若合春侑の仕事・身邊雜記
2001年上半期今年は此處も正字正假名遣ひで書いて行かうと思ひます。
(但し、固有名詞や固有の表記は其の儘です。)
06/30(土)朝、『無花果日誌(8)』脱稿→送信
06/29(金)15:00筑波大學附属盲學校・圖書室へ。戰前の『東京盲學校』時代の資料を見せて戴く。教頭先生、司書の方に大變お世話になりました。17:00迄、たつぷりと見せて戴く。知りたい事がすべて分かつた上、司書の方には珈琲まで差し入れて戴き、ほんたうに有り難い氣持ちで一杯です。
(午後、『変身企画』でヘア&メイクをしてくださつた横山さんからお電話。髪を切つて戴く事になつた。しかも「遊びにおいで」つて。嬉しいな!)06/28(木)日があらたまつても涙が止まらず、めそめそしてゐたら角川のK女史から電話が來たので事情を話す→翌未明、K女史の忍術により『お怒り様』御降臨。『お怒り様』とは、理不尽な事に對し反論も出來ず密やかに泣くばかりの者に代はつて大いなる怒りを表し、のちに怒りや哀しみを收拾する『お鎮まり様』を降臨させてくれる女の神様のコト。お陰で平常心に戻れた。感謝!
06/27(水)17:00集英社。ゲラを頂戴する。
日本文藝家協會から電話で“『転居のお知らせ』に記載された住所に郵便物を送つた處、宛先不明で戻つて來た”との御連絡を戴く。住所に間違ひはなく、郵便受けには本名と筆名の兩方を出してをり、世田谷郵便局からの轉送分は屆いてゐるので、小石川郵便局に電話で抗議。此れからはきちんと屆くでせうが、此の一件ですつかり憂鬱になる。私は此の地を氣に入つたけれども何だか歡迎されてゐないやうな氣分になり、其れと絡めて、或る人から、最近、云はれて痼になつたみつつよつつの言葉を反芻し續け、矢鱈哀しくて、夜中、泣く。メールの返事を四通ほど書くつもりでゐたのに、一通も書けず。06/26(火)自轉車に乘つて買ひ物。夕方、用があつて上京した元家族:成人男子と早速の再會→前日、打ち直して側を變へた來客用蒲團が到着したので、元家族みんなでお泊まり會→翌日、彼らはウチの近所のバッティングセンターへ行き、ラーメンを食らつたさうな。好いなア、男同士は。
06/23(土)15:00講談社。雜誌に掲載する冩眞についての打ち合はせ→昭和2年に建てられたといふ『大日本雄辯會講談社』時代の建物の正面玄關を潜つてみたいと思ひながら通り過ぎ、美しい高層ビルへ。I氏と雜談の後、冩眞を見せて戴く。カメラマン氏の腕と慈愛のお陰か、私が私ぢやないみたいに“かはいく”冩つてをり、一生分の「可愛いぢやん」を云つて戴いたけれども、只々はづかしくて汗びつしより。『群像』編集部も同じフロアで、擔當Y氏とお話ししたり、校了でお忙しいのに、編集長や、高橋源一郎氏の朝日新聞の連載にも登場なさつたテラニシ氏も冩眞を覗いてくださつた→I氏に地上20数階から大パノラマ的風景を見せて戴く。此の9月發行予定の單行本『世間様かくありき』の中の『産婆コト始メ』『たをやめの木乃伊』で、盲學校や助産院の場所を(『椿山荘』以外には訪れた事のない)目白臺に設定したのは、見えないナニかに導かれたせゐなのか、と思ひました。縁と云ふヤツでせうね→高層ビルを出て、講談社所有の建物へと案内して戴く。
◆幽靈が棲むらしい古い洋館:2階まであがらせて戴いたら、本當に幽靈がゐるやうで怖かつた。缶詰や撮影に使用したりするさうですが、私は駄目。幽靈をおんぶして自分の家まで連れて來さうで。
◆『野間道場』といふ剣道場:剣道初段の私。「(稽古を)此處で遣りやあ好いぢやん」とI氏に云はれて「(自分で)防具が買へるやうになつてからぢやないと」と答へました。剣道場の2階は、其の昔、獨身寮だつたさうな。
◆其の他、小さな神社があつたり、古い儘の倉庫があつたり、昭和中期以前にタイムスリップしたやうでした。
曲がりくねつた路地をお散歩しつつ『フォーシーズンズ・ホテル』へ。お抹茶と和菓子を戴きながらI氏と眞面目な四方山話。新雜誌『エクスタス』の發賣日は8/31に決定したさうです。私なんぞ何と凡庸な俗物であるコトか、とたぢろぐやうな、かなり個性の強い方々が集まつた“濃い中味”で、I氏は「へんちよこりんな」と表してました。ちなみにI氏語録では、「卑屈」同様、「へんちよこりん」は肯定的表現。もの凄い雜誌になるコト、間違ひない!
