姫神山姫神山

盛岡を出て北に向かう列車から眺める岩手山は堂々たるものだが、反対側の車窓から遠望する姫神山も一度目にしたら忘れられない。すっきりと伸びた左右の稜線が頂点に合して天に消えていく姿は単純だが、あまりに単純すぎてかえって凄みを感じさせる。初見時は形状から火山かと思ったものだが、浸食に抗して残った花崗岩の残丘だという。何をどう浸食すればこうなるのか、世に不思議なことは限りない。


この山についてよく引かれる民話は、早池峰山に心変わりした岩手山に離縁され目の届かないところに行けと言われたものの、すぐ近くにとどまったため岩手山が火を噴いて怒ったというものだ。だが昭和15年6月に出た三田尾松太郎氏の『奥羽の名山』の「姫神嶽」での記述によると、離縁の理由は”醜女だから飽きた”というとんでもないもので、早池峰山の名前は出てこない。時代を下るにつれ「醜女」説に無理が出てきて「心変わり」説に移行したのだろうか。または同じような説話が地域により多少異なってつくられたのかもしれない。女性ならば清楚な美人にしか思えない姫神を古人がどうして醜いとしたのかは不明だが、いずれにせよ岩手山の噴火の理由をこの山にかけて説明しようとしたことは確かだろう。
こういう伝説を踏まえて、同じ年に岩手山と姫神山の両方に登ると何らかの災厄に見舞われるという言い伝えを聞きもする。だが先の『奥羽の名山』の伝えるところによれば、南部の人たちは岩手山に登拝したなら必ず姫神山にも詣でる慣習があったそうだ。それが同じ年であってもよいかどうかまでは三田尾氏は書き残してくれていないが、岩手山はもとより、やや背は低いもののよく目立つ姫神山も信仰の対象として近しい存在であったことは間違いない。
しかもただの民間信仰だけではなく、修験の山でもあったというのには驚く。よく登山路として紹介される一本杉コースの往復だけでは気がつかないで終わるかもしれないが、他の3本ある登山路のうち城内コースを辿れば、森のなかにとつぜん「笠詰神社」とか「水石神社」という名の巨石ばかりで社殿のないのが現れ、いかにも人知を越えた力の蓄えに触れた気になれる。城内コース登山口には簡単ながら姫神山が修験の山である説明があり、下方の集落にある質素な姫神嶽神社に詣でれば由来書きがあって、往古は(岩手山、早池峰山とともに)北奥羽の三霊山の一つとされ、修験霊場とされて山伏の山と呼ばれた旨の説明を読むことができる。なおこの神社は昔は山中にあったものが参拝の困難さから里に遷されたものだそうだ。
城内コース途中にある笠石
城内コース途中にある笠石
姫神嶽神社
姫神嶽神社


7月下旬の連休にちょうど梅雨の晴れ間となったので姫神山と岩手山を訪れることにした。盛岡で東北新幹線を降り、登山口である好摩駅に行くため東北本線に乗り換えようと駅構内の案内板を見ると、どうも案内がない。うろうろしたあげく駅員に聞いてみると、かつての東北本線は第3セクター経営の「IGRいわて銀河鉄道」になっていると聞いて驚く。その路線名は聞いたことがあるが、まさか東北本線が変わったものとは思わなかった。「本線」と名のつくものが廃止されたのは北海道でたくさんあったが、この本州でもとは正直予想外だった。
一本杉登山口へは駅からタクシーで乗り付けた。背負っているのは翌日岩手山の避難小屋に泊まるための大荷物であり、すでに午も過ぎ、日差しも暑い。樹林で日影になっているとはいえ、登り始めればたちまちのうちに汗が噴き出てくる。一本杉のそばに豊富に湧いている水はそのままでは飲めなくなっているらしいが、顔を洗うには差し支えない。傾斜が強まるなか、すでに山頂を踏んできたひとたちと次々にすれ違う。女子大生らしき五人組が「階段ばかりでいやだよー」とか言いながら賑やかに下ってもいく。
山頂直下でコースは二俣に分かれ、岩場を行くものとそうでないものとに分かれる。たとえ荷物が重くても変化のある方がよいので前者に入れば花崗岩の巨岩がごろごろするところで、樹林がなくなって眺めが開け、北上盆地が広々と見渡せる。その向こうに霞みながらも悠々と構えているのは岩手山だ。あれを眺めながら山頂でお茶にしたいと、足取りは速まるばかりだ。
山頂から南方を望む
山頂から南方を望む
夏霞の彼方に岩手山
夏霞の彼方に岩手山
山頂からの眺めは広闊で、すぐに立ち去るには惜しく一時間以上も休憩した。下りに取った城内コースは始めこそ木立のなかに細い踏み跡を拾う急坂で、一本杉コースの明るさとは全然違うと思ったものだが、笠石や水石と呼ばれる奇岩が次々と現れて興の湧くうちに道幅も広くなり気分良く歩けるようになる。小姫神神社や清水神社と呼ばれる場所は各々社殿があるわけではないが、機織り伝説が伝わるとか修験者のわらじ掛けした場所だとかの説明書きが立っていて飽きさせない。だが名の通り清水の湧く清水神社から城内登山口までの道のりは単調で、立ち止まるべきポイントが続いたあとでは必要以上に長く感じるのだった。


城内登山口は採石場のすぐ脇で、登山路の説明が書かれた看板と、少し離れたところに豊富な水量を見せる水場があるきりだった。ここから長い長い林道および農道歩きを経て姫神嶽神社に参拝し、さらに舗装路を下って城内集落でも人家の集まったところに出た。とある玄関先を通りしなに、近所のかたと話していたおばあさんから「山に登ってきたのかい」と呼び止められ、話をするうちにこのあたりは携帯電話が通じないことを教えられる。すぐ先に酒屋があって店先に公衆電話があり、そこでタクシーを呼ぶことができるが、「番号も教えてあげるから、うちの電話を使いなさい」。ありがたく電話させて頂いた。
10分ばかりで来たタクシーは、一時間に一本あるかないかの列車に間に合うよう、それなりの速度で最寄り駅である渋民駅まで走ってくれた。切符を買ってホームに立つとすぐに盛岡行きの列車が来た。車窓から眺める姫神山の姿は、登る前と変わらず、とても優美だった。
2005/07/16

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue