若合春侑の仕事・身辺雑記
1999年


12/26(日)2:30〜『アンチェイン・マイ・ハート』結城座糸あやつり人形芝居(作:可能涼介)

12/25(土)5:00『若合春侑内輪ネット忘年オフ会』(新宿)

12/22(水)5:00渋谷文化村でライター:丸山あかね氏に会う(取材協力)→高橋源一郎氏&室井佑月氏ご夫妻がいらっしゃる→源一郎さんにご馳走していただく→(ひとりで)新宿『K』へ。劇作家:可能涼介氏らと話す。芝居へのお誘い&戯曲集を頂戴する。

12/21(火)講演『女性の言葉 女性の仕事』(横浜創英短期大学)初めての講演で緊張し支離滅裂になりつつも、行儀よくおとなしく真面目な女子学生のみなさんが微妙な反応を返してくれて何とか終了。資料として配布された『週刊読書人』の連載エッセイのうち、ひとつを選んでレポートを書く、という宿題を出され、気の毒ではあるけれど楽しみでもあります。帰り間際、ひとりの女子学生と話す。「面白かった」とのこと。横浜創英短大のみなさん、講演や作品への御感想をメールで遠慮なくお寄せください。コーナーを作って掲載させて戴きます。

12/19(日)4:00〜サンセット・クルーズ(東京湾)ビンゴでFENDIのマフラーを当てる。

12/17(金)2:00中央公論新社・社屋&資料室見学
  (風邪をひく、筆、進まず)
12/14(火)2:00マガジンハウス担当氏おいでになる

12/7(火)『群像 新年号』【書評】『極めて冷静な観察者のエキス』掲載(稲葉真弓著『水の中のザクロ』)

12/9(木)上野:『旧東京音樂學校奏樂堂』見学

12/6(月)3:00角川書店・編集者おいでになる

12/1(水)『蜻蛉』(『鳩よ!』連載第一回目)初稿送信

11/28(日)1:00〜島田雅彦氏を囲む芋煮オフ会

11/25(木)3:00日経新聞:文化部記者と会う(『女言葉』について)
(11/26『文学:復活への予兆(中)』、11/30『揺れるニホンゴ(2)「女言葉」の脱近代』に若合春侑の名前が・・・。)

11/22(月)東急文化村ザ・ミュージアム『ゴッホ展』

11/16(火)〜20日(土)帰省。父親の手術後、集中治療室で看護。
 20日午後、仙台一番町『As time』へ。この喫茶店は、昔『蘇処(SOCO)』といい、大谷石造りの古色蒼然たるビルの二階にあり、ギャラリーを兼ねたアンティークなフロアで特においしいコーヒーを飲ませてくれるところだった。10年ほど前、ビルの建て直しのため店は移動したが、マスターもコーヒーの味も変わらず。いつか『蘇処』を舞台に書いてみたい。(新幹線車中および看護中『彼岸先生』(再精読)『善の研究』『地の果て 至上の時』を読む)

11/15(月)朝、『群像』【書評】送信モ夜『群像』副編集長から電話。

 ★『蜻蛉』(『鳩よ!』連載1回目)起稿
 ★『いつくしみの産婆學』(『世間様かくありき』の續編)起稿

11/10(水)4:30〜野間文芸新人賞・選考会モ落選モ夜『すばる』担当氏から慰労の電話モ13日『文學界』担当氏から激励のハガキが届く

11/8(月)6:30〜實業之日本社(銀座)

11/5(金)稲葉真弓『水の中のザクロ』読了

『週刊読書人』【連載】ニュー・エイジ登場(随筆コーナー)
 11/5 号『遅いデビュー果たした新嬰児』掲載
 11/12号『『小説』へと私を導く見えない力』掲載
 11/19号『「自分などない」と説く『あなたという存在』』掲載
 11/26号『衣裳と意匠としての正仮名使い文』掲載(11/2送信終了)

