雑記帳


夕暮れの寄り道
西上州の富士浅間山を登ろうとして果たせず、里に下ってきた夕暮れ、バス停に向かう谷間の舗装道を歩いていった。晩秋の日は山の端に隠れ、薄墨色の冷気があたりに漂い始めている。外に出ているひとは誰もおらず、戸や窓を閉めた家々は冬越しに向かう蛹の繭のようだ。
途中、人が渡れるだけの橋で川向こうに出られる場所がある。そこには二軒の大きな家があり、下流に向かえば5分ほどで大きな橋を渡って元の道に合流する。寄り道をして変化をつけたくなったので、そちらに入った。
たまたま、家の一つからおばあさんが出てきて、おや、というように眺めている。軽く頭を下げて会釈すると、こちらを歩くひとは珍しいね、と言われる。そうでしょうね、この道も歩いてみたかったもので、寄らせてもらいました。


対岸に眺める道は六車のバス停から黒滝山や大屋山へと上がっていく道である。いまでこそ舗装され、車が対面走行できる道幅があるところもあるが、おばあさんが子供のころはもちろん未舗装で、荷車しか通れない幅しかなかったそうだ。小規模とはいえ切り立った場所もある。護岸もされていなかったころは本当に山道だったのだろう。
「舗装されて幅も広くなって、便利になったねぇ。それにうちの前まで来る道も舗装してくれて」。二つある家の住人しか使わないものだろうか。「この先に畑があってね、うちのじゃないのよ。そこの畑に来る人が車で来るのね」。
「向かいの山ね、ハクビシンが増えているのよ。鹿や猪は畑のものを食べるし。クマも出るの」。そういえば、二年前の同じ季節にに来たときも南牧川沿いを走るバスの車内で同じ話題を聞いた覚えがある。「山に食べ物が少なくなったということでしょうか」。「みな植林にしちゃっているからね。植林だと山に水もたまらないのね。この先に山があって、うえのほうに池があるのだけど、いまじゃ干上がってしまって昔ほど水がないのよ」。池というのは、大屋山の蓼沼のことだろう。植林に囲まれて干上がった池は、湯河原の幕山でも見たことがある。


「クマも怖いけど、猪も怖いよ。気をつけて歩いてね。わたしはもう年だから、山は歩けないんだけど。」
2002/11/16 (2003/1/19 記)

雑記帳の見出しに戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue All Rights Reserved