神山駒ヶ岳との鞍部付近から神山

箱根は東京の奥座敷とか言われ常に賑やかで、静かに山でも歩こうかというときに脳裏に浮かぶ場所ではない。人混みから離れてする外輪山縦走や旧東海道歩きにしても、どことなく観光の延長の山歩きの気配があるのは、どこを見ても開発された景色が目にはいるからだろう。未登の神山に登ろうと箱根に向かったのも、そもそもは閉館が決まった博物館を再訪するという動機が先にあったのだった。もちろん、だからといって山が卑小になるわけではなく、単に山頂を踏んだだけの山行になったわけでもない。


口の悪い人は「箱根に山なんてあったっけ?」などと問いかけることもあるという。とくに芦ノ湖の脇から立ち上がる中央火口丘群は、山でありながら山扱いされない。人気がないわけではない、それどころか多少天気が悪くても休日にはかなりの人が上がるはずだ。なぜというに、元箱根から目の前に見える明るい草山の駒ヶ岳には、麓から山頂まで歩かずに登れる文明の利器がケーブルカーにロープウェイと二つもあるからだ(*1)。神山にしても、駒ヶ岳からなら一時間ほどで山頂に立てるらしい。
*1 本項執筆から2年後の2005年夏、駒ヶ岳ケーブルカーは経営難から廃止された。
しかしあくまでも山歩きを考えるのならもう少し自分の足で登ってみたいものだ。神山にも強羅からケーブルカーがかかっていて早雲山駅というところが終点になるが、こちらは山頂までの標高差にあと七百メートル弱を残しており、山を登っている気になれる。楽でないぶん敬遠されるせいか、少なくとも朝のうちは観光地箱根にあって静かな道のりだ。
山麓にあたる箱根湯本では水仙やレンギョウが咲いていたが、山中は春の芽吹きの前でいまだ寒々しい。しかし冬枯れの木々の合間からは堂々たる外輪山の明神ヶ岳や火口原の仙石原が眺められて楽しくもある。山麓に人臭さが充満しているのも見通せるが、それほど気にならない。山道脇のそこここにアセビの緑の葉群がアクセントになり、落葉樹ヒメシャラの赤い幹が目を驚かすからだ。空は曇りがちだが風はなく、山道は適当な斜度で上がっていき、じっくり登るにはちょうどいい。
大湧谷分岐付近にて
大涌谷分岐付近にて
明るい落ち葉の山道だったのが雪にまみれた大きな岩がごろごろするなかを行くようになると、大涌谷への分岐点に出る.。このあたりは陰鬱なまでに森閑とした森のなかだ。現時点では大涌谷から神山へのルートは火山性ガス発生のため閉鎖されており、その旨書かれた立て札がこれでもかこれでもかと立っているが、まるで卒塔婆のようで気持ちが悪い。火山岩の積み重なりをひとしきり越えていくと、踏み跡は穏やかな傾きとなり、雪面のうえに回る光もまぶしいくらいになってくる。
先ほどから硫黄の匂いが漂っていたが、もちろん大涌谷から上がってきているものだろう。常緑樹も混じる木々に覆われた山道は北面のため、凍ったままの雪で多少滑りもする。ジグザグを切って登ってきたのが斜度も減って楽になっているのだが、山頂はなかなか見えてこない。いくつかある箱根中央火口丘のうち唯一の成層火山である神山だが、山頂部は遥か昔に芦ノ湖を生んだ山崩れによって北側に向かって崩壊し平坦部が大きくなっており、平らになったら即山頂、というわけではないようだ。西の芦ノ湖方面から湧く雲が早回しで稜線を越えていき、雪をつけたままの林のなかはいくらか霞み気味でもある。まぁそのうち着くさとばかりにのんびり行く。歩くうちに先ほどまで聞こえていた大涌谷からの喧噪も聞こえなくなっていった。
神山山頂直下から冠ヶ岳
神山山頂直下から冠ヶ岳
ふと顔を上げると、一瞬晴れた雲の向こうにひょっこりと神山山頂部が見える。すぐに冠ヶ岳への分岐で、通り過ぎるのももったいない気がしたので箱根でいちばん新しい火山に立ち寄ってみることにした。「火山岩尖」なるものに分類される冠ヶ岳は大涌谷から見ればまさに尖塔のようだが、実際に登ってみるとただのヤブ山で、山頂から谷側に鋭く切れ落ちているらしいことが斜面の落ち込み具合で察せられるものの灌木が密に茂っているので怖いという気がしない。寒気のなかに鋭くそびえているせいか、木々の細枝には幅が狭いながらエビの尻尾ができていた。
冠ヶ岳から神山へはものの十五分もあれば着く。とたんに賑やかになってくるのは、楽に駒ヶ岳に登って足をのばしてくる人が多いせいだろう。「天照主大御神」の石碑や山頂標識の立つ場所からだと眺めは得られないが、東西それぞれに切り開きがあって、そこからは隣の駒ヶ岳や二子山に明星ヶ岳、反対側ではすぐ近くの冠ヶ岳や金時山が望める。平頂の駒ヶ岳は流れる雲に隠れがちだが、ときにぼんやりと山体をのぞかせ、山頂にある神社やロープウェイ施設を古代遺跡のように見せている。呼べば声の届きそうな冠ヶ岳は下から見上げるよりずんぐりした姿で愛嬌があった。しかしいずれも寒そうな佇まいだ。三月末の箱根の山はまだまだ冬のなかだった。


日が差さない雪面のうえでは長く立ち止まっているとかなり冷えてくるので、滞頂時間もそこそこに駒ヶ岳との鞍部に向かって下ることにした。二山を結ぶルートは崩れやすい粘土質の火山土壌で、傾斜のあるところは相当に抉られている。降雨降雪のあとなどはぬかるみを歩くことになり、スパッツをつけていないと裾まわりがあっという間に泥だらけになる。「雪の上を歩いている方がまだましだ」とこちらを登ってきたハイカーがぼやいていたが、さもありなん。手軽さが受けて、子供連れやきれいな格好の中高年ハイカー、旗に先導された地域の少年団(のようなもの)が引きも切らず登ってくる。下半身泥だらけになった子供たちは下山したあとそのまま父親や引率者の運転する車に乗り込むのだろうか。
ヒメシャラと駒ヶ岳
ヒメシャラと駒ヶ岳
神山−駒ヶ岳間は繰り返し歩きたい道ではなかったが、鞍部の草原からほんの少し駒ヶ岳に登り気味に上がったところから入る「お中道」は、少なくとも神山と駒ヶ岳のあいだを歩いているうちは快適だった。右手に駒ヶ岳が屏風のように見えて、志賀高原の芳ヶ平から見上げる草津白根山を思い起こさせる。午前中の低い雲があらかた晴れて、青空がそこここに広がっているのもありがたい。わりと眺めのよいこのルートもほどなく植林帯に入ってしまうのだが、杉林の手前で周囲がやや大きく開け、駒ヶ岳と神山がゆったりとこちらを見送ってくれる。観光地箱根の騒がしさもさすがにここまでは届かないのだった。
2003/3/30

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