某地方TV局で、各地の有名神社を紹介する番組というものが再放送されている(再放送どころか再々放送、再々々放送かもしれない。同じ神社名を繰り返し目にするので)。神話の説明はともかく、神社自体は千差万別、周囲の雰囲気は都会から地方に至るまで当然異なり、境内の様子もまた違う。そもそも国内には大きな社が随分とあるものだとわかる。その番組で諏訪大社が紹介されていた。諏訪湖を取り囲む二社四宮からなる社は何年か前に訪れてはいるものの、画面であらためて見ても各宮は個性的で、もう一度参拝したいと思えてきた。
諏訪地方への日帰りは慌ただしすぎるので一泊二日とすると、せっかくなので山の一つもと考える。諏訪湖の南に高まる守屋山は市販ガイドに従えば短時間で登高できるし、諏訪大社のご神体でもあるということでこの小旅行の目的にも合う。こうして守屋山に登ることとし、ガイドに案内のあるとおり杖突峠からの往復とした。


諏訪大社下社春宮および秋宮を巡った翌日、宿を出て守屋山登山口の杖突峠に上がり、少し過ぎた場所の登山口駐車場で車を降りる。1,500メートルを下回る標高だというのに、昨日同様に夏の日の光が満ちていても空気がひんやりと冷たい。諏訪周辺の山の上は涼しいものなのだろうか。駐車場は未舗装だけども広々としていて、8月といえど平日だからだろう、各所で予想される始業時刻にあって車の数は数えるほどだった。山の上はだいぶ静かなのではと予想しつつ歩き出す。
出だしこそ少々急傾斜はあったものの、その後はわりと楽に森の中を歩く。林道に出させられて歩いて行くと広く整地されたキャンプ場のような場所が見えてくる。山小屋も建っているその場所は分杭平(ぶんくだいら)で、小屋の軒下の札には”水呑場山荘”とあった。このあたりの山岳会のかたたちが整備されているらしいところで、大きめのベンチがいくつもあり、日差しを遮る東屋もあってありがたく休憩できる。敷地内には御柱を四囲に立てた小さな社があり、守屋山諏訪社という標識があった。駐車場からここまでコースタイムだと1時間とあるが、無理して歩かなくても半時ほどで着いた。
静かな分杭平
静かな分杭平
開けた分杭平を後にすると山道が続く。眺めのない道のりを一時間ほどで稜線に出て、笹原の明るい道をすぐで”守屋山山頂”と書かれた標識の立つ東峰に着いた。岩の出た狭い山頂は周囲が開けているものの、山腹の木々が邪魔をして諏訪湖の手前側湖岸線が見えにくい。最高点は西峰なので少し足を止めるだけにしてさらに稜線を進む。
東峰を超えると鉄柵に覆われた小さな社がある。諏訪大社に繋がるものかと思ったが、傍らにある標柱には”守屋神社奥宮”とあった。守屋山山頂からすると諏訪湖と反対側にある守屋神社の奥宮なのだろうが、同じ山でもご神体でもあれば奥宮にもなるのは、山は一方からだけ仰ぐわけではないということなのだろう。
東西両峰を結ぶコースは高低差がほとんどなく散歩気分で歩ける。少し傾斜が出てくると、前方に小さな小屋が見えてくる。ガイドには避難小屋とあるが、近寄ってみると入り口にはかわいい兎の顔が描かれ、その脇に掛かる札には”守屋山頂ラビットハウス”とある。扉を開けてみると4人でテーブルを囲める程度の広さだが、壁にしつらえられた棚に人形やぬいぐるみが置かれ、下がっているカレンダーは今月のものであったりと、いわゆる家庭的な気分が漂っている。窓がないので夏は蒸すだろうけど、寒い季節には単なる風よけ以上の安心が得られる場所かと思う。


守屋山西峰はこの小さな小屋から目と鼻の先で、東峰とは比べものにならない広い草地が広がり、ベンチもあって気兼ねなく腰を下ろせる。展望は広い上にも広い。残念ながら夏雲が湧いて山々の頭は見えなかったが、諏訪湖を隔てて高まる筑摩山地はすべて顔を出しており、美ヶ原の山上台地、霧ヶ峰の草原斜面に鷲ヶ峰の黒い山腹まで明瞭に見えるのだった。南北中央の各アルプスは切れ切れの雲の中でどこがどこだか判然としないが、八ヶ岳は山腹くらいまでは見渡せたので各ピークのだいたいの位置を想像して楽しんだ。
西峰から諏訪湖を望む。
西峰から諏訪湖を望む
展望がよいということは日差しを遮るものがないということでもある。もうこれ以上は真夏の直射日光に耐えられないなというところで下山することにした。東峰を超え、笹原の道を下っていく。途中、「水呑場」への分岐がある。元来たコースを戻るのであればこの分岐を入るべきなのだが、水呑場を水場と思ってそのまままっすぐ進んでしまった。間違えた上にさらに間違えて前嶽というピークに寄ってみたり、往路では見た覚えのない浅間の滝への分岐案内を横目に見たり、さらには「息切は心臓、肺への最高の良薬です」という説明付きの”息切坂”なる標識を眺めたりしても、「登りは大変だったので気づかなかったのだな」で済ませて下り続けた。
どれだけ下ったか、山道の脇に突き出す大きな岩棚の上で谷間越しに向かいの山腹を眺めているハイカーを目にして、ここでようやく道を間違えたことに気づいた。これにはさすがに動揺した。下りで間違えるということは、登り返さなければならない。このまま下り続けて登山口に出て、車を駐めたところまで車道を歩いてけないかと考えたが、そもそも今のコースを示す地図が手元になく、車道をどれだけ歩けばよいのか分からない。やはりセオリー通り道を間違えたところまで戻らなければと、下ってきた急坂を登り返すことにした。
せっかくなので下りにやり過ごした浅間の滝には寄り道してみた。岩場の崖から滴が落ちてくるような滝だったが、ほぼ直下まで行くと、火照った頭と両腕を冷やすにはちょうどよい天然のシャワーだった。
浅間の滝。木花咲耶姫が祀られている。
浅間の滝。木花咲耶姫が祀られている
このコースは次々と人が下りてくる。途中にけっこうな急登があるものの、幼稚園児を含む子どもたちの一団まで下りてくる。杖突峠登山口にあった車の台数に比べて山中で出会う人の数が多いことが不思議だったが、これで理由がわかった。立石コースというらしいが、見ているガイドが古かったのか、その存在は触れられてなかった。


分岐に注意しながら登っていったが、やはり前嶽へのものと水呑場へのものしか目に入らないまま、再度、東峰にまで登ってしまい、本日三度目の”守屋山山頂”標識を眺める羽目になった。これにも驚いた。こうしてようやく「水呑場」への分岐が入るべき分岐とわかったのだった。この標識、できれば「杖突峠方面」とかひと言添えておいてくれたらなぁとも思いもした。
本日三度目の東峰
本日三度目の東峰
往路の山道に入ると途端に人影が絶えた。こちらはなぜか不人気らしい。しかしおかげで戻ってきた分杭平ではのびのびと休憩できた。傍らを流れる沢筋で顔を洗い、木陰となったベンチで横になって休む。あと半時くらいで駐車場に着くだろう。今日はこのあと上社の前宮と本宮に行くつもりなのだが、社務所が開いている時間帯には行けそうなものの、あまり余裕のない計画となってしまった。遠地の山に行くときは、歩こうと思うコース以外もよく調べてから行くようにしなければと、あいかわらず静かな草地の分杭平を見渡しながら思うのだった。
2022/08/08

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue