若合春侑の仕事・身邊雜記
2001年下半期


12/31(月)歸郷

12/25(火)18:30西麻布の横山事務所で髪を切つて貰ふ。カラーリングをしたK女史と横山さんとで食事。

12/24(月)22:00、先に來宅した薫+夜道のガードマンとしてお迎へに來てくれた角川書店の好青年と目白臺カテドラル教会の御ミサへ。角川K女史&お友達と合流。薫&好青年&K女史&わたしの4人、ウチでクリスマスパーティー。K女史とわたしとで結成した♪ぴーちく・ぱーちく合唱団♪に男子2名も加はる事になり、朝3時前「カラオケに行かう!」とK女史が云ふので神樂坂へ。閉店の4:30まで歌ふ。薫+好青年、K女史+わたし、男女それぞれハーモニーは見事、混声となればさらに凄い事、間違ひなし?レパートリーを増やしてテレビ番組のオーディションに応募するのが目標?

12/21(金)21:00〜文學界擔當N氏&飛鳥新社Kさん來宅。Kさん泊まる。N氏と朝8時まで話す(校了明けでヘトヘトのN氏を引き止めて愚痴を聞いて戴いたのだつた)

12/12(水)角川書店K女史のお誕生パーティーでK女史のお友達や角川書店の方々とお目にかかる。すごく人格の優れた方ばかりでかなり樂しう御座いました→『本の旅人』編集長と高田馬場で朝まで飲む(薫、退院) 

12/04(火)14:00『小説現代』N氏とお會ひする。

12/03(月)薫に付き添つて病院→學校へ

12/01(土)『本の旅人12月號』發賣『無花果日誌(11)〜走り出す。直線で行くと決めた〜掲載
 愚息:薫、事故で左肩鎖関節脱臼。靭帶を3本も切り、全治四ヶ月。12/6期末試驗終了日に入院、翌7日手術。骨の中にワイヤーを通すのだとか。二ヶ月後、ワイヤーを抜く爲、再手術らしい。


11/30(金)17:30銀座:メンタルクリニック(セディール=抗不安藥、パキシル=抗鬱剤を處方して戴く)→19:00角川書店M氏+K女史

11/28(水)18:00飯田橋、中央公論新社N氏+婦人公論K女史→記憶をなくす程に惡醉ひして仕舞ひ猛烈に反省。

11/25(日)初めてインターネット(Yahooのesbooks:代金引換)で注文した本が屆く。フォローが細やかだし、なるほど便利。
 ※三册とも田淵安一(たぶち・やすかず)著
  『西の眼 東の眼』(新潮社)
  『ブルターニュ・風と沈黙』(人文書院)
  『イデアの結界 西欧的感性のかたち』(人文書院)

11/23(金)11:30澁谷・神戸の友人と待ち合はせ→薫のヴァイオリンを聽きに行く。3人で晝食。夕方、薫と本屋で待ち合はせて、獨りで澁谷西武隣のキャッシュコーナーへ行くと、眞正面に「すばる」擔當H氏が立つてゐてビツクリ!先日のパーティー會場で出會へなかつた事などを話す。薫と食事して歸宅後、花をいける。

本を讀むばかりの毎日。
どうして書けないのだらうなあ。
谷崎の如く自由に書けたら好いのに。
がんじがらめの意識、滯る思考、ひび割れた筆。

11/16(金)『無花果日誌(最終回)』書き直し→送信

11/15(木)18:00集英社文芸三賞パーティー(帝國ホテル)へ。出版社主催のパーティーと云ふものへ初めて出掛けた。有名人氣作家が澤山來てゐた。お馴染みの編集者や新聞記者さん達と話す→角川M氏&K女史に連れられ銀座へ。

