岩茸石山から都県界尾根の奥に棒ノ折山を望む。左奥に有間山、右奥に武川岳。御嶽駅から惣岳山を経て棒ノ折山
この年の秋、奥多摩むかし道や御岳渓谷遊歩道を歩いて、まだまだ奥多摩には見るべき場所、辿るべき道のりが多いと感じた。一回訪れたきりの場所も時間が経てばもはや別な姿になっているかもしれない。記録に残っていても記憶には残っていないものもある。奥多摩通いを始めたそもそもの山、それはつまり山歩きを始めたそもそもの山でもあるのだが、その山である棒ノ折山を御嶽駅から惣岳山経由で再訪する計画を立て、雲一つない秋晴れの朝に家を出た。


朝の御嶽駅に下り立つのは久しぶりだった。混雑のなかを改札まで行くと手作りおにぎり販売の声が耳に飛び込んでくる。今朝は慌てて家を出てきたので本日の食料を調達できていない。最後の二つのうちの一つを買い込む。
御岳ケーブルカーの滝本行きバス停留所は長蛇の列だった。そのすぐ脇にコンビニの建物があるが残念なことに閉店している。通りを隔てて正面にある中古山道具屋で聞いてみると、ほかにコンビニはなく、随分と不便だという。御岳という観光地なのに朝から開いている食料を売る店がないのは意外だった。事情を知っている人たちは地元で用意してくるらしい。駅で販売していたおにぎりは貴重な存在だった。もっと売ってもよいのではと思う。なんならお煎餅でも漬け物でもよい気がする。
山道具屋の裏手に回り、青梅線を渡って車道を上がっていく。駅近くでうろうろして時間を費やしていたせいか、高水三山に向かうハイカーの姿は見えなくなっていた。山道は慈恩寺という寺の境内から始まる。モダンな建物なので風情はないものの、それを補って余りある明るさの堂内を眺めつつ靴紐を締め直し、首にタオルを巻いて歩き出す。
開放的な雰囲気の慈恩寺
開放的な雰囲気の慈恩寺
里近い奥多摩の山に典型的な植林のなかの登りが続く。本日は快晴で見上げる空は青く心が浮き立つが、風がなくて蒸し暑い。眺望もないので歩くこと登ることに専念する。追いついてくる人も追いつく人もいないが、まだ10時過ぎだというのにもう下ってくる人がいる。惣岳山だけを往復しているにしても早い。三山を縦走したとしたならさらに早い。なかには荷の大きな人もいて、ひょっとしたら一杯水避難小屋から蕎麦粒山を超えて長々と歩いてきたのかもしれない。
山の斜面を絡むように登りだすと涼風を感じるようになってきた。稜線を吹き越す風が回り込んでくるらしい。支尾根を外して山腹歩きに移ろうというところで妙な存在感に顔を上げると、巨木が一本立っていた。高みに無数の枝を張り出して随分とおどろおどろしい。よく見ると札が幹に立てかけられていて、墨かなにかで書いてある。あとで調べたところ「御神域 しめつりの御神木 青謂神社」とあるとのことだが、”青謂神社”の部分はかなりかすれて判読が難しい。”しめつり”とはなんのことか、宮内敏雄『奥多摩』にあたっても記載がなく、由来はよくわからない。
しめつりの御神木
しめつりの御神木
神木に手を合わせて後にしてすぐ、ゆるやかに湾曲する谷間に出る。見上げる半円形の縁に立つ木々の合間から空が透かし見える。青天井の伽藍の底近くには高床の祠があって、山道はその脇を通る。よく見ると祠には大振りの柄杓がかけられており、床の下には石組みされた小さな池があった。地図にある水場がこれらしいが、流水ではなくたまり水だったので飲む気にはならなかった。再び『奥多摩』にあたってみると真名井天神の泉なるもので、「清泉が滾々(こんこん)と溢れている」状態だったようだ。昭和の戦前の話である。
惣岳山の山頂はそこからすぐだった。斜度が緩み、わりと広い山頂部が見えてきて、まっさきに目に入るのは正面の青謂神社の建物だった。金網で囲まれた神社は壁面彫刻が大振りとはいえ見応えがある。なんらかの逸話を彫り込んだもののようだが説明板などなく想像するしかない。それでも肉厚の人物や蛙、亀などの動物は生命感溢れた造形で、いつの時代かは不明だが作者は随分と達者な腕を持っていると思えるものだった。
惣岳山山頂の青謂神
惣岳山山頂の青謂神社
岩茸石山方面へと山頂を辞すると、下りは危なっかしい岩場からだった。手がかりが乏しく、近ごろ足腰が弱っている身にはロープがほしいところだ。ところどころしゃがみつつ降りる。軍畑から逆時計回りに三山縦走をしている人が多いように見受けられたが、この岩場を下りではなく登りに取れるからなのではと思えた。