I氏とお別れしての歸り道、**坂の階段をおりる途中で、蛇と出逢つた。30cm程の長さで、直徑1cmにも滿たない、痛々しいくらゐに細い蛇。暫し立ち止まり、蛇の動向を見物。石垣を登らうとしてゐたが、諦めて再び階段へ戻りたいらしく、くねくねとからだを捩らせ、ゆるやかに、もたもたと、行き場を探してゐる様子がいとほしく思へた。此の地の歴史、土や水や動植物の生きて来た年月を感じさせられる。戦後の新開地:世田谷よりも山手線の内側のはうが自然に恵まれてゐるのかも知れない。いつぞや、私が生まれて初めて土筆を摘んだのも、九段下の消防署前の植ゑ込みだつたし。益々、江戸が好きになる。江戸は興味深く面白い。付け加へるならば幸せな事に、私は人工の土地=埋め立て地で育つてゐるので、自然の生命力には新鮮な感動を得る事が出來るのだ。
そのまた歸り道、生協へ寄り、なんとなく糠床の素を買ふ。數年來の私の糠床は、去年の夏、私の精神状態に合はせて死んで終ひ、かつて韓國のオモニに憧れてキムチを拵へた事もある陶製の甕は、今や傘立てになつてゐる。今日から小さな容器で始めました、糠味噌漬け。ささやかでも、大事に生かし續けようと思ふ。
以前から書かうと思つてゐたのだけれども、私はたいへんケチで、此の身邉雜記や掲示板等で眞剣な發言をしないのは、出し惜しみをしてゐる譯なんです、と云つておかう。自分でサイトを運營してゐる限り、活氣を求めて、賢明に、懸命に、發信しなければならないのでせうが、本來の、命懸けであるべき執筆のはうで腦味噌が一杯一杯といふ事もあるけれども、インターネット上ではムキにならない、なりたくない、と去年の夏邉りから感じるやうになり、まあ、飽きツぽい性格なので、'97年11月に始めてから此の3年半、様々な事件もあつてノリが失せて仕舞つたのは正直な處。ぢやあ、何の爲にサイトを開いてゐるのか、と問はれれば“諸々の關係者への連絡代はり”としか云ひやうがない。てめーのくだらん日常の、つまんねーコト、書いてんぢやねエよ、と思はれる方も多からうけれども、讀んで樂しんで戴く場所は、此處ではなく、私の職業世界=活字で、と自分自身の執筆への覺悟や意欲も込めて願ふ次第で御座います、なんてね。今日は澤山書きました。さう、澤山書ける環境になつたンです。06/22(金)元家族の旅立ちを見送る。
06/20(水)朝、『無花果日誌(7)』を手直しして送信。
『転居のお知らせ』のハガキを受け取られた共同通信のK記者と東京新聞のI記者がお電話をくださり、感激!→翌21日(木)には、仙臺の河北新報のS記者や実業之日本のT氏、仕事に關連して講談社I氏と集英社Y女史からお電話を戴く。頑張つて書かないと!まう云ひ譯は出來ないもの。06/19(火)お散歩がてら郵便局、グリーンショップへ。なにもかも氣に入つた、此の街。どんな土地か、具體的に書きたい處だけれど、場所が特定されると困るので、内緒。
06/18(月)↓のせゐで、引越早々朝帰り。朦朧としながらも『転居のお知らせ』を作成&印刷。
06/17(日)舊居で後片付け。元家族(計3名)と三宿のイタリア料理屋『まるげりーた』へ。料理は旨いのだが、コックさんが獨りの爲、時間が掛かり過ぎ、お陰で元家族の成人男子はワインを飲み過ぎて御機嫌な醉客となる→池尻『うたひろ』で朝の5時半までカラオケ。まつたく、なんといふ連中だ!
