雑記帳


迷い
単独で山に入ったときに、グループ登山の人から「ひとりでも山に来るというのは、山が好きだってことですね」と何度か言われたものである。だが実は山が山であるだけでは継続することができない。ほんとうに自分は山が好きなんだろうか?そもそもなにが人を山に向かわせるのだろう?いや、そこに山があるのは当然として。
友達との山での語らい、という人も多いだろう。花や鳥、スケッチや写真、という御仁も珍しくない。「まだ未踏のルートがある!」と言って沢や岩に向かうパイオニアもいるはずだ。ストイックなまでの鍛錬、自身の限界への挑戦、単なる惰性、という場合も考えられる。自分はパイオニアを目指してはいないし、なにかを愚直なまでに追求しているというわけでもない。「そうしなければならない」とも思っていないし、そんな義務も(将来にわたって)感じないだろう。しかし、自分を駆り立てるなにかが常にほしい、とは思うのである。身の丈に合った目標、目的がほしい(「だったら探せ!」)。これはいわゆる青臭さかもしれない(「でも、いいじゃないか」)。
山は一つとして同じものがないはずだが、それでは物足りない。山ならなんでもいいとは思えないのだ。山そのもの以外に、何らかの新奇性を山行に求める。単独で山に向かうエネルギーを絞り出すには、単なる未知への憧れ以外に、自分なりの冒険心なり好奇心なりを高ぶらせてくれる何かが必要だ。見つからない場合に出発が億劫になるのは、ただの怠惰か、年を取っての臆病風か、感性の磨滅か、ほんとうに飽きてきたのか(それはないと思うが....)。いや、いつものことだ。それは未知への恐怖、自分自身の力量への不信。でもこれを超えないと、(自分自身の尺度でだが、)レベルの高い山には行けない。でもレベルを上げていくことそのものはほんとうに必要なのか?....必要だ、自分自身の可能性を広げるためには。


こんな深刻ぶった言い方をするような問題ではないのだろう。大げさすぎる物言いをしているのに違いない。「逍遥の....」というタイトルを付けていながら、あまり余裕がないような気もする。こういうときはちょっと休んだ方がいいのだろう。....と言いつつ山に行ったりするのである。いや行く。予定もある。まったく、我儘な人である。
2000/9/26 記

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