若合春侑の仕事・身邊雜記
2004年上半期
祭式教室前の若合@修行中
05/29(土)17:00(六本木)E→18:30倅と新宿で待ち合わせ、廻る寿司で夕餉をとった後、ミラノ座『トロイ』へ。ダイナミックで飽きさせない映画だった。ブラッド・ピットよりもエリック・バナ、いいえ、バナよりもショーン・ビーン!あまりの魅力に嬌声をあげたくなった。ミラノ座の前にトロイの木馬が飾ってあります。
木馬前の観光客@若合05/20(木)昼過ぎ、『ケメさんとの対談』のゲラがファックスで届く。T氏の筆に感心しきり。くすくす笑えるほど面白い!『文芸ポスト2004夏号』をお楽しみに!
木曜7限『認知と思想』は『インドはびっくり箱』(花伝社刊)の著者で哲学者@宮元啓一教授で、当然、インドの話。前年度の『世界宗教史』でヒンドゥー教のレポートを書いてから興味を深くしたインド。その中でも殊に女性問題に驚愕したのだけれど、この日の宮元せんせいの話は、表層的なインド女性についてだった。という訳で、インド女性に成り済まそうと試みた。が、なんだか昔の政治家か占い師みたい。ちなみに、宮元せんせいの授業の後は、妙にインド文化に迎合したくなり、カレーを作ったりする。(本日は、カレー粉@ターメリックで書いてみました。うそ。←3度目)こんなことをやっているから、暇だと思われるんだね。ひっくしょん3連発。また風邪ひいたかな。...
いつの時代の誰ですか?状態の若合
(被写体自体、おそろしく加工品)05/19(水)16:00(六本木)E 授業がふたつとも休講だったので、18:00(京橋)試写会『ぼくセザール 10歳半 1E39cm』へ。フランス少年の話なのだけど、パリからロンドンまで行くのに飛行機じゃなくて電車だったり、お金もユーロだったりで、ヨーロッパが一体化していることをあらためて認識させられた。スケールは大きくないけれど、悪くない映画だったと思います。
05/18(火)昼過ぎ、「ケメさんとの対談を終えた感想」(あとがきのような短いコメント)を書いてT氏に送稿。対談のまとめはT氏の筆になります。
05/17(月)またしても自主休講。シャワーを終え、さあ化粧をして登校を、という時になって、とてつもない具合の悪さに引き摺られる。その後、延々眠るのだ。なんなのだろう、風邪がぶり返したとは思えないのだけど。昼下がり、中央公論N氏(私と同年生まれ)からの電話で「眠っても眠っても疲れがとれない」なんて話をした時点では登校する気力があったのに。勿体ないから、休みたくないのに…。
05/15(土)17:00(六本木)E
05/14(金)13:40神保町駅構内で偶然に『えんぴつ屋』T氏と合流。途中の花屋でケメさんに贈る黄色い花籠を買う。初めての小学館。さすがに大出版社だけあって素晴らしい空間(今まで伺った出版社は、どの社も凄くゴージャスで、圧倒されちゃう。すごいよねぇ、出版社って)で、お得意さまというべき小学生の社会科見学を受け入れているらしく、中年女教諭に引率されたおこさまがたがぞろぞろと…。編集M氏とカメラマン氏とともにタクシーで対談場所へ→15:00〜16:30(都内某所で)佐藤公彦氏と対談(インタビュー)→この模様は『文芸ポスト2004夏号』で。濃くもあり、なごやかでもあり、予想を超えた良い対談になったと思います。
05/12(水)16:00(六本木)E→17:30角川K女史と登校して鎌田東二せんせいをびっくりさせる計画(K女史は鎌田せんせいの担当でもあるのだ。しかも9年前から親しい間柄←きよらかな意味で)だったのに、渋谷駅東口のバス停で鎌田せんせいと会ってしまった→K女史も授業に出る→鎌田せんせいの授業は面白くて笑える。それにまして鎌田せんせいの博識の凄さがわかる→授業の中でタイ料理の話が出て来たため、タイ料理が食べたくなった私達。鎌田せんせいも御一緒に、と思ったのだけどお忙しいとのこと。K女史とふたりタイ料理屋を探して渋谷を彷徨う。結局、5年くらい前に私が行ったことのあるNHK近くの店へ→23時頃までなんだかんだ話す→タクシーで送って戴く。
05/10(月)14:30(銀座)『婦人公論』編集者K女史にチョコレート専門の喫茶店『ピエール マルコリーニ銀座店』(←検索すると店のサイトが出てきます)へ連れて行って戴く。艶、精、濃、美、旨、甘の字が似合う素晴らしいチョコレートパフェだった。値段も高級だったけど、いやはや、後にひく美味しさ。コーヒーも半端なく美味しく、おまけのチョコレートがまた、うん、うん、うん、と頷く以外の反応が出来ないくらい。うーん、世の中には、本物はこうなんですよ!と知らしめるものが沢山あり、私はそれらを沢山知らない、と自覚させられる。(今日はチョコレートで書いてみました。うそ。←二番煎じ)
05/08(土)17:00(六本木)E
05/07(金)『婦人公論』発売。特集「女が人生設計を考えるとき」エッセイ掲載。
『婦人公論』のエッセイでも触れたが、昨年秋からしばしば悪夢にうなされて飛び起きる。今朝は、ついに自分が死んだ夢を見た。不慮の事故に遭い、戸惑っているうちに死んだらしい。母親には私の声が伝わるので、死後の始末について、あれこれ語りかけている。私は生きている時と同じように母親と連れ立っている。私の存在がはっきりと見え始めた母親は「後の始末はやってやる」と無表情で頷き、誰かに細かい指図をしている。この世への未練があって、死んでも死に切れない私は、肉体を焼かれても死んだ実感がないどころか、二の腕の太さや体の重量感など、肉体の実感を纏ったままだ。これっぽっちで終わってしまった、意外な早死にだった、たった5冊で終わってしまった、書き直しの300枚は宙に浮いたままだというのに。白い正面から二人連れが母親に向かって歩いて来る、銀座「菊正」の女将さんと板前さんだ、女将さんは「こんな哀しいのは久しぶり」といって潤んだ目を真っ赤にさせている、私は「女将さん」と声に出して抱き着くが女将さんは気付かない、他に泣く人はいない、90過ぎの祖母も、母も「しかたないものはしかたない」と達観したような、しかし、険しい表情で弔いごとを進めている。弔いといっても、祭壇はない、農地にベニヤ板で誂えた細い通路のような場所だ。私は死んでしまった、呆気無かった、明日の新聞にはおまけのような小さな死亡記事が出るだろうか、と思ったあたりで急に体が浮き上がり、視点が降下していく感覚で目が覚めた。二度寝したら、今度は、無邪気という隠れ蓑を被った性悪な奴に騙される夢を見た。
嫌味で捻くれた気持ちの悪い文章を目にすると、決まって不快感を払拭するのに時間が掛かり、そうして決まって悪夢を見る。
長野から帰って来た翌朝6:30携帯電話で起こされた。「非通知設定」の電話の主は、疲労困憊で眠っていた私が寝惚け加減で応対したら、すぐさま切った。やめて欲しい、悪戯であれ、酔っ払いであれ、悪意であれ、朝っぱらから無言電話を掛けるのは。犯人の目星はついてるんだからね。くそったれ!せっかく起こしたんだから、名乗りなさいよ!話しなさいよ!ってなもんだ。05/05(水)16:00(六本木)E
05/03(月)7時『鏡池』の畔(ほとり)で信州の朝の美しさに溜め息をつく→繊維質たっぷりでヘルシーかつ豪華な朝餉を平らげる→9:20『戸隠神社・中社』へ。『辻旅館』で教えて戴いた國學院卒業生の神職Mさんに、卒論のテーマが『御神籤の起源と現在』なので御神籤について調べている旨をお話ししたところ神社史から御神籤の頁をコピーしてくださった。しかし、突然お伺いしたうえ、連休で参拝客が多く、また、御神籤に詳しい方が不在だったこともあり、あらためて訪問させて戴くことにして辞す→志賀高原に向かう。
