雑記帳


倫敦再々訪
世紀の変わり目の年末年始は3度目のロンドンで連れとともに過ごした。年末旅行の常で、年の変わる瞬間はホテルの部屋で遠くから聞こえる喧噪を聞くだけの静かな年越しである。トラファルガー広場に行けば世界中から来た人たちといっしょにお祭り気分を共有できたかもしれないが、我々はどこに行っても「行く年来る年」路線を踏襲するのだった。


二人にとって初めて足を踏み入れた外国がイギリスで、当然のようにまず滞在したのがロンドンだった。わたしにとっては子供の頃にシャーロック・ホームズを読んで以来、この国とこの街がお気に入りなのである。そうではない連れにしても、わたし同様にヒースロー空港から都心までの道のりは見るもの聞くものすべてが新鮮だった。「おお、看板がみな英語で書いてある!」と言っては手を取り合って喜ぶお上りさん的興奮から始まって、バスの窓から見るビッグベンに感激は頂点に達した。最初で最後の添乗員付きツアー旅行のさなかに得たわずかな自由行動時間には、雨天をついて憧れのハイドパークをめざし、二人して黒いカッパをまといペアの照る照る坊主になって歩きまわった(こんな格好をしているのは我々くらいなものだったが、なんといっても奇人の天国イギリスの首都だからどうってことはない)。
しかし来訪が三度目にもなれば、さすがに風景にも人並みにも慣れ、最初に感じた異国の地に対するめくるめくような素朴な感激はわき上がってこない。お互いこれを残念がった。
家並みは都心部でもれんが造りのフラットが多く、玄関前を掘り下げて庭を造り、その奧に半地下の部屋があるのだが、その庭をきれいに保っている家は少なく、季節が冬のせいか見苦しく涸れた植物がからまりあっていたりDIY用品が積み上がっていたり沢山のゴミ袋が並んでいたりする。遠目から見ればじつに美しく絵になる町でも、近寄って見れば「あばた」がみえてしまうというわけだ。こういうのは一度目、二度目に来たときはそれほど気にならなかったものである。ただただ外観にのみ目がいって単純に喜んでいたのだった。それはそれで幸せなことであった。


今回のロンドンだが、もちろんあら探しに来たわけではない。東京とかの繁華街に比べれば街並みが各段に美しい。あいかわらず、まず第一に空の見通しがよい。つまり宙に張り巡らされた電線がないので街路がすっきりしているのである。しかもビルから垂直に飛び出している袖看板がなく、夜は夜で慌ただしく変化するネオンサインもないので、中味は新しくとも建物は古いのが並んでいる通りの眺めは視線を上げさえすればおそらく一世紀前の光景となる。けばけばしさがそれほどないという点では、駅前繁華街ではなく、日本の商店街を大きくしたような感じに近い。品の良さが漂い、日が陰りだした頃などは懐かしさすら感じる。そのせいか、たとえひとりで歩いていても安心して歩けるのだった(トテナムコートのあたりとか)。
すれ違う人たちは観光客がかなり多いらしく、英語以外の言葉もよく聞かれる。イタリアあたりからの人も多いようだ。暖かいところからこんな陰鬱で寒いところに年越しに来るのも新鮮なのかもしれない。


今回初めて二人でパブに入り、フィッシュアンドチップスやキドニーパイを食べるという経験をした。これまでは英語に自信がなかったために怖くて入れなかったのである。いまだって大してないのだが、以前に比べて英会話への挑戦心というものが(とくに連れに)増えたのだった。ほとんど観光地の近くで、昼か、せいぜい夕方早くにはいったせいか、店の人はみな愛想がよく親切だった。どの店も木の温もりのある居心地のよさそうな外装で、中もそれに見合った落ち着きである。
そんな店の一つにバースで入ったが、カウンターにいたのは下唇にピアスをしたパンクなお兄ちゃん達だった。「ハーフ・パイント・オブ・ギネス、プリーズ」と頼むと気さくに笑って「ハーフ・ギネス?」と言いながら注いでくれる。足元では、木の床がぎしぎし言っている。なんだか、イギリスだなぁ、という感じだった。
雨のロイヤルクレッセント 雨のロイヤルクレッセント (バース)
 2001/1/5 記

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