若合春侑の仕事・身辺雑記
2000年上半期
6/30(金)『街の風』ゲラ校正。新聞は雑誌と違い、句読点を行末のぶらさがりにせず、1行あたりの文字数を減らして次の行に1字と句読点を移す。そのことを知らなかったため行数がオーバーしてしまい、お手数をおかけする羽目になったのでした。
時間の速度に圧倒される。もう7月になる。
日記を書かなくなって久しいが、日常の中でつらつら思うことは多くある。例えば、比喩について。目の前にある現象を表現する時に、ストレートに簡単平易な言葉をもって表わすのはたやすいが、厳密さに欠ける当たり前の表現にもの足りず、自分の内側の深層にある言葉で表わしたいと欲する自分を感じた時、そのひとがこれまで生きて来た過程で得た、知的教養、原体験、知的体験、感情体験などの、自分の内なる資料を駆使し、加工とも言える引用をするのだなぁ、といまさらながら思う。「あの大震災でさへヨロリともしなかつた淺草觀音五重塔のやうな釘の一本も使はない立派な骨組みの女」にならなければねぇ、若合春侑も。(『若合春侑』、こんなおもちゃのような名前も、最近、こっぱずかしくなって来ました。『若合春侑』だって。誰なんだ?うーん、ただのおもちゃの名前でしょ)
去年の12月上旬に掲示板を閉鎖してしまったが、宮内さんや星野さんの新掲示板の成功例を目の当たりにすると、掲示板(=電子会議室に近い趣旨)はモデレータの品格が大事なのだな、と思う。反面、最近のネット・ユーザーのお行儀がよくなり、仮想と言われたネット世界と日常生活の感覚の差異が減ったのかもしれない、とも思う。若合春侑の現代文掲示板を再開する予定は、いまのところ、ないけれども。
『顔文不一致』の典型=若合春侑のHPを見て、失望なさる方も多かろう、と思うけれども、にんげん、なんでもかんでも自分が抱いたイメージに一致しちゃうと、つまらないでしょう?なんて、ちょっと書いてみた。6/28(水)『朝日新聞・夕刊』【街の風】締切。8:00小山内記者と夕方、渋谷でお目にかかる。ドゥ・マ・ゴ→東京市場→サントリー・ショット・バー。予想を超越した楽しさで、時間が足りないほどだった。
(6/29朝日新聞・朝刊『文化2000』面『時のかたち』でコラムを書いている【宮廷公務員・エッセイスト】の[清少納言]さんの『夏は ぼーなす』のコピーを持って来てくださった。拝読。爆笑する。今を生きる謎の[清少納言]さんとは・・・!? 内緒!)
翌2:00解散→エッセイを午後1時までに書き直してメールで送信する事を約束→夢の中で推敲(うなされる?)→仮眠して、推敲→10:30送信。(天下の朝日新聞に自分の文章が掲載される、ということで緊張してしまい、エッセイというより論文調になってしまったのだった。「若合さんの面白さがもっと出るといいのに」「だって、朝日新聞だもの、おちゃらけたことは書けないでしょう、みんな読んでるんだもの、真面目に書かないといけないもの」。昨秋の読売新聞の時には鵜飼記者に添削してもらったのだった。エッセイを文芸担当記者に添削指導をしてもらうような手の掛かる新人=若合春侑!んもぉ、小山内さんも、鵜飼さんも優しいから教えてくださるけど、そろそろ自分でしっかり書きなさいよ、ったくねぇ。というわけで、今週の土曜日の夕刊に掲載です。街を語る時、中上健次は『路地』だったが、わたしは『壁』なんだな。似たようなものか、路地は壁があってこそ路地なんだし。6/27(火)歯医者(治療完了)
6/25〜26『朝日・夕刊』(街にまつわるエッセイ・原稿用紙4枚)【街の風】執筆→6/27脱稿。
6/21(水)歯医者→散歩『すばる』担当氏よりお電話。8月発売9月号に書評の依頼。『尾行者たちの街角』(永井良和・世織書房)締切:7/20(18字×57行=1026字)
『蜉蝣:第6話』なかなか思うように筆進まず→6/23早朝、脱稿→新しいPCでの初送信→文字化けするとのこと→いろいろ実験した挙げ句、新しいメール・ソフト(Outlook)を使い、6/26、無事送信。6/19(月)『群像』編集長より直々にメールを戴き、パソコンの前でかしこまる。
6/17(土)『鳩よ!七月号』発売『蜉蝣:第四話』掲載
執筆環境、万全となりました。メモリを増設したので(192MB)逞しいマシーンの威力そのままに書いて行きます。6/16(金)前夜からのiMacとの格闘のため、一睡もできず。朝一番にAppleのサポートセンターへ電話。4時、表参道『スパイラル』で『群像』副編集長K氏とお会いする。
6/15(木)『読書日録(中)』、『蜉蝣:第5話』ゲラ校正。