高速道路で渋滞して徐行していたら、車の左前タイヤ付近からゴツンゴツンと何かが当たる不気味音に気付く。同行者兼ドライバーと暗澹たる気持ちでレンタカー屋に電話を入れると、ガソリンスタンドで見て貰えとの指示。しかし、見た目には異常が見つからず。ガソリンスタンドの好青年がタイヤのホィールを見て「この車、前に大きな事故、やってんじゃないですかねぇ」という。まったくもぉ・・・。高速で走り出すと不気味音が聴こえないので、そのまま山へ山へと上る→高い山の稜線を走る『志賀草津道路』へ。絶景にいちいち感動。残雪で春スキーを楽しむ人々多し。100回以上は観た映画『私をスキーに連れてって』の舞台はここかぁ、と妙な親近感を覚えるものの、私は山よりも海だ。スキーよりスキューバダイビングのほうが事故が少ないし、山の神様は、海の神様より、数百倍、怖い→13:30横手山ドライブインで休憩。
山を下る→火山の様相の中、ガスを嗅ぎながら草津へ。2箇所で渋滞にあう。けれども対向車線のほうの渋滞は呆れる程だった。山裾を巡る細い一車線で抜け道はないしUターンも出来ない。あれじゃ車の中で喧嘩が始まるよねぇ、休憩所はおろか、おしっこするとこだってないし。こちらは、渋滞ポイントを抜ければすいすいスムーズ。カーナビを使いこなせた私が偉い。私は自分で運転するよりナビゲーターのほうが向いてるみたいだ。女だって地図が読めるし、機械だって平気だ。理系の道具って頭脳より感覚のほうが有用なんじゃないかな。
鳥居峠を越えて上田へ→17:15戦没美学生の作品を展示している『無言館』へ行ってみたが閉館時間になっていた。なにしろ戸隠から100キロ以上も走って来たのだ。間に合う訳がなかった。『信濃デッサン館』『前山寺』の前に暫く佇み、眩しく傾く太陽を浴びた盆地の長閑さに気持ちとからだがほぐれて、上田なら住んでもいいかな、と思ったものの即座に否定。四方を山々に囲まれた場所で長時間過ごすのは無理だ。片側が開けていないと息苦しくなる体質であることは20年前の山形の盆地で知った。どんな素晴らしい場所にいても、本能的に移住を考える体質@縄文人の遺伝子らしく、山また山の閉塞した風景は神経がおかしくなる。港町で育ったせいもあるだろうけど。因みに私の出身地は片側に蔵王連峰を見遥かしながらも片側の海岸線は都へと続く仙台平野の端にあり、海を緯度に従って進んだ果てはアメリカだ。
18:30上田駅でレンタカーを返す。不気味音に文句を言ったら満タンにして返すべき約束を忘れていたのを許してくれた。そこでまた川魚料理の旨い店を紹介して貰う→「つけ場」という千曲川の河川敷に期間限定で建てられた店(差し詰め『海の家』の川ヴァージョン)へ→23時過ぎ、帰宅。へとへと。
05/02(日)9:32の新幹線で長野へ。レンタカー屋で聞いた蕎麦屋『みよ田』で金ぷら蕎麦(天麩羅粉に蕎麦粉が入っているから金ぷらなんだって)を食す。水の違いが分かる旨さだった→13:00レンタカーで國學院の男子@陽ちゃん縁りの『長沼神社』へ。如何にも地域の産土(うぶすな)の神様らしい、懐かしさを感じさせる気持ちのいい神社だった。その地域は林檎農家が多いらしく、すぐ傍の河川敷一帯は林檎畑だった。『善光寺』付近があまりにも混んでいるため、浅川ループラインを通って戸隠へ→道端の野菜売り店で豆と茹で干し大根を買う→15:00『戸隠神社・宝光社』で御神籤を戴く。戸隠神社の御神籤は、満年齢を告げると神職が祝詞をあげ、神職が引いたものを頂戴する形式。神職に御神籤について尋ねたものの、詳しい人のいる『中社』へ行くように言われた。私の最も好きな女神@アメノウヅメノミコト(天宇受賣命:天鈿女命)が祀られている『日之御子神社』へ→宿坊『鷹明亭辻旅館』
16:40『戸隠神社・奥社』参拝。延々9キロもある参道は「下馬」の立て札がある通り徒歩で行くしかないうえに途中から雪が残っている。固い雪にハイヒールの踵をずぶずぶ刺しながら歩く。かなりキツかった。おまけに延々進んだ果ては、急な階段を上っていかなければならない。腰と膝が震えだして、軽装かつ無防備で訪れた甘さを痛感。しかし、辿り着いた神殿前では大きな達成感とともに、山の神様の霊気に畏(かしこ)まざるを得なかった。だって、感じるばかりか、目に見えちゃってるし、山の神様の姿が…(写真参照)。閉門のための祝詞をあげに神殿に来た神職は、草履ではなく登山用のごっつくて派手な黄色い靴を履いていた→『随神門』を過ぎてから『戸隠森林植物園』を歩く。林の中で不思議なことに体から疲労が抜けていることに気付き、マイナスイオンの効能を体感する。杉林で、デジャヴか?と戸惑う風景に出会す。「あー、脳病院だー」!なんと『腦病院へまゐります。』の表紙とそっくりな風景の中にいた(これも写真参照)→夕餉は『辻旅館』自慢の豪勢な蕎麦御膳。『画像@信州の旅は初体験でした。』 05/01(土)17:00(六本木)E
04/30(金)15:00(近所のホテル)『文芸ポスト』編集者M氏+『えんぴつ屋』さんT氏と対談の打ち合わせ。以前『ケメの「薄化粧」』というタイトルでエッセイを書かせて戴いた御縁で、5月中旬にケメ(佐藤公彦氏)と対談をすることになった。ケメを知っている人は70年代フォークソングをリアルタイムで聴いた人だけでしょうけど、ケメは当時15歳の私にとっては憧れの貴公子だったんです→話しているうちに「レコードを聴きましょう!」と私が提案して、M氏とT氏を拙宅にお招きする→18:00頃まで、あれこれ話す(同学年のM氏と話していると、お酒を飲んでいるわけでもないのに、どんどん話題が広がっていき、とりとめもない、かつ、とんでもない方向へ話が進む快楽を味わえる。ちなみにM氏は山田詠美せんせいと同年月日生まれ)。楽しみだけど、すこし、怖い。15歳から丁度その3倍生きて来て、憧れの人と初めてお会いするなんて、作家になってよかったなぁと思う反面、この30年を思えば、たくさんの思いが込み上げて、ただならぬ感覚に襲われて、なみなみならぬ感情に陥るもの。ていうか、私、自覚以上の年月を生きて来たのね(笑)そんなことより、T氏がケメの弟氏と対談の交渉している中で、若合と会ってもいい、とケメが承諾してくださったことに、ふるえる。04/29(木)〜05/05(水)休講 04/28(水)16:00(六本木)E
04/26(月)15:00(高田馬場)E
風邪、完治。
六本木E@米国人Karlは会う度に
「小説、うまくいってる?」と尋ねてくる。
「勿論、うまくいってるよ」と胸をはりたいから、
ほんとうにうまくいかせないとなぁ・・・。04/24(土)昼過ぎ、角川K女史のゴージャスな新居を訪問。おいしいランチを御馳走になる。明るくて、広々していて、空が大きく見えて、収納力たっぷりで、機能的で、ほんと素晴らしいお部屋だった。マンション自体があれこれ気が利いてるし、立地条件も抜群だし、朗らかに過ごせそうだ。さて、私の場合、終の住処を見つけるというよりは、ここで死んでもいいかな、と観念しちゃえる場所に辿り着くまで、ずっと放浪を続けるんだろうなぁ。根っこの生えない浮草稼業、何処へ流れ着くのやら。17:00(六本木)E
04/21(水)15:30歯医者18:00(南新宿)E
04/20(火)朝8時に起きたものの本調子じゃないので予定していたイベントへ行くのを諦め、とにかく眠る。午後、欠席出来ない祭式と演習のため、何が何でも登校する、と奮い立たせて写真を撮った。
