三浦富士、砲台山、武山砲台山(左)、三浦富士(右)

三浦半島では一番高いのが大楠山の241メートルだからか、200メートル以上のピークの有無で山系が考えられるらしい。武山を中心とするものは三浦半島では最も南に位置し、形状から富士の名を持つ三浦富士、戦時中の役目を名前に残す砲台山、三浦半島の総鎮守である武山不動尊を山上に据える武山と、山系の幅は狭く長さも短いものながら個性的な山が揃っている。
梅雨の晴れ間の7月初旬、日帰りで低山歩きならひょっとして海に近い方が涼しいのではと思ってこの武山山系にでかけてみた。降り立った京浜急行津久井浜駅は日差しが強いものの海近く爽快だった。三浦富士から砲台山を経て武山と巡る山歩きは予想以上に山の雰囲気があり、季節柄か人も少なく静かなものだった。


昼前に駅に着き、まずは駅裏の高台にある里宮らしきに詣でてみる。境内には稲荷神社も金比羅神社もあって賑やかで、転落防止用のフェンスの向こうには本日辿る山並みがゆるやかに並んでいる。いずれも濃い緑に覆われていて、低山であるのに山深そうな趣きを湛えている。 駅前広場に戻り、ちょうど午になったところで出発する。京浜急行のガードをくぐって直進し二股を左へ、津久井浜高校を左手に見送り、突き当たりを右に曲がって川を渡る。
ここまではよいのだがこのあたりに立っているはずの標識が見つからず、どう歩けばよいのか心許なくなる。ともあれ山に向かえばよいはずだとばかり川を渡った先の車道を横断して向かい側の細い車道に入る。徐々に道幅が細くなって軽自動車が1台くらいしか通れないほどになり、最初の登り勾配だったのが左へとカーブして正面にあるべき三浦富士を右手に眺めるようになる。ほんとうにこの道でよいのかと思っていると、大きな車道との十字路に出て、ようやく行き先を示す標識を見つけた。最近拡幅されたのか道ばたには庚申塔らしきが集められていた。
標識に従い、グラジオラスらしき鮮やかな花を眺めつつ畑のなかの道を行く。広い谷間の向こうには武山から延びる裾野が緩やかに広がる。眼下には何を育てているのか温室が連なり、半透明の屋根が夏の日差しを照り返している。行路すぐ脇の畑で目立つのはカボチャだ。黄色い花があちこちで咲いている。両脇が常緑樹の垣根となって見晴らしが利かない道筋が続き、これを抜けると三浦富士や砲台山が近くなっている。
三浦富士に向かう道のりから武山を遠望する
三浦富士に向かう道のりから武山を遠望する(右奥のアンテナが立っているあたりが山頂(のはず))
右手に小さな谷間を巻くころになると里の雰囲気も少なくなる。遠く近くに枝を差し伸べる木々は夏の光を存分に吸収して全体に厚ぼったく、刈られて道ばたに積まれた草の束は汁気に満ちた匂いを漂わせている。右手に警察犬訓練所を見送ると山道になり、眺めのない登りをしばらくで唐突に現れるのが手すりのついた階段で、これを登ると三浦富士山頂だった。石の祠や石碑が賑やかに立ちならぶ。振り返り見る眺望は武山方面に海が望めるくらいだが、木々に囲まれた頂は山めいた落ち着きがあって好ましいものだった。
三浦富士山頂に立ちならぶ祠や石碑
三浦富士山頂に立ちならぶ祠や石碑
隣の砲台山やその先の武山へはちょっとしたアップダウンの山道で嬉しくなるが、10分ほどで未舗装林道に出てしまう。すぐに展望台があり、右手の武山から左手の津久井浜までがぐるっと見渡される。とはいえ昼過ぎの靄で半島の先の方はよく見えなかった。林道は稜線を通らず山腹通しなので高低差はほとんどなく、幅広なので風の通りもよい。舗装されていなので足裏が痛むこともなく、これはこれでのんびり歩くにはよい。
三浦富士から武山に向かう途中の展望台から津久井浜方面を望む
三浦富士から武山に向かう途中の展望台から津久井浜方面を望む
林道が分岐しているところがあり、標識があって右手は砲台山へと示している。武山へは左手を行くので砲台山へは寄り道となる。木々に覆われた道のりを進んでみると右手にショートカットらしい踏み跡があり、入ってみるとすぐに山頂だった。砲台跡なるものは大きさも形状も予想とだいぶ違う。平坦か盛り上がっているかする狭い広場を想像していたが、側面がコンクリで固められたすり鉢状なのだった。底にあるのが台座らしいが、据えられていたはずのものはもちろんない。空虚感が重なり合うばかりだ。
砲台山の砲台跡
砲台山山頂の砲台跡
砲台跡には先ほどショートカットした林道が延びてきている。武山との分岐に戻るためその林道を辿ったが、ショートカットのあたりで、右手、山頂とは反対側の森のなかに不自然な物が目に入った。よく見ると見上げるばかりの巨大なコンクリ柱が二本、古代の建造物のように立っていた。しばらく眺めていたが、用途が何なのかまるでわからなかった。
砲台山の森のなかに立つコンクリ柱
砲台山の森のなかに立つ用途不明のコンクリ柱
分岐に戻り、あいかわらず高低差のない道のりを行く。ウグイスの鳴き声がよく響いている。山腹を巡るように付けられているわりには眺めがない。砲台山で感じた雰囲気を引きずったままなんとなく歩いているうち、幅広の道は次第に狭くなって山道めいたものになっていた。