11/3(水)2:00〜日体大文化祭(島田雅彦氏講演)モ夜、かつて経験したことのない激しい腹痛にうなされる。起き上がれずモ5日の夕方まで床を離れられずモ6日午前、病院へ。レントゲン、血液検査モ10日、再診察モ特に異常なし(風邪のようなもの、とのこと)

11/2(火)3:00〜『群像』&講談社出版総務担当者
       5:30〜日経新聞・文化部記者(『旧仮名遣い』について)
『群像1月号』掲載の書評(稲葉真弓氏『水の中のザクロ』400×6枚+5行、締め切り11/19)の仕事を戴く。

10/29(金)星野智幸『嫐嬲(なぶりあい)』読了
10/28(木)7:30『すばる文学カフェ』(奥泉光氏×いとうせいこう氏)
10/27(水)『自由死刑』精読了
10/26(火)神楽坂モ新宿
10/21(木)『かの子撩乱』読了

10/19(火)『續:世間様かくありき』=『(仮題)いつくしみの産婆學』を起稿する為の資料:『産婆學獨習書』(大正・昭和初期の産婆さんの教科書)を読む。『世間様〜』の尾崎多惠女史が産婆に???

10/17(日)鬱が消えた。躁に入ったのかも知れない。ならば、そのエネルギーを利用しない手はない。『週刊読書人』のエッセイを書く。

10/15(金)夕方、文學界担当氏より電話。『腦病院〜』は文藝春秋内に在庫がなくなった、市中に出まわっているだけになった、とのこと。夜、レイトショーで映画『マトリックス』を観る。

10/14(木)2:30『週刊読書人』編集者、お見えになる。
       『週刊読書人』[ニューエイジ登場]コーナー:随筆4枚半×4回
       (締め切り10/22、10/29、11/5、11/12)
 夜、インタビューでお世話になった丸山あかね女史から電話。次いで、室井佑月&高橋源一郎夫妻から電話を戴く。この御夫妻は『天使』と思う。

10/12(火)日が暮れてから自転車で新玉川線池尻大橋駅西口『オレンジキャット』(本屋)へ。同じフロアの写真屋で白黒写真を撮るモオレンジキャットで立ち読みをしながら時間を潰すモでき上がって、びっくり!まるで鬼婆か人食い女モ撮り直して貰うモ本を選びながら時間を潰すモでき上がって、がっかり!とんでもなく人相が悪い。白黒スピード写真では限界らしいモ諦めるモ同じフロアの『プロント』で本を読みながら黒ビールを飲むモ10時帰宅。『地の果て 至上の時』(中上健次/新潮文庫)、『かの子撩乱』(瀬戸内晴美/講談社文庫)、『タミという女の生涯』(日本生活心理学会/河出文庫)『男の隠れ家〜特集:驚きの古本屋・達人の書斎拝見〜』(造形社)購入

10/9(土)『図書新聞 2457号』に『腦病院〜』の書評

10/8(金)夜、ミシンを持ってタクシーに乗り、一人暮し初体験宅へ、カーテン(8枚)補修のボランティア

10/6(水)上野:東叡山『寛永寺』開山堂(両大師)モ『寛永寺』根本中堂モ東京芸大美術館『芸大美術館所蔵名品展』

10/5(火)『全集:現代日本の発見』(學藝書林)野間宏『顔の中の赤い月』、福田恆存『一匹と九十九匹』、倉橋由美子『パルタイ』、田中英光『野狐』読了

10/4(月)講談社編集総務部からお電話

10/3(日)中上健次『鳳仙花』を読了

10/2(土)『讀賣新聞・夕刊』土曜文化面『暗闇は母胎なのだ』(随筆)掲載
       4:00シンポジウム「建築と戦後政治」(島田雅彦氏ほか)