06/15(金)バスに乘つて文京區役所(シビックセンター)へ。晴れて文京區民となる→再度、バスに乘つて上野へ→御徒町→有樂町『ビックカメラ』。近所のリサイクル・ショップでアンティークで格好いい電氣スタンド(¥1980)を見つけて購入。お花屋さん、スーパーへ。夜11時まで營業してゐるスーパーは、歩いて2、3分の所に在り、肉魚が安い上、お惣菜が豊富。空腹時に行くとついお惣菜に手が伸びる。此れぢやあ、痩せられまい、と自戒!
ひたすら荷解き&片付けの日々。
バスを利用するとかなり便利な街だと知る。06/12(火)引越完了
ひたすら荷造り&掃除の日々。
11年分の汚れに、うんざり、へとへと。06/08(金)19:00オーチャードホール・ポルトガルの音樂:ファド(『マドレデウス』)を角川のK女史と聽きに行く。ヴォーカル:テレーザの美貌、聲に魅了され、特に『大聖堂のこだま』では涙が溢れた。「私、歌がうまいのよ」なんて、まう一生、云はない事にする。テレーザの聲を聽いたなら口が裂けても云へない。休憩時間、K女史とワインを飲む。筑紫哲也さんがゐた。CDを2枚、購入。それにしてもポルトガル語はなんて氣持ちが好いのだらう。ポルトガル大使館で語學講座があるらしいので來年から始めようかな→沖縄料理屋→大人の雰囲氣のショットバーへ。沖縄料理屋でウコン茶割りを飲んだせゐか、泥醉を免れる。沖縄の方々はお酒の翌朝、ウコンを食するさうな。
06/07(水)朝、『エクスタス』のエッセイを書き直して送信。『女を変貌させる男の掌』に改題。
06/05(火)不動産(鍵を貰ふ)→家族が輕ワゴンを借りて來たので、ブラインドや書棚、オーディオなどを運ぶ。二往復。深夜、鬱蒼とした代々木の森の脇=西參道を通つて歸宅。愈々、澁谷〜三宿とお別れモード。
此の處、迷惑電話が多い。受話器を取ると即切れる。寝入り端(と云つても午前中だけれども)起こされて非常に迷惑。ま、來週、電話番号が變はるから少しは救はれる。
06/04(月)14:00新宿:神戸の友人と再會して落語を聽きに行く→偶々落語の日だつたか寄席の日だとかで入場料が安い上、団扇や手拭ひの土産付きだつた→友人の夫君も交へて西新宿の54階で食事。
06/01(土)13:00不動産屋・賃貸契約
『本の旅人6月號』發賣『無花果日誌(5)〜根性の使い道を誤ってはイケナイのだ〜』掲載
不動産屋巡りの日々。5/22、やうやう文京區のマンションに決定。今度の部屋は、わたしにとつて生まれて此のかた一番の占有面積で、落ち着いて仕事が出來さうな好い空間。しかし、大掃除や買ひ物、住民票等を取りに行つたり不慣れな外出が續き、筋肉痛および倦怠感。いささか疲れた。三軒茶屋のスターバックス前のベンチに座り、珈琲を飲みながら、この11年を振り返る。左樣なら、三軒茶屋、嫌な思ひ出が増え過ぎた。左樣なら、世田谷・三宿通り、まう飽きた。
05/24(木)17:00文樂『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)・曾根崎心中』國立劇場小劇場。集英社のYさんが安く譲つてくださつたので、ライター:大辻都と行く事になつた→前から4列目のど真ん中の好い席でした。文樂初體驗の大辻都、『曾根崎心中』のクライマックスで涙したらしい。無理に誘つて惡かつたかな、と心配してゐたのでよかつた。わたしはわたしで、心中ものを書き上げたばかりとあつて仕事の事ばかり考へてゐた→神保町のブラジル料理屋