秋葉原へ。とうとうiMac導入。これまで貧弱なPowerBookで書いてきたものの、さすがに、いつ壊れるか分からない繊細過ぎるマシーンに不安を感じ、デザインが気に入らないと嫌っていたiMacの低価格に甘んじる。しかし、まるっきり初心者であればスムーズに行くはずが、旧マシーンからデータを取り込もうとしたり、勝手にいじったために不具合連発。やっと、ネット接続、テキストその他の作成がスムーズに出来るようになりました。『週刊読書人』【読書日録】(現在読んでいる本に関するエッセイ800字)
・6/08(上・第1回締切)6/16掲載『先人によく学べ』
(校正ミス、発見!四行目「何だが」→「何だか」)
・6/15(中・第2回締切)6/23掲載『これぞ、日本の』
・6/22(下・第3回締切)6/30掲載『カステラ脳味噌』
『週刊読書人』はお近くの大きな書店でお求めください。6/12(月)『週刊読書人』【読書日録】(上)ゲラ校正/角川書店Tさんからお電話(『本の旅人』今年12月発売『2001年1月号』から約1年、一回20枚の連載が本格的に決定しました。これまでと文体が少し変わります。17歳のカトリック系女子高2年生の独り語りです。)
6/09(金)角川書店『本の旅人』連載『無花果の記』(仮題)梗概&第一回冒頭を執筆→送信/『蜉蝣:第6話』執筆/朝日新聞・小山内記者からエッセイ依頼のお電話。
6/08(木)『群像7月号』【創作合評】に『産婆コト始メ』を取り上げて戴く。
先日の卓球大会優勝者Nさんが、『若合春侑事務所』のトップ・デザインをプレゼントしてくれました。菖蒲(あやめ・かきつばた)に蝶々が飛ぶ!古典的なロゴ!素晴しい!嬉しい!ありがとう!6/07(水)4:00歯医者→三軒茶屋。
髪を切りました。背中の中程まで伸ばしていた髪を、約30cm、切りました。ひと握り分だけ、輪ゴムで束ね、お土産にして貰った(遺髪)。掃き集められた髪はクッションにでもなりそうな量で、こんなたくさんのものを下げて生きていたのか、いさぎよい喪失と破棄は好転を促すに違いない、と思い眺めた。そう思いたい、というのが正しい。これまでの重苦しさから解放され、すっかり軽くなった頭。ついでに、心臓、脳味噌、からだじゅうの贅肉も喪失したい。撫子の花が咲きました
芙蓉の花は枯れたけど
あなたがとても無口になった秋に
こわくて私聞けませんでした
あなたの指の白い包帯
上手に巻いてくれたのは誰でしょう
風に頼んでも無駄ですか
振り返るのは嫌いですか
どこにもある様な事ですか
私 髪を切りました『追伸』グレープ(さだまさし)
(古いなぁ、暗唱できるわたしも古いんだなぁ)
「長い髪をばっさりと切る=失恋」の図式は、いまや、ない。6/06(火)『日刊ゲンダイ』(タブロイド紙)で企画・連載されていた『衝撃のインタヴュー・私のヰタ・セクスアリス』がまとめられ、今秋、河出書房新社から文庫化される事になった、とのこと。約200名の『初体験告白や性にまつわる話』のうち、何名が掲載を許可するのか予測出来ないが、わたしの場合、ドラマ仕立てにしてしまえるような素晴しい初体験(!)なので、あらためて活字にされるのも悪くないと判断し、掲載承諾の返信。実を言えば、その判断の前に、インタヴュアーのライター・丸山あかねちゃんに電話で相談し、勇気づけられたのだった。
6/05(月)『読書日録』(上・中)→送信
6/03(土)夜、渋谷『カスピ海ヨーグルトの種を配るオフ会』(飲み会&卓球大会)居酒屋→カラオケ→卓球→居酒屋→早朝、解散。今回の参加者は9名。卓球大会の優勝者は前評判通り、オフ会幹事を連続して務めてくれて、いつも格安で心地の好い店に連れて行ってくれるNさん(女性)でした。本やヨーグルト培養用容器やわたしの手作り苺ジャムの賞品を喜んでくれて、こちらも嬉しい。もともとは人気作家SM先生の愛読者だったひとたちが、わたしの読者にもなってくれて、去年の暮れから、たびたびオフ会を開くようになったのでした。
5/30(火)3:00歯医者→三軒茶屋の八百屋→苺ジャムを作る(苺8パック+皮を剥いた檸檬4個+グラニュー糖800gをホーロー鍋にかけ、5時間付きっきりで灰汁を掬いながら煮込む。無心で煮込む。疲れた。出来映えは上々)
5/27(土)包丁を研ぐ。砥石で研ぐ。無心で研ぐ。計6本。
5/24(水)7:05映画『年下のひと』(渋谷文化村『ル・シネマ』)
「死がふたりを分かつまで」、残されたほうは生きる屍か?“恋愛の死”がふたりを分けたとて、また別の“恋愛の生”があって欲しいと願うにしても、ナンダカンダしているうちに年をとってしまうのよね・・・。5/23(火)5:30歯医者→三軒茶屋の本屋→苺ジャムを作る→ちょっと焦がす。出来映え不満。