9/26(日)6:00東京ドーム「巨人×ヤクルト戦」

9/25(土)『朝日新聞・夕刊』【探検キーワード】「□□□□□。」に電話インタビューでお話しした言葉がちょっとだけ出ています。

9/21(火)『讀賣新聞』随筆(原稿用紙3枚)修正、清書後、Faxで送信
       『中央公論新社』N氏から嬉しいお誘い

9/20(月)3:00『讀賣新聞』鵜飼氏と渋谷・ドゥマゴでお会いする/東急本店前『ブックファースト』へ。女流コーナーの棚にあった『腦病院へまゐります。』になんと![帯]がなかった。誰かが破ってしまったのか、持って行ってしまったのか。話題本コーナーには平積み。初版を売り切るのは大変なんだなあ、とつくづく思う。『やけっぱちのアリス』(島田雅彦/新潮文庫)『鳳仙花』(中上健次/新潮文庫)『大和古寺風物誌』(亀井勝一郎/新潮文庫)購入

9/17(金)3:00『マガジンハウス』編集者、お見えになる
9/14(火)2:00『群像』副編集長と渋谷・ドゥマゴでお会いする
       4:30文藝春秋へ『本棚を見せてくれるなら』ボツ決定

9/11(土)4:30文楽『南都二月堂良弁杉由来』『艶容女舞衣』(国立劇場)

9/6(月)『すばる10月号』に『腦病院へまゐります。』の書評(清水良典氏)
      『毎日新聞・朝刊』[文化という劇場]『筋を通す人』の記事中に若合の話を取り上げて戴いています。
9/5(日)『日経新聞』著者インタビュー掲載
9/?(?)『VOGUE 10月号』(日本経済新聞社)「BOOK REVIEW」に書評掲載


9/9(木)
11時チェックアウトモ(バス)JR奈良駅モ京都駅モ(徒歩)『三十三間堂』モ(バス)『清水寺』モ(バス)5時21分京都駅発モ(ひかり)8時東京駅着モ8時45分帰宅モ留守電メッセージ&メールチェック、電話連絡。家の乱雑振り&飼い猫の粗相の形跡に疲れがどっと出る

9/8(水)
『奈良ホテル』の[桜の間]で文章を書いて過ごすモ土産物屋へ行くが、要領の悪い店員の対応にいらつくモ『奈良ホテル』モ鏡を見ている内に自分の顔が『興福寺』の『吉祥天倚像』に似ている気がしてきたため、もっと似てしまおうと思いつき、ソーイングセットの小さな鋏で前髪を切ってみた。切りすぎた。似ても似つかず。モ寝付かれず。

9/7(火)
10時半『奈良ホテル』モ(徒歩)近鉄奈良駅モ(電車)学園前駅モ(バス)『松伯美術館』がーん!臨時休館だった!モ(バス)学園前駅モ(電車)西大寺駅北口『インターネットカフェ』カフェというよりパソコンのカルチャースクールのようなところ。Macも置いてあったモ(徒歩)『秋篠寺』モ(バス)西大寺駅モ(電車)西ノ京駅『薬師寺』モ(徒歩)『唐招提寺』拝観受け付け終了のため門前のみモ(徒歩)都跡小学校前モ(バス)近鉄奈良駅モ(タクシー)『奈良ホテル』

9/6(月)
10時『奈良ホテル』モ『新薬師寺』お休み処で三輪そうめんを食べる。あまりのおいしさに感動するモ『白毫寺』閻魔さまは怖くなかったが、文殊菩薩と対峙し、涙するモ『志賀直哉旧居』なるほど、と思ったモ『浮御堂』モ『奈良公園内平野茶屋』鹿にガイドブックを食べられそうになるモ『戒壇院』門前モ『正倉院』の入り口が分からず、若草山の麓のほうまで一周するが拝観受け付け終了。森林浴をしたと思えば良しモ『三月堂』構内のみモ東大寺『鏡池』でひとやすみモホテルへ帰る道すがら『江戸三』を確認モ『奈良ホテル』(この日は、すべて徒歩。何キロメートル歩いたやら。筋肉痛&日焼け)