05/22(火)11:00歌舞伎『團菊祭五月大歌舞伎:源氏物語』角川書店のK女史が江戸前の旨い昼食を用意して待つてゐてくださつた→いやはや新之助はとてつもなく美しい。新之助が登場すると、おばさまがたがこぞつてオペラグラスを手にとる。わたしもしかり。新之助の生冩眞を8枚も買つて御満悦。ふと、新之助フアンの『anan』A女史を思ふ。激務の中、新之助を觀る事が出來たかしら、觀られたら好いのだけれども→珈琲屋→ギャラリーを蒹ねた和食の店→ショット・バー
05/17(木)『鳩よ!6月號』發賣『蜉蝣:最終回』掲載
05/15(火)澁谷Bunkamuraザ・ミュージアム『ジャン・コクトー展』
05/10(金)16:30集英社・出版擔當Yさんと英國風パブでビールを飲みながら打ち合はせ→Yさんの上司:Tさんが神保町の澁い小料理屋へ連れて行つてくださつた。骨董品の多い、まるで時代劇のセツトのやうな店で、美味しく樂しく御馳走して戴きました。
05/09(水)隨筆『変貌する愉楽に酔っ払う』假脱稿→送信(講談社の新雜誌『エクスタス』での變身企畫:體驗記)
05/07(月)『群像6月號』發賣【一月一語】『『馬の糞』で宜しう御座います。』掲載
05/06(日)14:00新宿 『世間様かくありき』の正字正假名遣ひを校正してくださつた野嵜さんとお目にかかる。大變叮嚀に見て戴き、御指摘に感謝!野嵜さんは眞面目で穏やかで知的な紳士でした。→澁谷・紀伊国屋書店へ→『風車祭(カジマヤー)』(池上永一著・文藝春秋)を購入。いつだつたか、朝日新聞に掲載された池上さんの絶妙に面白い隨筆を拜讀して爆笑した旨を朝日の小山内記者に話した處、池上さんとお會ひしたばかりで、偶々若合の話になり、池上さんは若合の文章を讀んでくださつてゐるとの事。ほんたう?わーい、と感激したら小山内記者が「ぢやあ、今度、會はせてあげるよ」と仰る。しかし「あちらは貴女の本を讀んでゐるのだから、貴女も池上さんの本を讀まなければ、會ふにしても失敬だよね」と『風車祭』を薦めてくださつた。其れから幾度か探したのだけれど見つからず、やうやう購入出來たので、早速、讀み始めた。いやはや、デージ面白い。二段組みの長篇で私の本よりかなり分厚いのだけれども、讀み終へた曉、池上さんと御對面出來る日を樂しみにしてゐます。だからよー。(←讀んだひとなら、わかる。でも、用ゐ方が間違つてゐるかもしれない。だっからよ?)
05/01(火)12:00六本木→西麻布・講談社のI氏=おにいたまの雜誌の變身企畫:メイク&撮影。どれ程に大變身したか、早くお見せしたい處ですが、7月創刊予定の雜誌『エクスタス』で御報告します。(エッセイ=原稿用紙5枚:今月中旬締切)
4時間に渡るメイク&撮影の後、スタッフの皆様とベトナム料理屋(Sueさん=スーさんが經營するお店でした)でサイゴンビールやワインやお料理を御馳走になつたのでしたが、わたしひとりだけが泥醉。おにいたまには多大な御迷惑をおかけしたのでした。反省。。。それにしても、わたしは酒に潰される。弱い癖に酒好きなもんだから始末に終へない。
『本の旅人5月號』發賣『無花果日誌(4)〜奉仕の氣持になることなんです〜』掲載04/30(月)『文藝別冊 KAWADE夢ムック』【河合隼雄特集】隨筆『自分の中に三つの神を持てば好し』掲載
04/29(日)鹽竈
04/26(木)5:00澁谷・文學界のF氏が御榮轉なさつた爲、此れ迄の御禮と後任のN氏への御挨拶を兼ねてお目にかかる。思ひ起こせば、3年前の3月下旬、シアトルから歸國する前夜、「『文學界新人賞』の最終候補に殘つたので社に電話を入れるやうに」と留守宅に連絡をくださつたのがF氏でした。云ふなれば、わたしにとつて、今の職業世界の玄關口に立つてらしたのがF氏。振り返ると涙が込み上げて來るから、此れ以上は書かない。
04/24(火)3:00澁谷・おにいたま&スタイリストさん、打ち合はせ。スタイリスト@透明感のある美しいUさんはパンマニアで、おにいたまと私に美味しいパンをプレゼントしてくださつた。
04/21(土)午後、府中市美術館『ウィーン、生活と美術』展へ。エゴン・シーレ『ひまわり』に魅せられ、其の前から立ち去り難くしてゐる人が、私の他にもゐた。小雨降る府中の森公園を散策。府中驛ビル内『啓文堂書店』に、ないだらうと思はれた『腦病院へまゐります。』が2册もあり、びつくり仰天。感動と緊張で打ち震へながら1册購入し、同行者(←25歳の好青年。ポルトガル語の卓越者なので、暇が出來たら個人レッスンを、とお願ひしてみた。去年夏の『小説現代』の隨筆に書いた通り、私の【死に際の未來】はポルトガルにあるのだ)に贈呈→下北澤へ。京王線のスピードに感心する。
04/17(火)『鳩よ!5月號』發賣『蜉蝣:第14話』掲載
04/16(月)集英社:出版擔當Yさんから御連絡を戴く。『世間様かくありき』のゲラの著者校正は連休明け迄に、發賣は9月上旬にしませう、とのこと。出版が現實化して行く。嬉しい。正字正假名遣ひの校閲を野嵜健秀氏に依頼。野嵜さんは『正字正假名遣ひを樂しみませう。』コーナーにリンクさせて戴いてゐるサイト運營者で正字正假名遣ひの達人。翌日、野嵜さんから御連絡を戴く。育ちの好さや知性が窺へる、穏やかで上品な語り口の方でした。
04/15(日)2:00澁谷:サンディエゴ在住のN子ちやん一時歸國
04/12(木)貧乏だといふのに『大杉榮全集』を購入。昭和38年9月發行・昭和48年9月重版の此の全集は、大正15年9月發行の復刻版。新しいだけに状態も好く、内容からしても全11巻で5萬圓(1册四千五百圓)はお買得。しかし、暫くの間は神保町へ行かない事にする。今日も谷崎の『鮫人』初版を見つけ、ノドから伸びた手を慌てて引ツ込めた。讀んでばかりゐないで、速やかに書くべし!の状況でもあるし。
04/07(土)『群像5月號』發賣【一月一語】『帰らない子豚』掲載
1:00四谷:お花見オフ会04/06(金)HP引つ越し&アドレス變更。So-netと今月一杯でお別れ。
04/05(木)3:00講談社:I氏=今、私が此の世で一番大好きな男=おにいたま。7月創刊のおにいたまの雜誌に參加させて戴くお話は去年の暮れからあつたのでしたが「凄い企畫があるんだけどさー、若合さん、嫌がるかもしんなーい」と仰る。「なになに?どんな?ヌードになるとか?賣春でもするとか?」などとふざけて尋ねたら「似たやうなもんだ」とおにいたま。何と!安室奈美恵孃のヘア&メークをしていた方が、若合を改造するのださうな。「でぶだしー、ブスだしー、鼻ぺちやだしー、お多福だしー、HPに畫像を掲載しただけで“作家氣取りの露出狂”なんて惡口を書かれるしー」と斷りつつ承諾してしまつた。「うわア、痩せないと」と云つたら「痩せなくても好いよ」とのこと。改造レポートはインタビュー形式で、おにいたまが書くのださうな。どうなる事やら、すべて、おにいたまにお任せ。
「卑屈は最高の人間性である」と説くおにいたまは「若合さんはさー、他の人が煌々と明るい道を歩く時、眞つ暗な先にぽつんぽつんと雪洞(ぼんぼり)が灯つてゐるやうな夜道を歩くタイプだもんなー」と仰つた。確かに、大勢の人がゐる明るい道を歩いても、右も左も、後ろも前も、何も見えなくて、眞つ暗な中を歩いてゐる、さういふ感じがする。4:45、おにいたまと手を振り合つてお別れ。
