引田橋の上からかまど倉を見上げる かまど倉
ここ数年、秋になると鹿沼に泊りがけで出かけている。日光例幣使街道の跡や古寺古社に歴史を感じさせ、高台からは日光表連山や二股山が眺められる街は、バス網も比較的良好で、前日光の静かで好ましい山に日帰りで行くには拠点として適している。
かまど倉も鹿沼市街からすぐのところにある低山だが、分県ガイドには案内がなく随想舎発行の”栃木の山150”にようやくルート記載がある。安全面から推奨されるらしいそのルートは東面を行くもので、残念ながら山名の由来となった山頂直下南面の大洞窟を全く目にしない。これを見上げて登るのはかつてはかなりのヤブ漕ぎだったらしい。手元にあった1993年発行の『ハイグレードハイキング』という名の書籍には「岩山」「雪と沢」とかの項目見出しと同列の「ヤブ山」にこのかまど倉が分類記載され、南からのルートガイドがある。だが本文を読んでみると山頂に至るルートを寄り道するところではロープがあれば安心、と書いてあって、ルートを間違えると大変なことになるかもと心配になる。
30年以上も前の案内は参考程度にしかならないが、それでも大洞窟は見上げてみたいし、現在のルートはどうなっているのかという興味もあったので古い案内にしたがって山の南麓にまずは行ってみることにした。(ここでネットを検索して大洞窟を経由する現在のルートがあるかどうか調べればよいわけなのだが、あまり調べすぎると現地での初遭遇が減少して面白味がなくなってしまうことがある。是が非でも南面を登りたいというワケではなかったので、事前調査はここまでとした。)「かまど」さえ見られれば、登りはダメそうなら引き返すでもよい、それぐらいの心構えで昼前の東武日光線の新鹿沼駅から古峯神社行バスに乗り込んだのだった。


頂上直下の大洞窟だが、あらためて地図を見ると、すぐ近くを通るバス通りの車道から見上げられそうだった。地図に名の無いかまど倉は古峯神社に向かうバス路線が二股山を左に見送った先の右手に立ち上がっている。つまり下りの車窓右側から見えるはずなのだが、二股山を眺めたくて必ず車内の左側に席を取っていたので気づかなかったのだった。
なので今回の席は右側だ。市街地を抜け、二股山が左後方に流れていくと、進行方向右側の山の並びに目指す山らしきが見えてくる。頂上直下に抉れたような岩壁を立て、その真ん中に開いている黒々とした大穴。わかれば間違いようがない。やっと目にできたこの大洞窟、どこで読んだのかは忘れてしまったが、昔の案内だったか紀行文だったかで「眺めることはできるがたどり着くのは一般ハイカーにはやや困難」のように書かれていた記憶があった。『ハイグレードハイキング』でさえそこまでのガイドは書かれていない。なので到達できるとは思っておらず、見ることができさえすれば満足なのだった。
さて南麓の登り口はどうなっているだろうか。かまど倉を間近に見上げる引田橋のバス停で降り、橋を上流側に渡り、右手に分かれる細い車道に入る。行く手にはやや大きめの池を取り囲むようにキャンプ場らしきものがあり、陽の光に映える紅葉がそこここで華やかだ。左へ回り込んで山腹沿いに歩くようになると、予想外にも登山口の案内標識が目に入る。さらに別の標識もあって、読めば数年前に有志の方が地主のかたの協力を得て登山道を整備したとある。となればあまりルートファインディングで困ることはなさそうだ。
林道のように幅広いのに入っていくと、足元は左側に深い亀裂の入った盛り土様の上を行くようになる。これが“ハイグレードハイキング”で記載されていた「木馬道(きんばみち、きんまみち、きうまみち)」、木材搬出用に木製の橇を引いていたルートらしい。上部ではそのための木組みのレールらしいものが目に入ったが、往時に使用されていたものかどうかはわからなかった。地面に開いた亀裂はところどころ深さが1メートルはありそうで、ヘリを歩くと崩れそうだ。盛り土が流水に浸食されたのか、最初からこのように盛ったのかもわからなかった。
 木馬道を辿る。路面の木組みは産業遺跡?
この「木馬道」は軽トラックが走れそうな幅で簡易舗装されている部分もあり、全線を林道として整備しようとしたのかもと思えもする。山腹をたどる道のりが続き、緩やかなカーブを描きながら登っていくと少しばかり開けた平地があって標識が立ち、「休憩所」と書かれている。小一時間ほど歩いてきたのでちょうどよいかと腰を下ろす。