【病んでゐる若合@未加工品】。
。
【ピント外れな若合@目眩中】【青ざめる若合@加工品】。04/19(月)登校準備をしていたら、なにやら体調がおかしい。4、5日前から喉が腫れており、咳が酷くなっていたけれど、からだに力が入らず、朦朧。自主休講を決めて近所の主治医へ。風邪で医者にかかったのは数年ぶり。咳、鼻水、頭痛、微熱、喉の腫れなどの症状を伝えた後、口を開けて見せたら「わぁ、真っ赤ですねぇ」そりゃそうです、先生、耳の奥まで刺すような激痛なんですもん。「風邪ですねぇ」そんなの、素人の私でもわかりますよぉ。咳止めと鎮痛剤兼消炎剤と抗生物質を処方してもらう。「運動してくださいね」そんな、先生、今の私は先生のとこに来るだけでへろへろだっていうのに、と返す気力もなく。帰宅後、ひたすら眠る。
04/17(土)8時に起きて『大祓詞』『神拜詞』『産土神社遙拜詞』を奉書紙に墨筆する(祭式作法の宿題。3時間も掛かった)→17:00(六本木)E→マリオ・Aの写真展『マリオ・A 日本美術家』へ。久しぶりにマリオに会った。たくさん話した後、帰り際に画集を買ったら、マリオがサインとメッセージを書いてくれた。「May my works give you some inspirations....」◎マリオの個展は5/8までhttp://mizuma-art.co.jp/_archive/200404_mario_j.htm→19:30学校へ
今年の夏休みは、
分散実習(神社は未定)と伊勢神宮での実習があります。
どちらも地獄の如き過酷な実習になろうかと予想出来るのですが、
滅多にない機会なので体力と精神力をつけておこうと思っています。
仏教の修行僧についてはテレビなどで放映されるのに、
神道の修行はあまり知られていないし、
一般人が入れない場所に入らせて戴くのも貴重な体験です。
テレビ取材に来てくれたらいいのになぁ・・・!
(↑誰に向かって書いているのやら。笑)生協で、文房具や教科書のほかに
『鬼の研究』(國學院生協には古本も置いてある)
『祝詞全評釈』(新品。15000円もした!)
『"It"と呼ばれた子(全4巻)』
養老孟司先生の本などを買う。04/14(水)13:30近所のホテル内にある歯医者へ。ホワイト・デーで同級生のオヤジから貰った『ミルキー』を噛んで歯の詰め物がとれたため。
04/13(火)12:00(南新宿)E04/12(月)授業開始
春には、鬱びとが死ぬ。秋彼岸の頃もまた、鬱びとが死ぬ。メンタルクリニックのH博士がそう仰ってました。日照時間と体内リズムとの関係性に因るのだそうです。4/11に35歳で亡くなった女性作家と私は、四柱推命では「偏印」、細木数子の六星占術では「水星+」で、同じ星の生まれでしたが、占いはどうあれ、彼女に4/10の太陽エネルギーをからだじゅうに浴びるだけの健康があったなら、と思いました。彼女の死が報道された後、私の事も心配されちゃってるのかしら、と逆にこちらが心配したのでしたが、誰もそんなこと考えていないみたいでした。うん、私はだいじょうぶ。そういうことのための力は、とっくに放棄しちゃってる、というか、放棄せざるを得ないと承服したから、のたうちまわってやり過ごしてる。鈍才は、生まれ持った仕事をし終えるために、長い時間が必要なんだものね。とはいえ、この春の鬱は、とんでもなく酷かった。おてんとうさまのお陰です。
04/10(土)あんまり、お天気がいいので、威勢よく、大掃除。カーテンを洗い、ブラインドを拭き、布団を干し、窓を拭き、ベランダを掃除して、水を撒く。部屋の中が輝く!窓の外が明るい!からだの強張りがほどける!うれしくて魂が駆け出す、踊り出す!17:00(六本木)E
04/07(水)16:00(西新宿)E
『2004年度の履修登録』
今年度も欲張ってしまいました。
興味深い講義と魅力的な教授が多くて楽しみです。
鎌田東二せんせいの授業は最高に面白く、
漫談家のような教授や宮内庁職員の教授がいたりして、
國學院に入ってよかった、とあらためて思います。
あと一年しか勉強出来ないのだと思えば。
自主休講なんて勿体ない。。。
近況については
5/7発売『婦人公論』を御覧ください。04/06(火)『婦人公論5/7発売号』特集「女が人生設計を考えるとき」エッセイ送稿
04/03(土)15:00(高田馬場)E18:00学校:履修登録説明会
04/02(金)21:15(六本木)E
03/31(水)19:00(南新宿)E(E=新しい習い事。内容は『婦人公論5/7号』に書きました。)
03/30(火)『マリンゲート塩竈』エッセイのテーマ「塩竈の港の灯に対する思い」送稿
03/19(金)大学から成績表が届いた。今の大学は学生本人へではなく保護者へ送付するのだ(國學院だけかしら)。保護者の如き年齢の私は今さら田舎の老母を保護者にする必要もないので、私自身が私の保護者となっている。さて、成績。私がこんなにも勝気な口惜しがりだとは思いもしなかった。15教科のうち11がA(100-80点)で、残り4つがB(79-60点)だったのだけど、B4つのうち出席重視の2つは仕方ないにしても、真面目に授業を受けて真面目に試験勉強した1つ、納得いかねーなー!くっそぉ、口惜しい、なんでだよ、なんでなんだよ、そこまで厳格な査定をするなんて、子育てが下手なんじゃないの?と薮から蛇を出して抗議したいくらいだ(笑。当然、自分のことは棚に上げるというか、反省があるから。子供は褒めて鷹揚に育てたほうがいいよね。倅には悪い事したと思うし、私自身も褒められて育って行きたい今だし(笑))もう1つは、今日こそは出席しようと準備した日に限って病気による休講だった事が何度かあって、ソリが合わないのね、とは思っていた。でも、試験はちゃんと書けたつもりだったんだけどな。夏季課題レポートでの枚数が少し足りなかったせいかしら。でもまあ、20数年前の大学時代に比べれば勤勉になったかも。無惨な成績でも平気でいたからなぁ、過去のボンクラ学生時代は。Aをサービスしてくださった度量の大きな教授には感謝しています。えー、Aを戴いていいんですかぁ?と狂喜しちゃった教科もあったので(笑)
03/18(木)15:00講談社へ。『群像』編集長I氏と担当Y氏と17:30近くまで話す。おおいなる励ましを受けて、潜在的資料(=記憶)が溢れんばかりに引き出され、小説を書くものの基本に立ち返る。意欲、湧く。呪縛の鋼をぶちぶちと切って貰えて、自由になれた気がした。安心したのと感動したのとで感激涙を堪えながら辞す。いつもの医院で降圧剤を処方して貰う。神田川沿いの桜、ところどころ、咲く。
体調すこぶる悪し。
風邪の症状は皆無なのに、
全身が重くて思考も動作もままならず。
霊のせい?と疑わざるを得ないような辛さに、
お線香を焚きまくる。成仏してねと祈りつつ。
神道の人になり掛けているというのに、
自分じゃ自分のお祓いが出来ず、
仏教方式に依存する。03/14(日)朝10:00大泉芽衣子氏(数年前の『すばる文学賞』受賞者で昨年から沖縄在住。この頁を見て連絡をくださった)がホテルまで迎えに来てくれた→大泉氏の車で『沖縄県護国神社』へ。御神籤は一般的な業者作成のものだった。社は沖縄風というのか、白を基調とした横に広い建物で、境内に“笑える建物”があったため、倅と大泉氏とで笑い転げる。
巨大なガジュマルの幹の上にある“ビックリするようなレストラン”が、本物のガジュマルの上にあるのかどうか倅とふたり確かめに行く。偽物だった。でも、笑えた。