6:15神保町へ。意を決して大枚五萬圓をしのばせ『大杉榮全集』を買ひに出掛けたら、*書店は休業日。仕方なく入つた店で、コトもあらうか、買つて仕舞つた!新書版の全集なら持つてをり、既に『谷崎初版本専用書棚』は滿杯であるにも拘らず!『谷崎潤一郎全集(十二巻)』二萬五千圓!改造社版・昭和六年發行で、谷崎自身、此れの發行は大いなる喜びであつたらう、と思へたから。傷みが酷く『笹島藏書』の印が押してあり、第三巻の裏表紙には『昭和二十年十月二十三日 之を讀ス 我ガ意ト同ジウセル惡魔派 谷崎潤一郎』と墨文字。戰爭が終はり、やうやう谷崎の本を讀む事が出來た笹島さんの開放感は如何ばかりであつた事でせう。此の他、昭和五年に百十版も重ねた性教育の本『性典』(醫學博士・赤津誠内著)二千圓も購入。お金を持つて出歩いてはイケナイ。肝腎の『大杉榮全集』はどうするつもりだ、私。『出目金用小説背後靈』の再到來に向けて集中しようと誓ふ!04/04(水)『無花果日誌(7)』やうやう脱稿→送信
04/01(日)『本の旅人4月號』發賣『無花果日誌(3)〜たおやかに、しなやかに、やわらかに〜』掲載
03/30(金)3:00日比谷:マガジンハウス擔當をぢちやまと出光美術館『板谷波山陶藝展』へ。NHK『日曜美術館』で放映されたせゐか、大變な人の入りでした。故:板谷波山翁は陶藝界で初の文化勲章受章者。モダンで、お洒落で、艶があり、やはらかで、緻密で、繊細で、觸れてみたい、抱き締めたい、と思はせます。をぢちやまは板谷波山翁の曾孫に當たり、内輪の解説付きで鑑賞させて戴いたのでした。出光美術館も氣の利いた素晴らしい空間でした。
『蜉蝣』の出版は11月とのこと。装丁や腰巻き(帶)すべて、をぢちやまにお任せ。をぢちやまは『ダ・ヴィンチ』で“今月の腰巻き大賞”をとられた事もあるコピーの名手。
5:00『大杉榮全集』を買ひに行くべきか、散々迷つたものの、結局、澁谷で買ひ物。03/29(木)『群像6月號』【一月一語(3)】脱稿→送信
(締切りより半月も早く送稿したのは、エツセイのネタが新鮮だつた事もあるけれども、頭をまつさらにして『無花果日誌(7)』『出目金』をなんとかしなければ!といふ思ひからなのでした。嗚呼!)03/27(火)16:00集英社。『世間樣かくありき』は、早くて9月、遲くて10月の發賣ださうです。久々に神保町散策。
【入手した古本】谷崎潤一郎『短篇集 私』昭和22年3月25日發行(初版)全國書房=三千五百圓、芥川龍之介『湖南の扇』昭和14年12月12日九版發行・文藝春秋社=三千五百圓、文學士坂本健一編『帝國百科全書 日本風俗史』明治36年4月15日四版發行・東亰博文館=五百圓
『大杉榮全集』を發見したが、價格不明。後日、電話で知らせて貰ふ事にした→五萬圓とのこと。高いのか、安いのか。買ふべきか、諦めるべきか。惱む。03/22(木)『蜉蝣:最終回』脱稿→送信
03/19(月)10:00『群像5月號』【一月一語(2)】脱稿→送信
03/17(土)『鳩よ!4月號』發賣『蜉蝣:第13話』掲載
03/14(水)歸郷→翌15(木)歸京
03/13(火)18:00京橋:試冩會『ポエトリー,セックス』(謎多く不可解で難しい映畫でした)→池尻大橋『プロント』で次作の思案。タイトルを『出目金』と決め、さあ!書くぞ!と意氣軒高!だつたが・・・。
03/11(日)晝前、明治45年1月15日生まれの母方の祖母から電話あり。『たをやめの木乃伊』を「讀んでゐて涙が零れた」と言ふ。「體驗もしてゐないのに、よくまあ、此處迄、書けるもんだな」と(作品の出來不出來には關はりないところで)感心したせゐらしい。「嘘ばかり書いて」と詫びつつ、實は、私、年代や文字表記を過去にしてゐるものの、現在を書いてゐる。
03/08(木)午後、角川のK女史から戴いたチケツトで映畫『狗神/弟切草』→澁谷でお食事
03/07(水)『群像4月號』發賣【一月一語】『拾いそびれた一般常識』掲載/朝8:00『文藝』河合隼雄先生特集:コラム(假題)『自分の中に三つの神を持てば好し』脱稿→送信
今月中にノート・パソコンを購入し、一週間くらゐ父の故郷:福島縣いわき市平薄磯の国民宿舎に籠つて『春木屋の倅』を書き上げて來ようかと思案中。