「木馬道」はここで終わるらしく、この先は有志の方が整備されたのだろう山道となる。傾斜が急になり、足元も不安定になり、一抱え以上ある岩も目に入ってくる。大したサイズではないなと思って登っていくとせり上がる岩脈だったり、岩壁も現れて小さいながら洞窟の口を開けていたりする。踏み跡で足を止めてあたりを見渡せばすぐ隣に落ちている尾根は全体が岩だ。すでに”ハイグレードハイキング”で案内されていたルートはどこなのか見当もつかなくなっている。
あいかわらず植林が主だが、岩場が増えてきたからか広葉樹も目につく。明るい日差しに代赭色の葉が照り映える。風もない穏やかな昼下がりの陽気が、険しさを増してきた周囲の様相を和らげている。ちょっとした岩尾根っぽい始まりを乗り越そうというところに標識が立っていて、右行けばかまど倉、左は洞窟とあった。寄り道になるので気が進まないまま、少し左に行ってみる。踏み跡はすぐ先で急登に転じ、”洞窟”は少々高いところにあると知れる。面倒だな、やはり寄らなくても・・・と見上げてみると、木々の合間から巨大な開口部が垣間見えた。あ・・・。あれはひょっとして。
 大洞窟を間近に見上げる。十字の亀裂がなかなか不穏。
こうしてかまど倉山頂直下の大洞窟に到達することができた。来れるとは思っていなかったので本当に嬉しかった。だが洞窟に近づくにつれて細かいのから手のひらサイズ、ことによればそれ以上の石なり岩なりが足元に散乱するようになったのは気がかりだった。開口部のサイズが大きい分、そして急斜面に口を開けている分、この洞窟は少しずつ崩壊しているらしい。日の当たらない内部の岩天井部分はそうでもないようだが、南面の日の光を直接浴びるいわば外壁部分はかなり風化が進んでいるように見える。
 直下で見上げる開口部。不穏さMAX。
落ち着かない気分で洞窟に背を向け見渡してみると、正面には端正な姿の二股山、その足元にはバスで通ってきた谷間が広がっている。二股山はかまど倉から眺めると山頂部に南北に並ぶ二本の岩塔がほぼ一本に見えて引き締まった姿に見え、あのずんぐりした姿からほど遠く、しばらく山名がわからなかった。こちらも岩の山だがあちらも実は岩塔の山。鹿沼には”岩山”という名の岩山もあるし、少し離れたところには低山らしからぬ厳しい稜線の古賀志山もある。帰宅後調べてみるとこのあたりの地質は硬質な岩石であるチャートだそうで、浸食に耐えた部分があちこちに険しい稜線部を形成しているようだ。
 洞窟奥から猫シルエット越しに二股山を遠望。
しかしこの洞窟は大きい。洞窟の前に立っているものだと思っているのに、見上げてみれば岩天井が真上にある。とんでもないオーバーハングだ。とはいえ奥行きはそれほどでもなく、背後の壁が細部まで見渡せる。ここまで来たならと広々とした中に入って振り返ると、狭まった外界で目に入るのは二股山とその上下の空と平地のみ。後から知ったが中から見る洞窟のシルエットは猫の顔のようと言われているらしい。耳の間のラインを成すように岩天井から下がる逆富士山型の岩は場所によっては彼方に見える二股山とピークが接する。耳がさらに耳らしく見えてくる。


