雪に覆われた六ツ石山頂ハンノキ尾根から六ツ石山

奥多摩の石尾根のなかでも、六ツ石山は目立たない方ではないかと考えていた。高さでは鷹ノ巣山や七ツ石山の後塵を拝し、山頂からの展望も鷹ノ巣山には遠く及ばない。尾根途中にありながら縦走路から頂上が外れているので雲取山や鷹ノ巣山のついでに訪れる山というという認識が残り、単独で登りに行こうとは思わなかった。だが冬の鳥屋戸尾根を登った日、急登のさなかに背後を見ると日原川に立派な尾根を落として偉容を感じさせる。前衛の狩倉山も鋭角的で惹かれるものがあった。こうして六ツ石山を改めて登りたくなった。
この山だけ登るコースとしては南麓の水根からのガイドが多いようだ。これはハンノキ(榛ノ木)尾根に乗るまで植林のなかを急登するらしく、全体に歩く距離は短いが単調そうで食指が動かない。むしろ境橋からハンノキ尾根の全体を長々とたどるコースの方が変化があって面白そうだ。故寺田政晴氏もアルペンガイドの『奥多摩・奥武蔵』でこのルートを紹介している。
こうして冬のさなかに歩きに行ってみたが、なかなか味わい深いコースで、魅力的な山ではないと思っていた自分の不明を恥じることになった。比較的長いコースだからか山が地味なのか、水根からのコースに出会うまで誰にも会わず、ひとけのない雪原の山頂でお茶を飲み、狩倉山を踏んで石尾根を途中まで下った。三ノ木戸(さぬきど)山の手前から三ノ木戸林道に出る道筋が明瞭だったのでこちらに入り、山懐の集落を眺めつつ奥多摩駅まで歩いた。


冬晴れの日が続いた末の日曜日、朝の9時を回った奥多摩駅前は賑やかだった。丹波行きのバスは立ち客もいたものの境橋で降りたのは自分一人。以前であれば御前山に登る人たちが大挙して下車したと思えるのだが、いまではどうなのだろう。体験の森ができて以来、舗装道が山腹まで延び、さらに遊歩道が山頂近くまで続く。まともに歩きたい人はみな奥多摩湖畔から大ブナ尾根を登るのだろうか。
ダム湖に向かう車道は境橋で多摩川をまたぐとトンネルに吸い込まれる。その手前で石尾根方面に分岐する舗装道を上がり、集落が見えてきたところで右手に下る車道を分ける。左手から奥多摩昔道を合わせるとすぐ左へ分岐する簡易舗装の道があり、ここがハンノキ尾根への入口だ。前方上方には急斜面に開墾された畑地に2本の太い石柱が立ち、宙を走る線路らしきを支えている。小河内ダム建設時、資材を運搬するために設けられた路線だ。規模も橋脚も異なるが、山陰地方にある餘部鉄橋を思わせる。
山道入り口付近から今は使われていない線路を見上げ、山奥へと延びる運搬用モノレールを追う
今では使われていない路線に代わって実用に供されているのは山奥へと延びる傾斜地用モノレールだ。奥多摩町では福祉モノレール設置という事業を行っているのでここのもそうかもしれない。そのレールを横目に六ツ石山に向かう簡易舗装道を上がっていく。すぐ土の道となるが谷側の縁は石組で補強されており、生活道路としては万全なのだろう。人間が歩きやすいように山腹をからむように続き、まっずぐ高みを目指すモノレールを何度もくぐる。モノレールは予想以上に延び、上がっていく。
モノレールはかなりの斜度で、かなりの高さにまで延びていた
登りだして半時近くにもなるとすっかり木々が切り払われて日差しが回るようになり、開墾された畑が足下に垣間見える。見上げれば民家が建っているが、こんな山の高いところにと驚くような大きさだ。傍目から見れば桃源郷と言いたくなりそうだが、モノレールがあって楽になっているとはいえ雨や雪の季節はあいかわらずたいへんなことと思う。人力もしくは何らかの家畜の背に乗せて荷物を運んでいた時代はいかばかりかとも。山道脇には敷地ばかりとなった家の跡も見られた。


