夕暮れの上毛線車窓から群馬県庁の奥に赤城山、中央に荒山、左に鍋割山
赤城山は大きいわりには一般的なコースが少なく、だいぶ前に最高点の黒檜山に登ったきり足が向かず、高崎近辺に出ても榛名山や吾妻線沿線の山を歩いていた。これを書いている前年の秋にようやく地蔵岳、長七郎山や鈴ヶ岳を歩き、まとまって歩けるピークとしては鍋割山と荒山とを残すだけになった。
年が変わった5月間近になってこのピーク群を思い出し、歩き方を考えるに、よく歩かれているはずの荒山高原からの鍋割山往復ではなく、下から鍋割山を登ってそのまま荒山まで登ることにしたい、しかし公共交通機関で行くとすれば・・・と地図を眺めると、山頂部を目指すバス路線の途中で下車し、ゴルフ場を抜ければ登山口に着く、おおよそ一時間というところだろう、これなら達成感もありそうだ。というわけで、山麓に前泊で赤城の山を登りに行った。なかなか歩きでのある行程だった。


前橋駅前発7:32のバスで富士見温泉へ向かう。車窓の正面には延々と赤城山、その中心には今日登る予定の鍋割山と荒山が見えている。温泉でバスを乗り換えるのだが、下車時に細かいお金を使い切り、財布には一万円札しか残っていない。バスは電子マネーが使えないので、なんとかこの大枚を崩さないといけない。乗り継ぎバスが出るまで10分ほど、目の前の温泉施設は開館前で施錠されており、周囲を見回せば隣の道の駅のような施設に人の出入りがある。小走りに向かってみるとじつはこちらも開店前、どうにかお願いして千円札に崩してもらった。(助かりました。ありがとうございました。)
5人ほど乗せたバスは山あいに分け入っていく。さてこれから谷間の道を、というところで、本日の予定である下車地点の大河原バス停にさしかかり、自分ひとり下りる。右手にゴルフ場目指して分かれていく車道が辿るべきもので、庇とベンチのある停留所で靴紐を締め直してから初夏の日差しの中に出ていく。
ツツジの彼方に榛名山
ツツジの彼方に榛名山
林道から新緑の上に鍋割山
林道から新緑の上に鍋割山
赤城山頂部に続くものとは異なり車の数は少ない。標高を上げるにつれて前橋市街地とその上にわだかまる榛名山群が見渡せるようになってくる。市街地は中心部に建つやたら背の高いビルが目立つ。群馬県庁舎で、都道府県庁舎としてはずいぶんと高い方らしい。鮮やかなツツジの赤が目立つようになるとゴルフ場は近い。左右に広がる敷地を抜けて行く車道は私道扱いになっているのか通行禁止になっており、左手に分かれる一車線の林道に入るようガイドがあった。どう見てもゴルフ場が車道を造成したようには思えない。公費で私道を舗装してもらって通行禁止を強いるのかと釈然としないままその林道に入る。
カラスの鳴き声がしきりに響くなか、右手の木立の向こうに、グリーンが広がり、その上にのしかかるような山が見えてくる。あれが鍋割山だろう。なかなか急傾斜で登るのに苦労しそうだ。車道の脇に停められている車が目立ち出すと、登山口に着く。