画像1:http://tournavi.com/bbs/j_okinawa/c-board.cgi?cmd=one;no=226;id=
画像2:http://www.okinawakuukan.com/index/shop/food/naha/ajia/
『ひめゆり平和祈念資料館』へ。最後の資料室で身体に異変を感じる。喉元が苦しくなり、なにやらズシリと重いものが被さったよう。資料館を出た後で大泉氏や倅に話すと、三人とも似たような症状だった。戦争被害者の霊魂が憑いたのかも、と頷き合う。
国際通りで食事をした後『首里城』へ。「何もかもが復元なのに、どうして世界遺産なんですかね」と大泉氏が言う。同意。完璧にシステム化された、観光のための模型作品のように感じられた。しかし、琉球王国の歴史や文化がよく分かった。
「沖縄は日本で一番日照率が低いらしい。しょっちゅう小雨が降るので洗濯物を外に出しておけないし、湿気も凄いし、夏は夏で後頭部を鈍器で殴るような暑さだし。スカッと晴れないから鬱になる」と大泉氏。「却って小説を書くには都合がいいかもね」と言ってはみたが、夕陽が見られず、曇天からずんずんと暗闇に呑み込まれて行くような夕暮れは、寂しく、怖い。沖縄の人達の感性を知りたくなる。次に訪れる時は、観光地ではない場所で沖縄の人と話してみたい。那覇市内は密集度が高く道路が狭くて交通渋滞はいつもの事らしい。首里城付近から眺めた街の風景は麗しい。窮屈な感じは否めないものの。
小雨の降る闇の中、『普天間基地周辺』を走って貰う。道路が広くなって沿道の店もアメリカ風。沖縄は琉球と日本とアメリカの混在というか、共生共存と書いたら批判されるか、ともあれ基地周辺のドライブはアメリカを嫌いになれない私や倅には気持ちがよかった→深夜1:00過ぎ帰宅。倅はすっかり沖縄が好きになり「絶対に移住する」と言っている。
03/13(土)8:00ダイブショップの迎え→同行の倅が体験ダイブをする都合上、那覇から一番近いスポット<ちーびし>へ。男性インストラクター兼船長と女性インストラクターの他、客は私と倅だけで、立派なボートは貸切状態。私の予定は2ボートダイブ。8年前のハワイでの、日本人観光客を馬鹿にしたようなお粗末な体験ダイブの記憶から、前日まで「気乗りがしない」と言っていた倅は、本格的なダイブに感動しまくる。私がダイブしている間、ボートで待っているより、もっと潜りたいと言うので体験ダイブを追加して貰う。地形が入り組んでいて面白く、岩の狭い裂け目や細い穴を潜る。それにしても水が冷たかった。頬が凍るかと思ったほどで、あまりの冷たさに頭痛がした。
2回目の途中、他のダイブショップの人達が餌付けを始めたため、魚が一斉にそちらへ移動。無闇な餌付けはやめればいいのになぁ。ソーセージを餌にするグアムでもそう思った。ソーセージに食いつく魚は獰猛かつ狂暴で、人相ならぬ魚相まで変わって見える。海に住めない人間は魚の自然世界に余計な事をしちゃだめでしょ。人気アニメ映画『ニモ』の世界を商売にしようと、アネモネフィッシュだけでなくイソギンチャクごと乱獲されているという報道もある。言語道断だ。海の中は人間がおのが傲慢さを恥じ謙虚さをもって伺うべき場所なのに。魚料理好きな私などは特に感謝すべき生物世界だし。昼過ぎ、ショップに戻り、お弁当を食べながらログ付け→ホテルで休憩後、夕方、国際通りへ。
03/12(金)午前中、琉球大学附属病院内の喫茶室で『微熱語り』のゲラ校正をして、病院内郵便局から送稿→夕方まで琉球大学医学部構内で過ごす。一日中、寒かった→国際通り。
03/11(木)昼、沖縄→寒い!曇って、おまけに小雨がぱらつく。トロピカルな服しか持って行かなかった私は甘かった。国際通りで長袖のカーディガンを買う。沖縄は常夏の島ではないのだった。緯度からして当たり前だけど。
03/03(水)午前1時起床→4:30発の便で帰国。今回のダイビングで鬱菌を排泄出来たみたい。とても元気に帰って来ました。次は沖縄、その次はたぶんフィリピン方面の海へ行くはず。いや、絶対に、行く。
飛行機の中で『伊豆の踊子』(新潮文庫)を読み終え、涙ぐむ。素晴らしい、川端康成。見事だ。今回は自宅の本棚で古本状態になっている『伊豆の踊子』だけを持って行った。こんな素晴らしい文学作品を私から遠ざけた山口百恵と三浦友和の映画を怨む。『春琴抄』しかり。アイドル映画の弊害というヤツだ。
03/02(火)予定外のオプションで、2ボート。日本人に人気の『Day Dream』は満杯だったので『Gently Blue』という日本人スタッフばかりのダイブショップへ。他のダイバー達のスケジュールに合わせて再び<クレバス>へ。前日のカメと遭遇した時、使い捨て水中カメラを持って行かなかったので、カメの撮影を、と期待したけれど会えなかった。でも、岩の裂け目@深さ30mまで潜ったので満足→休憩がてらイルカのいる<ハップス・リーフ>へ。ハシナガイルカの群れを見た!写真、うまく撮れているといいのだけど。夕方、ホテル近くのビーチで、ひとり、沈みゆく夕陽を眺めて過ごす。
03/01(月)2ボート。<クレバス>という名の通りの裂け目へ。アオウミガメと遭遇!ナポレオンもいた!休憩後、<バラクーダー・ロック>へ。この日のインストラクターさんは繊細で丁寧な日本人で、ダイブショップにウェットスーツを置き忘れた私のために、夜8時過ぎにホテルまで届けてくださった。『Day Dream』の山本さん、ありがとう!と、ここに書いたところで読んで貰えないけど。夕方「Kマート」で主婦の真似事をしてみた。グアム名物@ブランド店には全く入らず。
02/29(日)午前2:35グアム着→8:00ダイブショップのお迎え→2ボート・ダイビング。<ブルーホール>でいきなり38mの深さへ。緊張したけれど耳抜きを慎重に繰り返し随いていく。透明度抜群の美しい青にうっとり。休憩後、商業港と軍港を兼ねたアプラ湾内の<ギャブギャブ>へ。ここは遊覧潜水艦の航路に巨大な黒い魚ロウニンアジが餌付けされており、魚と一緒にダイバーも見世物になるというスポット。
ダイブショップでの仕出し屋弁当は純和食で、鯵のフライ、切り干し大根、キャベツの千切り、卵焼き、沢庵などで、白米に黒胡麻も掛かっていた。ブルーホールへ向かう途中、ボートに仕掛けた針にシーラという黄色っぽい蛍光色の魚(体長約80cm)が掛かる。お弁当の時、チャモロ系のインストラクターが刺身にして振る舞ってくれた。わさびがあればもっとよかったけれど、実に美味しかった。お醤油は常備しているらしい。グアムは日本製品だらけだ。文字表記も、人も、物も、海の中まで、日本、日本、日本、日本!英語が喋れない=日本人を相手にするグアムの人達が話すのも日本語。
02/28(土)出国02/25(水)15:00〜男子3名、来宅して宴会(祭式作法の授業で一緒だった埼玉の某神社の子息20才+その友達の熊野○○大社の子息23才+その“先輩”で映画と小説を為す23才)。“先輩”という人が若合に会ってみたい、という事から決まった。ついでに社家の御曹子達のあれこれを取材しちゃおうという魂胆。
02/24(火)夕方、小石川税務署で確定申告。地蔵通り商店街を経由して江戸川橋駅まで歩く。
