塩山駅付近から遠望する大蔵経寺山

かつて兜山から深草観音まで歩いた際、岩堂峠から大蔵経寺山へと延びる踏み跡が魅力的に思えた。地味で静かそうなところはもとより、途中にある鹿穴というピークの名前に惹かれた。いつかこの稜線を歩いてみたいものだと思っていたが、少々長いコースのようなので首都圏からの日帰りはきつそうだ。9月の連休がシルバーウィークと呼ばれるほどの長さになった年、安近短の山を考えている内にこのコースを思い出して一泊二日行程の初日として歩きに行ってみた。


石和温泉から駅裏の大蔵経寺に出る。かつての大寺の面影を忍びつつ境内正面左手に行けば登山道の案内があり、寺の裏に回りこむように簡易舗装道を上がっていくと十字路のような場所に出る。右手のイノシシ避けフェンスを抜けていくのがルートだ。ミンミンゼミが盛んに鳴き、空気は乾燥しているが日差しはまだ強く、見上げる木々の葉は一部黄色いものの残暑は疑いようがない。三叉路に突き当たり、正面の案内板に従って左手の山神宮へと向かう。林道は舗装が失われ、木々が覆って眺めはなく、あまり歩かれていないのかクモの巣が多い。
予想より大きな建物の山神宮にでくわすと右手奥から細い山道が始まる。なかなか急な登りが15分くらいは続くか、木々の幹を縫うような道筋で、岩もあちこちに出ている。これも予想外で、なだらかな外見から緩やかで穏やかな道のりが続くものとばかり思っていたが実際に来てみるとぜんぜん違う。遠目に見るあの斜度は実際に登ってみるとわりと急なのだということがあらためてわかる。しかし高度はぐいぐいと稼ぐので爽快ではある。岩は目に付くもののようやくまっすぐ歩けるようになると積石塚古墳群というさらに岩がごろごろしている場所に出る。名は古墳だがどれがただの岩でどれが古墳なのかわからない。疲れているせいで深入りする気もわかず歩きすぎてしまう。
石和温泉駅前からU字型に窪む大蔵経寺山を仰ぐ
石和温泉駅前からU字型に窪む大蔵経寺山を仰ぐ 
積石塚古墳群
積石塚古墳群
積石塚古墳を後にすると意外にも古い林道跡に導かれる。部分的に舗装された場所もあり、かつてはよく使われたものかもしれない。ルートは林道がY字型に分岐する手前で右手の斜面を登る山道に続く。大きめの標識が木の枝から下がっているが、木製のものなので目立つものではなく、盆地側ばかり見ていると見落としてしまうかもしれない。
岩ばかりのせいで植林ができないのか雑木の森が続く。見通しはないが、久しぶりの山なので光が透けて見える葉を仰ぎ見られるだけで満足だ。それにしても季節柄か、あまり歩かれてないのか、とにかくクモの巣が多い。持参のストックをアンテナのように立てて歩くのだが、油断していると巣に顔を突っ込むことになる。気苦労の種だ。半袖Tシャツだと腕に糸がまとわりついて不快で仕方ないのでヤッケを着込む。薄手のもので通気性もあるのだが残暑の季節には暑いことはなはだしい。こういう季節にこういうところを歩くときは長袖Tシャツを着て来ようと思う。


登っている最中に午となり、麓からスピーカー越しにウエストミンスター・チャイムが聞こえてきたのは珍しくないとして、続いて聞こえてきたのがお寺にある"りん"を叩くようなのには驚いた。大蔵経寺で流しているのだろうか、思わず足を止めてしまう。気分は休憩なのでザックを下ろし、腰も下ろす。梢越しに甲府盆地が光っている。中央本線の列車が入り去っていく。鳥脅しの爆音が間歇的に響く。今日は風があり、日陰で受ける風は乾いていて心地よい。盛んに流れる汗がたちまち引いていく。
積石塚古墳から続いた急登が一段落し、林床から岩がめっきり減った。正面に植林の壁が見えてくると、山頂標識の立つ場所だった。周囲に立つ木々は圧迫感こそないものの眺めは今まで同様にない。座って休憩する分には問題ないが、明らかに左手進行方向のほうが高く、これから辿ろうとする稜線が木々の合間に伺える。そちらに移動しアカマツ林の一角に腰を据えて休憩だ。静かな山頂で湯を沸かして飲むコーヒーは美味い。
大蔵経寺山頂
雑木林とアカマツの林に挟まれた大蔵経寺山頂 
到着したときは日が翳っていたが、日差しが戻ってくるに伴ってミンミンゼミやツクツクホウシが再び鳴き交わし始めた。これを合図に休憩を切り上げる。すでに午後2時前だ。スギの植林を見送り、アカマツと雑木林の森の中に分け入っていく。遠望の得られる場所はほとんどなく、一度ばかり左手が切れて甲府盆地が望めたくらいだった。広葉樹が多いので晩秋にもなればもう少し見通しが効くことだろう。
山頂から20分ほどで立派な標柱の立つ長谷寺への分岐に着く。この分岐だが、25,000分の1図に906m峰の先から東に分岐しているものとは違う。この分岐が示すコースは25,000分の1図には記載がない。地図の調査が古いままで更新されていないのか、もとから間違っているのかわからないが、少なくとも稜線から分岐していく山道に関しては当てにならないようだ。このあたりは細かい起伏が多く、地図を頻繁に眺めながら歩くのだが、どのあたりを歩いているのかいまひとつ自信が持てない。細いものながら倒木もあり、気分よくまっすぐ歩き続けられるというわけではないが、稜線通しなので道を逸れるということはない。