『脳の中の幽霊』(V.S.ラマチャンドラン他:角川書店)、『悪について』(エーリッヒ・フロム:紀伊国屋書店)、『性的唯幻論序説』(岸田秀:文春新書)、『蛇淫』(中上健次:講談社文庫)、『首塚の上のアドバルーン』(後藤明生:講談社文庫)、『東京に暮す1928-1936』(キャサリン・サムソン:岩波文庫)、『山川菊栄評論集』(鈴木裕子編:岩波文庫)、『ノラや』(内田百間(門+月):中公文庫)中公文庫のここちよさ!なんと言っても(正字は遣っていないものの)正仮名遣いはそのままの表記である。昨日、M記者と「せめて明治後期以降の出版物は、著者が書いた通りの表記を貫いて欲しい!」と語り合ったのだった。「書いた本人(敗戦による漢字表記および仮名遣い強制変更以前の文人達)が今の出版物を見たら怒るだろうな、俺はこんな文章を書いていないぞ!って」とM記者。ほんとにそうだわ。5/22(月)日本文芸家協会・懇親会(東京会館)ああ、なんと驚くことに、壮年・老年ばかりではないか!「文壇のお年寄り達」とは、これらの方々を言うのね、再び参加するとしても20年後だわ、と若手作家が誰ひとり参加していない様に愕然とする。途方にくれていたら救い主がいた!日経新聞のM記者(若い男性)が上司の代わりに来ていた。途中、共同通信のK記者が加わり、3人でポストペットなどの話をする。文藝春秋・出版部長に御挨拶をしているうち、去年後半の自分のいたらなさ、申し訳無さ、恥ずかしさで、涙が込み上げそうになる。不義理続きで駄目な新人であるわたしに、普段こわもての部長が優しい眼をしてくださり、益々、泣きそうになる→M記者と銀座まで歩き、古いビルのショット・バーで12時まで飲む→客待ちタクシーが整然と並ぶ、不景気とは裏腹な華やかなりし夜景の中、タクシーで帰る。帰宅したらM記者からメールが来ていて、なんて仕事の速いひとなんだ!とびっくりする。
5/21(日)お昼過ぎから台所に立ち続け、山菜料理をこしらえる。今回も、感謝しつつ無駄なく食べようと思う。『カスピ海ヨーグルト』のおいしさに感心する。さっぱり、すっきり、酸味がきつくなく、とろりとしていて、市販のものとは全然、違う。
5/20(土)最近、話題になっているという『カスピ海ヨーグルト』の種が届く。大きな瓶を煮沸消毒して増殖をはかっています。
秋田から再び山菜が届く。『わらび』『ねまがり筍』『しどけ』『いらくさ(あいこ)』『山椒』『やまうど』。早速、下ごしらえ。先日の山菜のおかげで、お腹の中がお掃除されたよう。体調も気分も上向きになってきました。山菜の他に『かぼちゃパイ』『比内地鶏の薫製卵』『比内地鶏のスープのラーメン』が大きな段ボールに入っていて大感激。山の神様と秋田美人のA嬢の太っ腹の優しさに感謝。5/18(木)11:00歌舞伎座『源氏物語』市川新之助さんは雛祭のお内裏様のようでした。生き物には見えない程に麗しかった。新之助さんに関しては、声好し、立ち振るまい、視線、表情、気迫、情感、なにもかも素晴しかった。但し、脚本が現代風で“くっさぁ〜い台詞”が多く『谷崎源氏』好きのわたしには不満。東儀秀樹の音楽が録音で、場面の終わりの余韻をぶち切るのも残念。オペラのように生で演奏して欲しかった。しかしながら、若手が素晴しい集中力で演じている様に感服しました。幼少の頃からの鍛練があってこそなのでしょうが。そうそう、尾上菊之助さんの歩き方が勇ましく、男らしかった。紫の上の役なのに・・・。顔は可愛らしく奇麗でした。新之助さんにしても、菊之助さんにしても、おばさまがたが夢中になるのも無理ないわ、と思いました。それはそうと、歌舞伎って、庶民の娯楽ではないのね、文楽と違って。『蜉蝣:第五話』脱稿→5/19昼、送信。
5/17(水)『鳩よ!6月号』発売『蜉蝣:第三話』掲載
(朝、明治45年1月生まれの祖母から電話。『産婆コト始メ』を褒めてくれた。祖母は地区の図書室で『瀬戸内源氏』を借りて全巻読破したという優れものの婆様で、以前、エッセイにも書いたのだが、字や文章は祖母の娘であるわたしの母よりも力強く、ダイナミックで若々しい。明治最後のおんなの凄さよ!)(星野智幸さんが三島賞を受賞!取り急ぎ、お祝いのメールを書いたら「何だかぼくはツイていました」とお返事メール。幸運を掴み取るのも実力のうちですが、作品そのものの実力勝利でしょう!星野さん、おめでとう!すごいなぁ、としみじみ…。)
5/16(火)3:00中央公論新社・書き下ろし(来年の予定)の打ち合わせ(京橋)→メンタル・クリニック(銀座・『腦病院〜』の畑山博士のモデルの主治医は『産婆コト始メ』を読んでくださっていました。「無理をしないようにね。心配しながら見守っていますよ」とのこと。)→お気に入りの焼鳥や(銀座・はからずも實業之T氏にご馳走になってしまった!)