興奮と不安が止まなかった大洞窟を後にして、改めてかまど倉山頂をめざす。洞窟と山頂との分岐からはいったん下り、登り返していくと岩壁基部をたどるようになり、小さな縦型の開口部を持つ三つ目の洞窟も目に入る。この山は少なくとも山頂部南面と東面が岩塔状を成しているらしい。尾根を乗り越すところに出てみると下る先の脇にはさらなる岩壁が連なっている。見上げる高さとなっていく岩壁のいったいどこを登るのかと訝しむうち山道は上りに転じ、巧妙につけられた道筋を上がっていくと小広い山頂だった。洞窟から20分くらい経過していた。
 悪くない雰囲気の山頂。
山頂は木々に囲まれ、開けた眺めはなかった。それでも雰囲気が悪くないのは、針葉樹が立つものの密でなく、広葉樹は葉を落としていて梢越しに光が回っていたからだろう。枝越しに窺えばうっすらと二股山、その右手には先日連れと歩いた古峰ヶ原高原の横根山が文字通り横に広い山影を浮かべている。西を見れば左側だけ日に輝く幹が並び、その合間を縫って隣の芳賀場山が形佳く見える。南に少し下ると展望の良い場所があるとガイドにはあったが、大洞窟で眺望は堪能したので山頂では安心感を優先することにした。こうして落石も転落の危険もない平地に腰を下ろし、ザックの中身を広げて湯沸かし準備を始めたのだった。


下山は往路を戻らず、随想舎のガイドに記載にルート、山頂から北へ続く稜線を辿って川化山との分岐から東麓に降りるものを辿る。山頂を去って間もないころ、稜線の右手が大きく開けた。遠くは関東平野が霞み、近くは低い山々がところどころ残る紅葉を西日でさらに赤く染めている。広角の眺望は左端に厳めしい姿の古賀志山を置き、その右手下に東京ドーム状に盛り上がる多気山。平野部を見渡して達する右端には本日の眺望対象筆頭格となった二股山。すでに時刻は15時をまわり、山々は影の部分が大きくなってきている。明るいうちに山道を抜けたく、先を急ぐ。
 展望地点より古賀志山(左奥)と多気山(右奥)。
しかし急ぎすぎて岩場の稜線に踏み込み崖の手前まで行きかけてしまう。崖手前を左に辿り、稜線上に立つ送電線鉄塔の下から斜面を下りだそうというところで、鉄塔の周辺は想定外にススキの繁茂が濃く下り口が一見わからず、斜面のジグザグ下りも「ここでいいのか」と訝しむことしばしで、登りの懇切丁寧な標識の羅列に慣れた身には、下りで難易度が急に上がった気がしてしかたない。引田橋から登りのほうが気が楽だったなとしきりに思えた。
沢沿いの登山道に出てようやく一息つく。川化山への新しい登路を左に分けて、林道に出たのは日が沈む直前だった。残照に助けられて里への道のりを進む。途中に害獣除けの柵があり、そこに貼られた”熊注意”のプレートには驚かなかったが”ヤマビルに注意”は意外だった。栃木駅からバスが出る星野御嶽山でも麓の神社でヒルが増えていると教えられた。栃木の低山も夏場は足元に気を使わなくてはいけないようだ。


すぐに里に出たものの、東武日光線の板荷駅まではまだ半時以上歩かなければならない。鉄路に向かう途中にある橋の上から上流側を眺めると、川化山の不気味な姿が薄明の空に浮かんでいる。今日は寄れなかったが、それでも本日の山行は充実したものだった。あの大洞窟まで行けたのが何よりだ。闇の濃さは増し、冷え込みも厳しくなってきたが、それでも気分よく駅まで歩いていったのだった。
2025/12/1

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