雑記帳


伝えない&見せない
さーて、とうとう今世紀最後の五輪も閉幕。閉会式をテレビで観たが、選手より地元のオーストラリアの方たちのほうがノリがよかった。
ところで、そのテレビでの閉会式放送(NHK衛星)だが、サマランチ会長の前にオーストラリアの五輪責任者(らしい)方がスピーチし、それをアナウンサーが同時通訳していたが、演説の最後で家族に感謝の言葉を言ったところをいっさい訳さなかった。いちばん感動的なところなのに。日本ではこういう場で身内に言及するのを避ける雰囲気があるが、だからと言って他の国の人が言っているのを通訳上省略することもあるまい。


聖火が消えた後のアトラクションでは次々とオーストラリアを代表する歌手やグループが歌と演奏を披露したが、終盤、見た目の佳いカイリー・ミノーグ(女性)が歌っているときと、その前後に出たロックバンドが演奏しているときとでは歌手/演奏者の映し方の比率が歴然と違っていた。
ロックバンドはゴツいお兄さんたち(Midnight Oil)だったりムサいおじさんたち(再結成したのか?Men At Work)だったりなので放送管制室(?)が映す価値がないと判断したのだろうけど、かわりにノリの悪い日本人選手を延々と映すのはやめてほしかったな。もう、それまでかなり画面に収めていたのだから今さら映すこともないはずだ。どうせ映すならそれまでのなかで最大の歓声を上げている観衆やバンドのことを知っている選手達をもっと映すべきだっただろう。Midnight Oilのバンドメンバーに至っては、それまでの歌手とは異なり、歌の最初と最後にちらっとだけしか映されなかったのだから、かなり意図的な価値判断が見受けられる。あまりに「おじさん的」視点ではないかな。女性と自国選手ばかりが主というスポーツ紙的視点という意味で。
というのも、Midnght OilにせよMen At Workにせよ自国を憂える歌("Beds Are Burning","Down Under")を歌っていて、しかもそれが聴衆に大受けしているのだから、その意味を敏感に感じてほしかったと思うわけである。きっとテレビクルーの中には英語のわかる人がいなかったか、いたとしてもこういう点に価値を見いださなかったのだろう。(拙宅にはこの2バンドの演奏した曲の入っているCDがあります。英語の歌詞を聞き取ったわけではないので念のため。要するに、自分が好きなバンドが珍しくテレビに出たのにほとんど観られなかったという怒りが出発点にあるわけです(^^;; )。


こういう例に接するたび、報道に中立なんてあり得ない、何らかの価値観が報道対象の選択時に働く、ということを思い知る。これらは単に五輪の閉会式での話なので害は少ないが、そうでない場合での「伝えない&見せない」は大いにあり得る(というか、よくあると思う)。単一の報道だけに頼っていると判断を誤るかもしれない。山に関して言えば、たとえば両神山の登山道閉鎖問題とか....(閉鎖には道理があるという立場にわたしは立ちます)。
追記。Midnight Oilのvocalistであり、過激な政治的発言でも知られているピーター・ギャレットが舞台上でワルティング・マチルダを皆と一緒に熱唱していたが、ああ、この人もオーストラリア人なんだなぁ、と思わせて微笑ましかった。
2000/10/1 記

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