『文學界』担当氏から『産婆〜』に関する速達ハガキを頂戴する。有難うございます。5/13(土)6:00「『風花』二十周年を祝う会」→体調すこぶる悪く、家を出たのが6:00。悪霊に支配されたような具合の悪さで、どういう訳か、死にたくなる。会場に着いたのは7:00、宴たけなわでした。新宿2丁目→新宿5丁目(たくさんの方とお目にかかりました。滅多に会えないすごい面々でした。読売・鵜飼記者の口三味線を伴奏に大声で歌を唄ったのが面白かったです。)
5/12(金)秋田のA嬢から山菜と水仙が届く。『わらび』に灰を付けて送ってくれたので早速、灰汁抜き。『いらくさ(あいこ)』は、茎の部分を5cm程の長さに切り、短冊切りの油揚げと板こんにゃくと一緒に湯がき、一度湯を捨てて、醤油、酒、だしで煮浸しに。葉の部分は天ぷら。『セリ』はおひたし。秋田の人は、香りが高く繊維の豊富な山菜を常に食べているから、肌のきれいな美人が多いのだ、とおいしさに溜め息をつきながら思った。水仙は、秋田の街道で泥棒をするまでもなく、A嬢の家の庭から我が家のベランダへ。種を蒔いたわけでもないアイビーが今年もまた蔓と葉を伸ばしている。ピンクのカラー、黄色のカラーの芽が出て来た。水をたくさんあげる。しかし、やがて、雨。東京の週末は必ず、雨。
『蜉蝣:第四話』ゲラ校正。(「ストックがないぞ〜」と担当おじさまからFAX。はい、ただいま、書いています、第五話)5/11(木)3:00歯医者 『蜉蝣:第五話』執筆
5/09(火)5:00角川書店・編集者と偉い方にお目にかかる。『本の旅人』連載の話をお受けする。舞台は昭和50年の仙台白百合。1年間だそうです。現代文。(「遅筆なんだから連載の掛け持ちなんて無理!」という声を、あちらこちらから戴いているというのに・・・。しかし、カトリック女子高時代のあれこれも書いておきたいし。それにしても、わたしの筆の遅さは一体・・・!)
5/07(日)4:30新宿。親友:M嬢に秋田のお土産を渡す。丸井でパーティー用の銀ラメ黒レースのストールとおもちゃのアクセサリーを買う。連休最終日だから早めに帰宅するつもりだったM嬢、日本酒に歯止めが利かなくなり、酔っ払う。かつては彼女のほうが介抱役だったのに立場が逆転して面白かった。
5/06(土)『すばる6月号』発売『産婆コト始メ』掲載
5/05(金)油壷へ→民宿→横浜
*『新風舎よりでている「新人文学賞ガイドブック」という本の54ページ。文學界新人賞受賞者で作品が出版された稀なケースとして、すうさんが紹介されていました。2行だけど、、。』という連絡を貰う。
日本最古の芝居小屋『康楽館』で文楽を観る旅 5/01(月)10:00秋田→(A嬢の車で)御所野ニュータウンを右に見て、田沢湖へ。湖畔で昼食、『ゆず唐辛子』を買う。
秋田のあちらこちらに水仙の黄色い花が群生していて、とてもきれい。水仙をひと株、泥棒したい気分になる。
街道沿いに赤青白のパラソルをたててお婆ちゃんがアイスを売る『ばばへらアイス』を食べよう!と張り切り、次の『ばばステーション』に期待しつつ、『ばばへらアイス』の売り子は、何故、お婆ちゃんなのか、を話す。若い女性だと車で連れ去られる危険があるし、トイレのない街道では生理の時に困る(お婆さんたちは草陰で用を足すらしい)、だから閉経後のお婆さんでないと駄目なのだ、と主張してみた。秋田では働くお婆さんの姿を多く見かけた。老いても、みんな、よく働く。頭が下がる、などと考えたり話しているうちに角館に着いてしまった。念願の『ばばへらアイス』を食べ損ねた。ああ、残念!この旅で唯一の心残り(腹痛を堪えながらも食欲旺盛。食い意地を張る)
満開の桜の下、武家屋敷の町を観光→16:07角館駅(秋田新幹線)→20:00東京駅→20:30帰宅→腹痛、治まらず。4/30(日)小坂町→(高速バス)盛岡駅→南部鉄瓶を買う→(新幹線)秋田駅『ホテル・メトロポリタン秋田』