久しぶりに緊張する岩場を通過したせいか、岩茸石山までのその後の山歩きの印象が薄く、いま思い返してみると、妙に開けた皆伐斜面を見たのを覚えているくらいで、半時以上はかかったはずの行程の記憶が薄い。すぐ前を小学生の女の子二人を含む家族連れが歩いていて、子供らが小さな歩幅をものともせず懸命に登って行く姿に感心しているうちに展望のよい山頂に着いてしまったのだった。
岩茸石山に向かう途中で本仁田山の肩から鷹ノ巣山と六ツ石山
岩茸石山に向かう途中で本仁田山の肩から鷹ノ巣山(奥)と六ツ石山
岩茸石山は着いたのがちょうど午時だから驚くほどたくさんのハイカーがいた。眺めのよい場所は必ず誰かが腰を下ろして休憩している。しかもまだ続々とやってきては山頂部の中央にまで座りこもうという勢いだ。単独行者が落ち着いて休める雰囲気ではない。過度に賑やかな山頂だが、展望はすばらしい。なによりこれからたどる棒ノ折山への稜線を眺められるのが嬉しい。その左手に川苔山、鋸尾根を経て本仁田山と並ぶのも愉しい。山を眺めているあいだは背後の騒々しさも気にならない。
岩茸石山の山頂から川苔山(右)、鋸尾根を挟んで本仁田山
岩茸石山の山頂から川苔山(右)
鋸尾根を挟んで本仁田山
きっとこの先に静かに休める場所があるだろうと、関東平野も眺められる山頂を後にして棒ノ折山への稜線に入る。人声が急速に聞こえなくなり、誰も来なければ誰も追いついて来なさそうな(実際にはそうではないのだけれど)山道は、すぐに静かな世界に戻った。高水三山を歩いているときとは異なり、雑木林の区間も多い。まだ葉が落ちていないが、晩秋を迎える頃になれば梢越しの眺めも遠くまで届くようになるだろう。
この稜線は地図であらかじめ確認しておいたとおりコブが多い。半分の行程で6つか7つのコブを越える。棒ノ折山へと向かうのは標高を徐々に上げていくことになるので、いきおい登るコブの高さも逆方向より大きい。獲得標高差はいくらぐらいになるだろうなとか考えて行程の眺望のなさを紛らわす。
都県界尾根
都県界尾根
そろそろ朝からの元気が底をついてきて、休憩間隔が短くなってくる。関東ふれあいの道だからか、途中にベンチがしつらえてあり、腰を下ろして休んでいると下ってきた登山者がすぐ近くでルートを外れて奥多摩側を眺めているのが目に入る。その登山者が立ち去った後、なにが見えるのかと行ってみると見晴らしのよい小さな岩のテラスがあった。小さいながら崖になっているようで手すりが設置されたその場所からは、逆光の空の下に大岳山と御前山、その奥に三頭山が見渡せる。大岳山と御前山のあいだには富士山も顔を出していた。
なんとも広く穏やかな景色で、かつて棒ノ折山から見たものに近い。すぐに立ち去るには惜しく、後続者の邪魔にならないよう、見晴らし場所近くで単身を押し込んで湯を湧かせるくらいのスペースをみつけて腰を下ろす。顔を上げれば大岳山が見えるところで、湯を湧かし、コーヒーを淹れる。
大岳山と御前山を遠望する
大岳山と御前山を遠望する
長々と休憩して疲れも取れ、再び静かな山を歩き出す。越えるコブが大振りになってきたなと思う頃に着く黒山は木々に囲まれているものの小広く開けて明るい。小沢峠への分岐となっていてベンチも二基あり、山頂というよりは三叉路の休憩広場という趣きに見える。小沢峠方面を窺うと気持ち良さげな木立のなかの山道だった。こちらもいつか歩ければと思う。
ここまで来れば棒ノ折山は近い。そう思ったのが気の緩みに繋がったのか、稜線沿いに歩くべきところを仕事道に入り込んでしまって細く不安定な山腹道を歩く羽目になってしまった。疑念を抱きながらも「いざとなれば戻ればいいや」と進んでいたところ、右手に見上げる稜線に登山者が歩いているのをみつけてようやく自分の誤りを認めざるを得なくなる。すぐそこだからと例によって斜面を直登し、息を上げながら元のルートに登り返した。出た先は幅広の、舗装道のようにさえ見える道で、まぁこのルートはこういう姿の筈だよなとか納得したのだった。
幅広の道だが斜度が強まるにつれふつうの山道となっていく。見晴らしのよい裸地に直接に登り着くのではと思っていたが、山頂の一角は意外と灌木が茂っていた。これを回り込むと広々とした棒ノ折山の頂に出た。人気の山なので人が多いはずと予想していたが、登山者は5人ほどしかいなかった。すでに3時近くだったためだろう。