11/12(月)『BAILA12月号』發賣【ブック・アーケード】インタビュー掲載

11/11(日)朝、『無花果日誌(最終回)』脱稿→送信

11/09(金)15:00神樂坂でライター大辻都とお茶する→居酒屋で飲む→家まで歩いて歸る(神樂坂で、骨が多い紫色の和風傘を衝動買ひ)

11/08(木)五日連續、早寝早起き。『パキシル』の影響か、異常に眠くて起きてゐられず(+船醉ひのやうな氣持ち惡さ)、前日は夕刊が配達される時刻に寝て仕舞つたので、未明に目覺め、月曜以來、開けてゐなかつた郵便受けへ。
『群像12月號』【書評】に『世間樣かくありき』を取り上げて戴いてをりました。拜讀して、からだじゅうが震へました。『エロティシズムの論理の復権へ』と題して評してくださつた“青木純一氏”とは面識がないのですが、かういふ人が戀人だつたら好いなあ!なんて不埒な喜びにひたりました。其れにしても、こころにくいのは群像のY氏。先日のお電話では【書評】に取り上げてくださつた事などひと言も仰つてゐなかつたのに。前もつて傳へたなら、私が怯えて正氣でゐられなくなる事を御存知だからなんでせうか。

11/07(水)『婦人公論11/22号』發賣
 此の日、母と一時間もの長電話。三年も前に離婚してゐた事を打ち明けると「やつぱり。さうではないかと思つてゐた」と、サラリ。父の死後、廣い屋敷に獨りでゐる母は、此の處、心勞が重なり、高血壓や睡眠障害で大變さう。しかし氣丈にも「腹黒い奴(故人を惡し樣に云ひ、あさましい要求をして來て、母を苦しめる存在)とは一切の縁を切ると決めた」と語つてをり、私は、此れ以上、健康を損なはないやうに、と遠くから祈つて援護するのみ。

數年振りにクリスマス・ツリーを飾りました

11/05(月)11:30銀座のメンタルクリニックへ。『腦病院へまゐります。』に登場する畑山博士のモデルであるH先生に『世間樣かくありき』を差し上げ、カウンセリング後、『パキシル』と云ふ藥を(28錠)處方して戴く。H先生と話すのはすごく樂しい。話すだけで肩の力が抜ける。13:00東銀座『The Yards 裏切り者』の試冩會へ。正義はいづれ勝つのだと云ふ處でせう。かつて貧民街の不良だつたといふ經歴を持つ『猿の惑星』の主演:マーク・ウォルバーグが最後には物凄く素敵に見えた。17:00過ぎ、銀座一丁目の路上で實業之日本社のT氏と立ち話。

11/03(土)12:00薫の高校の文化祭へ。照れもせず私をいろいろな友達に紹介してくれた薫は、生徒會の企劃でヴァイオリンを彈いたのだけれど、あまりの酷さに「こら!下手糞!やめちまへ!」と怒鳴りたいのを堪へるのが精一杯。演奏後「人前で彈いて好い状態ぢや、ねぇだろ!」と苦言を呈する私に「わりぃ!一週間、ヴァイオリンに觸つてなかつたんだ」とぬかす。ったく、ロクに練習もしてゐないのに披露するなんて、度胸だけは買ふよ、母さんは。→雨の中、高田馬場『芳林堂書店』へ。『世間樣かくありき』8册平積み

仙臺のジュンク堂と丸善には追加されてゐる、との情報あり。
但し、丸善のPOPに“仙台在住の作家”とあるさうで、其れは間違ひ。
1990年6月までは仙臺在住でしたが。11/04現在

【最近、購入した本】
『日本と日本人に深い関係があるババ・ターニャの物語』(奈賀 悟/文藝春秋)
『道元』(松原泰道/アートデイズ)
『牛をつないだ椿の木』(新美南吉/角川文庫クラシックス)
『父の終焉日記・おらが春・他』(小林一茶/岩波文庫)
『和泉式部日記』(清水文雄校注/岩波文庫)
『檸檬・城のある町にて』(梶井基次郎/角川文庫)

【最近、戴いた本】
『書物の森の狩人』(出久根達郎/角川書店)
『こんな料理で男はまいる。』(大竹まこと/角川書店)
『エリックさんちの台所』(エリック・ガワー/角川書店)
『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』(パウロ・コエーリョ/角川文庫)
『星の巡礼』(同上)
『第五の山』(同上)

11/01(木)『本の旅人11月號』發賣『無花果日誌(10)〜曖昧な果実は、フリーザーの中で〜掲載


酷い鬱状態。
心臟があまりに痛くて、喉から吐き出し、踏み潰して仕舞ひたい程。
銀座のメンタル・クリニックへ行くべきか迷つたが、
晝夜逆轉の生活をしてゐるので儘ならず。
さう云へば、數年前にMRIと腦波の検査をして以來、
二十年にわたり一般的な健康診斷を受けてゐない。
四十三年も生きてゐるのだから、何處かしらガタが來てゐるのかも。

10/22(月)朝5:00『無花果日誌(11)』脱稿→送信。翌々日、手直しして、再送信→早速、『無花果日誌(最終回)』に取り掛かる。愈々、ラスト!!

10/21(日)日経新聞・朝刊【読書欄】『短評』に『世間樣かくありき』を取り上げて戴きました。無記名の記事ではありますが、事前にM記者からメールで連絡を受けてをり、S女史の筆とのこと。流石!と唸るやうな記事に感謝!有り難くて、泣く。

10/19(金)19:00神樂坂へ。中央公論新社のN氏+婦人公論のK女史と小料理屋→カラオケ。どんな曲もブルースで唱ふN氏が格好よかつたです。此の日も酷く醉つて仕舞ひ、歸りにK女史がウチに寄り、泥醉状態でうどんを拵へたは好いが、吐き捲り。翌日も、のたうちまはる。

10/16(火)角川K女史と劇団クナウカ公演『トリスタンとイゾルデ』(青山円形劇場)へ→表參道→飯田橋(K女史の同僚、T女史と合流)

10/13(土)12:00仙臺:東北學院大學“ホームカミングデー(同窓會)”/翌14日(日)午後、實家へ。母としみじみ話す。父の四十九日法要に出席しない旨、納得して貰ふ。23:30歸京→朝6:00近く迄、『婦人公論』のゲラ校正をし、FAX送信後、やうやう就寢。

仙臺驛前の『ジュンク堂書店』に
『世間樣かくありき』が3册あつたとの情報。

(『ジュンク堂』のは10/23の時点で賣り切れてゐたさうな。
『丸善』は殘り僅かだとか。『河北新報』の記事のお陰です。有り難う御座います。
晝間、出掛けてゐないので、東京の書店に關してはわかりませぬ)

母は近所の『八文字屋書店』(?)に5册も注文してくれたさうな。
でも「なかなか屆かない」と嘆いてゐた。
仙臺市内の老舗書店は、郊外へ移轉したり、閉店したりで、
なんとも寂しい。
書店だけでなく『サイカワ』も『ひらつか』も潰れちやつて、
街中、中央資本の店が目立つやうになつてゐるし。

10/10(水)20:00大雨の中、角川K女史御來訪。おんなふたり『きのこ&やさい&おさかな鍋@だらだら飲み會』。氣附いたら明け方で、なんと一升瓶を空けてをり、わたしはへろへろだつたけれども、K女史は毅然としてゐたのだつた。うー、すごい。

10/05(金)19:30〜、ウチで『おでん@飲み會』。文學界N氏、群像Y氏、飛鳥新社K女史、最後に薫も加はる。前の晩から仕込んだおでんは少し煮過ぎて仕舞つたみたい。N氏が持つて來てくださつた日本酒の一升瓶を抱へたわたし、最後は泥醉。椅子の數が少ないので和室に段ボール箱を二個置き、その上に襖を一枚載せてビニールを敷き、最後はピンクのシーツを被せて即席大テーブルの完成。8人くらゐ迄なら宴會の出來る部屋だと知つたのだつた。

10/02(火)4:00『無花果日誌(10)』脱稿→送信/14:00『婦人公論』インタビュー

10/01(月)『本の旅人10月號』發賣『無花果日誌(9)〜教えて。命の在り処は誰が決めるの?〜掲載


09/30(日)『河北新報』【読書・著者とひととき】インタビュー掲載

『BRIO 11月号』
久世光彦先生が『世間樣かくありき』の書評を
書いてくださつてゐます。

『世間樣かくありき』は、
神保町『三省堂』では“時代小説コーナー”
山田風太郎さんの隣にあります。

仙臺市内の書店では、
一番町『丸善』に9册程の平積み、
(同)『金港堂』に1册のみ、
驛前『アイエ書店』は品切れです。

また、
『腦病院へまゐります。』は在庫僅少です。

どちらも、
どうか最寄りの書店に御注文くださいまし。
(9/30現在)

09/28(金)『週刊小説10/12号』發賣【すぽっとらいと】『父が逝った日』(エッセイ)掲載。『週刊小説』(實業之日本社)を入手しにくい方は、是非、書店に御注文ください。

09/26(水)16:00マガジンハウス打ち合はせ/19:00集英社で『BAILA』著者インタビュー

09/25(火)早朝、『羅紗緬婆と黒出目金』の第2稿を書き上げ、送信。はじめは『黒出目金と羅紗緬婆』でしたが、擔當N氏がメールで逆に書いて來られたのを戴きました。「ん」で終はり、おさまりが好いので。

09/20(水)『青春と読書10月号』發賣【今月のエッセイ】『世間様に感謝を込めて』掲載


父の葬儀までの日々

09/16(日)本葬儀+百ヶ日までの法要+納骨
 京都・知恩院から二名のお坊さんを招き、総勢十三名のお坊さんによる盛大な葬儀でした。戒名は『一貫院光譽栄隆剛鋭大居士』、浄土宗では最高の名らしいです。佛教藝術の素晴らしさにあらためて感銘を覺へました。
09/15(土)通夜
09/14(金)火葬
09/11(火)納棺
09/10(月)逝去


09/14(金)仙臺・17:00河北新報学芸部Sさんと再會。M記者による著者インタビューの後、Sさんとお食事

09/13(木)實業之日本社『週刊小説』のエッセイを父の書斎で手書き→父の會社からFAX送信

09/08(土)始発の新幹線で歸郷 

9/10(月)
『世間様かくありき』(集英社)發行!
書店發賣は9/5です。
1500圓+税
是非、御購入くださりませ!
 

09/06(木)『すばる10月号』發賣【今月のひと】インタビュー&冩眞掲載

09/04(火)17:30テレビ朝日『スーパーJチャンネル』のスタッフ來宅→インタビュー→9/6(木)18:30過ぎに放映

09/02(日)17:00角川K女史と西麻布へ。K女史が横山さんにヘア・カットをして貰つた後、三人で六本木の居酒屋へ。穏やかな、好い酒でした。K女史から遅ればせ乍らの誕生日プレゼントを貰つたは好いが、目が廻る〜、あんまり可愛過ぎて〜、きゃはは。

09/01(土)『本の旅人9月號』發賣『無花果日誌(8)〜取り敢えず、ナニゴトも無しの憂鬱〜掲載


08/31(金)『エクスタス』發賣『綺麗事始言祝記〜アドレナリン・メイク〜』(冩眞)&『女を変貌させる男の掌』(隨筆)掲載
 
20:00角川のK女史と御近所探索をしつつ飲む→(豫定變更)→講談社I氏+『ヴァンサンカン』S孃+メイク&ヘア・アーティストYさんが合流。銀座で飲む→惡醉ひ。駄目な惡いお酒でした。一次会のお料理は美味しかつたのになあ。

08/29(水)『東京新聞・夕刊』隨筆『つのる想いの伝え方』掲載
 
17:30集英社。本の刷り見本が出來たついでにビールでも如何?とのお誘ひ→装釘のT氏とお會ひし、擔當Y女史とともに神田の小料理屋さん→カラオケ屋。今回もまた、酒に飲まれて仕舞ひました。(刷り見本を11册も頂戴しました。凄い本にして戴いた!と私は心底から感動してゐるのですが)

08/24(金)『東京新聞』隨筆(8月下旬掲載:原稿用紙5枚)締切
 18:30表參道で秋田の友人や薫と合流し、19:00『マリオ・A写真展』&『マリオ+島田雅彦トークショー』へ。終了後、久し振りに島田せんせいと輕口。「あなたさあ、どことなく(マリオ作品の被冩體である)原サチコに似てるよね」と仰るので、そこから“おっぱいネタ”へ。詳しくは書かないが、爆笑!→散會後、秋田A孃+薫+飛鳥新社のKさんの四人で澁谷の居酒屋へ→みんなしてウチに泊まる。

08/23(木)『青春と読書10月号』(集英社のPR誌:9/20發賣)【今月のエッセイ】(原稿用紙5枚)締切

08/17(金)15:00文學界N氏、來宅。フルーツゼリーや麦茶のお土産に恐縮。手ぶらで好いのに・・・。仕事の話+澤山のお喋り→焼肉屋→22:30解散(物凄く樂しくて、以前から“お氣に入り”だつたけれども益々N氏のフアンになり、何がナンでも『黒出目金と羅紗緬婆』を成功させなければ!と決意をあらたにしました)

08/16(木)15:00集英社。『すばる10月號』【今月のひと】インタビュー。聞き手は編集部指定の松浦泉さん。此れ迄、あちこちで語つて來た事の総纏めのやうな内容になるかと思ひます。
 
矢張り谷崎の初版本が揃ふ古本屋へ行つて了つた。『亂菊物語』(昭和24年7月15日發行・創藝社・2000圓)『青鞜』(大正3年5月號の復刻版・700圓)購入。其のウチ、高価な稀覯本に手を出して仕舞ひさうな自分が怖い。。。
 
夜、秋田の友人、泊まりに來る→秋田の旨い玉蜀黍や枝豆、がつこ、茗荷を持つて來てくれた。早速、玉蜀黍と枝豆を茹でて食べる。朝4:00迄、お喋り。彼女は7:00過ぎに出發。寝不足で大變だつたらう。

08/14(火)元家族、上京→元家族3人で近所をお散歩しつつ酒屋へ買ひ物→翌15(水)成人男子とバスに乘つて上野へ。ビールを飲んだ後、不忍池へ。ジャングルの如き蓮を見て、足漕ぎボートに乘る→『五條天神社』『上野東照宮』參詣→噴水公園でのんびり→19:00過ぎ、矯正齒科の診察があつた未成年男子:薫と公園口改札で合流し、小洒落た居酒屋へ。21:30元家族成人男子を見送る。改札での見送りは涙を誘ふ。案の定、泣いて、薫に慰められた。

08/13(月)12:00『無花果日誌(9)』→送信
 
15:00『すばる10月号』【今月のひと】カメラマン中野義樹氏の都合により撮影のみ繰り上げ。化粧をしてゐるウチに何故か極度に緊張して仕舞ひ、待ち合はせ場所へ向かふ時には足が震へてうまく歩けず「鬼のやうな、肉親が死んだばかりのやうな、凄い形相だつた」との事。近所の公園や通りで撮影。終了後、ホテルのラウンジでお茶。安堵して氣の抜けた顔を見た中野氏に「今の表情のはうが好いんぢやない。取り直さうか?」なんてからかはれる。公園で蚊に刺された中野氏の腕が痛々しかつたです。

08/11(土)誕生日

08/10(金)『無花果日誌』(8)のゲラ校正や(9)の書き直し

08/08(水)晝、神戸の友人、泊まりに來る。ウチの近所の大學構内、歴史資料館、ホテルの庭などを散策。夜は私の手料理&彼女が前もつて送つてくれた日本酒で宴會→翌09日(木)靖國神社&昭和館。九段の蕎麦屋でビール+天ざる。

08/07(火)16:00集英社、再校持參の上、再々校装釘が決定しました!素晴らしいです、平成十三年發行の本といふよりは戰前出版された本の復刻版のやうな凝つた装釘です。粹で、洒落てゐて、しかも上品。鳥肌が立ちました。腰巻(帶)のコピーも此れまた凄い!出版擔當Y女史の秘めた熱情を感じさせられます。校正に關しては、此れでもまだまだ!と云ふ程に丁寧に見て戴きました。延べ何人の方に見て戴いたでせう、澤山の方々のお知恵を拜借し、感謝にたえません。
 
歸り道、谷崎の初版本がずらりと竝ぶ古本屋を發見!値段も適正だし管理もしつかりしてゐる上、稀覯本も此れ迄で一番の數。『文章讀本』(昭和九年十一月五日發行・中央公論社・2000圓)購入。しかし、參つたなア、集英社に行く度に立ち寄る事、間違ひなし。アンナに澤山揃つてゐるのを見たら平然としてゐられないぢやないの!稀覯本の中の一册を見せて貰つたら八萬圓だつて!引越時に整理して『谷崎初版本専用書棚』に少し餘裕を作つたので、お金を持ち歩いたら購買への衝動を止める事が出來ないだらうなア、と云ひつつ、どうせ貧乏なのだから指を銜へて見るだけだ→神保町で薫と待ち合はせて廻る寿司を喰らふ。

08/06(月)朝5:30『黒出目金と羅紗緬婆』初脱稿→送信(此れから推敲を重ねて行きます)

08/05(日)夕方、バイク便來る。『世間様かくありき』のゲラ校正

08/03(金)19:00群像:Y氏と神樂坂→和食の店まで歩く間、神樂坂の街(路地)を堪能。清らかな水のやうな焼酎を飲む→出版者の方々がよく行くといふショット・バーへ。二時間しか寝てゐなかつたせゐもあるけれども、色々な面白い話をして樂しんでゐるウチにしたたかに泥醉→タクシーで家の前まで送つて戴く。すつかり御馳走になり、執筆意欲増進→Y氏が翌日の事を案じてくださつたと云ふのに、二日醉ひで11:30からの薫のバスケの試合觀戰に行けず(前日の一回戰は大勝したが次は負けたとのこと)    

08/01(水)『本の旅人8月號』發賣『無花果日誌(7)〜真夏の箱庭で迷子になった、ふたり掲載


『黒出目金と羅紗緬婆』
(くろでめきんとらしゃめんばば)
の執筆で發狂してゐます、
なんて嘘。
かなり落ち着いて書き進めてゐます。
しかしながら、
今月末迄に初稿を上げる目標、達成なるか?

07/30(月)元家族に頼まれて世田谷區役所三軒茶屋支所へ→以前よく行ってゐたアートコーヒーで休憩→三軒茶屋を離れて好かつたと思つた→國會圖書館

07/27(金)朝方4:00、いとしの醉つ拂ひ來訪→假眠の後、朝8時半過ぎ、歸つて行つた。

07/21(土)夜、角川のK女史來訪。此の日18歳の誕生日を迎へた薫と、朝方まで子供用ヴアイオリンを彈いたりして遊ぶ。

07/20(金)4:00過ぎ、集英社でゲラ校正(200箇所近い指摘と挌鬪)

07/19(木)午後、國會圖書館(蝉時雨の中、獨り思ひに耽る)

