雑記帳


上空からの山
数年前のある日、私の両親はイタリアから日本に向かう機内にあった。両親はおそろしく幸運だった。快晴の空の下、見渡す限りの広さでヨーロッパアルプスの山並みを目の当たりにできたのである。スイスばかりでなくフランスやイタリア、ドイツ、オーストリアを含め八つの国にまたがる大山脈なので、その場に居合わせなかった者にはどのような光景だったか想像するにも無理がある。イタリア諸都市の町並みもさることながら、氷と岩の針峰が彼方まで立ち並ぶ眺めは人生の一大イベントとも呼べるほど圧巻だったようで、二人ともそれほど山好きでもないのに今でも何かの拍子でその話になると声のトーンが高くなり、はるか遠くを見る目つきになる。
それにひきかえ、飛行機で飛び越してしまえば日本の山地は狭いものだ。羽田を飛び立って金沢方面に行く場合、ここは奥秩父の上だなと思っているとすぐ南アルプスにかかってくる。かと思うとすぐに中央アルプスや御嶽が見えてきて、乗鞍の上空を越えればもう白山がすぐそこだ。日本アルプスがわずか半時間程度で後ろに飛び去ってしまう。これらの山一つでさえ歩けば一日では足らないのに、なんとあっけないことだろう。短く感じるのは夢中になっているせいもある。空いている機内で左右の窓際に移動できるときは嬉しい限りで、子供のように席を移ってしまう。いい年をして、と恥ずかしいことは恥ずかしいが、誘惑には打ち勝ちがたい。
自分のような物好きはもちろん多くなく、満席に近いときなどでも、山の上にいるときで天気がよくても窓の外を食い入るように眺めている客はそう多くない。眼下の山並みに投げる視線は交差点で信号待ちをしている群衆を眺めるようなもので、奇抜な格好でもしていない限りは目も留めず、思い出すこともないといった眼差しをしている。日本の山はヨーロッパアルプスとは違って、機上から目を引くほど特徴的なものは少ない。全体としても広さも奥行きもない。それでも山好きからすれば、せっかく眺めが良いのに「山がたくさんあるねぇ」で終わってしまうのはもったいないかぎりと思う。


かつて仕事の関係で羽田からいくつかの地域に空路を辿ったが、札幌行きの左側の景色が眺めていてもっとも楽しかった。列車の窓から眺めるように東日本の山々が右から左へと現れては消えていく。山は斜め下から見上げるか、せいぜい横から見るのが普通なので、山を真下に眺めて飛び越える場合、どのピークが何という山か判別しがたい。上から見たらどのように見えるのかは地図を事前によく眺めておかなくてはならない。
その点、日光山地あたりから始まって飯豊、朝日、月山、鳥海山とパノラミックに続いていく眺めは見間違えようがなく、銀色に輝く巨大な十和田湖を真下に望み(当然ながら湖は真上から見てもよくわかる)、八甲田山塊を見下ろしながら岩木山を眺めて津軽半島と津軽海峡をゆっくりと越え、噴火湾越しに渡島駒ヶ岳をたんねんに眺めて見送り、最後に樽前山と風不死岳、そのあいだに挟まれた支笏湖を眺められるときなどは、飛行機が高度を下げていくのが残念で仕方がない。いっそ大雪山を一周してもらえないものだろうかなどと無理なことを考えてみたりする。
こういう眺めの良いフライトでは感激するアテンダントさんもいるもので、空いている二階席でのこ とだが「何度も乗っていますが、こんなによく見えたのはほんとに久しぶりですよ」と言いながら私と並んで窓の外を眺めた人もいた。こういう人とはすぐ仲良くなって話がはずむ。時刻は夕暮れ近くで、斜光線が山襞を際だたせていて全ての山の彫りが深くなり、思慕の念を起こさせる。隣には美人のアテンダントさん。いいねぇこういうのって。
1999/4/8

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