大蔵経寺山から二度目のやや急な登りをこなすと防火帯のように切り開かれた場所に出る。いままでがやや閉塞気味の空間が続いていたので明るい雰囲気に心が落ち着く。足元に小さな標識があって左手へは三ツ石、右手へは岩堂峠とある。尾根が分岐している点およびルートが明確に右へ90度曲がる点から地図にある906m峰らしい。長谷寺分岐から休憩込みで40分ほどかかっていた。
右手にコースを辿り、大蔵経寺山からの道のりからすれば長い部類に入る急な下りを経て、穏やかな平坦路に出る。このあたりもコナラを初めとした雑木林が目に優しい。まだ若いアカマツの幹が明るさを添えている。似たような光景が続くものの飽きはしない。むしろ安心するくらいだ。森林セラピー効果というものだろう。木々のない岩だらけの欧州の山地がかつて彼の地の人々に悪魔の棲家とされていたのも頷ける。荒涼とした場所は稀に訪れるのなら新鮮だが、生活圏内にあると落ち着かないものだ。
906m峰と想定する場所にて
906m峰と想定する場所にて 
906m峰から951m峰と思われる地点へは30分ほどで着いた。これで長谷寺分岐から1時間かかったことになる。951m峰には標識らしきはいっさいなく、頭を赤く塗られた標点があったことから推定した。しかしこの標点の石柱が10mも離れていないようなところに2つあるのはどういうことなのだろう。一方が他方の更新版なのだろうか。
951m地点を越え、鹿穴と呼ばれる989.8m峰との鞍部までには休憩混みでさらに30分かかった。ここに標識が立っていて、驚いたことに岩堂峠まで50分とある。2時間のはずだった行程を、休みを除けばすでに1時間30分歩いているというのに、まだ50分歩かなくてはならないというのは落胆ものだ。すでに時刻は16時を回っており、時間があれば峠向こうの要害山にも登ってみようとの目論見はこの時点で完全に潰えてしまった。


標識には左行けば大岩園地とあり、いったいどこにつながっていくのか興味をそそられる。ともあれ右手、岩堂峠への山道に入る。いままでの山道と打って変わって平坦で歩きやすい。ほとんど遊歩道だ。しかし気づけば全く登りがない。どうもこれは山腹を行くかつてのハイキングコースらしく、「マツダランプ」の名が見える古いコース案内板が道ばたの草に埋もれている。このマツダランプなる名称は1962年ごろまで使用されていたという。とすれば25,000分の1図にこのコースが記載されていてもよいように思えるのだが、稜線通しの道筋は破線表示されているものの今歩いている道のりは影も形もない。
コースは植林のなかを行くもので雰囲気は暗くなってしまったし、鹿穴を踏むという予定も崩れてしまったが、時刻は遅く疲れも溜まってきていたので無理をする気はなかった。10分ほどで鹿穴を巻き終わると1,042m峰との鞍部で、ここにも標識があり岩堂峠までは35分となっている。25,000分の1図ではここを岩堂峠としているが実際には違う。先に記述したとおりに山腹道の記述もなく、峠の位置も違っているなど、このあたりの山道に関する25,000分の1図の信憑性はかなり低いようだ。
25,000分の1図で岩堂峠とされている場所(鹿穴と1042m峰との鞍部)
25,000分の1図で岩堂峠とされている場所
(鹿穴と1,042m峰との鞍部)
夕闇迫る岩堂峠
夕闇迫る岩堂峠
標識の奥に大蔵経寺山へと続くコースが延びる
山かげの道である上に、空は一面の曇り空となって日の光が消え、早くも夕暮れの気配が漂い出している。1,042m峰を巻く道は緩やかな下りと上りはあったものの概して平坦なものだった。しかしとうとう疲労がピークに達してしまった。おそらく岩堂峠まですぐ、という地点でザックを背に寝転がった。うつらうつらしながら冷たい風が身体の表面を撫でていくに任せるうち、本当に眠ってしまった。さすがに寒くなったなと感じて飛び起きてみると、半時ほど経っていた。
1,042m峰を巻き終わって達する岩堂峠は寝ていた場所から5分ほどだった。時刻は17時過ぎ。さすがにもはや往来はない。薄れいく光と競争するように峠を下り、岩堂観音を横目に通り過ぎる。要害山への山道を右手に見送ると林道分岐となり、足元が確かなほうをとその林道を行く。山道と再合流するころには積翠寺の集落が見えてきており、扇状地の開ける先の甲府盆地にはすでに街灯が点り始めていた。


秋を告げるキンモクセイの香り漂う集落を抜け、甲府駅に出るためのバス停に着いてみると、10分ほど前に午後2便しかないうちの1便が出てしまっていた。次は1時間以上待たなければならない。ただ待つのも面白くないので、途中の武田神社まで歩くことにした。先ほど少々眠ったので頭ははっきりしているし、体力も回復したような気がする。
ストックやカメラをザックにしまい込んでいるうちにも暗闇は文字通り釣瓶落としのように迫ってくる。神社へは30分ほどだったが、着いたときにはすっかり夜になっていた。体力は戻ったとはいえやはり疲れていたので甲府市内まで歩ききるという試みは放棄することにし、おとなしく神社からバスに乗ることにした。それでも時間があったので境内に寄ってみた。車道には人影が三々五々あったが、太鼓橋で池を渡って参道に足を踏み入れると神域の静寂そのものだった。左右に立ち並ぶ灯篭には柔らかな明かりが灯り、疲れた目にほどよい明るさなのだった。
2009/9/21

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