谷間が開けたとはいえ山道自体はあいかわらず植林の中をいく。最奥の家を後にすると道幅は狭くなるが歩きやすさはさほど変わらない。防火水槽を前にした祠や掘り下げられた炭焼き竈跡らしきものを道ばたに見やりつつ暗い林の中を行くと、前方が妙に明るくなってくる。トンネルを抜け出たように世界が明るくなり、カヤトのなかに延びる道筋となる。ここはハンノキ尾根と石尾根との間の谷間を見渡す場所で、目の前には異様に丸く膨れた山が威圧感を発散している。三ノ木戸山と言い、高度を下げてきた石尾根が最後に盛り上げる山らしい山だ。背後に続く尾根は高く、その下の谷間は長い。目指す山はこの奥にあり、簡単には着けなさそうだと思わせる。
振り返れば大きく広がった谷間の先に姿形のよい小振りの山が見える。鳩ノ巣城山で、その右手には大塚山も顔を出している。城山の左手には高水三山が低山とはいえ峰頭を厳めしく並べて気を吐いている。広々とした空間のなか、何度も足を止めて周囲を見渡しながら農道のように思える道をゆるやかに上がっていく。
前方に建物があって作業小屋かと思っていたが、右手の谷間からモノレールが上がってきているところをみると住居なのかもしれない。モノレールは山道を横切って山側に消えるが、いつのまにか併走するようになる。山腹にほぼ水平だった山道は谷側に下りだす。六ツ石山へはモノレール沿いの踏み跡に入る。この分岐点には小振りの立て札があるのだが、書かれていたか貼られていたものは消え失せていて何も伝えてくれない。
踏み跡はすぐ緑色のネットに突き当たり、そのなかに吸い込まれていくモノレールと分かれて左手に登り出す。この後はネットを右手にして登ったり山腹を横切ったりする。左手に作業小屋のようなものを見送ったところで道筋は左へ曲がり、ようやくネットから離れ、笹原を上がるようになる。

三ノ木戸山
中央に愛宕山、その左奥に本仁田山のゴンザス尾根、その右奥に形のよい鳩ノ巣城山、左最奥に高水三山の山並み
三ノ木戸林道の走る三ノ木戸山腹の上に顔を出す本仁田山
伐り残しらしいまばらな林を左手に見送り、伐採跡地のなかを上がるようになる。やや急な雪斜面のジグザグ道を過ぎるとふたたび林の中に入り、尾根らしい尾根となる。真新しい白木の小さな鳥居を前にした大山祇神社の小さな祠を見るころには足下の雪はすでになく、腰を下ろして休憩することにした。


葉を落とした枝の向こうには御前山が大きく見上げられ、まだあまり登っていないことが分かる。ここは木々がなければ多摩川を見下ろすはずなのだろう。奥多摩湖に向かう車のエンジン音が届くようになった。しかし何より耳に響くのはときおり聞こえる悲痛な犬の鳴き声だ。野犬であればもちろん遭いたくない。ここはあまり長居せず早々に登って言ってしまおうと腰を上げ、数分歩くと人影がある。登る風でもないのでよく見るとハンターで、オレンジ色のビブスを着用し、樹脂製らしい台座の黒い猟銃を肩から下げて多摩川方面を窺っている。こちらは黒いヤッケに墨色のスラックスと、まるで目立たない格好なので間違えられたら事だ(ザックは赤いが正面からは見えない)。ますます早く登らなければと歩調を強めた。
山道はいつしか山腹を巡るようになる。じつはこれは誤りで、本来の道筋は尾根を行く。右手頭上に反射板らしきものが見えるようになったら行きすぎである。だがどこから登ればよいのか、あまり戻るのも面倒だったので反射板下の伐り開きをむりやり登って防火帯の尾根筋に出た。振り返ればやや憂鬱そうな湖面が見下ろせる。水面に没する直前の対岸の尾根は中央本線の扇山のもののように末端が削り取られたような様相を呈しており、このあたりに断層があるのではないかと思わせる。
 反射板の伐り開きから見下ろす奥多摩湖
防火帯の尾根道は平坦になったり登り気味になったりしながら続く。ゆるやかに起伏する広い尾根筋は大きな波濤のようだ。季節がよければお花畑になるらしいが今はほぼ雪に覆われ、行き交う鳥の囀りもなく踏みしだく雪の音ばかりが響く。
ハンノキ尾根上部の尾根筋と東側斜面上部は雪に覆われていた
いつのまにか左手の植林が雑木林になって明るくなると水根からの道が合流するトオノクボは近い。トオノクボからは泥濘の坂道を上がっていく。人通りが増えたせいか足下はかなりぬかるみ、雪の上からも抉られた道筋がよくわかる。防火帯であることは変わらず、長々と歩いていくと正面にどう見てもまわりより高いところが見えてくる。そこが山頂で、誰もいない雪野原だった。
山頂より鷹ノ巣山を望む
登ってくる最中、左手前方に顕著なピークが見えてあれが六ツ石山かと思っていたが、そちらは鷹ノ巣山だった。六ツ石山頂は山頂部は開けているものの周辺は木々に囲まれているため意外と展望が悪く、よく見えるのはその鷹ノ巣山と左手彼方にある南アルプス北部の山々だった。とくに甲斐駒はじつに鋭角的な三角形で、日本アルプス有数のピラミッドと言われるのに改めて納得する。近いところでは大菩薩の山並みも梢越しとはいえ見渡せる。滝子山はここからだとかなり大きな三角錐状だ。縦走路から外れているせいか到着時刻がやや遅いせいか、六ツ石山はあまり人の訪れがなく、これらの山並みを眺めながら雪原の真ん中でのんびり食事休憩ができた。