9/5(日)
10時チェックアウトモ三ノ宮駅近くにインターネットカフェがあるとホテルのフロントで聞き、行ってみるが、潰れていた。ついでにそのビルの書店で『腦病院へまゐります。』が女流コーナーで平積みになっているのを確認モ三ノ宮駅モ(電車乗り継ぎ)近鉄奈良駅モ(徒歩)『興福寺』で阿修羅像と対面、どきどきしたモ1時過ぎ『奈良ホテル』着モ『ならまち界隈』散策モ『猿沢池』の亀と鯉の繁殖の凄まじさに仰天するモ近鉄奈良駅周辺散策モ(タクシー)『奈良ホテル』ダブルの部屋にシングル料金で連泊することになった

9/4(土)
神戸/ハーバーモ『谷崎潤一郎記念館』モ『倚松庵』モ六甲山頂上モ『サンサイドホテル』(この日は、友人の夫君が車で案内してくれた)

9/3(金)
『奈良ホテル』モ『奈良国立博物館』モ『東大寺』モ(電車乗り継ぎ)神戸・三ノ宮駅モ6時半、友人の勤務先の若者男女ふたりと合流し、居酒屋で飲むモ『サンサイドホテル』

9/2(木)
11時過ぎ出発モ3時過ぎ京都駅着モJR奈良駅モ(タクシー)4時過ぎ『奈良ホテル』(神戸の友人女性と合流)モ『興福寺』構内散策モ『猿沢池』モ『奈良ホテル』でディナーモ夜11時過ぎ『毎日新聞』S記者から携帯に電話。江藤淳氏の『日本文藝家協會葬』に関するインタビュー


8/31(火)『東京ウォーカー』に書評/12:00『日経新聞』著者インタビュー/2:00青山葬儀所、江藤淳氏『日本文藝家協會葬』へモ青山墓地を散歩モ青山一丁目駅ビル『流水書房』へ。なんと!「腦病院〜」は時代小説コーナーに!モ東急東横『古本市』へ。『ソドムの百二十日』(マルキ・ド・サド/青土社)『真実伊勢物語』(限定本和綴/紫書房)『文藝1997冬号』購入モ渋谷東急プラザ『紀伊国屋書店』。相変わらず若合を女と認めていない。

8/30(月)『産経新聞・朝刊』に「腦病院へまゐります。」書評を掲載して戴きました。実家の親が大喜びするほど、とても好く書いて戴いており、感謝!
       『日刊ゲンダイ』『私のヰタセクスアリス』掲載
       『杜若清明の書棚』第二次脱稿モ送信
8/25(水)『讀賣新聞』鵜飼氏より電話、随筆の仕事を戴く
8/24(火)『エスクァイア日本版』(10月号) 『エスキー』内「著者に聞く」掲載  
『すばる』担当氏より電話。『「斷腸亭」の経済学』(吉野俊彦:NHK出版)は面白く、役にたつよ、とのこと。(購入しました。)
8/20(金)『FIGARO japon』(9/5号)『腦病院へまゐります。』の書評掲載

8/19(木)三島由紀夫『豊穰の海:春の雪』再読
8/18(水)2:00『文學界』編集担当氏と3時間半話す。『本棚を見せてくれるなら』一人称を三人称に、タイトルを『杜若清明の書棚』に変更。8月中に第二次脱稿。

8/15(日)『新刊ニュース』『この子の父はあなたなんです』(随筆)掲載
8/13(金)3:00原宿→表参道→恵比寿(親友と合同誕生会)(夏風邪、悪化)
8/12(木)3:00集英社、担当氏と神保町の『キントト文庫』へ/『三省堂』

8/10(火)『本棚を見せてくれるなら』第一次脱稿→送信。(夏風邪をひく)

8/8(日)河北新報『新刊抄』に『腦病院へまゐります。』を取り上げて戴く。
8/7(土)『文學界』9月号『著者に聞く』掲載
8/6(金)『アンアン』(1179号) 『Bookページ』
8/3(火)『週刊女性』(8/17・24合併号) 『Book Cafe'』

7/31(土)6:00〜島田雅彦氏『自由死刑』朗読会&サイン会(自由が丘)