初めは緩やかなのが斜面を絡むようになると前橋市街地が眺め渡されるようになる。朝からすっかり見慣れた榛名山が広大な裾野を広げている。同じくこの赤城山も裾野を広げているわけだから、前橋は火山に挟まれた街だというのがよくわかる。新緑の山腹を登るほどに視界は開け、子持山に小野子三山まで頭を出してくる。箱根や阿蘇や霧島ほどではないにせよ、火山博物館の眺めで、地形の造化の雄大さに気分は高揚してくる。
鍋割高原から広い裾野の榛名山
鍋割高原から遠望する広い裾野の榛名山
鍋割高原から仰ぐ鍋割山
鍋割高原から仰ぐ新緑這い上がる鍋割山
急登が一息つくとちょっとした高原気分の展望台で、見上げる鍋割山がすぐそこのように見える(実際には山頂直下の肩の部分)。まだ10時を過ぎたばかりだがもう下りてくる人たちがいる。朝早くから鍋割山を往復しているのだろう。見渡せばツツジはこのあたりだとまだ早いが、好天も相まって新緑が十分に美しい。
傾斜が再び急になると、道のりは岩の出た歩きにくいものになる。登り切れば肩の広場で、雑木林のなかを抜けて行くと、右手の林のなかに妙な岩が出ているのが目にとまる。山道脇にも岩は出ているが、それとは異なる不自然さで、分け入ってみると、山麓側を向いて石垣がコの字型に造られている。(山行後にネットで調べてみると、壁の高さは2.5メートル、幅9.5メートル、奥行きは6メートルとのこと)。
謎の石垣
謎の石垣
石垣は一部が崩れ、しっかりした部分でも浮き石のように動くものがある。炭焼き施設であれば丸く造るだろうし、開口部が平野部を向いていることから、戦国時代あたりの物見台だろうか。一人で抱えきれない岩が積まれているので相当な労力で造成されたことが窺え、かなり気になる。説明板もなにもなく、内部や周囲を歩き回ったが用途を窺わせるものは何もない(山行後に調べたが、どうもこの石垣は用途も建造時期も不明のようだ)。ともあれここで腰を下ろして休憩した。
この後は山頂部に向かって伸びる階段道を登ればようやく鍋割山の頂に着く。大部分が草地の広い山頂は、関東平野側が大きく開けて眺望が申し分ない。あちこちでハイカーが腰を下ろして休憩し、食事をしている。自分もここでようやくザックからバーナーを出し、湯を湧かしてコーヒーを淹れた。
前橋市街を俯瞰する鍋割山山頂
前橋市街を俯瞰する鍋割山山頂
鍋割山で大休止したのち、荒山に向かう。稜線では向かう先の荒山がやや傾いた三角錐の姿を誇示している。背後にはアンテナを林立させた地蔵岳が「今日はここまで来ないのかい」と言いたげだ。地蔵岳から左手にだいぶ離れ、妙に尖って立つのがある。鈴ヶ岳で、おそらく見た目の異様さでは赤城山群随一だろう。奇妙なピークが居並ぶ榛名山群にもっていっても引けは取らなさそうだ。再び荒山に目をやると、傾いだ反対側へは大きくなだらかに裾野を引き、その先に関東平野を霞ませている。悠揚迫らない姿で、赤城山は荒山一つだけでも名山と呼ばれそうだ。
稜線から小野子山(左)と子持山を遠望
稜線から小野子山(左)と子持山を遠望
荒山目指して稜線を行く、背後は地蔵岳
荒山目指して稜線を行く、背後は地蔵岳
じつに快適な山上漫歩なのだが、この稜線はなぜかラジオを鳴りっぱなしにして歩いている人が多い。クマ除けで鳴らすには人が多くて不要で、うるさいことこの上ない。50メートルくらい離れても内容がわかるような音量で歩いている人もいて、日本(のみならずおそらく東アジア全般)はつくづく音に対して鈍感だと思う。
二山の鞍部まではおおむね緩やかで展望がよく、そのせいか本日の登路とは異なり大人気で、ひっきりなしにハイカーとすれ違った。稜線漫歩が終わってジグザグに下るところでは、3歳くらいの女の子を連れた3世代パーティーに出会った。女の子が転びでもしようものなら大騒ぎだが、その子は泣きもせず無言で立ち上がり、懸命にまた登って行く。俯せの大の字になっても「この程度はへっちゃらだよ」と背中で親族一同に言っているかのようで、じつに健気で逞しい。しばらく立ち止まって見送ってしまった。
荒山との鞍部は荒山高原と呼ばれているようだが、高原というほどには広くなく、名前負けしている気がする。そこここで家族連れが食事をしている。ここでいいから帰ろうと言っている子供もいる。なかなか賑やかで落ち着かないのでそのまま荒山への登路に入る。


入った途端に静かになった。その落差は見事なほどだった。それほどきついコースではないのだが、荒山は鍋割山に比べれば100メートルほど高く(そのぶん余計に登らなければならない)、かつ、きっと眺めがよくないのだろう。しかしここからはラジオの音に悩まされることはなさそうだ。ようやく自分の山になった気がする。
山腹をジグザグに切って上るコースからは徐々に低くなっていく鍋割山が見えてくる。荒山からだと背後に関東平野を背負って立つ巨大なコブにしか見えないが、じつに展望のよいコブだった。荒山自身も途中までは展望がよい。登高も予想より楽にいけるかと思えたが、山頂近くになって岩場も出てきて、全部が全部楽なわけではなかった。
荒山の山腹から鍋割山を俯瞰する
荒山の山腹から鍋割山を俯瞰する
到着した山頂は灌木が立ち並ぶ中に祠が鎮座し、周囲に立つ木々の合間を踏み跡が縦横に交差していた。葉が落ちたままの梢越しに地蔵岳や鈴ヶ岳、長七郎山が窺え、狭い切り開きからは鈴ヶ岳の左方彼方に子持山や小野子三山が見下ろされる。芽吹き前であれば標準以上の展望ではあるが、鍋割山の展望が良すぎたので有り難みが薄れてしまっている。時刻は午後の一時半、たいして遅くないのに山頂には誰もいなかった。
祠立つ荒山山頂
祠立つ荒山山頂
ときに、どこでも腰を下ろせそうに見えて、なかなか場所が決まらない山頂というのがある。自分の優柔不断さばかりのせいでなく、ここぞという場所が決まらない。この荒山もそんな山頂で、木々の合間を踏み跡が縦横に走り、動き回る分にはよいのだが落ち着いて座れる場所が定まらない。誰も来なさそうだから気にしなくても良いのだろうが、やはり道を塞ぐように場所を取るのは気が引ける。山頂を三週くらいしてやっと決めた場所にザックを下ろし、梢越しに地蔵岳方面を惚けて眺めながら静かな山に浸った。
さて下山をと、予定を考えるに、当初は荒山高原まで戻り、おそらく大多数が歩く姫百合駐車場とのコースを下って箕輪バス停に出ようと考えていたが、せっかく荒山で静謐な山になったのだからこれを継続したいと、赤城山のさらに奥へ、赤城ビジターセンターまでのルートを辿ることにした。車で来た人たちは往復ないし周遊ルートを採るだろうからこちらに踏み込む人は少なかろう、そもそも荒山にほとんど人がいないことがその証左、というわけである。


