に熱いコーヒーを飲みながら、富士登山に失敗して気が抜けたようになっていたあおいが天覧山で偶然出会ったひなたとともにここまで来たことを思い返す。友人と一緒に登り、毅然とした奥武蔵の山々を眺めれば、あおいならずとも、また前を向く気になるにちがいない。


長いことのんびりした山頂を後に、天覚山へと続く山稜に入った、つもりだった。が、入ったのは武甲山を正面に西に向かうもので、永田台三丁目の住宅地に出るものだった。ここはどこだろうと訝しむうち、犬の散歩をしているかたから声をかけられ、ようやく自分がいる場所がわかった。車道を下って天覚山へのルートに再合流することもできたが、できれば山稜をつなげて歩きたかったので、多峯主山まで戻ることにした。
当初予定では天覚山まで行って下ろうと思っていたが、飯能の街中でだいぶ時間をかけたうえにこの道間違いで、おそらく行き着かないだろう。詳細図に当たってみると、天覚山に向かう途中で武蔵横手駅に下るコースがいくつか分かれている。様子を見て、どれかで下れば明るいうちに駅まで行けるにちがいない。これ以上時間をロスしないよう、分岐では必ず地図にあたって確認しながら歩くことにした。
多峯主山山頂に戻り着く手前で右に逸れるコースがあった。これに入ってすぐ、山頂から南へと下るコースに合流する。標識があって、今来た方向へは「永田台・横手台」と案内があった。進むべきは「御嶽八幡神社・雨乞池」とある方向である。またすぐに十字路に出くわす。今度は「雨乞池・黒田直邦の墓」と「御嶽八幡神社」とが分岐する。これは右の神社方面へと進む。またまたすぐに右手へ分かれる道筋の案内標識が目に入る。分岐だらけだ。
ここの標識、直進する方向が「本郷」、右に分かれる踏み跡側に「久須美坂」とあり、後者が天覚山、さらには大高山に子ノ権現を経て伊豆ヶ岳に続く。しかし細い。今までのルートが遊歩道のような幅広のものだったので、地図に当たって確認するまで入るのを躊躇したくらいだった。
天覚山に続く山道の入り口
天覚山に続く山道の入り口
("久須美坂”とある表示に従う)
 
細いながらもよく踏まれたルートはハイカーをまず下りに誘う。足下は山道然としてようやく山歩きの雰囲気となる。下りに下って沢筋を越えるところでは、排水路設備のようなものが見られるものの、だいぶ山深くなった気にさえなる。ルートは明瞭で迷うことはない。全然歩かれていないわけではないことは、単独行者や複数人のパーティとすれ違うことでもわかる。
意外と上り下りのある行程を経て、尾根筋のルートはいったん車道に出た。左に下れば入間川の畔、天覚山方面へは右へ登り気味に行く。調整池を囲むコンクリ壁が左手に出てくると、壁が尽きたところから縦走路が再開する。土の道の入り口には柵があって手書きの看板が下がり、”飯能アルプス 永田入口”と書かれていた。


水が溜まっておらず荒れた調整池を見下ろすように急斜面をジグザグに上がると広い尾根に出る。明るい雑木林で気分はよいのだが、右手の見通しがよすぎてすぐそこまで迫っている住宅街の家の庭まで見えてしまう。これでは落ち着かないので先を急ぐ。山懐に入り、右手に平坦な公園を見下ろすようになると永田山に着く。
調整池の上に出ると広い山道
調整池の上に出ると広い山道
永田三角点手前で多峯主山を遠望
永田三角点手前で多峯主山を遠望する
ガイドマップでは永田山なのだが、”永田入口”の看板にも山頂の手作り標識にも「永田三角点277m」と書かれていて、永田山と呼ぶのが正しいのかどうか懸念が残る。山頂手前では住宅街を隔てて多峯主山が遠望できる。手前の平坦面が住宅地とメガソーラーとで占められてしまっているのが眺望の点では残念だ。人工物がなにもなく、ただ森が広がっていた頃の眺めを想像しながら休憩とした。
ここからは植林のなかの径が続いた。歩きやすいことは変わらないが、さすがに眺望がないのでやや単調の嫌いがある。ところどころに足を止めるポイントがあるのが救いで、小振りのきれいな祠があるコブは久須美山というらしく、ここで見られる混交林の眺めは悪くない。そのあとに続くコブでは、どこでだかは忘れてしまったが、西武秩父線の走る谷間越しに日和田山と高指(たかさし)山が指呼できた。日和田山はだいぶ前にクライミングの講習会で一度行ったきりのままになっている。いつか越上山への縦走と絡めて再訪しよう。
木々の影が長くなってきた。そろそろ本日の稜線歩きは打ち切りとしようと、久須美山から半時ほどで標識が目に入る釜戸(かまど)山への分岐を右に入り、武蔵横手駅に出ることにした。一般のガイドには記載のないコースだが、最近入手した奥武蔵詳細図にはガイドがあり、実際に入ってみても標識も立っていて歩きやすい。吊り尾根を少々下って登り直すと大きな山頂標識の立つ釜戸山に着いた。
釜戸山山頂
日が陰る釜戸山山頂
釜戸山山頂から向かいの歩いてきた稜線を望む
釜戸山山頂から向かいの歩いてきた稜線を望む
(奥が多峯主山方面)
振り返れば天覚山に続く稜線の上に夕陽が近づきつつある。歩いてきた吊り尾根はすでに日陰となり、遅かれ早かれこの釜戸山も追随するだろう。しかしまだ明るい。せっかくいつものように自分だけの山になったので、まだ日が差す場所に敷物を広げて腰を下ろし、湯を湧かした。展望のよい多峯主山でのコーヒーも悪くなかったが、眺めるものといったら向かいの稜線の名もないコブしかなくても、静かな森の中で飲むコーヒーはやはりよい。穏やかな時が過ぎていく。


気づくと自分の脚に当たっていた日はなくなっていた。先ほどから寒く感じていたわけはこれだった。荷物をまとめて下山にかかる。南東に続く尾根筋を追い、薄暗くなった森の中、急傾斜の踏み跡を下る。荒れた未舗装林道に出ると空が開けて明るい。舗装林道に出るとすぐ民家が目に入った。とある家の玄関先に猫がいた。よく見ると美人だ。見つめ返しても逃げることなく、親しげに見える眼差しで見送ってくれていた。
高麗川を渡る
西武秩父線の橋を横目に高麗川を渡る
武蔵横手駅は左奥すぐ
高麗川を渡って交通量の多い車道に出ると駅は近い。幸い待たずにやってきた上り列車は池袋行きで、終点での混雑を予想させないほどには空いていた。急速に暗くなっていく窓の外を眺めるうちに、いつしか寝てしまっていた。
2016/01/10

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