02/22(日)すっぽんの次はふぐ。上野の小さな店の親父さんは秋田の白神山地出身だという。仮にふぐが猪でも(私は哺乳類を食しないものの)満足度は同じだったのではないかと思えるほどに大胆かつ豪快で、さらに量と鮮度が抜群で何もかも旨かった。ぶつ切りの大きな生の白子を惜しみなく食べる贅沢。元家族が最終の新幹線で帰る都合上、1時間30分しか時間がなかったため、最後の雑炊は慌ててかき込む始末だったけれど、親父さんのお姑さん(千葉出身)による糠漬けまでが美味しかった。なんという贅沢三昧。大学入学以来せっかく8キロ痩せたのに無駄になりそうな胃拡張ぶり。さて、英気を養ったことだし執筆のほうに馬力を入れなくちゃ。
02/21(土)19:00渋谷。元家族が確定申告の書類を整えて上京→すっぽん料理を初めて食べる。すっぽんの生き血入りワインを2杯も飲んだら急に体が楽になった。肝臓の刺身が軟らかくてぷりぷりして臭みもなく美味。黒い甲羅がそのまま入った一見グロテスクな鍋もコラーゲンたっぷりで旨かった。烏賊の活け造りも食す→高田馬場から早稲田まで歩いてカラオケ。すっぽん効果か、声が出る出る、ガンガン歌う。長渕剛の真似をしたら元家族と倅に馬鹿ウケして感心される(当たり前だ、デビュー当時はよく聞いてたもの)。荒井由実の『翳りゆく部屋』を椎名林檎もカヴァーしていたことを知る。ふぅん、でも、たぶん私のほうが上手いと思う(笑。これも当たり前、シンガーソングライターを目指していた前の大学時代、コンサートで歌ってたもの)。でも倅の英語やラップの曲には負ける。私の好きな『SOUL’d OUT』を次々と歌ってくれたので調子に乗って踊る(私の踊りは自然にフィジーのブラ・ダンスになる。何故かといえばビーチコマー島に滞在中、連夜「ブラ・クィーン」に指名されて小さいステージの上で踊っていたから)→4:00元家族が学生時代に通ったというラーメン屋『えぞ菊』へ。おなかいっぱい胃拡張。いやはや、すっぽんは、凄い。体が軽くなって痛快。万年(慢性ともいう)肩凝りで苦しんでいる角川K女史に御馳走したい。今日はすっぽんの血で書いてみました(うそ)。
02/17(火)17:00銀座メンタルクリニックへ。「好きなように生きるのがいいですよ」先生の、この一言はどんな言葉よりも嬉しい。同じような台詞が『腦病院〜』にもあるのは、先生が畑山博士のモデルだから。(単行本のP75「何でも正直に表現して構はないんですよ、貴女は此の先、どんな事でも我慢する必要はないんですよ、自分を樂にさせるやうなモノの考へ方をしても善いんですよ」腦病院の畑山博士のお墨附き。)この日も先生のお墨附きを戴いた。それで、うーん、書いて好いのかどうか迷うのだけど、“鬱病者に対する「頑張って」は禁句”と言われて久しい事を踏まえての話、私自身が苦しかったので参考までに。医者でもない上に日常的には疎遠な人から、病状に口を挟まれたり教師の如き差し出がましい助言をされると、せっかく好転しつつあったものが悪化して不快感を払拭するのに何時間も掛かる。当然、悪意はないし親切ごころからでしょうけど、野暮な励ましは暴力と同じ。励ましはどうあれ野暮が罪。何が野暮なのか、具体的かつ端的に説明するのは難しいにしても。
いつもの三共薬局が閉店してしまったため、東銀座へ。今回も抗鬱剤トレドミンと抗不安薬セディールと睡眠導入剤マイスリーで、セディールとマイスリーの量を多く処方して貰った。
18:00〜試写会『ホテル ビーナス』。無国籍の街での韓国語の台詞。役者は日本人と韓国人でエキストラは白人(何処の国の人達かを書いてしまうとロケ地が分かってしまう。パンフレットを読んで驚くといいかも)。中盤に説明的なシーンがあったり、ありがちな展開ではあるけれど、泣ける。音と色がいい。靴音と無音が効果的。モノクロに近い色も気持ちよい。草なぎ(弓+剪)君が妙に格好良過ぎて変といえば変。香川照之と中谷美紀が凄くいい。サービスのようにSMAPのメンバーがちょっとだけ登場したのには苦笑。テレビや新聞でも大々的に宣伝しているけど、観て損なし。おすすめ。
20:30〜今年初めて角川K女史と会う。韓国土産の小さな布袋をふたつ頂戴した。黄緑と橙色で、それぞれの色に合う組み紐の飾りが付いており、うっとりするような美しさ。小さいほうは煙草入れにぴったり。御馳走になって帰宅。<K女史語録>
ダイビングは命懸けの修行だ。
健康的で明るいレジャーではない。
K女史は20年以上前からの超ベテラン・ダイバー。
日本人の多くが誤解しているダイビングの本質を語る。
だから、
若合→ダイビング→健康というイメージは間違いなんです。
ついでながら、
若合→海外旅行→元気というのも間違いなんです。
不健康で元気がないからこそ行くんです。
そして、さらに酷い鬱になる〜(笑)
何故なら何処にも人がいるから。02/15(日)最近、何故なのか死者に対して祈る力が失せてしまい、同時に、所謂“憑依状態”に至るのが困難になっている。しかし、先日の『球体関節人形展』の図録・解説で種村季弘氏が人形作家の制作について、こう述べていたので安堵した。
「ふつうに堅固な理性や分別のある人は人形なんか作らないと思う(略)
大人になると自分が依代になるのがだんだん難しくなる。それにいったん憑依状態になると、そこから戻ってくるのにものすごいエネルギーがいるから疲労困憊する。で、だんだんできなくなってくると、あいつは評判ほどのことはないインチキなやつだという風評がたち、人が寄りつかなくなって仕舞いには破滅するわけです。だから、そのあいだに何か客観的なものから転移する技術を開発しなきゃいけない。こっくりさんみたいに器具(または楽器)を使ったものにしたり、自分の分身のようなものを作ってそれに押しつけるか(略)」
「『思春期退行』も『幼児返り』も作家にとっては不可欠な要素でしょう、一般のお勤めの人には「大人」としての生活ができるようにアドバイスできますが、あなたの場合は「大人」と「子ども」の両方を行ったり来たりできるのがいいですね」とメンタルクリニックの先生から言われていたので、憑依しやすい「子ども」に戻ったのは良い事なのだな、と。ただ、募りに募った焦燥感と恐怖感と不安感の果てに、大学に入って時間の使い方が変わったのだから、小説に集中する気力が減退するのも無理はないと思えるようになった。けれど、現役大学生や有職者やアルバイトをしながら執筆している人もいるので、これは言い訳に過ぎない。私の場合、人より脳味噌の力と体力の器が小さいという事なのだけど、以前「小説用背後霊」と名付けていた燃料を取り込んで憑依状態に入るには、たっぷりとした時間が必要なのだと思い知らされる。書くべきこと、書きたいことは既に整っているのに、トランスしないと駄作になりそうで怖い。駄作でもいいから書き上げてしまえよ、死んだ大文豪@谷崎だって冗長な駄作を残しているんだし、という訳にはいかない(こう書くと、これまで駄作を書かなかったのか、と問われるはず。書きました、未発表のものも含めて、はい、私の書いたものなんて駄作ばっかりです、と拗ねて、捻くれて、開き直る)。自慢じゃないけど、と言いながら自慢しちゃうんだけど、生きている文豪?@島田雅彦氏から「あなたはシャーマンだね、巫女的」と言われたことがあるんだから、執筆時は神憑りしなきゃいけない、私。だからって“猫女”の如き画像↓を公開しているのではないです。新しい携帯のデジカメで遊んでみただけ。そのウチ、飽きます。02/13(金)『球体関節人形展』(東京都現代美術館:〜3/21)
http://www.museum.or.jp/announce/20040207/ 何年か前に写真を撮ってくれたマリオ・Aが出品しているので観に行った。図録+葉書購入。図録の解説を深川の焼き鳥屋で熟読する。マリオ…!..
