破風高原下の大平を行く
破風岳(破風高原)
志賀高原の笠ヶ岳から間近に仰ぎ、岩菅山から遠望する、巨鯨のような山がある。この夏、その御飯岳に登ろうと思い立った。
ガイドマップに当たって、五味池破風高原自然園まで車で上がり、園内を通過して破風岳を越え、毛無山から御飯岳へという往復ルートを考えた。しかし行程は7時間以上かかる。午前中の早い時刻に出るのが真っ当というものだろう。だから麓に当たる須坂に前泊して登ることにした。
時期は八月上旬を選んだ。梅雨は七月末には明けるだろうから、そこに仕事上の夏休みを設定した。予想が当たって7月下旬に梅雨明け宣言が出たまではよかったが、出発の数日前から登る当日以降の天気予報に傘マークが付き始め、そのままとなった。梅雨明け十日は天候が安定するはずなのにと恨み言を言っても空模様は変わらない。こうしてそのまま出発日を迎えてしまった。
長野に入っても予報が変わるわけではない。登る予定は明日なのだが、着いたこの日はまだ降水確率が低い。ならば、今日登ってしまおう。車で市街地を抜け、山麓の集落を抜け、登山口まで15kmの表示を横目に、狭い車道を上がっていく。自然園入り口の広い駐車場に駐めたのは11時だった。今から登り出すとコースタイムで帰着が夜の8時前になる。残念ながら、御飯岳は諦めた。


さてどうしたものかと考えながら車を下りる。ここまで来て回れ右して帰る気もしない。日曜の昼なのに駐車場に車は一台しかなかった。天候不順のせいだろうか、そもそもこの山域は今は季節でないのか。静かな山なら散策するくらいはよいだろう。身支度して木々の覆う未舗装道に入っていく。途中に車止めのゲートが開いている。傍らの案内板によれば夕方4時には閉まるという。徒歩なので問題はないが、散策とはいえ、主目的を無くして、なにをどう歩いたものか・・・。
管理棟の前まで来てもどう歩くのか決めかねていたところ、管理人のかたから呼びかけられる。環境保護協力金200円をお願いされ、どう歩くのか問いかけられる。百円玉二枚を手渡しながら答えに窮していると、管理人さんは仲間と歩いて作成したという手作りの案内図を見せて破風岳周遊コースを勧めてきた。だいたい四時間のコースだという。この一帯に詳しいかたが、山歩きのなりの人間に勧めるくらいなのだから、間違ってはいないはずだ。やはり高原名にもなっている破風岳には詣でなければならないらしい。若干の主体性欠如のまま、破風岳を目指すことにする。
東屋から管理棟を見下ろす、晴れていれば上空に北信五岳が見えたはず
東屋から管理棟を見下ろす
 晴れていれば上空に北信五岳が見えたはず
オオバギボウシ
オオバギボウシ
ノアザミ
ノアザミ
管理棟から破風岳へは農道を辿るコースもあるが、棟の裏から見上げられる東屋目指して上がっていったほうが早いですよとのことで、草原の斜面に分け入る。なんとなくこのあたりでは、という踏み跡を追って東屋に着く。高台の展望の良さそうな場所にあり、設置された案内板によれば北信五岳が見えるはずが、本日は沸き立つ夏雲のおかげで遠くに見えるものは雲ばかり。長野に来たという実感を得るため、せめて飯縄山は眺めたかった。