人影が少ないぶん、よけいに眺望の大きさが際立っているようだった。頭上の空から奥武蔵側にかけてがとにかく大きい。眼下に広がる山並みが此方より低いため、大海原を眺めるかのように山々を眺められる。遠方に霞む高峰がとりとめもない展望を引き締める。設置されていた案内標識板によれば、榛名山、赤城山、上州武尊山、日光連山などの北関東の山々が指呼できた。空気が澄んでいれば尾瀬の燧岳も見られたかもしれない。あらためて近くに視線を戻せばすぐ近くに伊豆ヶ岳や子ノ権現が懸命に背を伸ばしている。その左方に武川岳や武甲山に有間山が大きく近く、この山が奥多摩と奥武蔵の境にあることを思い出させてくれる。
奥武蔵側の眺めが広闊な棒ノ折山の山頂
奥武蔵側の眺めが広闊な棒ノ折山の山頂
武川岳(左)、伊豆ヶ岳。右奥に丸山。武川岳手前は藤棚山
武川岳(左)、伊豆ヶ岳。右奥に丸山。武川岳手前は藤棚山
これら山頂北側の眺めの良さは特筆ものだが、驚いたことに奥多摩側は木々が育っていてまったく展望がない。随分と昔、初めて来たときは草地の斜面が広がっていて、逆光のなか、大岳山と御前山、本仁田山、川苔山が浮かんでいたのに、いまはまったく見ることができない。あのとき未知の山々だったものは今では何度も登った山になり、時を経て同じ眺めに感謝の挨拶を送ろうと来てみたのだったが、得られたのは郷愁ではなく落胆だった。
とはいえ、時が経て訪れた山がまるで別な山のように変わっている事態に過去何度か遭遇しており、ここもまたその一つだったわけで、いつまでも呆然としていたわけではなかった。事前にネットで調べていればわかった話だろうが、この変貌も自分の目で見てこそ実感としてわかろうというものである。行きもしないでがっかりするよりは、オンサイトでがっかりしたほうが山行自体としては意外性があって面白いのではと(やや負け惜しみっぽくも)思えるのだった。それになにより、山頂ばかりが山ではない。都県界尾根途中での奥多摩三山の眺めは、失われた眺望を補うものだった。


広い眺めに浸りながら本日二度目の湯を湧かし、コーヒーを淹れても名栗川沿いを走るバスには十分間に合いそうだった。なので奥武蔵側に下ろうと往路をわずかに戻り、道間違いで往路は通らなかった権次入(ごんじり)峠に出た。ここから北側斜面を下り出すのだが、表土が流れて土留めの丸太がハードルのようになってしまったルートはことのほか歩きづらかった。斜度もあって疲れた脚にはなかなかこたえる。当初予定では、岩茸石という背丈を超す大岩の鎮座する場所で三分するコースの稜線沿いを辿ろうと思っていたが、疲労の蓄積から早々に林道に出た方がよかろうと思えたので、名栗温泉に出る右手へ分岐するものへ入ることにした。なお、左に分岐する沢沿いコースは通行止めになっていた。
岩茸石
岩茸石
名栗温泉に向かうコースだが、植林帯のなかを行く急降下で、なかなか気が滅入る。棒ノ折山初登時のコースがこれなのだが、よくこれを登ったものだと昔の自分に感心しさえした。林道を一度横切って再び山道にはいっても状況は変わらなかった。脚を気遣ったつもりがよけいに大変なルートを歩いてしまったのかもしれない。ようやく山道に別れを告げるところで古びた案内板が立っており、棒ノ折山(看板には”棒ノ峰”とある)についての説明がある。曰く、「山頂からは新宿副都心、奥多摩、奥武蔵の山々の眺望がえられます」。いまや表面が風化しているこの看板が新しかったときは山頂から奥多摩が眺められたのだなと思うと、あらためて時の経過に感じ入るのだった。
林道に出てしばらくで名栗温泉大松閣の前を過ぎ、飯能と名郷を結ぶ車道に出た。ただバス停が見当たらない。どうやら川を渡った向こう側の細い通りにあると気づき、目の前の名栗川橋を渡って休憩所風に整備された停留所に着いた。しばらく待ってやってきたバスはすでに立ち客がいる満席状態だった。すぐそこの日帰り入浴施設さわらびの湯でこうなったのだろう。飯能市街地まで吊革につかまっていき、商店街にかかったところで下車していつものように菓子処の”すずき”に立ち寄る。飯能土産のお菓子を買い込み、日の暮れた市街地を飯能駅に向かって歩いていった。
名栗川橋。大正13年の竣工当時、埼玉県最大の橋桁長。いまも現役
名栗川橋。大正13年の竣工当時、埼玉県最大の橋桁長。いまも現役。
2018/10/21

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