天祥寺原から蓼科山蓼科山

男体山もそうだが、とかくこういう円錐形の山は始末に困る。麓からの見た目はいい。登ってみれば山頂からの眺めは360度のはずだ。これだけなら登高する理由として十分だが、意欲を差し引く事情もある。斜度がほぼ一定なので登りも下りも単調に違いない。言い換えれば山が浅く意外性がない。雨の日にでも登ることになったらと考えると、それだけで行く気がなくなる。蓼科山(たてしなやま)だけ登りに行くという計画を何度か考えはしたものの、その都度却下してきたのはこういうわけだ。


ようやく登る気になった理由は、北八ツ逍遥と組み合わせて一泊二日行程にし、山行全体として変化を持たせたこと、それに夏山に備えてテント込みのザックを背負って急勾配の山を訓練がてら登るという課題を設定したことの二点に尽きる。当日の天気が良かったことが最後のきっかけになった。ガスがかかっていたら登らないで済ませたかもしれない。
7月最初の好天の日曜日、昨夜泊まった北八ツの双子池キャンプ場を日が高くなってから発ち、深閑とした亀甲池を経由して明るい天祥寺原に出る。笹原のなかにオオシラビソの濃い緑の木々が点在し、その背景には蓼科山が大きく構えている。白樺湖とかから眺めるのとは別もののような未開性を漂わせているのは、このあたりに人が少なく、山と山のあいだの広い谷を行く道が山深さを感じさせるためだろう。水場で一服し、二度目の朝食を摂ってから急坂の蓼科山を登り出した。
山道には昨日図鑑と首っ引きになって覚えた花々が咲いている。少なくとも北横岳と蓼科山周辺にはだいたい同じ花が咲くようなので、初日に名前を覚えてしまえば、二日目以降は図鑑を見なくても咲いている花の名前はほぼわかるようになる。米粒サイズの鈴のまわりに衛星を付けたようなマイズルソウ、横から見ると小さな小さなハート型の花を下に向けたように見える4弁のオサバグサ、地面から広げたギザギザの3枚の葉っぱの真ん中から華奢な首を伸ばして細い4弁の花びらを広げるミツバオウレンなどなど。みな白くてかわいい花で、ぜいぜい言いながら登っている目にはいかにも涼しそうに見える。
見渡す限り岩だらけ。周囲がかすかに高くなっていて、中央部は平坦。蓼科山の山頂は縁も底もでこぼこしたフライパンのようだ。これが登り着いた第一印象である。ちょうど昼なので軽装の日帰り登山客があちこちに散らばっては、食事をしたり山座同定をしたり昼寝をしたりと登山者百態を演じている。わたしのような50リットル超のザックは数えるほどしか見あたらない。よく見ると、重装備の人はみな昨日に双子池のほとりでテントを張った人たちばかりである。まさかみな蓼科山に登りに来るとは。似たようなことを考える人がいるものである。
山頂からの眺めは八ヶ岳霧ヶ峰くらいなものだった。あとの山々は湧き立つ夏雲の中に消えている。それでも北から眺め渡す八ヶ岳連峰は主要なピークをすべて指呼することができ、これだけでも蓼科山に登った甲斐はあったと言えよう。無骨な北横岳を眼下に眺められる露岩の上に腰を下ろし、ザックに背をあずけて清涼飲料水を口にする。涼しい風が吹き渡り、汗がどんどん引いていく。八ヶ岳は、北八ツも含めて、やはりよいところだ。首都圏から近くていろいろなコースが取れるし、いまの時期は花も多い。場所を選べば静けさもある。近いうちにまたテントを背負って歩きに来よう。(でも蓼科山はもういい。麓を歩くだけにしよう)


下りは当初予定通り、蓼科温泉郷の下のプール平というところまで下った。ここに温泉の公衆浴場があるのである。ザックが重く、コースタイムを過ぎてもなかなか下り着かない。足の裏も痛くなってきている。麓近くになって午後の雷鳴がとどろき始め、気は焦るのだが、歩みはなかなか進まないのだった。
2000/7/2

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