東屋からは細いが明瞭な踏み跡が続いている。出た先は農道で、行き先を窺えば広々とした草地が広がっている。風が吹き渡り、地図にあるとおりここは牧場なのだなと思わせるものの、どこにも動物の姿がない。草も伸び放題であるし、使われているのだろうかと訝しむ。後で調べてみたところ休止中とのことだった。牧畜業を営む農家が近隣になくなったのかもしれない。
左奥に森があり、その上にゆったりと頭を出すのが破風岳だろう。すぐそこに見えるし、先ほど聞いたとおり四時間の行程、いまは昼、歩き出しが遅いとはいえ日暮れまでの時間はたっぷりある。加えて人影がまるでない。のんびり行こう。
登っている気がしない農道の傍らに案内板が目に入る。草地の奥に展望台があるらしい。踏み入っていくと岩のある場所があり、その先で山上台地が深い谷底に傾斜し沈んでいく。向かいの尾根が黒々と感じるほどに緑が濃い。奥には高い山々、四阿山と根子岳らしきが雲の中、本日はこのあたりの百名山はみな展示中止状態らしい。それでも頭上の空は高く、周囲を遮るものは遠く、風は涼しい。彼方から鳥の声も響いてくる。歩き出して間がないが、ここでコーヒーを淹れることにした。
木々の上に夏雲湧く
木々の上に夏雲湧く
ダケカンバが明るい
ダケカンバが明るい
谷間越しに山ばかりを眺めていたが、草原を返り見ると古い標識が立っている。出発に際して近寄ってみるとなにも書いていない。それはそのはずで、文字は反対側にあった。しかしこれを読んだ人が通ったはずの踏み跡はもはやどこにもない。須坂市が建てたもので、行く手に毛無峠、小串万座とある。かつては御飯岳との鞍部にある峠から万座方面に下るハイキングルートがあったのだろう。草原に分け入ると、どこに隠れていたのか、臙脂色に見える蝶たちが次々と舞い上がった。
農道に戻って奥へと行く。左手の笹原の奥には針葉樹が静かに立ち並ぶ。すぐそこに文字がかすれだした看板が立っていて、遭難多発地区域、と書かれている。危ないところのなにもなさそうなこんなところでどうやって遭難を多発させることができるのだろう。あたりを見回してみるが、それらしいところは見当たらない。
右手に分岐があり、土鍋山へと案内があった。さきほどの休憩でよけいに時間を使ったので、四時間周遊コースからは寄り道となる土鍋山も省略しよう、と、このときは思っていた。


左右にあった草原が狭まって消え、両側に木々が迫るようになると農道は終わった。山道の幅となった道のりは木々のなかを行く。一角が切れて、左手、広い谷間を隔てて御飯岳が頭を見せる。遠くの山々が雲隠れしているので期待していなかった分、格段に嬉しい。足を止めて見入る。なおも行くと径が左手に分かれている。先は展望台らしい。出てみると正面に改めて御飯岳が大きい。歩く先に視線を移すと、鋭く落ちた崖に突き出た場所がある。あれが破風岳に違いない。
御飯岳が姿を現す
御飯岳が姿を現す
最初の崖上展望地から破風岳(右)、中景は毛無山、奥は本白根山
最初の崖上展望地から破風岳(右)。
中景は毛無山、奥は本白根山
 
破風岳の山頂とされる場所は、三方が開けていて、特筆ものに眺めがよかった。足下が切り立った崖の上から正面の御飯岳がとにかく大きい。左手に続く稜線の先には老ノ倉山が小振りながら明快な三角錐を突き上げて空間を引き締める。二山の合間からは背後の志賀高原の山、そのシンボルと言われる笠ヶ岳が黒い姿を見せている。じつに見応えのある眺め。管理人さんのお薦めは正しかった。


今まで歩いてきた緩斜面の地形だけでは想像もつかないが、この山上台地の北側は切り立った崖になっている。おかげで眺めがよいわけだが、先ほどの「遭難多発」は、山菜採りで転落するというのではと思い至る。御飯岳が望めるようになってからの山道は、灌木で遮られていてわからなくなってはいるが、きっと崖の縁を歩いているのだろう。とすれば、いくら樹木が生えているとはいえ、闇雲に谷間側に踏み込んでしまえば下まで落ちてしまうことも十分あり得る。
破風岳山頂から御飯岳。稜線沿いの左に老ノ倉山、二山の間に笠ヶ岳が浮かぶ
溶岩台地の縁に当たる破風岳山頂から御飯岳。
稜線沿いの左に老ノ倉山、二山の間に笠ヶ岳が浮かぶ
 
足下遙かに目をやると、破風岳と御飯岳とを結ぶ稜線の撓みである毛無峠が見下ろされる。峠のすぐ上に見える毛無山は地図からの想像とは異なり、ただのコブだった。右手に下る傾斜地途中には草木がなく剥き出しになった地面が見える。わりと広いそこは小串鉱山なるものの跡らしい。1923年に始まり、1971年に閉山した硫黄鉱山跡は、ただただ荒涼としていた。かつては分教場まであったという天空の町は、半世紀近くを経て、山腹の単なる裸地になっていた。
破風岳山頂から毛無山と毛無峠。
破風岳山頂から毛無山と毛無峠。
右に小串鉱山跡。左奥は本白根山。
右奥には浅間隠山(画像外)へと連なる稜線。
 
鉱山跡のかなたには細長い平野部を挟んで長々と山並みが続いている。目を惹くのは端正な三角形の浅間隠山、片側が切れ落ちた山容が特徴的な鼻曲山。眺めているのは上毛の国なのだった。右に随分離れて浅間山が頭を雲に隠している。浅間隠の左手奥にごつごつと稜線を浮かべるのは、なんだろうと考えて、榛名山とわかった。


