若合春侑の仕事
1998年


12/27(日)共同通信K記者より、掲載紙をお送り戴いた。
【先祖返りする文体】同じ記事、同じ写真で、9/21中國新聞・9/23四國新聞・9/28静岡新聞・北日本新聞・9/29埼玉新聞・10/8信濃毎日新聞・11/2南日本新聞に掲載。各紙、レイアウトや小見出し、写真の見栄えが違うのが面白いです。(ふるさと仙台・河北新報が無いのがさみしぃなぁ)

12/24(木)★クリスマス・イヴ★ 毎年恒例、目黒ナザレン教会(オーケストラ&合唱付き)の礼拝へ。

12/22(火)3:00東京新聞・インタビュー

12/15(火)4:00文藝春秋

12/8(火)『すばる文学カフェ』島田雅彦氏×青野聰氏

12/7(月)3:00『チャレンジ!公募』(実業之日本社)インタビュー
     『婦人画報1月号』【旧仮名遣いにこだわる人々】(写真付き)

12/6(日)『文學界2月号』随筆【文鳥之夢】執筆→メール送信

12/4(金)4:00文藝春秋
12/3(木)3:00文藝春秋

11/28(土)早稲田大学文学部AV教室:演劇雑誌『キマイラ』主催シンポジウム

11/26(木)『毎日新聞・夕刊』【文芸時評】(川村湊氏)の【今月の推薦】に取り上げて戴く。
「平野啓一郎の「一月物語」(新潮)と若合春侑の「カタカナ三十九字の遺書」(文學界)は、両方とも既視感の強い作品である。(略)若合作品は、男女を逆にした谷崎流のマゾヒズム小説だが、これも円地文子よりもさらに古色蒼然たる「女」の受難物語が今書かれる必然性が見えてこない。もちろん、現代性や必然性など、言葉の芸術としての文芸作品にとって末梢のことにしか過ぎないと切り捨てることは可能だ。平野作品も若合作品も、その反時代性にこそ意味がある。あえて欄外で紹介、推薦する次第である。」・・・わたしはマゾを書いたつもりはないのだけど・・・。しかも、ドメスティック・ヴァイオレンスのように狭い閉じた世界では、相変わらず女の受難が存続している現代でもあるのだけれど・・・。でも、川村先生の、『腦病院〜』の時の酷評に比べれば、有難き取扱い、と感謝。

11/15(日)『朝日新聞・朝刊』【日本語よ、どこへゆく「21世紀の日本語」シンポジウム】をぼんやり見ていたら、見開き右上に「おまへさま、まうやめませう」“旧かな小説 作者は40歳”の文字が目に飛び込んで来た。先日の電話インタビューは、これだったのか、と驚きつつ、記事に大きな間違いが。「ステレオを蓄電器と言い替える遊び」は「帰国子女の友達がやっていた」と申し上げたはずでしたが・・・。取り上げて戴けた事への感謝の気持ちの分、こういった記事の掲載直後に本屋へ行っても「若合春侑の本」がないのが、とても残念です。

11/14(土)検索『goo』で自分の名前をチェックしたら、或女性読書家の1ページが登録されており、其処に小さく『まだ「若合春侑」という作家について情報を待ってます。』とあった。

11/11(水)Y社のY氏より、嬉しくて有難いお電話を頂戴した。

11/10(火)昼『婦人画報』よりFAX・ゲラ校正
        夜『朝日新聞・学芸部』より電話インタビュー

11/7(土)『カタカナ三十九字の遺書』「文學界12月号」掲載!

10/27(火)夕方4:00『婦人画報1月号』インタビュー
        夜9:00文藝春秋・ゲラ校正→夜中1:40帰宅

10/25(日)手直し(主に削除)夕方6時迄に送信の予定が、夜11時過ぎ、やっと送信

10/24(土)『文学講座:谷崎潤一郎』島田雅彦「性転換する語り手」(神奈川近代文学館)

10/23(金)国会図書館→3:00文藝春秋へ

10/19(月)朝10:00『カタカナ三十九字の遺書』第3次脱稿→送信

10/17(土)『島田雅彦愛読者のオフ』(神奈川大学・横浜)→翌朝6:00頃、解散。

10/13(火)3:00文藝春秋→渋谷アップリンク・ファクトリー
 『すばる文学カフェ:島田雅彦×高橋源一郎』(渋谷)へ。カラオケまでおじゃまして朝5:30解散。

10/8(木)手直し・差し替え(送信)

10/7(水)『ダカーポ』【文章上達講座'98】で『腦病院〜』を取り上げて戴きました。


10/6(火)『すばる11月号』【読者のページ】に【感想】が掲載されていました。
「日本語の尊さ」
 十月号の若合春侑氏のエッセイは、日本語の尊さがしみじみと胸に伝わる思いであった。
 そのくだりの中に祖母から母へと歴史の変化が述べられている。時代は移り変っても、その時代のそれぞれの社会環境の中で、それぞれの言葉が、その時代の流れに合わせて進んでいる。
 しかし移り変る世の中であっても日本語そのものの真髄は不変であると思う。それは現代の詩歌においても、旧仮名などが美しく使われているのをみると、改めてわが国古来の日本語の尊さが偲ばれるのであった。(北村貞実・長野県松本市・62歳)

『活字世界へのご挨拶文』に『お返事』を戴いたような嬉しさと、見開き2ページだけのエッセイに感想を戴けた驚きと、この投書を取り上げてくださった『すばる編集部』への感謝で、からだじゅうを真っ赤にさせ、汗をかきかき、喜びました。実は、エッセイというものは、なんて難しく、小説よりも恥ずかしい、と『すばる10月号』の我が拙文を直視できなかったのでした。小説でエログロを書くより恥ずかしいのです。これで、すこし、安心しました。