下山は予定通りまず石尾根縦走路に出る。三週間ほど前に鳥屋戸尾根末端から見上げた狩倉山がすぐ隣にあるので縦走路を外れて登ってみたが、残念なことに蕎麦粒山方面は東京農大演習林で遮られていて見通しは利かなかった。狩倉山から石尾根縦走路に合流する下りは正面に御前山と大岳山を俯瞰しつつ下る。かなり雄大な気分だ。

狩倉山から御前山
急激な下りが落ち着くころ、三ノ木戸林道への分岐標識が現れる。右手の植林のなかへ分かれていく道は歩きやすそうで、ガイドマップには波線表示されているが問題はなさそうだ。あとで戻ってくるものとして、縦走路の先にある三ノ木戸山を訪ねてみることにする。
尾根を左に外してゆるやかなコブを見送り、ふたたび尾根に出て今度は右に外すところから三ノ木戸山への登りが始まる。とはいえ稼ぐ標高は微々たるもので、雑木林を周囲に見る踏み跡を追ううちに山頂の位置を示す標識を木の幹に見つける。しかしそこには三角点こそあるものの、本当の最高点なのかどうかはあたりを見回してみると心許ない。そのまま頂稜をたどって行っても標高が変わった気がせず、5分ほど歩いてようやく高度が下り始める。かなり茫洋とした山頂部で、ハンノキ尾根末端から仰げる大きな山容に見合ったものだと納得した。
三角点の先には用途が不明な大きい差し掛け小屋があって、丸太で作られたベンチまである。静かな雨なら防げるだろうが周囲吹き抜けなので風には意味がない。ここで最後の食事をしたのち、三ノ木戸林道への下山口まで戻った。

三ノ木戸山の頂稜の一角
植林のなかの道はところどころジグザグを切りながら下っていくのだが、作業道でもあるらしくあちこちで標識のない分岐にぶつかる。下りだして数分も経たないうちにそういうものに当たりもする。ところどころには手作り標識が設置されてもあり、そうでないところも注意深く判断すれば道を間違えることはないだろう。


梢越しに谷間を隔てたハンノキ尾根が窺えるので、林の中とはいえだいたいどのあたりを歩いているのかおおよその見当がつく。今朝たどった尾根末端の大規模伐採地がほぼ真横に見えてくると、作業道が縦横についているのがよくわかる。すでに日は背後の山に隠れてしまい、午前中は明るかったカヤトの原も影に覆われている。
ようやく舗装林道に出ると、ここでもハンターが二人ばかりいて無線でしきりに連絡を取っている。場所が場所だから獲物がどこにいるのかを相談しているわけではないだろう。オレンジ色のビブス姿を後に車道を下っていくと、しばらくして山中から鈴の音が聞こえてくる。こんなところに山道があるのかと訝っていると、首から下げたのを鳴らしながら大きな犬が一匹、こちらが見上げる山腹を脇目もふらずに小走りで横切っていった。ひょっとしたらあのハンターたちは迷子になった犬を探していたのかもしれない。犬は彼らの方に走っていったので、きっと出会えたことだろう。

夕照を浴びる御前山を三ノ木戸林道終点から望む
林道はしばらく人家を見ないまま続くが、小さな公園まである集落を目にするとふたたび生活道路だっただろう山道が右に分かれていく。奥多摩駅へと案内があるのでそちらに入り、最近建てられたものや廃屋となったのではと思えるものを脇に見ながら朝登ったのと同じく石で縁を補強された山道を下っていく。林道ができるまではこの道こそが生活道路だったはずで、今ではどれくらい実用的なのかわからないが、少なくとも山歩きをする人間にとっては車道をたどるよりは楽な道のりだ。この山道は車道の造成で分断されてしまっているらしく、かなり唐突に舗装道に出る。出たところに標識があるわけでもなく、登りで見つけるのは再訪であっても難しいだろう。
ともあれあとは車道を淡々と下り、奥多摩駅まで歩いていくだけだ。下り坂道を飛ばしている途中、まだ駅まで距離があるところの道ばたに伐採地があり、奇妙に造形された切り株を見つけた。立ち止まって眺めてみると、フクロウの形をしている。これを刻んだひとの腕前と遊び心には感心させられたが、残念ながら眼がなかった。電動鋸ではそこまでできなかったのだろう。盲目の動かない鳥を背にふたたび足取りを速めて駅へと急ぐ。すでに谷間に直接届く日の光はなく、夕暮れの雰囲気は強まるばかりだった。
2007/1/14

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