7/30(金)3:00〜『アサヒ芸能』/『日刊ゲンダイ』インタビュー

7/25(日)『讀賣新聞・朝刊』【WEEKLY読書】『短評』に『腦病院へまゐります。』を取り上げて戴く

7/23(金)上野・不忍池に蓮(芙蓉)の花を観にいく。渋谷・紀伊国屋書店と旭屋書店で平積みされた『腦病院へまゐります。』と対面。紀伊国屋書店では、若合春侑女性である事は認知されていない様子。旭屋書店では、POP付き。

7/21(水)4:30〜『文學界』【著者インタビュー】→出版部長や前編集長とお会いする。江藤淳氏逝去、死亡推定時刻7時頃…。

7/17(土)久々に書店へ。三軒茶屋の『文教堂』『リブロ』で(一冊ずつあった)『腦病院へまゐります。』とご対面。今すぐ誰かに手にとって欲しい、売れて欲しい、と素朴に思いました。(島田氏特集『國文學』のみ購入)

7/15(木)3:00〜『エスクァイア日本版』インタビュー
       5:00〜『第121回芥川賞』選考会(『該当作なし』で落選!家族と近所の寿司屋『台所家』→池尻のカラオケ屋。予想通りの結果だったので感慨なし。待ち時間が長く疲れました。とは言え、待ち時間中は執筆していました。)

7/12(月)3:00〜『週刊女性』、4:00〜『アンアン』インタビュー
       夜、NHK科学文化部から電話

7/9(金)5:30〜『東京新聞』インタビュー、
      6:00〜『河北新報』インタビュー、
      7:00〜『腦病院へまゐります。』出版記念オフライン・パーティー(渋谷)→居酒屋(渋谷)→文壇バー(新宿)朝、5時解散。みなさまのお陰で和気藹々の愉しいパーティーになりました。不慣れと緊張で気の利かない点もありましたが「わたしは本当に幸福な新人」と感謝しています。インターネット上でお馴染みの方が、遠くは広島、神戸からおいでくださったのも、大変嬉しいことでした。みなさま、どうもありがとうございました。『腦病院へまゐります。』を是非とも宜しくお願いします。

7/8(木)『第121回芥川賞』候補:情報解禁日(『掌の小石』が候補になりました。“3回連続落選”でも相当な名誉です。今回は賞を全く意識していなかったどころか、寧ろ、候補にはならないだろう、と予測していたので、候補にして戴けただけで幸せです。)

7/7(水)『腦病院へまゐります。』(首都圏外)店頭発売
7/5(月)『腦病院へまゐります。』(首都圏)店頭発売

7/4(日)『新刊ニュース9月号』(トーハン)原稿(5枚)執筆→7/7発送

7/1(木)1:30渋谷・『本棚を見せてくれるなら』のモデルに会い、資料の使用許可を貰いました。しかし、筆、進まず。

6/28(月)4:40文藝春秋へ・単行本となった『腦病院へまゐります。』と対面。震えました。
6/14(月)『古事記と神話』受講(「大国主神の神統譜」)
       『目撃者』写真が語る20世紀(Bunkamura ザ・ミュージアム)

6/11(金)3:00文學界・担当編集者、うちの下までお越しになる。3時間、話す。→迷いが生じ、筆、止まる。→思い直して、題名『本棚を見せなさい』→『本棚を見せてくれるなら』+構成も変更。

6/7(月)『すばる文学カフェ』(青野聰氏×奥泉光氏)+島田雅彦氏→スポーツと爆笑で汗を流す。

6/7(月)「群像7月号」【創作合評】で『掌の小石』への批評掲載
      「文學界7月号」【新人作品評】で『腦病院へまゐります。』への批評掲載
6/6(日)「すばる7月号」『世間樣かくありき』(小説)掲載

