置き去りにされたもの
そのとき手にしたものは、箪笥の上に置いてきた。


山頂から一時間ばかり下ると集落最奧の家の前に出た。道はまだ山道だった。
その家は山道から少し引っ込んだところに南を向いて建っていた。茅葺きの木造平屋の農家で、すべてが板張りのくすんだ色となっている中、明かり取り窓に貼られた障子の白さがまず目を引く。が、その障子の下半分が破れていることにも気付く。その先には穴の空いた雨戸が引かれており、おそらくその奥には居間があるのだろう。さらに先には奥行きのある縁側があって、日の光を浴びていた。
台所や風呂などを除けば小さな部屋が二つほどある程度だろう。まわりを植林と竹林で取り囲まれており、建物と同じくらいの広さの庭が開けていて、半分ほどは差しのばされた木の枝に覆われているが、それはすべて家の手前に生えている一本の広葉樹から伸びているのだった。幹が一抱え以上もある風格のある木だった。庭はよく見ると雑草がかなり伸びていて、目をこらしてようやく玄関までの踏み跡がわかった。


この家は廃屋だった。
いまから思えば不法侵入になったのだろうが、入り口が封鎖されていなかったことを理由に庭に入り込み、縁側の上の破れ戸から室内を覗き込んだ。庭の明るさに比べてなんとも暗く、目が慣れるまでしばらくかかった。生活道具はほとんどなかった。ただ一つだけ、小さな箪笥が部屋の片隅にあった。
その箪笥の脇に何か大きいものが積んである。目が暗さになれてきて、一枚残らず上げられた畳だとわかった。かなり湿気を吸って膨らんでおり、色も黒ずんでいる。床だったはずの場所に視線を落とすと、交差する横木の合間から地面が見えた。その奧に紙切れが二枚落ちていた。
どうやってかは忘れてしまったが、室内に入っていた。床下の紙切れを取ってみると、葉書と名刺大の白黒写真だった。どちらもそれほど痛んでおらず、きれいなままだった。


いまとなっては葉書の文面は思い出せないし、写真についても、何人写っていて、どんな人だったか覚えていない。
ほんとうに思い出せないのだが、この葉書や写真の保存状態がよく、消印がかなり前のものにもかかわらず文面は読みとれ、写っていた人の目鼻立ちが判別できたことは覚えている。思いがあって書かれ、読まれ、撮られ、折にふれて見返されたはずのもの。まだ使えそうな小さな箪笥。こういったものが置き去りにされていているという事実の寂しさ。うち捨てられたものは、目に見えるものだけではないだろう。
ここにも暖かな暮らしがあったはずだ。だからこそ、この写真がこれほど保存状態がよいのだ。まるでつい先ほどアルバムから剥がしたばかりのようにきれいなのだ。破れてもいない。名刺大の白黒写真である。今時のものではない。そもそも、写っているひとは最近の格好ではなかった。
そんなものが、なぜすぐ目にとまる場所にありながら顧みられなかったのだろう?女性のか細い筆跡だった葉書とともに、なぜ持っていってくれなかったのだろう?そうすれば目にすることもなかっただろうに。


やれやれ、いまだになんて勝手なことを。
すでに15年は経っているというのに。
最近は廃墟ブームだというが、やめといたほうがいいと思う。私自身、もう廃屋には入らないようにしている。
2003/3/5 記

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