余りの腹痛の酷さに、実家へ寄る事と仙台市内で広告代理店時代の同僚と再会する約束を反故にする決心をし、連絡を入れる。→千秋公園へ向かう途中、古い薬局で薬を買う。「水、やっが?」とおじいさんに言われたものの、リポビタンDで流し込む→4:00過ぎ『平野政吉美術館』でチケットを手配してくれた知人:A嬢と再会→物産センターで買い物。『實業之T氏』との約束を果たす。無添加の『いぶりがっこ』を大量に買い込む。→A嬢の車で『郷土料理:おたふく』へ。A嬢の御母堂と夫君と食事。→A嬢の同僚のN嬢合流『ジャズ・バーCat walk』へ。N嬢は『腦病院〜』を読んで持参してくれた。サインをする。夜中、ホテルに戻る。腹痛、治まらず。4/29(土)早朝、冷え切ったからだを暖めるため、温泉につかる。9:10『大湯ホテル』→『こけし館』→(国鉄バス)十和田湖(雪の残る山々をしたがえた絶景に驚愕!絶句する!休憩〜湖内遊覧〜食事。夏にもう一度来ようと強く思った)→(国鉄バス)十和田南駅→(タクシー)小坂町『康楽館』→(徒歩)『ホテル小坂ゴールドパレス』
4:00『文楽』(『義経千本桜』『傾城阿波の鳴門』)
『康楽館』は明治後期に建てられた芝居小屋で、客席は畳敷きのフロアに座布団を隙間も無い程にびっしりと敷き詰めてある。休憩中、左斜め前の人がこちらを見ている。見覚えのある顔が「どうも」と言っている。え?「わぁ!Mさん!ど、どうして、ここへ?」な、なんと!『腦病院へまゐります。』出版担当のMさんが1mも離れていない場所にいらっしゃるではないか!驚いたのなんのって!小坂町は東京から遠く離れているばかりか、秋田と青森の県境に位置する鉱山の町で、失礼だが、ものすごい辺境の地なのだ。文楽に詳しい「すばる」文学賞受賞者の広谷鏡子さんや、いかにも東京から来たと分かる和服姿の女性達がわたしのすぐ前にいたのは知ってはいたが、まさか自分の処女出版を担当してくださったMさんがおいでになっているとは!公演終了後、あらためて御挨拶をして、事情が分かった。読売新聞で紹介されていた康楽館での文楽公演を企画なさった「出版社勤務の女性」とは、Mさんの同僚の方だったのだ。その方にも御挨拶をする。
「若合さんは、どうして、この公演に?」と尋ねられ、秋田市在住の知人が読売新聞・秋田県内版を見て連絡をくださり、苦労してチケットを取ってくれた旨をお話しする。
「文楽、好きなんですか?」とMさん。勿論ですとも!たくさんは観ていないものの、『腦病院〜』の中にも「おまへさま」の風貌を表現するのに「文樂人形の首(かしら)で二十歳前後の二枚目、若武者「源太(げんだ)」に瓜二つ」(P.10)と書いている、それくらい、好き。
わたしの席は前から6列目のど真ん中だったのだが、前列までの左を出版社のB社関係、右をS社関係のひとたちが占めていたのだった。一般人であるわたしの席がどれほどいい席であったか実感出来る。S社の女性編集者にも御挨拶。「次号の作品(『産婆コト始メ』のこと)、読みましたよ」と言って戴けて嬉しかったが、Mさんの手前、戸惑う。「後は、東京でね」はい、すみません、これから頑張りますので。
かなり好い気分でホテルへ戻り、レストランで食事。
ホテルの電話がモジュラージャックだったので、早速繋いでみたら、なんとまぁ、今どきダイヤル回線ではないか。メール受信は出来たものの、ネットに繋げられず。いらつく。非常にがっかりした。携帯電話用モデムを買わないと駄目なんだな。
夜中、体調の異変に気付く。おなかが痛い、痛い、痛い、からだじゅう、がちがちに凍っているよう。激痛で何度か目が覚める。寝汗、びっしょり。風邪をひいたらしい。4/28(金)朝9時、家を出る→9:56東京駅→12:30盛岡駅(花輪線)→原始の森に湧き水と雪解け水が流れる勢いで出来た原始の川を生まれて初めて見る。護岸工事をした川しか見た事がなく、わたしは地方出身者と言えども人工の町で生まれ育っているのだ。山のあちらこちらに根雪が残り、ふきのとうが至るところに咲いていた→十和田南駅→3:00(国鉄バス)大湯温泉『大湯ホテル』
新幹線→ローカル線→バスの乗り継ぎがスムーズ過ぎて、寄り道や食事をする暇もなく、ベルトコンベアー式に運ばれた気分。夕方、大雨が降り、乗り継ぎがうまく行き過ぎた事の効用を知る。温泉に2度入る。2時間仮眠した後、眠れず。モバイルPC『リブレット』を持参したにも関わらず、ホテルの古い電話はモジュラージャックではなかったため、ネットに繋げられず。結局、朝まで一睡も出来ず。4/27(木)旅行前夜だというのに、我が家に大事件が起こる。詳しくは書きませんが。