10/3(土)早朝『カタカナ三十九字の遺書』第2次脱稿、送信

9/24(木)3:00文藝春秋

9/16(水)『カタカナ三十九字の遺書』(かたかな さんじゅうくじの いしょ)第1次脱稿
 9/17Eメール送信。


9/16(水)『東京新聞・夕刊』にエッセイ『自己紹介』掲載(写真付き)
9/1(火)『すばる10月号』にエッセイ『母の言葉、母なる日本語』掲載


8/17(月)『カタカナ三十九字の遺書』起稿


8/11(火)満40歳の誕生日を記念して車の免許書換のついでに『離婚届』を提出。但し、生活状況は一切変化なしの、単なる抜籍です。

8/10(月)2:00p.m 編集長とF氏が、うちのマンションの下のレストランまでお越し下さいました。


8/7(金)4:00文藝春秋へ 『文藝春秋』のコピーを戴きました。石原慎太郎先生の選評に苦笑い。宮本輝先生のお褒めの言葉にしみじみ感激。賛否がこれほど極端とは!


8/5(水)東京新聞・エッセイ『自己紹介』(自己紹介ではなく『自己紹介』にまつわるエッセイ・原稿用紙3枚分)を書き、FAXで納品。


8/1(土)近所の古本屋2件で古本購入
 三茶書房:『たたかう女100年 明治からの婦人運動』 500円(谷崎の初版本悉く無し)
 江口書店:『言語表現と象徴 エドモン・オルティング』1000円、そして、なんと、
     『樋口一葉全集』(新世界社・昭和16年発行)が5冊揃いで3000円!!おまけに、なんと、第五巻に『第五回寳籤(たからくじ)』が挟まっていた。一枚拾圓で一等拾萬圓。昭和21年8月16日が抽籤日。「奨金ノ支拂期限は一ケ年」とあるので仮に当選していても仕方がないけれど「87ノ組135410」のこの券、ハズレだったのだろうか。しかし、実に52年前のサマージャンボ宝くじの券が、ここにある。不思議に嬉しい。恵比寿様もにっこり。

 書きたいことは、いよいよ固まった。命懸け、命書け、命欠いても、命書く。


7/30(木)4:00p.m.『ことばの世界』(『母の言葉、母なる日本語』原稿用紙6枚)納品。(『すばる10月号』掲載)

7/28(火)『ことばの世界』清書、『武州公秘話』再読
       湧いて来るのはイメージばかりで、言葉に変換出来ない状態。

7/25(土)体調回復:『カタカナ三十九字の遺書』の構成、取材先、資料集めなどを考え始めました。

7/24(金)『青野聰×島田雅彦・対談』(有楽町よみうりホール)

7/23(木)体調不良

7/21(火)連絡待ちです。→『世間様〜』掲載延期

7/20(月)『世間様かくありき』読み直し/『ことばの世界』下書き


【新人賞受賞でこれほど変化する日常・その記録】


7/17(金)『すばる』『東京新聞』『読売出版局』の方々から慰労の電話を戴きました。
7/16(木)『第119回芥川賞』選考会→落選(家族と近所の日本料理屋『一隆』へ)
7/15(水)文藝春秋へ
7/14(火)共同通信・インタビュー
7/13(月)河北新報・インタビュー/NHKから電話
7/11(土)『朝日新聞・朝刊』【学芸】に取り上げて戴く
7/10(金)文藝春秋へ
7/9(木)東京新聞・インタビュー
7/8(水)読売新聞・出版局の方々とお会いするため水天宮へ
7/3(金)朝日新聞・インタビュー
6/29(月)『世間様かくありき』の書き直し納品のため文藝春秋へ
6/27(土)『一冊の本』(朝日新聞社)【文学からの招待状】中沢けい氏に取り上げて戴く
6/12(金)芥川賞候補の通知が届く
6/11(木)『すばる文学カフェ』(奥泉光×島田雅彦)
       島田先生・奥泉先生・集英社のみなさまとカラオケ(渋谷)
6/9(火)『世間様かくありき』の構成など、相談のため文藝春秋へ
6/6(土)『モボ・モガ展』(鎌倉)
6/1(月)『世間様かくありき』納品のため文藝春秋へ
5/28(木)『毎日新聞・夕刊』【このごろ通信】のコーナーで紹介して戴く(写真付き)
5/26(火)『朝日新聞・夕刊』【文芸時評】で批評(写真付き)
       『毎日新聞・夕刊』【文芸時評】で酷評されるが・・・
5/20(水)毎日新聞・学芸部・初めてのインタビュー
5/13(水)『文學界新人賞・受賞式』→編集者のみなさまにごちそうして戴く
5/12(火)添削指導員の仕事を休職→退職
5/7(木)『腦病院へまゐります。』「文學界6月号」掲載!
4/20(月)最終ゲラ渡しのため文藝春秋へ
4/17(金)『世間様かくありき』起稿
4/16(木)写真撮影のため文藝春秋へ
4/15(水)『第86回文學界新人賞』受賞→選考委員・編集者のみなさまと新宿・六本木
3/26(木)ゲラを持って文藝春秋へ
3/25(水)ゲラを戴くために初めて文藝春秋へ
       『華麗なるオペラワールド』(東京国際フォーラム)
3/24(火)帰国
       ポートランドを発つ朝、国際電話が!
      「『腦病院へまゐります。』が最終選考の5作品に残っている!!!」
3/12(木)出国(シアトル・ポートランドへ鬱病治癒のひとり旅)
2/14(土)対談『坂口安吾の現在』(島田雅彦×川村湊)表参道
1997/12/29(月)『腦病院へまゐります。』を『文學界新人賞』に応募


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