【東京都現代美術館閉館後の若合@加工品】
【本日の若合】
(京劇風@未加工品)02/09(月)試験終了。最後の試験中、腹痛が酷くなる。風邪をひいたらしい。
【本日の若合@加工品】『潮・3月号』
【Ushio Library】
《私がすすめるこの3冊》に
インタビューが掲載されています。
さりげなく自著宣伝を狙った訳じゃないけれど、
文庫本『腦病院へまゐります。』の解説に書かれた
島田雅彦氏の発言に触れてみたりして。久々の活字媒体出現です。学業を優先しているうちに無職の如き生活になっています。意外にも学年末試験対策ではクラスメイトにノートを貸し出す係の一人になっていました。仕事で多忙な人には優しい気持ちになれるけど、授業に出ても真面目にノートをとらないで他人を当てにするヤツは軽蔑。わたしゃぁね、無収入のリスクを背負って登校してんだよ、何の為に入学したんだよ、ふざけんな、hぉけ、とノートで頬を張り倒してあげたいくらいです。勿論、しないけど、実際には、そんなこと。そういう要領のいいヤツに限って良い点数をとるんだよね。私にとって「要領がいい」は侮蔑語。いや、授業に出ても高得点がとれないからって僻んでいるんじゃなくて(笑)
02/06(金)試験 携帯電話が壊れたので機種変更のついでにデジカメで撮った画像をPCに取り込むため携帯メール@ezwebに加入。電話番号は変更なし。
02/04(水)晩年のマルキ・ド・サドをモデルにした映画『クイルズ』を観る。
作品紹介サイト:http://www.eiga-portal.com/movie/quills/01.shtml
昨日観た岩井俊二監督『Undo』と香港映画は物足りなかった。『クイルズ』に関しては何も言いたくないのだけれど、敢えてひとこと言うのなら、自分の倫理観や正義感が真っ当である事を再確認した、というところ。私にとってサドとニーチェは倫理の師なので。それにしても私は凡庸である。世の人々は圧倒的に凡庸である。凡庸なものには凡庸なだけに罪すらないが、無自覚なまがいものよりずっとましだ。気取り屋のまがいものには反吐が出る、というのが先月下旬から10本の映画を観て感じたこと。02/02(月)今日は岩井俊二監督『スワロウテイル』を観た。頭蓋骨と頭皮の間が何度も痺れた。痺れ痺れて頭皮がずるりと剥けた。金箔や網膜ほどの価値もない、ましてや観念とも呼べない雑多な被い物が剥離するのは好いことだ。
『無花果日誌』で17歳の女子高生に「道を知らないという事は無駄な回り道をしなければならず、知識が足りないという事は余計な労力を発生させるのだ」と言わせていた自分が『思春期退行』『幼児返り』と診断されて、このところ病人になりきって幼稚な戯言を吐き出していたものの、結局は、自分が17歳の時に抱き締めた中也の言葉「頭の惡いといふことだけが罪惡だ。(恐らく地上最後の言葉)」に回帰する。さらに昨日の『断酒宣言』にせよ、中也の「控へ目といふことが大事。人に會ひて氣を散らすより家居の運動不足の方猶衛生的ならずや。」を拝借して仕舞えばそれ以上の事はなし、という程度のもの。
なんのことはない、もっと早く岩井俊二に出会っていればよかった、という微かな後悔と、いま出会ったのだからいいじゃないの、という肯定と、世の中には私の知らない凄いものが山ほどあるのね、という単純幼稚な感慨と、それからなんでしょう、凄いものを創造する凄い人々には敵わない、という諦観と、頭の中に渦巻いているもの早急に吐き出してしまいたい欲求とで、ずるりと剥けた頭皮を整えて被り直すような感覚。
夕方、半年前から降圧剤を処方して貰っている主治医に「胃薬が欲しい」と頼んで、薬袋を持って帰る途中、雨降りの暗い神田川を眺め下ろした時、私は何を苦しがっているんだろう、何が痛いというんだろう、としらけた。薬剤師兼受付のおばさまに「いい匂いね」と言われて何の事かと辺りを嗅いでみたら「あなた、いい匂いね」という。今日は香水を付けなかったから、シャンプーかセーターの洗剤の匂いか分からないけれど、にっこりと微笑みながら「あなた、ほんとうにいい匂いねぇ」と繰り返されて、少し覚醒したらしい。客観性という大事なものに。(おばさま、お鼻がよろしくないんじゃなくて?私、煙草臭いはずなんだけど、と口答えはしませんでした)02/01(日)ビデオで岩井俊二監督『FRIED DRAGON FISH』『PiCNiC』を観た。どちらも浅野忠信。CHARAが可愛らしくて『PiCNiC』は3回繰り返して観た。安心した。救いだの癒しだのと陳腐になった言葉は遣いたくないけれど、ほっとした。大人として生きるにはどうしたらいいんだろうと考えても答えが出せないお馬鹿っぷりの現在、無理に大人にならなくてもいいのかな、なんて。世の中の人々が、皆、立派に見える。大人の態度で生きている人達を尊敬しちゃう。私には老成する才能が足りないみたいだ。でも、どうなんだろう、困ったな。今、言えることはたったひとつ。もうお酒は飲まない。酒癖が悪いから。タチが悪い、始末におえない、世の中に迷惑を掛ける。疾うに分かっていたことなのに何を今さらという感じだけど。からだも受け付けないし、もう酒毒で苦しむのも嫌だ。という訳で『断酒宣言』。
試験12教科のうち8教科終了。いちいちが赤面の至り。私の頭脳はお勉強用に出来ていないらしい。誤答に対して口惜しさを超えて募る恥ずかしさ。しかも手書きで提出したレポートに誤字があったことを後になって気付き、心臓を止めちゃいたいくらいの恥ずかしさで、のたうちまわりかけた。開き直れよ、私、とも思うのだけど、恥は恥だ。01/30(金)試験
01/28(水)ここ最近、提出したレポートは『世界宗教史』の『イスラム教』と『神道教化概論』の『「環境問題」と「神道」』で、殊に後者は副題に「T新成人Uと神道的通過儀禮」と付けて旧字旧仮名遣いで書いてみた。日本人の人生通過儀礼のうち、新しい生命に関する儀式の多くを請け負っているのが神道で(尚、死に関しては仏教が大半を占めている)安産祈願、初宮詣り、七五三の他に(神前結婚式は減少しているものの)新しい年を迎えるための初詣には多くの人々が神社へと足を運ぶのに、何故、新しい成人のための儀式はないのかという疑問と、自然環境問題と人間の傲慢さとを絡めて書いたのだった。というのも、近年話題になっている「成人式」の報道で、自治体主催の「成人の集い」での新成人の傍若無人ぶりに呆れ、それとは裏腹に、長野の諏訪大社で「元服式」を迎えた新成人の清々しくも礼儀正しく美しい姿に感動したからだ。この差異に驚き、七五三に続く神道的通過儀礼を神社側で積極的に提供してはどうだろうか、と提案したのだった。「元服」は男子に限るけれども男女共通の「成人式」を七五三同様に神社で開催して、希望する新成人を迎えてあげたらいいのに、と。私は右翼ではないし、天皇信奉者でもないし、信仰心だってないかもしれないし(未定という感じ)神道に関して声高に物申す気力もないし、それに今のところ、お勉強中だけれども、日本の伝統的文化を継承し、伝統的儀式に準ずることに何ら疑問を感じない。寧ろ、戦後の教育を受けている日本人は知っておくべきだと思っている。「お行儀」を身につけるには「〜道」を知るのがいい。因みに私は剣道と華道と無軌道を僅かばかり習得している。(戦後の日本の法律上では、一応、神道は「宗教」だけれども、私には未だに「〜教」とは違うという感覚を排する事が出来ず、歴史的伝統文化の側面でしか捉えられないでいる)