4/26(水)6:00實業之T氏と銀座で飲む→T氏の御母堂が若合の本を読んでくださって「このひとはフツーじゃない」と褒めてくださっているとのこと。秋田で地酒『天の戸』を探して送る事を約束する。オオタ君合流→青山へ移動→T氏の大学の同級生のテレビ番組制作会社の女性合流→したたかに酔って3時解散
4/24(月)『蜉蝣:第四話』脱稿→送信
4/20(木)夕方、知人と15年ぶりに再会。
宣伝がてら書きますと、SMAPの『俺たちに明日はある』や唐沢・キムタク出演の映画『君をわすれない』の主題歌やジャニーズに曲を多く提供している作曲家&アレンジャー&シンガー『岩田雅之』のソロ・アルバム『Something Left Unsaid』(ビクター)が4/21に発売されます。岩田クンはわたしが17歳の時からの知り合いで、いわば『青春の恥』を共有している仲(?)です。彼の活躍はメディアを通して知っていましたが、今回、アルバムを贈呈してくださる、という事で連絡を貰い、わたしの『腦病院へまゐります。』と交換するために再会しました。4/19(水)4:00歯医者→八重桜を眺め見て帰宅→實業之T氏から久し振りに電話が来た。
4/18(火)6:00バイク便が『産婆コト始メ』のゲラを取りに来る(バイク便とは便利なものだなあ、と感心する。首都圏に住んでいる事の便利さも痛感する)夜11時、担当氏より労いの電話。今回もまた校閲の方々に御迷惑、御手数をおかけしました。その綿密で的確な仕事に感服、そして感謝しています。
*読者の方から『カタカナ三十九字の遺書』の感想メールを戴く。ここのところ忙しくて疲れているせいか、感激して涙がこぼれました。「ああ、小説を書いていて、よかったなあ!有難いなあ!」と。メールをくださった方、胸にしみるお言葉、ありがとうございました。4/17(月)『鳩よ!5月号』発売『蜉蝣:第二話』掲載
6:00バイク便が来る→『産婆コト始メ』ゲラ校正*広島の大学生から感想メールを戴き、喜んでいます。これまでもたくさんのメールを頂戴していながらお返事を書かないでごめんなさい。感想は各コーナーに掲載させて戴いて、嬉しさをかみしめております。
4/14(金)角川書店の編集者からお電話。『本の旅人』という雑誌への連載のお話でした。新人の分際で連載を2本掛け持ちなどトンデモナイ!と恐縮しましたが、秋以降の開始なので、来月、お会いして打ち合わせしましょう、とのこと。去年の暮れに一度お目にかかった時に、書くべき予定が多いので書き下ろしは無理です、と申し上げたきりだったので、まさか連載のお話が戴けるとは思ってもみませんでした。もしも書くとしたら、ミッション系女子高校生か?それにしても、書きたい事、書くべき事が頭の中で渦巻いているというのに、進まない筆。大丈夫かしら。先日、『貝殻の眼球(めだま)』の資料を提供して戴いたので、早く書いてしまいたい。
4/13(木)『蜉蝣:第三話』ゲラ校正→Fax返送、『蜉蝣:第四話』執筆
4/12(水)4:00歯医者(詰め物の金属が歯に合わず、作り直しだそうな)→三軒茶屋の栄通り商店街へ。
4/11(火)午前11:00バイク便がフロッピー&プリントアウト原稿を取りに来る。『産婆コト始メ』入稿
4/10(月)タイトル決定!『産婆コト始メ』最終稿仕上げ&正字チェック
4/08(土)上野公園でお花見オフ会。島田雅彦先生も御参加くださって盛り上がる。夜11時、新宿へ移動し、2、3次会へ。朝まで飲む。場所、天気、料理、酒、参加者の協力、すべてがうまくいき、大成功でした。
4/06(木)文學界担当氏より電話。『蜉蝣』を読んでくださったとのこと。「若合節、健在!という感じですね」(←お褒めの言葉として頂戴しました!)夕方、歯医者
4/05(水)4:00集英社へ。タイトルをどう変更するか、担当氏とともに悩む!悩む!悩む!かなり悩む!が、結論、出ず。神保町の古本屋を巡って帰宅。
4/04(火)夕方、歯医者(詰め物が取れた。ついでに完全治療して貰う)
4/04(火)『すばる』担当氏よりお電話。『いつくしみの産婆學』の『すばる6月号』(5/6発売)掲載が決定しました!タイトル他、訂正あり。
3/31(金)午後、上野。
次作:短編『貝殻の眼球(めだま)』、長編『羽衣とハーモニカ』の仮題とテーマのみ決定。さて・・・!