6/1(火)5:15文藝春秋へ/装丁の打ち合わせ。
 **先生の『推薦文』と帯の『キャッチ・コピー』を拝読し、ぶったまげてしまいました!(笑)
 明治末期・大正初期の古い写真5000点もの中から「これしかない!」というものを探し選んでくださった出版担当者の感覚の鋭さに脱帽です。
 **先生の愛読者には誤解と羨望と怨みを買うかもしれない、と今から恐怖しております(笑)

5/26(木)メンタル・クリニックへ・SSRI『ルボックス』(抗鬱剤)+『ロヒプノール』(睡眠導入剤)を処方して戴く。
5/24(月)『古事記と神話』受講
5/21(金)『斜陽』再読/『亡命旅行者は叫び呟く』再読
5/20(木)ミュージカル『オペラ座の怪人』→赤坂見附・京王プラザホテル最上階ラウンジ

5/20(木)『SOLA』(そら)夏号『恋するように読書する』【カラー写真付き】

5/18(火)12:30「すばる」へ・校正、神保町散策/夜、「群像」副編集長より電話。6月7日発売『群像7月号』【創作合評】(批評座談会)に『掌の小石』を取り上げてくださるとのこと。今回は、高橋英夫氏、藤沢周氏ともうひとかたの担当だとか。

5/11(火)河北新報朝刊・文化面『新時代の表現者たち』【写真付き】
       6:30映画『エロティカ』試写会(東京都写真美術館)

5/10(月)3:00『古事記と神話』受講(「八千矛神の妻問い歌物語」)
5/8(土)『ピカソ展』(上野の森美術館)

5/7(金)「文學界6月号」『掌の小石』(小説)掲載
      「群像6月号」『鏑木清方礼讃の春』(随筆)掲載

4/28(水)3:00文藝春秋へ・装丁の打ち合わせ
4/27(火)河北新報・東京支社S氏より電話&FAX       

4/26(月)3:00〜『古事記と神話』受講

4/22(木)『掌の小石』電話&FAXで、さらなる校正→4/23夜、完了

★『週刊文春』インタビュー掲載『パソコンなんて怖くない』【写真付き】のおかげか???
 かつてない閲覧ヒット数に『週刊文春』が持つ購読者数と影響力の恐ろしさを知る。しかし『Message board』への書き込みやメールもないので、たいして面白くないHPなんだな、と反省する。
 “作家”になる前は、小説や随筆や日記まがいの文章も掲載していたのですが、今は『有償の活字媒体』『無償のインターネット』の境を考え、活字になる可能性のある文章は公開していません。なぜなら、わたしの文章にお金を払ってくださる企業に申し訳ないと思うからです。あっちでは戴いて、こっちではタダなんて、よくないもの、たぶん。
(記事中に間違いがあります。×「iMacは高いし」○「iMac以外は高いし」です。)     

4/21(水)2時間の仮眠の後、
       午後3:00季刊情報誌「SOLA(そら)」インタビュー『まずは本から始めよう』
       夜10:30『掌の小石』ゲラ校正のため、文藝春秋へ→翌1:30帰宅

4/20(火)早朝、編集者がゲラを郵便受けに→鋭い指摘に愕然→地獄の推敲→翌朝11時まで唸る。

4/19(月)3:00「群像」副編集長とゲラ校正を兼ねて渋谷カフェ・ドゥマゴでお会いする。
4/16(金)5:00「すばる」編集部へ→『山の上ホテル』
4/14(水)『掌の小石』部分修正→4/15送信
4/13(火)5:00文藝春秋・装丁の打ち合わせ
4/12(月)隔週月曜3:00〜『古事記と神話』を受講→睡眠不足のため中止→4/26〜受講
4/11(日)『掌の小石』書き直し→徹夜→12日午前10時半過ぎ送信
4/8(木)3:00「週刊文春」インタビュー『パソコン・インターネットについて』

4/6(火)『すばる5月号』【大学時代に読むスタンダード】『死の棘』(書評)掲載
     「群像」(随筆5枚半)執筆→4/7送信

4/5(月)4:30「文學界」担当者おいでになる→『掌の小石』4/11までに書き直し

4/3(土)鎌倉『鏑木清方記念美術館』→鶴岡八幡宮→七里ヶ浜→片瀬江ノ島→下北沢
3/31(水)『鏑木清方展』(東京国立近代美術館)
3/29(月)靖国神社参拝/『昭和館』(九段下)
3/28(日)『芸術新潮:鏑木清方特集』を鑑賞