07/12(木)12:45西麻布:横山事務所。雜誌『ヴァンサンカン』の座談會(横山さんからパワーを貰つてゐる女性達が集まるのださうです)に、講談社のI氏とお邪魔する事になりました→座談會ではなく横山さんを圍んでの撮影でした。美しい大人の女性ばかりの中、一番ちびで一番ブスが私。『ヴァンサンカン10月號』に掲載されるやうです→西麻布のカフエでI氏と澤山の事を話す→15:45頃、I氏と六本木でお別れ→六本木驛前郵便局へ→東銀座へ→18:00試冩會『ゴーストワールド』(アメリカ映畫:高校を卒業したばかりの女の子の話。ひねくれた感性や表情が、なんとも可愛らしい。最後はしみじみせつなくさせる。劇場公開は7/28〜恵比須ガーデンシネマ。映畫はとても好かつたのだけれども、すぐ後ろの席に座つてゐた外國の方が、最初から最後まで、いちいち、ほんと、何でも無いシーンでも、いちいち聲に出して笑つたり呟いたりするので、耳の中が痒くなるくらゐ、うるさくて仕方なかつた。原作がコミックといふ事で初めから笑ふ態勢でゐたのだらうけど、取り敢へず、黙つて觀てくれないかなあ!やかましい!かういつた事は、以前にもある。日本人は静かに各々自分の内側で樂しむが、外國人は自己表現をしながら映畫を樂しむらしい。文化の違ひ。)

07/10(火)『無花果日誌(9)』脱稿→送信→書き直し

『市川新之助』が入つてゐた銀縁の額を
『大杉榮』に差し替へた。
大杉榮さま、
其のでつかい眼で小説用背後靈を引き寄せて、
せめて今月中だけでも、離さないでゐてね。

07/06(金)15:30思ひ掛けない初來客。「おー、好い部屋ぢやん、いいねえ、廣い、廣い、好い部屋だなあ」と褒めて貰つた(當たり前ぢやん、私がこさへた部屋だもの)事より、すつかり寛いで貰へたので大滿足。18:30過ぎ、お見送り。

07/05(木)15:00西麻布:横山事務所へ→すつきりと短く切つて戴く。爽快感に浸る→横山さんが、口紅2本、マニキュア1本、ヘアカラー2本、シャンプー、コンディショナー、ヘアパックをプレゼントしてくださつた。ピンクの籠がはちきれさうな程のお土産に、んもぉ、大感激。7/12(木)には、横山さんの好きな焼酎を持參します、と約束。

07/03(火)17:00集英社。ゲラ戻し。

 私が、何故、此の地へ辿り着かざるを得なかつたのか。
 數々の不動産屋を巡り、手附け金を收めた物件を反故にして迄、散々探し、結果として、何故、此の物件で納得し、住まふ事にしたのか。
 解答が出た。
 呼ばれたのだ。
 さうとしか云へない。
 私は死者を弔ふ爲に書いてゐる。宗教とは無關係な原始的な直感で、さういふ意識で、書いてゐる。書かせて戴いてゐる、と絶えず死者に感謝してゐる。
 此の地へ、何故、來たか。
 承知した。
『世間様かくありき』をさらに佳きものにさせる爲、其れは、足で歩いて果たした。もうひとつ、大杉榮の最初の女を書く爲だ。此の部屋は、書く目的以外、なにもない。譯の分からない死者に悪戯される氣味の惡さを感じさせない空間である。
 存分に、書きます、私に「書いて殘せ」と囁く死者になり代はつて。
(『腦病院へまゐります。』を書くひとつき半前、私は自分の部屋で幽靈と會つてゐる)

07/01(日)『本の旅人7月號』發賣『無花果日誌(6)〜怒って鎮まれ!十七歳、夏休みは近い〜掲載
 
一日中、『世間様かくありき』のゲラ校正をしてゐました。


【2001年の仕事・上半期】


INDEXに戻る