荒山山頂からは、登ってきたコースとは別に、南南東に下るコースがある。”ひさし岩”なるものがあるとも教えているそのコースに入り、ところどころアカヤシオやシャクナゲが目に入る岩がちな山道を下っていくと、左手に開けた岩棚が現れる。これがひさし岩で、荒山山頂からとは異なり地蔵岳から長七郎山に連なる赤城山山頂部がすっきりと見渡せる。
ひさし岩から地蔵岳、長七郎山(右端)。黒檜岳が影に。
ひさし岩から地蔵岳、長七郎山(右端)。黒檜岳が影に。
正面には麓へと斜面をジグザグに切って下っていく車道が目に入り、この車道がなければ眺望としてもさらによいのだがとハイカー目線で考えているうち、ところでこれは山の上のどこから続いているのかと目で追うと、地蔵岳の斜面が落ちる八丁峠まで続いている。これからその八丁峠まで歩いて向こう側のビジターセンターまで下りるわけで、けっこう長いな、しかもひょっとして車道歩きか、と心配にもなるのだった。
ひさし岩を経て荒山山頂から下る道が出るのは関東ふれあいの道で、右手に行けば荒山高原に出る。赤城中心部へは左へ、山腹沿いのよく踏まれた径を辿る。ところどころ緩やかな上り下りがあるものの、概して歩きやすいのを20分ほどで車道に出た。舗装道の上を歩くのかと思っていたが、関東ふれあいの道はうまいぐあいに土の上を歩かせるようにできていて、わずかに車道沿いを歩かせた後は、右手に広がる林の中にコースを続けている。明るく広がる草原のなかに木々がそこここに立つ楽しいところで、多少離れた車道のエンジン音もあまり気にならない。本日はバス時刻を気にしてやや焦り気味に歩いているので、後日、再訪してゆっくり歩いてみたいところではある。
車道に出る手前、軽井沢峠付近にて
車道に出る手前、軽井沢峠付近にて
渇水期の血の池
渇水期の血の池
半時ほどで”血の池”という物騒な名前の凹地に着く。傍らにある前橋市設置の案内板によれば、梅雨の時期から8月くらいまで水が溜まり、「紅色のヤマヒゲナガケンミジンコが沼中に発生することによって、水の色が赤く染まる」のだそうだ。そのミジンコは残り10ヶ月近くをどうやって生き延びているのだろう。ともあれ、一度は自分の目で見てみたい景色ではある。しばらく水のないほとりに腰を下ろして何もない空間を眺めていたが、すぐそこに小沼があるというのに、誰も来なかった。
ガイドマップのコース設定によれば、長七郎山側をたどって小沼のほとりに出てから八丁峠へとなっているが、そろそろビジターセンター発のバス時刻(2時間に1本くらい)に間に合うかどうかとなってきたので、血の池から車道に出て直接八丁峠に上がった(所要2〜3分ほど)。小沼を右手に見送りながら舗装道を道なりに下っていき、15時台のバスに間に合うよう停留所に着いた。とはいえ発車間際の到着で、清涼飲料水を買いたかったものの、停留所からやや離れたところにある自動販売機に寄ると置いていかれそうだったので、けっきょく行けなかった。


バスはほどほどに座席が埋まって発車した。ひさしぶりによく歩いた一日だったので、大沼を後にし、白樺牧場を過ぎる前には、すでに座席で熟睡していた。
2016/5/5

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