高尾・陣馬のガイドブックを眺めていると、道志の主稜から離れて藤野の山々と秋山山稜との間に食い込もうとする山がある。それが阿夫利山で、同じように主稜から派生する秋山二十六夜山に比べて量感に乏しいが、頂稜部はやや長く、「登る」よりは「歩く」感があるのではと思わせられる。金ピラ山・デン笠を乗せる向かいの秋山山稜の支稜から間近に眺めてその感を強くし、新緑の季節にでかけてみた。


上野原駅を8時30分発の無生野行きバスに乗る。先週も乗ったものだが、そのときと違って駅周辺は人の数が少なかった。駅前をちょっとした雑踏に変えていた坪山のカタクリは盛りをすぎたのかもしれない。乗り込んだ無生野行きも空いていて、12席しかない座席の一つに腰を下ろせた。バスは自分が降りるまで誰も下ろさず走り続けた。同乗していたハイカーはみな倉岳山あたりに向かったのだろう。
先週と同じく本日も好天で風もない。いまだ清々しい新緑を遠目に停留所近くで身支度を始める。秋山川沿いに通る車道はあまり車が通らず静かなのだが、本日の登山口となる富岡入口には富岡大橋なる立派な橋が架かっていて、安寺沢集落から買い物に出るのか、遙かに厳道峠を越えてきたのか、わりとよく車が渡ってくる。本日はサイクリストの姿がない。これはおそらく偶々だろう。
富岡大橋の上から金ピラ山
富岡大橋の上から金ピラ山
橋を渡って南岸に出る。突き当たりにある案内看板は「阿夫利山へは左へ」と言っているが、それは車で行く時の話で、徒歩移動者が従うと延々と車道歩きをさせられてしまう。ここは右へ、金山神社を目指す。左右に建つ民家の玄関扉脇には統一したデザインの大きめの表札様な板があって、屋号らしきが書かれている。香川県の直島でも見たが、商売をしていたわけでもなさそうなのに屋号らしきとはどういうものなのだろう。名字帯刀が許されなかった近世の名残なのだろうかなどと適当なことを考えてみる。