03/06(火)『すばる4月號』發賣『たをやめの木乃伊』掲載
03/05(月)朝7:00『蜉蝣:第14話』脱稿→送信
03/03(土)新宿5丁目:朗讀會へ
03/01(木)『本の旅人3月號』發賣『無花果日誌(2)〜乳房よ、乳房、永遠の〜』掲載。
今月も挿し繪が素晴らしい!語り手の女の子に合はせて巨乳(!)で描かれてゐます。見たところ、E70かF70(?)來月の挿し繪も樂しみです。それから、私の文章の左横に、讀み終へたばかりの『ベロニカは死ぬことにした』(パウロ・コエーリョ)の廣告が入つてをり、偶然にしても、嬉しい。
02/25(日)6:00芝居『大漂流』劇團『COG商店』旗揚げ公演。初めて『大塚』といふ場所へ行きました。公演の後、大塚のカフエ・バーのやうな店で『大杉榮語録』を讀み終へる。
02/24(土)『無花果日誌(6)』脱稿→送信
『履歴書』のコーナーに掲げてゐる作品名に、各々「正字正假名遣ひ文」「略字正假名遣ひ文」「略字現代仮名遣い文」と入れておきました。
文學界新人賞を受賞した『腦病院へまゐります。』は正字正假名遣ひ文で書きましたが、受賞後第一作目の『カタカナ三十九字の遺書』も、其の次の『掌の小石』も、隨筆も、書評も、略字現代仮名遣い文(現代文)で書いてをります。しかしながら、昨年11月の『義眼を拾った生娘の話』が初めての略字現代仮名遣い文での發表であると勘違ひなさつた評論家がいらつしやるので、さうではありません、小説の舞臺設定(時代)に合はせて假名遣ひも變へてゐます、とささやかながら主張させて戴かうと思ひまして。
假名遣ひに關しては『週刊読書人』の隨筆で意思表明をしたのでしたが、印象といふものは怖い、と感じた次第。
單行本『腦病院へまゐります。』には正字正假名遣ひ文と略字現代仮名遣い文が併せて収められてゐます。02/21(水)夜7:00バイク便、來る。『たをやめの木乃伊』ゲラ戻し。
02/20(火)夜8:00バイク便、來る。『たをやめの木乃伊』ゲラ校正02/19(月)午後3時前に起床、大急ぎで食事と入浴、5:00澁谷へ。すばる擔當H氏から強く勸められた映畫『ダンサー・イン・ザ・ダーク』をひとりで觀に行く→涙を堪へてサントリー・ショツト・バーへ。
02/17(土)『鳩よ!3月號』發賣『蜉蝣:第12話』掲載
02/15(木)お晝頃、河出書房新社『文藝』からお電話。河合隼雄先生について(原稿用紙3枚)依頼。
『たをやめの木乃伊』送信→お風呂に入つてゐたら擔當H氏からお電話→ほんの一部書き直し→出掛ける前に送信
8:00マガジンハウス『鳩よ!』擔當をぢちやま&『anan』A女史と一年ぶりにお會ひしてお食事會(外苑前のお洒落なお店で、おいしい料理を戴きました。お話も樂しかつたです。A女史はわたしよりも凄い市川新之助のフアンでした)→11:30解散02/13(火)『たをやめの木乃伊』再推敲
02/12(月)鹽竈→(常磐線)福島・いわき驛→沼之内・辯天樣→山迺邉家の墓→薄磯→鹽屋崎燈臺下→休憩→(常磐線)帰亰
02/11(日)鹽竃(午後大雪)
02/10(土)仙臺・鹽竃02/07(水)『群像4月號』【一月一語(1)】(隨筆)脱稿→送信
02/06(火)4:30すばる・H氏、お越しになる。『たをやめの木乃伊』へのアドバイス→2/10(土)午前4時、書き直して送信
朝、酷い腹痛、悪寒で動けず。風邪をひいたらしい。偶々休みをとつてゐた家人が藥を買つて來てくれたのでおおいに助かる。