『蜉蝣』への嬉しい御感想を戴き、こちらにも気合いが入って来ます。初めての連載『蜉蝣』は、書けば書くほど登場人物がいとおしくなり、執筆=御対面という気分でワクワクします。石原都知事が小説の執筆をさして「恋人に会いに行くんだよ」とおっしゃっていたのが実感として分かる気がする。3/28(火)午後、メンタルクリニック、有楽町・交通会館(パスポート受理)最上階スカイラウンジでビールを飲みながら薄墨色の東京を眺める。次に書く小説のタイトルばかりを考える。大雨の中、新宿『K』→ゴールデン街に初めて連れて行って戴く。
3/25(土)『いつくしみの産婆學』(尾崎多惠さんヴァージョン)脱稿→3/27送信
3/21(月)『蜉蝣:第二話』ゲラ校正、『蜉蝣:第三話』最終稿→送信
3/17(金)『鳩よ!4月号』発売『蜉蝣:第一話』掲載
『anan 1209号』発売3/16(木)朝8:30『蜉蝣:第三話』脱稿→送信。『第一話』『第二話』よりも面白くなってきました。来年六月までの連載という長丁場ですので、どうか応援してください。
3/15(水)水上勉先生『父と子』(朝日新聞出版局・文庫本)発売日 巻末エッセイ『父と子の年譜』収録→3/16(木)夕方、讀賣新聞・鵜飼記者から電話。「『父と子』のエッセイ、いいね!いかにも巻末エッセイらしいよ、ほのぼのしてて、温泉にでも入って来たような気分だ」とお褒めの言葉を戴く。「で、文芸誌のほうはどうなの?」の問いに、ギクッ!
3/14(火)去年1月の『チャレンジ!公募』に掲載されたインタビュー記事で若合に興味を持ってくださり『腦病院へまゐります。』を読んだ、という方からファン・メール(?)を戴く。活字の持つ影響力とその持続力に驚く。
3/9(木)4:30〜メンタルクリニックへ(カウンセリングの後、セディールを処方してもらう。アロマテラピー:ユーカリオイル購入)銀座KYOBUNKWAN書店で古地図(昭和7年の東京)復刻版購入。8:00〜渋谷『すばる文学カフェ』(奥泉光氏×高橋源一郎氏&室井佑月氏)
3/7(火)『文學界 4月号』「特集:文学者は電脳空間をどう生きるか ワープロ・パソコンvs原稿用紙」のアンケートに返答した140名の中に若合も入っています。
3/3(金)1:30銀座・中央公論新社N氏と長期計画の打ち合わせ
ひとりで有楽町・交通会館へ。
都庁でのパスポート更新に書類不備があったため、有楽町で手続き(渡航予定なし)→最上階スカイラウンジへ(回転するレストランとは知らずに入る。シアトルのスペースニードルを思い出す)ビールを飲みながら東京を眺める→古本市→銀座の書店→渋谷のショット・バーで『ヒコクミン入門』(島田雅彦)読了。10年前に無理やり引き戻されたような戸惑い→恵比寿→三軒茶屋『水の女』(中上健次)3/1(水)西新宿→6:00ライターO氏と会う。歌舞伎町『炭焼きのH』→『K』で猫談義
2/28(月)パスポート更新用住民票を取りに行く。三軒茶屋『文教堂』
『平塚らいてう評論集』(小林登美枝他)を読む。岩波文庫の現代仮名遣いに苛立つ。なんでもかんでも現代仮名遣いに直すのは余計な親切だ。平塚らいてうの文章は正字正假名遣ひであるべきで、現代仮名遣いは不自然。“らいてう”は“らいちょう”ではない。名前の表記と同様、全文、当時のまま忠実に表記して欲しい、と強く思う。それとは別に、らいてうの感情的で饒舌な文章に苦笑。相当な教養人であることは分かるけれども。肯定し、また、反発しつつ読む。与謝野晶子がまともに取り合わなかったのはらいてうの気性の激しさのせいか?『この人を見よ』(ニーチェ)
