十六番 千手観音坐像
遅い夏休みをとって、連れと二人で八ヶ岳山麓の清里・大泉あたりに出かけた。
9月に入れば観光地も少しは人が減るかと思っていたら、そうでもないようだった。昼下がりの小淵沢の道の駅では駐車場がそこそこ埋まっている。この年では最も強い台風が南海上で北上中なので少しは客足は鈍っているかもしれないが、観光地らしい賑やかさは保っている。
台風はまだ遠く、中部日本にはまだ影響らしい影響は出ていない。見上げれば曇っていた空にも青空が覗きだしている。まだ午後の2時過ぎ、せっかくだから山の中を少し歩こう。短い時間で歩ける棒道を辿ってみよう。


武田信玄が軍用道として造営させたという棒道は何本かあるらしいが、よくガイドされるものは小海線の甲斐小泉駅から歩き出す。今回は車で来ているので「駅周辺でどこか駐める場所は」と探すと少し離れた場所に市営駐車場があった。ここに車を置き、小海線を右手に見ながら駅前通りである「平山郁夫通り」(画家の美術館があるのでこの名がある)を歩き、ガソリンスタンド(GS)のある突き当たりを左へ向かう。すぐ右手に橋がかかっており、これを渡って少し先で右手に出てくるガード下をくぐり、坂道を上がっていく。
しかしこの甲斐小泉駅近くには名水百選にも選ばれているという三分一湧水がある。ほんの僅かの寄り道なので、せっかくだから立ち寄ってからにする。GSの先で橋を渡らずに下っていくと、左手に妙に背の高い遊具のある児童公園を目にする。湧水を抱える敷地は右手にあり、入れるところから入ってみるとすぐそこに流れが見えた。
三分一湧水はだいぶ前に訪れたことがあったが、初見時と同様に豊富に湧きだしているようだった。元々の施設化は江戸時代だそうで、そのころから水量は変わらないのだろう。水は短い水路で小さなプールの中に導かれたところで三角形の置き石にぶつかり水勢を抑えられる。勢いを削がれた水はこの小さなプールに三つある出口から同じように流れ出て行く。水争いがおきないよう下流域に等しく水を配分しようとしたもので、単純ながら効果的な造りだ。なお、現在のプールは大正時代の造営らしい。
三分一湧水
三分一湧水、背後のネットのなかに湧出口がある
心地良い流水の音を耳にしながら手を浸してみると驚くほど冷たい。後で聞いたところによると、水温は井戸水のように一定しており、夏冷たく冬は暖かく感じるという。救って飲んでいる人も少なからずいたが、やはり手が冷たいとの悲鳴も聞こえた。棒道を歩いた後でこの水でコーヒーを飲もうと、湧水口近くの立ち入り可能な場所で水筒に水を入れていく(*)。ごった返すことはないが三々五々の訪れが絶えない湧水を後にして、公園様に整備された林の中を回遊して棒道へのルートに戻る。


小海線のガードを潜り抜けて少々傾きのきつい車道を上がっていく。この先は辻々に棒道への案内があるので迷わなくて済む。左手に寺の敷地を眺めて左折し、左右に立派な構えの屋敷と畑地を眺めつつ正面の森へと向かっていく。すでにこの里めいた場所から石仏があちこちに目立つ。辻にあるわけではないので道祖神というわけではなさそうだ。舗装道が尽きて林道になっても立派なのが出迎えてくれる。
里中にある石仏のひとつ(31番)
里中にある石仏のひとつ(31番)
33番 十一面観音
33番 十一面観音
この先は車両のUターンはできません旨の案内標識を目にすると、足下は山道となる。踏み跡は明瞭で迷いようはないが、「棒道」の名の通り路面が整備されている道が真っ直ぐ延びている、というわけではない。沢を回り込むところでは上り下りやら迂回やらは山道同様にある。短いものの草が被って地面の見えない区間もある(足は問題なく出せる)。かと思うと、別荘地やゴルフ場がすぐ近くに見えてしばらく続く、ということもある。金槌の打撃音やらゴルファーの掛け声やらが時折聞こえるが、都会の公園を散歩するのに比べれば目にする森の眺めは深く、閑かなものだ。
山道のようなところの棒道
山道のようなところの棒道
右手が八ヶ岳の稜線になるが、森の木立が続くので眺めはない。左手はときおり南アルプス前衛の山影が望めた。雲がなく好天であれば山座同定もできるかもしれない。遠望はあまり効かないものの、森の中にあっても短い間隔で現れる石仏が柔和な表情でハイカーを慰めてくれる。これら石仏は棒道が造られた武田信玄の時代ではなく後世の設置らしい。有事向けに造成された道が役目を終えていわば余暇向けになっている現代、優しげな仏像こそが歴史の道に似合っている。
防火帯のようなところの棒道
防火帯のようなところの棒道
少し前のガイドでは、棒道案内の看板が立つ十字路で棒道コースの案内が終わっていたが、最近ではその先まで歩けることが記されている。また、ここに限らず、八ヶ岳南西麓ではところどころで棒道の案内を目にする(小淵沢I.C.近くの中村キース・ヘリング美術館、原村にある八ヶ岳美術館(原村歴史民俗資料館)おのおのの敷地脇でも、棒道がある旨の案内を見た)。とはいえおそらくもっとも歩かれ、足下が確かなのはこの小荒間地域のものだろう。地元の人らしきが日々の運動らしきで歩き、若い女性連れが行き交っていたのも、見通しがよく生活空間が近いからなのだろう。


棒道案内看板の十字路で、三分一湧水で汲んだ水を湧かして暖かいものを飲んだ(*)。休憩後、往路を戻った。雨が降ってきたので急いで歩いたら、半時強で山道の入り口まで戻ることができた。
2018/09/01

* 後に知ったが三分一湧水は飲用には適さないとのこと。周囲に人家があるのでさもありなんか。
 しかし煮沸したせいかとくに問題はなし。インスタントコーヒーをつくって飲んだが美味かった。

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