3/27(土)『腦病院へまゐります。/カタカナ三十九字の遺書』出版のための最終校正
        (7月上旬発売決定!)
3/25(木)『蛍川/泥の河』を読む。
3/24(水)気分転換と散歩を兼ねて久々に買い物へ。三軒茶屋のリブロで「泥の河・蛍川」(宮本輝/角川文庫)購入。「泥の河」10ページも読まないうちから「恐れ入りました、降参です」という気にさせられた。『掌の小石』の舞台は「泥の河」と同じような時代である昭和31年、河と岸壁に囲まれた町。主人公の年齢や地方は違うが類似点がある。しかし、わたしのものは宮本先生の足元に遠く及ばないと知る。とはいえ、書き直しに当たってのヒントや風景描写への手掛かりを得たことは確か。「泥の河」を先に読んでいたら『掌の小石』は書かなかったかもしれない、とも思う。(東京の桜、開花宣言。しかし、近所の公園の桜はまだ蕾が固そう。)

3/23(火)『掌の小石』再書き直し通達
3/20(土)心理学、教育道徳学の教科書、「善悪の彼岸」(ニーチェ/岩波文庫)再読。
3/18(木)3:00『能楽入門・観世流・初歩の謡曲』を受講。(夜、某氏と話す)
       『掌の小石』書き直し→送信
3/15(月)『死の棘』書評執筆→送信、3/16一部書き直し→送信

3/12(金)7:00実業之日本社「元・チャレンジ!公募」のスタッフ(かっこよくて面白い若者ふたり)が近所まで飲みに来てくれた。非常に愉しかった。

3/10(水)3:00「実業之日本社」編集者とお会いした。→「当分は純文学の世界で頑張れ」。作品執筆の合間に、毎日、原稿用紙2枚程度の文体の軽い雑文を書く習慣をつけるといい、とのこと。安定期の太宰は一日4枚の執筆をした後、飲みに出るのが日課だった、と新聞にも書いてあった。早速『死の棘』を読みながら、久々の鉛筆書き。添削の仕事を辞めてから文章を司る脳機能はパソコンの中に移動してしまい、指先から文字がにじみ出て来る感覚、手書きがもどかしくさえ感じられる。(「いい」ということは何でもやってみる、魂の弱いひと状態)

3/9(火)4:00文藝春秋へ/睡眠不足(不眠症)でふらふら。しばらく前から、鬱、悪化。

3/9「死の棘」(島尾敏雄/新潮文庫)
3/8「新訂福翁自伝」(福沢諭吉/岩波文庫)
3/6「エセンシャル・ユング」(アンソニー・ストー/創元社)
3/5「唯脳論」(養老孟司/青土社)
3/2「身体の文学史」(養老孟司/新潮社)

2/26(金)『掌の小石』(『緋色の雪』改題)脱稿→文學界へ送信

2/24(水)「すばる」H氏よりお電話。5月号(4月発売)特別企画『今、大学生に読ませたい本20選』の中、『死の棘』(島尾敏雄)について書いてみないか、というお話。(原稿用紙3枚ほど)喜んでお受けする。

2/18(木)『月刊アスキー3月号』本の紹介掲載

2/15(月)文藝春秋・出版部の担当者からお電話。「遅くとも7月初旬の発売」とのこと。

2/13(土)東京新聞・夕刊『土曜訪問』にデビューから現在までを取り上げて戴く。【写真付き】

2/12(金)文學界・担当編集者よりお電話。「実は・・・」と打ち明ける。

2/10(水)猛烈な自己嫌悪から少し立ち直り、こころとあたまを入れ替える。
『假寓』の書き直しの前に、どうしても書きたい事、今、書かねばならない事がある、と気付き、おととし『腦病院〜』を書く直前に中断したままの『緋色の雪』の続きを書き始める。「これが、若合春侑の答えです」