『anan』ゲラ校正2/25(金)夕方、ライターO氏(女性)と長電話。家に籠ってばかりいて食糧の調達はどうしているの?という問いに現状を説明すると「すうさん、それば罰当たりというのだ」と言う。「そういう罰当たりだから、世の中、巡り巡って、嫌がらせをされたり陰口を叩かれたりするんだ」確かにそうだ、と爆笑。O氏は「罰当たり」という語を少なくとも5回は連発。そうなんだ、わたしは恵まれ過ぎているんだな、と思うけれども、罰当たりなくらいの好縁に恵まれたのも、わたしの実力だ、なんて自惚れてみる。O氏は、わたしが尊敬するライターのひとりで、聡明な女だ。夜、秋田の友人、神戸の友人と電話で話す。どちらも大事な女ともだち。
2/24(木)根津→弥生美術館&夢二美術館→池之端→上野・古本市
2/22(火)『anan 1209号(3/17発売)』エッセイ締切。朝、送信(夕方、原稿内容にOKを戴く。『男飼育法』のタイトル中、『飼育』という言葉は使用しないことになった、とのこと)→日本文芸家協会主催シンポジウムに出席の届けを出していたものの疲労で出かけられず(せっかく高い入会費と年会費を支払ったのに、『作家ヅラ』が出来るチャンスだったのに、いや、去年の6月以降、文芸誌に小説を発表していないのだから『作家ヅラ』なんて・・・)
夕方〜『蜉蝣』ゲラ校正。2/19(土)夕方6時〜新宿『若合春侑@オフ・ライン新年会』→翌朝6時帰宅。今回もまた盛り上がる。一次会幹事のおかげでおいしく安く雰囲気のいい親切な店でだらだら飲み食いしてから『K』へ→5時まで。
2/19(土)朝7時『いつくしみの産婆學』第一次脱稿→アレンジする予定(2/15&18『すばる』担当氏より電話→掲載は、早くても5月発売6月号、もしくは、それよりずっと後になるかも、とのこと)
2/17(木)3:00『anan』『鳩よ!』担当氏、おいでになる。『anan』のAさんから薄いピンクの変わり咲きのチューリップをお土産に戴く。花屋は勿論、食料の買い出しへも行かないで家に籠っているから、とても嬉しい。玄関の書棚の上に飾りました。(今年、5回目の外出。風邪をひいたのか、異常に眠い)
2/15(火)『蜻蛉(かげろふ)』入稿(『鳩よ!』(『マガジン・ハウス』発行)毎月17日発売。20枚×15回)
2/01(火)『すばる』担当氏より電話。
(太宰、石川啄木、中原中也など、高校時代に読んだものを再精読)
1/29(土)『東京新聞・夕刊』【掌篇小説】『奏楽の午後』掲載(9枚)
→1/16(日)脱稿→1/17(月)送信→掲載紙を見て、感激にひたる。1/27(木)『anan』編集部からお電話。エッセイ『男運強化トレーニング』特集中『男の株をあげる女・男飼育法』について4枚弱、とのこと。
1/26(水)『若合春侑事務所』のタイトル・バナーを、読者でもある好青年からプレゼントしてもらいました。開設以来、念願だったのでかなり嬉しい。
1/25(火)『父と子の年譜』(水上勉先生:文庫本『父と子』巻末エッセイ・朝日新聞社出版局)→20字×155行、送信→1/27、収録決定の知らせを戴く。水上先生に喜んで戴けたとのこと。・・・安堵しました。
1/18(火)『サイゾー』という雑誌の『第1回サイゾー大賞』の記事中、『芥川賞次回の受賞者予想』(P.53)に若合の名前が【本命】として出ており「候補に上がるも3回連続落選、リベンジ」とコメントがついている、との情報を戴く→1/19、見た。笑える。一応、本人のコメントを大真面目に→「アクタガワショウ・・・。経済は潤うだろうが、狙って書くものでもなし・・・。むろん、要らない、というほどひねくれてはいない。ともあれ、今年は、書いている本人が愉しむ!これが目標。書き手こそ一番最初の読者ですしねぇ・・・。(たっはっは)」
1/11(火)『いつくしみの産婆學』(『すばる』)初稿を書き上げる約束→完全に間に合わず。約束厳守の自律をとうとう破る→2月中旬まで延ばして戴きました。感謝!→全面書き直し
1/06(木)『すばる2月号』【'99年文学の収穫】(対談:清水良典氏×堀江敏幸氏)の中で若合春侑についても語ってくださっています。
【1999年の仕事】
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