01/27(火)生きて感じる喜びのすべては戴き物で、自発的に求めたものは認識するだけで喜びには至らず、見定めた目標に対して当然だ、と思う。自分で得ようと意識して掴んだものに対しては喜びではなく確信を得たような気分にもなる。これは自己の生を肯定する可能性を、ささやかに感じるという、視線が足元から真正面へと移る感覚だ。ほんの少し、一瞬に過ぎないにしても。
生まれてこの方、過去も現在も、沢山のあれこれを戴いていると感じながら生きていて、些末な日常の中で「ああ、ありがとう、救われた…」と口に出して感謝を伝える事が多い事自体、ああ、私はまだ、生きていくようになっているのだな、と、そこでまた認識する。
私は、生きて、書いて、そうして死んでいくようにしか生まれて来なかったので、どう考えても、そうとしか思えないので、そういうふうにしか生まれて来なかったので、今、どうしようもない、と思っていても、そのままの傷みを記憶して、その記憶を加工して、いつかきっと製品化出来るはずなんだ。大丈夫、私は商人の娘だもの。しかも、赤貧から成り上がった男の娘だもの。因みに私は「歪んだファザコン」だけど、父の美貌や商才の代わりに、生きる痛みを知って生きる感覚を言葉で加工して表現せざるをえない才能を貰ったのだ、と信じる力を、もう疑わない。その割には怠け者で、すぐに疲れちゃうんだけど。今、すごく、疲れている。毎日、会社に行く人は、偉い。せっかく入って学んだのだから、なんてケチな考えのもとに勉強しているけれども、ああ、口惜しい、百点取り損ねた。きぃ〜(笑)私のサイトを、毎日、訪れてくださっている方々、たいした盛り上がりがなくて、ごめんなさいね。
渋谷『TSUTAYA』で平原綾香『Jupiter』購入。英語はどうあれ、日本語の発音は、もすこし、ふつーでいいんじゃないかなぁ。それより『Jupiter』って、どんなアレンジにもめげないすごい曲だ。とっくに死んでるホルストさんは素晴らしい。しかし、普遍性のみ書いたのね、素直な青春だなぁ、と感心した歌詞を書いたのが「19歳@平原さん本人」ではなくて「とっくに大人@吉元由美」とわかって、苦笑い。うまい!けれど、かなり、がっかり。ん、私は歌い手に何を求めているんだろう。いや、自分の声で、自分の言葉で、自分の旋律で、自分のリズムで、なにもかも自作で歌いたい人のようなイメージを抱いてしまったものだから。もとより名曲に日本語を乗せた作品に過ぎないけれども。
01/26(月)授業
01/24(土)試験
01/23(金)授業(授業および試験のある日以外は在宅して、執筆)01/22(木)このところ軽率かつ稚拙ならびに他愛もない日記まがいの雑文をさらけだしている理由は、リハビリ。頑丈な鬱の蓋下に逼塞していた言葉を外(おおやけ)に放出する社会訓練のようなもの。侮蔑に値する恥知らずで幼稚な言葉であれ、出てくるようになっただけマシ(閲覧の方々には無礼だし、失望されるかもしれないけれども)。最近、誰かの文章を読んで反発を覚えたり反論したくなる気力が甦って来たのは良い傾向(結局は口を閉ざす常套に変化はないにしても)。新聞の小さな記事で涙ぐむ感性や想像力も甦って来た。最悪期は新聞記事や誰かの文章をきちんと読み通すことすら出来なかったのだから。今のところは抗不安剤セディールに依存して授業中やバスの中でも服用しているものの、回復の兆し、有り。
本日も試験なり。<助勤T氏語録>
1本じゃ足りないんじゃないの?
5、6本は要るでしょ?
(玄関に飾った『山王日枝神社の破魔矢』のこと)01/21(水)小石川郵便局から「郵便物の配達状況を問い合わせる書簡」が届いた。正確に配達されたかどうかを局内で確認してサービス向上を目指すためだという。しかし、差出人が何日に投函して何日の配達を希望(予定)したのか受取人には分からないので「予定日に配達されたか?」と尋ねられても答えようがない。そもそも正確な配達は、単なるサービスではない当然の仕事なのだから、受取人の手をわずらわせる調査は迷惑以外のなにものでもない。この調査が全国で行われているとすれば、各局内の不完全な業務管理を一般市民に頼っているとしか思えない、などと書いて返信したらキツいかなぁ。普段は近所の郵便局の皆さんにお世話になっている(特に海外へ荷物を送る際、ものすごく親切にして戴いた)し、配達員の方々が懸命に仕事をなさっていることも承知しているので、組織上層部の考えることはどこかズレている、という感が強いのだけど。
本日より試験開始。<M@満月語録>
若合さんてさぁ、
女っていうより子どもだよね。01/19(月)学校帰りの渋谷駅構内で、サッカー帰りだという星野智幸氏と出会す。都内を歩いていて知人と出会うなんて滅多にないので、私は吃驚したけれど。
<M@満月語録>
書きたくない気分で小説を書くのは
売春婦のセックスと同じだよ。01/17(土)21:40新宿でM@満月嬢とデート(?)体調を崩した満月嬢が待ち合わせ場所のショット・バーに現れたのは沁條ヤ15分後。その間、私はカナダ人のおじさんに話し掛けられ下手糞な英語で応対→雪の降る中、別のバーへ。そこで知り合った早稲田卒の紳士ふたりを連れて「風花」(昨夏の泥酔+記憶喪失@ボトル代支払いのため)へ→満月嬢と私だけが朝まで飲む。「富士そば」でうどんを食べて帰宅したのは朝7時。
01/16(金)勉強らしい勉強をしていると目や耳や鼻から言葉が溢れ出して収拾がつかなくなる。だからといって小説に反映されるかと言えばそうでもなく、溢れ、流れ、消えて行くだけ。口は閉じたままだし指遣いはいつからか不器用になったし。先日、星野智幸氏から新刊『ロンリー・ハーツ・キラー』(中央公論新社)が送られて来たので(因みに双方で新刊の贈呈を行っているのは星野氏だけ。それも星野氏の律儀なお人柄に拠るもの)頁を捲ってみると文字が浮き上がって見えた。文字面自体が絵となるような小説は言霊が生きて沸き上がっている証拠。言葉の自由を獲得しているというのか、星野さんが文学そのものから解放されているように窺われ、そのうえ装釘までもが気持ちいいので傍に置いて眺めては励みにしている。私は未だ文章作法の呪縛から解放されていない。