どうやら、大杉榮に再び戀をしたやうだ。大杉榮を讀んでゐると元氣になる。今、大杉榮のやうな人物は生きてゐないのかなア、ゐないのだらうなア。目玉が大きくて男ツぽいといふ點は市川新之助氏に共通するが。【最近、入手・購入した本】◆『小説大逆事件』佐木隆三著(文藝春秋)←2/7、F氏が送つてくださつた。此の本は凄い!◆『大杉榮語録』鎌田慧編(岩波現代文庫)←2/5、F氏が譲つてくださつた。文庫本なのに1000圓もする!◆『大杉榮評論集』飛鳥井雅道編(岩波文庫)◆『断影大杉栄』竹中労著(ちくま文庫)◆『大杉榮 自由への疾走』鎌田慧著(岩波書店)◆『武家の女性』山川菊栄著(岩波文庫)◆『ベロニカは死ぬことにした』パウロ・コエーリョ著(角川書店)◆『大河奔流(上)(下)』菫竹君著(講談社)◆『尼さんがころんだ』麻生佳花著(角川書店)←2/1、K女史がくださつた。
02/05(月)6:00『蜉蝣:第13話』脱稿→送信
2:00澁谷・文學界F氏
4:30紀伊国屋書店(東急プラザ)02/01(木)7:00有樂町&銀座・角川書店K女史→試冩會『ショコラ』→銀座8丁目→新宿5丁目(酒豪と飲む時はこころしなければならない、と痛感したのでありました。酒豪は旨い酒を熟知してをり、つられてどんどん飲んで仕舞ふ。其の上、酒豪は、ちゃんぽんだつてモノともしない。二日醉ひ地獄でのたうち廻り、自己嫌惡で死にたくなりつつ、嗚呼、全くもつてK女史は凄いや、と感心しきり。お酒に強くなりたい私)
『本の旅人 2月號』發賣『無花果日誌(1)〜花が咲くのに無花果だなんて〜』掲載
插し繪に關して、擔當K女史が「必ず氣に入りますから!」と仰つてゐたので樂しみにしてゐたら、ほんと!すごく素敵!深く、鋭く、哀しく、面白く、切なく、優しい感受性を祕めた少女のイメージ。倉科昌高さんといふ方の繪です。必見!お勸め!『月刊 本の旅人』(角川書店)は大手書店でお求めください。無料ださうです。一册100圓とありますが、定期購讀の場合のみ、一年1000圓なのださうです。只今『蜉蝣:第13話』執筆中 01/29(月)『たをやめの木乃伊』脱稿→送信。をこがましくも、亡くなられた方を供養する爲に書いた『弔ひ小説』です。
2001年1月は、たった一回のお出かけでお終はりさう。尾てい骨の痛み、やうやう消える。今年は隠棲状態を打破しようと考へてゐたのに、此ンナ生活ぢやあ、足腰を鍛へる事、儘ならず。
先日、作家の末永直海さんから1年半ぶりにメールが來てびつくり嬉しい。「すうちやん」と呼ばれてゐる末永さんは、以前、若合と間違はれた事があつたさうな。今年こそお目にかかりませう、すうちやん。01/19(金)『無花果日誌(5)』脱稿→送信
椅子にあがつて壁にあるモノを貼付け、降りようとして床に轉倒。尾てい骨をしたたかに打ち付ける。死ぬかと思つた、餘りに痛くて。近所のスポーツクラブにでも通つて足腰を鍛へないと駄目らしい。
01/17(水)『鳩よ!2月號』發賣『蜉蝣:第11話』掲載
父、なんと、退院して自宅に戻つてをりました。
今日は『無花果日誌』に頭を切り替へ。語り手:岩岸桐子(いわきしとうこ)の戀の相手:我孫子郁(あびこかおる)クンのモデルは、市川新之助に決定!但し、容姿のみ。
『世間樣かくありき』『産婆コト始メ』の完結編『たをやめの木乃伊』執筆中。(木乃伊=ミイラ)
昨年後半、父直筆の自敍傳をタイプするといふ豫定外の作業が加はつた爲、連載以外の仕事の進行がひと月程ずれてしまつた。『たをやめの木乃伊』は『すばる4月號』(3/6發賣)に掲載後、『世間樣〜』『産婆〜』と合はせて單行本化して戴く豫定です。01/06(土)午後、明治神宮へ初詣。『たばこと鹽の博物館』で寫眞展、鼻烟壺(びえんこ)コレクションなどを觀る。
01/05(金)『蜉蝣:第12話』脱稿→送信
【2000年の仕事・下半期】
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