改めて眼下の毛無峠を見下ろすと、峠には10台ほどの車が駐まっている。車道は御飯岳の山腹を縫って続いているようだ。いつからかは不明だが、ここ五味池破風高原自然公園から往復しなくても、峠まで車で上がりさえすれば御飯岳は随分と手軽に登れるようになっているらしい。遙かな山として憧憬の対象になっていた時代からすると重みが減ってしまった気がするが、これから数日続くだろう不安定な天候を前にした身にとっては短時間で山頂に立てるのはありがたい。予報からするに、おそらく明日の午前中は降らないでくれるだろう。よし明日は毛無峠から御飯岳に登ることにしよう。
目で見る展望に併せて課題解決への展望が開けたことで、気分はだいぶ高揚してきた。周遊する足取りも軽い。相変わらず眺めのよい崖の縁を下っていくと、御飯岳の右奥に広く禿げた山が見えてくる。草津白根山だろう。その奥には横手山も見えてくる。こちらも御飯岳同様に鯨のような山容で、頭にアンテナの角を生やしていることだけが違う。
左手、急降下する毛無峠へと下っていく踏み跡を二度ばかりやり過ごすと、樹林越しに土鍋山が近づいてくる。破風岳山頂に至るまでは割愛しようと考えていたが、明日の御飯岳が現実味を帯びてきて、ならば土鍋山だけ登り残しておくのはもったいない。では往復小一時間の寄り道を敢行しよう。
土鍋山を見上げる
土鍋山を見上げる
さすがに下って登る寄り道に入る人は多くないらしく、山道はやや夏草がかぶり気味だった。この往復路に限らないが、ササダニらしきが多い。笹の葉の裏表にクリーム色っぽい粉様のものが付着しており、その葉に剥き出しの手をこすりつけるだけで1ミリ程度のササダニが付いてしまう。刺すわけではないが、気づくと両手がダニだらけという不快な状態で、慌てて払い落とした。
足下も一部は岩が出たりと予想よりは面倒な登りを経て、土鍋山山頂部に着く。破風岳と御飯岳とが並ぶのを眺めつつ破風岳以上に人気のない山頂でしばし休憩した。
土鍋山山頂から破風岳の奥に御飯岳。
土鍋山山頂から破風岳の奥に御飯岳。
左奥に老ノ倉山。右奥にガス覆う横手山
登り以上に緊張する鞍部への下りを経て破風岳の稜線に戻る。展望のない樹林の中の道を半時ほどで、歩き出した頃に目にした農道の分岐に出た。広い視界が戻ってきても、目に入る動くものは風にそよぐ草木だけで、4時を回ったとはいえまだ明るい山上に人影はなかった。西日が影を長くして地上の明暗を強調している。背後にある雲は白かったが、見上げてみると、青空を背にしてだいぶ高かった。


駐車場へは、登りに辿った東屋経由ではなく、農道経由で下ることにした。わかってはいたが長い。土鍋山から農道に出るまでの一時間強からすでに長いと感じており、何にも煩わされることなくのんびりと下っていながら終点はまだかと再三念頭に浮かぶのは、二ヶ月以上山行に出ていなくて体力と筋力が落ちていたためだろう。せっかくの穏やかな高原風情なのにもったいないのだが、残念ながら疲労からくる焦燥感は完全に忘れ去ることはできないのだった。
土鍋山分岐を背後に笹の道
土鍋山分岐を背後に笹の道
破風高原を覆う夏雲
破風高原を覆う夏雲
姿の見えない車のエンジン音が遠ざかっていく。きっと管理人さんの乗る車だろう。ようやく管理棟が見える場所まで出て、少しは見て回ろうと池やらバーベキュー場やらある園地内に踏み入ってみた。宿泊施設が充実していれば林間学校で賑わうにはよいところと思えたが、今日のところは誰の声も聞こえず、池に注ぐ湧き水の音ばかりが響く。管理棟も閉まっており、どうやら山上には自分一人となったようだった。
外部の駐車場に続く未舗装道を行くと、午後4時には閉まるとあったゲートがその通りに閉まっていた。駐車場には自分の車しかない。もう6時前、山腹の集落まで小一時間、後から来る車はない。上がってくる車もないだろう。車道を途中まで下り、山行疲れを癒すためはるか谷底に豊岡ダムを見下ろす場所で短時間の睡眠をとって、改めてゆっくり街中に下っていった。
2016/7/31

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