夜中の侵入者
就寝中、一度だけ金縛りに会ったことがある。受験勉強をしていたころ、浅い眠りの途中から突如として頭のなかに絶叫するような声が轟き、全身がつったように動けず、それがしばらく続いた。風洞のなかで強風を浴びているような音に耐え難くなり、「これは身動きさえすれば止むはずだ」と信じてなんとか寝返りを打ち、呪縛から逃れた。どういう日々だったかはもう忘れてしまったが、相当くたびれていたのだろう。


先日、テントを担いで久しぶりに山に登った。かなり日も傾くころに幕営地点を定めたが、そこは正規のテント場ではなく、人の通りのない登山道の脇に空いたスペースだった。周囲は灌木のため見通しはよくない。離れたところだが高圧線鉄塔も立っている。今夜は雨にはならないはずだが落雷でもあったらと思うと恐ろしい。
不安な気持ちをかかえたまま簡単な夕食を作って食べ、温かい飲み物を二度ばかり飲んでシュラフにもぐり込み、早い時刻に眠りに就いた。いつもであれば幕営山行の初日から熟睡するものだが、このときはかなり浅い眠りが続いた。よくは覚えていないが山中で熊かなにかに追われるような夢を見ていたようだ。
とつぜん、あおむけの腹の上にどさっとなにかが乗ってきた。なにが起こったのかわからないまま、その侵入者は波打つように跳ね出した。半分くらい呼吸ができない。これからどうなるのか恐怖が広がる。しかしその物体はただ跳ねているだけでそれ以外のことをしようとしない。骨盤のあるあたりで暴れているのでまだ楽だ、猪かなにかがテントを破って入ってきたのだろうか、とにかく目を開けなければ…
跳ね起きてみたら、なにもいなかった。テントも無事だった。シュラフも破れていなかった。それでもしばらくそのまま薄い布越しにあたりを窺っていたが、気配のひとつもなかった。おそるおそるファスナーを開けて外に出てみると、曇り空の深夜だというのに周囲の様子がよくわかる。近くの町の灯りが雲に反映しているのだろう。ともあれテントのまわりにも不審な痕跡はなかった。どうもただの夢だったらしい。しかしこれほど真に迫った夢、それも身体にまで影響したものは初めてだ。


夜のあいだ、バイクのエンジンがかかるときのような振動音がときどき聞こえてきて、こんな山中でも機械音が聞こえるのかと憂鬱だったが、夜が明けてからも聞こえてくる。テントを出てその音の方向を探ると、すぐ近くの山の斜面からだった。猪の鼻息だろうか?これが昨夜の夢の正体だろうか?ともあれここは静かに撤収したほうがよさそうだ。そしてじっさい、そうしたのだった。
2004/6/3 記

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