Preface/Monologue2001年2月


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1 Feb 2001
降っている雨を家から眺めながら、雨と雪とどちらが降る方がましかなぁ、と考える。一概に言えないのは承知のうえで、いろいろ条件を挙げては比較してみる。

嵐のような悪天なら大した差はないだろうが、山が歩ける範囲での話とすれば、積もらなければ雪の方がいい。払えば上着やザックから落ちる粉雪なら濡れが広がる雨よりさっぱりしている。しかし湿雪だとそうは言えず、雨と違って身体について重くなる。雨は山道をあっと言う間に沢にしてくれることがあるが、雪と違って踏み跡を覆い隠すことはない。天候が悪化していく場合に、雪より雨の方が心理的な負担は少ないような気がするが、これは慣れの問題かもしれない。

やっぱり山は晴れがいちばん。
3 Feb 2001
春先にいろいろ仕事関係の試験を受けることを考えていたら、そうのんびり山に行っていられないことに気付いた。

この土日は一泊でどこかに....と思っていたのだが、とりあえず土曜は在宅学習Dayに。手遅れにならないうちになんとかしなければ....とか考えながら、このサイトの更新をしていたりするのだった。
7 Feb 2001
今年の丹沢は積雪が多くて、塔ノ岳で1メートル、蛭ヶ岳で2メートルあるそうだ。塔ノ岳から丹沢山までは夏なら1時間のところ、3時間かかるという。通年営業の蛭ヶ岳山荘も2月は小屋を閉めるようなことが最近の新聞に書いてあった。

蛭ヶ岳はともかく、雪で階段の隠れた塔ノ岳あたりには行ってみたいものだと思う。いつも人だかりの無雪期とは随分と印象の異なる世界が展開していることだろう。
10 Feb 2001
目の見えない人たちが撮った写真集、というのが最近刊行された。どんなものか、と正直言って疑念を持っていたが、さきほど某テレビ番組で紹介されたのを見て、写真に音や風、暖かさというものが感じられるのに気がついた。または被写体の人物の存在感というものが。

そうか、そうだったのか、と自分の不明を感じた。
16 Feb 2001
人間、過ちを認めてこれを正すことで成長していくと思うんですが、言い訳ばかりして現在の座に固執する人というのは見苦しいですね。こういう人がリーダーを続けていると、みなのモラール(やる気)が下がります。

「首相退陣」の噂で株価が上がったそうですが(誤報だったのでまたすぐ下がった)、買うなら今のうち?
18 Feb 2001
谷川岳に初めて行った。冬山で、しかも稜線テント泊なのだから我ながら大したものだ、とは言うものの都岳連主催の冬山教室なので威張れるものではない。土曜から二日間、好天で夜もそれほど寒くなかったものの、夜半から朝方までの強風にはかなり閉口(テントが飛ぶかと思ったし、風がうるさくていったん目覚めたら寝付けなくなってしまった)。

雪訓だったので登頂はしなかったが(日曜はオキの耳もトマの耳も見えていたのでほんと心残り)、ワカンでラッセルはする、ビバーク用の蛸壺は掘る、ビーコンで宝探しはする等、内容豊富で楽しかった。

場所の選定を誤って雪洞泊の予定がテント泊になってしまったのは残念だった。でも雪の上でのテント泊も未体験だったので意義はあった。まだ春山もあることだし、行動範囲が広がりそうで嬉しい。

(いろいろお世話になりました>冬山教室の講師の方々および一緒に行った方々)
22 Feb 2001
新しく出た『ヤマケイ』や『岳人』を読む。今年正月の同時多発遭難の記事が載っていて、冬山を軽く見てはいけない旨警鐘が鳴らされている。

この前の土日のような2月にしては極めつけの好条件の日に谷川岳に行って、それだけで「雪山に少しは慣れた」などと思ってしまったが、軽率だったようだ。やはり低くて雪の少ない山から手を着けていくことにしよう(けっきょく道志とか御坂あたりかな(笑))。
25 Feb 2001
連れの所属する劇団が上演したチェーホフの「かもめ」を観た。この芝居は劇団を違えて今までに二度観ていて、これが三度目になる。

これは、登場人物どうしのすれ違う愛情が結果的に渦中の若者を破滅させていく話と言えよう。「求めて得られない」状況をどれだけうまくあしらっていくかが人生の知恵というものなのだろうが、これに欠けている若者が割を食う。愛憎が相互に絡み合う物語が田園地帯の日常の倦怠のなかで進んでいくのだが、かなりの時間帯というもの、あまり変化がない。最初に観たときは展開の遅さに辟易したものだった。

さすがに三度目になると筋もだいたい覚えているし、ゆっくりペースの芝居に対する心の構えもできている。しかし、それを差し引いても今回の芝居は出来がよく、「おもしろいじゃないかチェーホフのかもめは」と思うことができた(いや、身内の欲目ではなく)。

個々の俳優の出来不出来というのはあるかもしれないが、俳優相互の「呼吸」が聞こえるようだと友人の一人が評したように、舞台のアンサンブルは優れていたと思う。主人公の死の後もゲームを続ける登場人物達が最後に一幅の絵になる幕切れのように、随所に絵画的な人物配置が感じられて審美的にも楽しめた。枯れ木の束を使った舞台装置も秀逸だった。

帰りに友人達と夕食を食べて帰ったのだが、ロシア人のチェーホフに引っかけたわけではなく、「チャイカ」というロシア料理の店に入った。帰宅して芝居のチラシを改めて見たら、店の名前が書いてあった。「チャイカ」とはロシア語で「かもめ」のことだった。

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