雑記帳


思い出せない山
ときどき、山道を歩いていたときや山で食事をしていたときに見ていたはずの光景を思い出す。それは開けた山道だったり弧を描く谷間だったりする。しかしいつ、どこで見たのか覚えていない。季節はなんとなくわかるのだが、山域はあやふやで、ルートに至ってはいくら考えてもわからない。この何処ともわからない場所の記憶には、ある特殊な、日常の生活では感じることのない感情が付着している。
懐かしさを感じるのは、場所ではなくてこの感情の方にである。そのうち気になってしかたなくなり、当てずっぽうにあちこちを再訪するかもしれない。だがたまたまその場所にやってきたとして、そこがその場所だとわかるとは限らない。季節が、光の加減が、風の向きが、木々の枝振りが違っているかもしれない。ガスが出ているかもしれないし、山が崩れているかもしれない。
子供の頃の本を読み返してみると、当時は気がつかなかったことが出てくる場合もある。文学作品そのものは年月がいくら経とうと変わらないが、山はそうでもない。秩父の武甲山は石灰岩採掘のため山頂を削り取られた。西上州の叶山も同じ目に遭っている。このように再訪すべき場所がなくなっていることさえありえる。
何度も通っている山があったとして、やはり一期一会なのだろう。山頂に限らず、麓から途中の山道まで、可能なかぎり楽しみたいものだと思う。自分の心の動きまでも。
2002/5/4 記

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