前方になにか生き物らしきが目に入った。よく見ると猫が三匹、山道脇や木の幹の上にうずくまっている。こんなところになぜ猫が、と思っていると公園のような場所に出た。バイクで登ってきた男性がペットボトル飲料を飲んで休憩している。山を下っていないのにいきなり下界に戻ったようでまるで拍子抜けだ。これが武山山頂だった。砲台山での神秘的な雰囲気が雲散霧消してしまった。
武山山頂の展望台前を横切る猫
武山山頂の展望台
前を猫が横切る
すぐ近くに武山不動尊の名で知られる寺があり、参拝客が集まっていて講話の最中のようだった。不動尊本堂の軒先に縁起由来が掲げられており、これによると武山の山名は日本武尊が登ったことに由来するという。とすれば東征の折りだろうが、そんな記事が古事記にあっただろうか。帰宅後調べてみると、武山に登ったとすれば走水の海(浦賀水道)から房総半島に渡ろうとする前の出来事になるはずだが、文献上にあるのはかの有名な草薙剣のエピソードであり、場所は焼遣(やきづ)となっている。走水の海を出帆してからだと武山に登るには元の三浦半島に戻らなくてはならないが、せっかく弟橘比売命が入水して荒海を鎮め渡れるようにしたというのに引き返す筈はない。おそらく武山縁起は何か別の伝承をもとにしているのだろう。
同じ由来書きに武山不動尊そのもののは応永四年(1397年)に東大寺門萬務大阿闍利が当地に立ち寄り創建したとあった。不動明王を安置することから武山不動尊の名があるらしいが、正式名は浄土宗龍塚山持経寺不動院というのだそうだ。ツツジで有名らしく、ことに花期の参道は見事らしい。
武山不動尊
武山不動尊
山頂展望台もあり、眺めは悪くないが、夏の昼間なので三浦富士近くの展望台と同じく遠望が効かなかった。下は休憩舎になっており、いくつか置いてあったパイプ椅子に座って吹き抜ける風で涼んだ。
ガイドではこの武山不動尊の参道を下って住宅地のなかを通り一騎塚というバス停に出るルートが紹介されているが、花の季節ならともかく夏に舗装道を辿るのは惹かれるものがない。それより多少なりともまだ山道が歩ける津久井浜駅へのルートを下ることにした。駅方面を告げる標識に従い園地奥の山道に入る。曲がりくねった幹が入り組み、差し渡す枝も絡み合うような見晴らしのない道のりが続く。次第に園地めいた山頂の気分が払拭されていき、本日最後の山の気に浸ることができた。


農道らしき舗装道に出てからは地図を眺めて道筋を拾い、駅に続く一本道の車道に出た。車の往来があってやや苦だが、左手に広がる畑地の上には本日歩いた山々が広がっているので歩く価値はあった。次第に民家の数が増えてくると往路に心許なくなった川近くで、津久井浜高校の脇を通って駅に着いてみると武山山頂から一時間かかっていなかった。3時を多少過ぎたころで本数は少なかったが大して待つことなく上り電車が来た。車内は空いていた。
2008/07/06

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