木々に囲まれて清楚に佇む神社を仰ぎながら過ぎる。上り坂が下りに転ずるあたりで右に分岐していくのに入るのが正しいルートだが、左手に広がる秋山川流域の新緑を眺めるのが楽しく、知らずに通り過ぎていた。見下ろす側の畑のなかから「どこに行くんですか?」と問いかけてくる農家のかたがあり、阿夫利山ですと答えると道が違うことを教えてくれた。礼を言って引き返す。
畑の脇にツツジ
畑の脇にツツジ
道端にシャガ
道端にシャガ
神社のすぐ裏を通るように登って行く。畑の畝を造っている脇を過ぎ、今年は早咲きに思えるシャガの花を足下に見送って集落を抜けると、再び道は二分する。右手の、害獣防止柵が道を塞ぐ未舗装道に入り、人家が途絶えて鬱蒼としてきた山中を行く。いまだ林道とはいえ柵を開閉しないと入って来られないので、車に脅かされる心配はもうない。若葉に注ぐ日の光を見渡しているうちに林道は終わり、山道となる。
山名に見合って、ルートは水音の響く小さな沢沿いを行く。ほんの少しでも落差があれば水音は生まれ、左右に迫る尾根の壁に響く。好ましい賑やかさを道連れに歩きやすい斜度を行くうち、見上げる岩の上に鎮座する祠が近づき、背後に遠ざかる。山道は右手の尾根筋を絡み出す。流れから遠ざかって尾根筋に乗ると、小さいながら明るい雑木林が広がってくる。傾く斜面に落ちる影も浅く、自然と足取りが緩やかになる。なかなかよい山じゃないかとと思ううちに着いた場所は井戸沢ノ頭と立木に標識のあるところで、太い木の丸太の椅子が並んでいた。
井戸沢の頭
井戸沢の頭
稜線に出たので山向こうの丹沢側の眺めが得られるようになった。枝越しに焼山、黍殻山、袖平山と、好天の下に屏風のように北丹沢が並ぶ。その手前、阿夫利山からだとすぐ隣の低い稜線があり、頂稜の長く平らな山が間近に見える。入道丸だった。過日、神奈川県に半身を預けるこの道志の山に登った際、阿夫利山を眺めて「山頂が顕著でない山だな」と感じたことを思い出した。彼我の場所を変えてみても同じ感想が言えるのは面白い。いずれも見た目より中身の山と思える。
入道丸の上に焼山(左)と黍殻山
入道丸の上に焼山(左)と黍殻山
阿夫利山は終始お気楽に歩き続けられるということはなく、ところどころ痩せた尾根から急角度に落ち込むガレを見下ろしもする。本家が近いからそう思えるだけかもしれないが、どことなく丹沢に近い肌触りを感じる。日の回る稜線を半時も歩くと、顕著なコブに突き当たり、明瞭な踏み跡は左へと巻いていく。おそらくこれが山頂だろうと、無理矢理に直登を試みたところ、やや傾斜にゆとりがなく、加えて当然だが踏み固められておらず、危うく足を滑らしそうになった。素直に巻き道を通って確実なところを登ったほうがよかったようだ。
出た先は山頂直下で、すぐに居心地のよい頂上に着いた。開けた眺めはないが、枝の合間から丹沢方面に丸みを帯びたひときわ大きな山がこちらを見下ろしている。大室山だった。その左奥には檜洞丸らしきも頭を出している。先ほどからの北丹沢の眺めといい、これだけ目にできれば満足だ。乾いた地面にシートを広げて腰を下ろし、ザックからバーナーを取り出す。新緑の彼方に大室山を眺めてコーヒーとしよう。
山頂から大室山を見上げる
山頂から大室山を見上げる
下山は、来た道を戻れば長く土の道を歩けるのだが、今回は初の阿夫利山なので稜線をさらに先へと、金波美峠まで出て秋山川に下ることにした。右手の眺めが開けて秋山山稜が見渡せる。その奥には奥多摩の大岳山まで顔を出している。本日は広く山登り日和で、あちこちの山で同じように山座同定している人たちがいるに違いない。
秋山川の谷の上に高柄山,彼方に奥多摩の山々
秋山川の谷の上に高柄山,彼方に奥多摩の山々
金波美峠へ
金波美峠へ
コブをいくつも越えてようやく金波美峠に着くと、ガイドマップには破線表示さえないが、御牧戸山へと案内する標識があった。今回は入らないが、いつか、日の長い時期に道志の主稜まで足を伸ばしてみるのも楽しそうだ。このあたりの山行計画案がまた一つ増えた。


金波美峠からすぐに舗装された車道に出る。湾曲して下っていくガードレールの向こうには秋山山稜が明るい。ゴルフ場を見下ろしながら下り、植え込みが整然とした入り口前に出ればバス停は近い。時刻を見ると上りの上野原行きはあと一時間半待たなければならない。まだ時刻は早いし元気もあるので、秋山山稜を越えて梁川駅に出ることにした。
秋山二十六夜山(左)と倉岳山
秋山二十六夜山(左)と倉岳山
とはいえすべてを歩くのはくたびれるので、上手い具合にすぐに来た下りバスに乗って少し離れた下尾崎バス停まで移動した。ここから寺下峠に登るルートが始まっており、一時間かからず稜線に立てる。かつて梁川駅から秋山山稜を越えて秋山二十六夜山を往復した時と同じく、秋山川側は楽だったが、中央本線側は山腹道が多く、長々とロープが張られた場所もあり、やや気を遣うルートだった。そのせいかどうか、阿夫利山と同じく、山中では誰にも出会わなかった。 下り着いた里はハナモモや八重桜、藤の花までが盛りだった。
2017/04/30

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