赤坂『山王日枝神社』の破魔矢は玄関に飾るべき、と助勤T氏の彼女から教えて貰ったので、早速、実行する。身長175cm前後の人の心臓付近に矢が刺さるように設置した。以前から角川K女史に「無闇に他人を部屋に入れるな。女の一人暮らしなのに不用心だ」と忠告されているにも拘らず、軽々しく招いてしまう悪癖。これからは破魔矢が護ってくれるかも?01/14(水)学年末試験に向けて休まず授業に出ています。
昨日、偶然に、7年前の数カ月間、関わった男子(当時は高校生で現在24歳)が東大を経て弁護士になった事を知った。外務省あたりのキャリア官僚になっていると想像していたものの「なるほど、あの頭脳ならさもありなん」と納得。他人事ながら喜ばしい。しょっちゅうアタマの悪さを馬鹿にされていたっけなぁ、と当時を懐かしんだりして。私は知能指数125しかないし女性としても人間的にもお粗末なので、それは致し方なかったのだけど、一緒に観に行った映画『エヴァンゲリオン』や雨の駒場公園や渋谷のあちらこちらが懐かしい(オツムの目出度い私は過去に関わった人の良い部分しか思い出さない傾向にある。というか不都合な記憶を封印して無意識に自己救済を謀ろうとするらしい)ともあれ、おめでとう、Y君。私のサイトなんか見てやしないだろうけど(笑)01/08(木)授業開始
01/07(水)深夜までかかって年賀状を書く。年末の多忙な時期に年賀状を書いて投函する方々に敬服しつつ。年賀状に「申」と書きたいがために絵の具と筆を探していたら十年前のラブレターの下書きや写真を発見してしまった。下書きは全部廃棄。その中にあった詩一編。
口から出まかせ
嘘は終焉の起因
不履行は罪曲線を刻む踏切
発光する駅-YOYOGIHACHIMAN.st-23時
左半身のまぶしさ束の間の純情
倒錯の茶番
頭痛
酸欠
みぞおちに針日常の食卓
慈しみの箱
覚醒は臨終散る桜
愚弄の記憶を抹消するさようなら
1994.4.2
01/06(火)17:00過ぎ、2年振りに「銀座メンタルクリニック」へ。長々と話を聞いて戴いた後、抗鬱剤トレドミン、抗不安剤セディール、睡眠誘導剤マイスリーを処方して戴く。新年早々クリニックへ行こうと決意したのは苦しみや痛みに耐えているだけでは発展性がなく旺盛な生産活動が出来ないと判断したから。それと、泥酔した不様な姿を世間様に曝し続けるのもどうかと思えたから。医学生の教科書に書いてある通りの症例らしい症例で「思春期退行」「幼児返り」をしているとのこと→伊東屋でカレンダーを買った後、小料理屋「菊正」へ。70歳近い女将さんが特製ライスカレーを振る舞ってくれて、同じビルの上階で開催中の個展(女子美卒の女将さんが育てている若手作家たちの陶芸、ガラス工芸、絵画、写真など)を見せてくれた。陶器とピアス購入。女将さんにクリニックへ行った事を話したら「傍目には全くそうは見えないのにね」と仰りながら励みになるような話をしてくれた。お孃さん時代のお転婆振りが垣間見られる女将さんの動きと姿勢はとても美しい→半年振りに新宿「風花」へ。半年前に泥酔して入れたらしいボトル代が未払いだった事を知る。ダメダメだった去年のツケがまだあった。悪酔いせず、5時過ぎ帰宅。セディールの速効性、有り難し。精神的に不安定な状態で飲酒をすると碌な事がない。もっと早くクリニックへ行けばよかった、と今となっては思うけれど、鬱のどん底にあるうちはなかなか行けない。美しい海に潜っても解消されなかったどころか却って悪化してしまい、無闇矢鱈にのたうちまわっていたのだった。痛みを凌いでいるうちに治療の必要性を理解する力が自然発生したものの、無駄な苦しみだったなあ。鬱のまま生きるのに飽きたというのもある。生まれながらの飽き性はこういうところで役に立つ。
次作『吝嗇』書き出しています。
(「りんしょく」と書いて「けち」と読む)
某原稿の書き直しです。01/04(日)17:00『満月新年会』(去年『フラワー』『エクスタシー』(宝島社)を刊行したM@満月嬢主催)新宿ゴールデン街の某店でカウンターの中に入って準備を手伝う。バーのママをやるのは体力が必要だと実感する。M@満月嬢は相変わらずの美貌で気風がいい。イラストレーター諸氏と飲んで、朝3時過ぎに帰宅。
小説のほうは書き出しに唸り続けているものの、
夢の中でも思考し続けている状態。01/02(金)午後、赤坂『山王日枝神社』へ初詣。猿にゆかりのある神社として元旦のニュースで「猿回し」が放映されたせいか参拝客数物凄し。警備員が厳格に整理する行列は手水場へ寄るようにようはなっていないので「手水もしないで神様にお詣りするなんて」と私ひとり列を離れる。國學院の同級生で日枝神社で助勤をしているT氏(白衣緑袴姿)がいたので話す。参拝の後、再びT氏と話したら「ちょっと待ってて」と言って『夫婦猿+子猿』の土鈴をくれた。「(切手の図柄になったという)どれーです」と差し出されて思わず「どれぇ?あなたの奴隷になりますわってヤツかな」と応えた私。今年は実生活もSM世界へ向かうのか?(そのつもり、と私の中の某人格が返答する。因みに「SMのSとはサービスのこと」と教えてくれた人がいた。じゃあ、Mはなに?毎度あり、任せます、みだら、無理難題、面倒みて、もっともっと?否「免許皆伝」としておこう、取り敢えず)日枝神社では破魔矢を買うと巫女さんが抱いて神楽に合わせて舞う。大破魔矢を買う→猿回しを見物してから神社内のレストラン『築地植むら』で食事。閉門後で客が少なくなったせいか、御膳料理だけでなくメニューにない天麩羅盛り合わせを注文したら快諾してくれた。正月に相応しい細やかな配慮のある料理で、天麩羅油がさっぱりとしていて美味しかった→赤坂を散歩して『アンナミラーズ』で休憩→申年男の元家族は東京駅から宮城へ帰って行った→倅と帰宅する途中、ピンクのマフラー(カシミヤのストール)が肩に掛かっていない事に気付く。12/17に泥酔した時、白いカシミヤを紛失している。半月のうちに2枚も失くすなんて。「巻くもの、絞めるものは、不要なのだ」「今年は雑念に巻かれず、自分で自分の首を絞めず、身軽に生きていけるようにして貰ったのだ」と解釈して、あきらめる。私の経済観念からして2枚とも高かったのだけど、去年は異常な金銭感覚の元に無駄金をどっさりとドブに捨てるばかりだったので「去年のツケが残っていたのだ」とも解釈する。今年は勤倹節約を心掛けて分相応の経済に立ち返ろう。
01/01(木)例年のことながら年賀状を頂戴してから、年賀ハガキを買わなくちゃ、と思う。小説家で年賀状をくださるのは星野智幸氏たったひとりなのだけど、偉いなぁ、星野さんは、と氏の誠実で真面目な人柄にしみじみと感じ入るのも例年通り。年末に田舎の弟が送ってくれた『おせち料理セット』を食べたり、お昼寝をしたり、だらだらと過ごすのも例年通り。
【2003年の仕事・下半期】
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