2/9(火)「チャレンジ!公募」編集長、スタッフのみなさまと銀座でお会いして、おもてなしを戴く。ビール→冷酒→ジントニック→にごり酒→泥酔→自己嫌悪→死にたくなる。

2/7(日)中上健次の初期作品を再読

2/5(金)『すばる文学カフェ』(青野聰氏×松本侑子氏)ジントニック→赤ワイン→再び赤ワイン、ビール→焼酎→泥酔→二日酔いにありがちな自己嫌悪→死にたくなる。

2/2(火)『軒端薫日記』起稿(30枚の予定)←失敗
 「おまへさまもどき」から数ヵ月ぶりにメールが来た。わたしの健康を気遣う言葉にほろり。

2/1(月)3:00「文學界」編集長とF氏、うちの近所までおいでになる。
 『文藝春秋』芥川賞選評のコピーを戴く。大家といわれる偉い先生がたから、“新人作家”として認知して戴き、その上で“課題”を戴いたのだ、と思いました。肩の力を抜いて、もっと自由に、しかし、もっと頭を使って、頑張れ、頑張れ、と励まされたように気持ちです。

1/29(金)『假寓』初稿を書き上げる→Eメール送信

1/20(水)東京新聞から連絡を戴く。/讀賣出版局Y氏から芥川落選慰労のお電話

1/19(火)東京新聞から電話/月刊アスキー『本の紹介』執筆→メール送信/『假寓』執筆

1/18(月)「月刊アスキー」T氏より電話→『本の紹介』の依頼→お受けする(原稿用紙2枚)来月発売号ということで今週中に仕事。『假寓』、筆がのってきました。

1/16(土)朝日新聞・学芸部O記者より、(わたしの好きな)文楽の絵葉書が届く。端的でありながら繊細で優しい文に感激。絵葉書を透明な袋に入れてパソコンの画面横に飾りました。

1/15(金)川端の『山の音』他を読む。『假寓〜』執筆。

1/14(木)『第120回芥川賞』選考会→落選。近所の寿司屋『台所家』で残念会。

1/12(火)「すばる」H氏より電話。『假寓』脱稿後に取りかかるつもりの『軒端薫日記』の概要をお話しする。「面白そう、OK」とのこと。
 3:00共同通信電話インタビュー/5:00朝日新聞インタビュー/NHKから電話

1/10(日)までに『假寓』の初稿を書きあげる予定だったのに・・・。

1/9(土)『チャレンジ!公募2月号』「ときには「小説って何?」と考えてみよう」【写真付き】

1/8(金)1:30河北新報インタビュー

1/7(木)『文學界2月号』【文鳥之夢】『華麗なるきもの姿と私』掲載
 『第120回芥川賞』候補:情報解禁日(『カタカナ三十九字の遺書』が候補になったという日本文学振興会からの速達は12/3に届いていました。今回は「御内聞に」の期間が長かった・・・。)

1/6(水)3:00 毎日新聞インタビュー
 5:00Y社のY氏から「文学的カラオケ大会を開催しませんか?」という嬉しいご連絡を戴きました。現状をお話しして延期して戴きましたが、少し、後悔。

*12月からずっと体調・精神状態が芳ばしくなく、気力・体力著しく不調で、筆、進まず。年末年始は一歩も外に出ず、家に篭っていました。→『ハイチオールC』で徐々に回復。


「送信」とあるのは、各編集担当者にE-mailで原稿を送ったということです。
デビューの頃は、パソコンで作成した原稿を最後に手書きするという作業にこだわりを持っていたのでしたが、E-mailで送ったほうがゲラに起こし易い、推敲(訂正・修正)に便利、ごみが出ない、という理由で昨年秋の『カタカナ三十九字の遺書』の執筆からは、原稿作成から納入まで完全にパソコンのみの作業となりました。


【1998年の仕事】


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