若合春侑の仕事・身辺雑記
2000年下半期
12/30(土)今頃になって『蜉蝣:第10話』P.149上段1行目に、間違いを発見!(×)東京市立松沢病院(○)東京府立松沢病院
最近、何をしているか、と言えば、『蜉蝣:第12話』の執筆、『世間様かくありき』の第三部(完結編)にとりとめもなく沸き出すアイディアの処理、『無花果日誌』の語り手との関係修正、『自叙伝代筆』(仮題『春木屋のせがれ』)を書く為の体力をどこから絞り出すか、そんな事ばかり。思考回路、すっかりパンクして、言語不感症状態。
来年は、購読している新聞4紙、全部やめて、故意に活字への渇望を促そうか、とか考えたりして。朝刊を読み終わる頃に夕刊が次々と届き、それだけでお腹いっぱいになり、他の活字を読む余力なし。
新聞は、面白い。同じ事件の記事でも丁寧に読んでしまう。楽しみなコーナーも多いし。でも、もっと本を読みたい、読むべき、と思うのだなあ。活字中毒ではないので、ご飯を食べるのと同様、お腹いっぱいになると、もう入らないのだ。今年は、私的な人間関係で言うなら、訣別、決裂、不信、不和ばかりだったので、自分が造った小説世界に入って行くにも躊躇するようになってしまったのかも。仕事上では、いい出逢い、有難い事、嬉しい事があったけれども。
《最近、はまっているもの》『VC-3000のど飴』(ノーベル製菓)。こころも、からだも、ビタミン不足ナノカモ。いつも、口さみしく、舐めている。
12/25(月)『アエラ2001年第1号』『特集:21世紀を動かす100人の40代』発売
12/24(日)渋谷・映画『バトル・ロワイアル』を観た後、同伴した17歳@薫と食事をしながら話す。薫の分析力、洞察力に感心した。若いカップルばかりの中、わたしが最年長かと思われたが、老夫婦と壮年男がいた。『Rー15指定』にせず、寧ろ、中高生の親に子供同伴で観に行く事を推奨したほうがいいと思った。
12/23(土)『無花果日誌(4)』差し替え送信
大雪の米沢から帰って来てから、酷い風邪に苦しんでいたのでしたが、抗生物質を飲んで眠ったら、呆気なく完治。
12/18(月)昼前、『無花果日誌(4)』脱稿、送信するものの「第一話とイメージが違って、語り手が素直過ぎる」という御指摘を戴き、書き直すことになった。どうして素直になっちゃったんだろうなぁ。第一話の執筆時は世間の一部に対する憤懣や怒りが解消出来ずにいたのに、最近はぼんやりしているからだろうか。もともと書き手が素直なもので、なんて言い訳にならないんだなぁ、キャラクターを拵えてしまった以上は)
12/17(日)『鳩よ!1月号』発売『蜉蝣:第10話』掲載
12/16(土)3:00Bunkamuraザ・ミュージアム『デ・キリコ展』
6:45シネ・アミューズWest『愛のコリーダ2000』
(『愛のコリーダ2000』は、ちっとも猥褻だとは思わなかった。挿入シーンが多く、欲情をかき立てられたのは確かだけれども、それとて人間なら当たり前の事だと思えた。大島渚監督は24年前の裁判で「猥褻で何が悪い!」という持論を主張したらしいが、生殖目的以外のセックスがすべて猥褻であるなら、人間の多くは猥褻であることになる。人間は動物ではないのだから快楽目的のセックスも出来るのだ。「スケベで何が悪い!」ってところでしょうか。わたしゃ、この先、自信を持ってエッチなまま生きて行こう、と思いました)12/13(水)夜11時20分、宅配便が届く。マガジンハウスのリーフレット『mag Letter 12月号』で、なんと、このHP『若合春侑事務所』が紹介されていました。
Textを書いていらっしゃる『Nagae Akira氏』とは、わたしと「同年生まれ」と本文中にあるあたり、おそらく文芸評論を手掛けていらっしゃる『永江朗さん』だと思われるのですが、「若合春侑の執筆環境が気になる」と書いてくださっているので、ここであらためて御報告します。◆若合春侑の執筆環境
使用機種は『iMac』の一番安いヤツ、Macintoshならではの『ことえり』で書いています。正字正假名遣ひ文を書く時も『ことえり』で一字一字、正字を拾っていますが、時折、正字正假名遣ひ変換ソフト『丸谷くん』を使ったりします。正字正假名遣ひの小説を掲載して戴く時は、出版社の校閲の方々に多大な御迷惑とお手数をお掛けしています。マガジンハウスの『mag Letter』は、都内大手書店のレジ・カウンター付近に置いてあるそうですので、是非、手にしてくださりませ。無料です。
それにしても、このHP、もうすこし内容を面白くしなくちゃイケマセンね。かわいらしい掲示板の提供も戴いているのですけれど、どっしよっかなー、と迷ったまま。そのうち、気持ちと時間に余裕が出来たら掲示板を開設しますね。写真(近影)は、うーん、この仕事に就いてから随分デブになってしまったしなぁ。でも、今月25日発売『アエラ』には、つい先日、池尻大橋のスピード写真屋さんで撮影したのが掲載されます。デブの若合春侑を見て笑ってやってね。
12/16(土)塩釜、17(日)米沢、18(月)帰京/留守中、『御意見・御感想を戴きますコーナー』を使ってのファン・メールが二通届いており、感激。おふたりとも女性。どうもありがとう!それから『義眼を拾った生娘の話』の感想も。S子さん、ありがとう!
12/07(木)7:00恵比寿、講談社:Y氏&K氏とお会いする。恵比寿駅で降りる時、後ろから押されて転び、お尻をしたたかに打ち付ける。おしゃれなお店の中、僅かな段差でも転び、左膝に怪我。足腰が弱っているらしい。人前で転ぶなんて格好悪いなあ。おいしいお酒と会話で、すっかり酔ってしまいました。K氏、会社へ戻られ、Y氏とライブハウスに行くものの、人がいなくて閑散。閉店まで付き合って戴く。かなり、酔いました。
12/04(月)7:20文學界:F氏に連れられ、合羽橋で『ふぐ』を食することの初体験→「至福!」と何度も叫びたい旨さでした。べったら漬けやいくらをサービスして貰い、ますます至福!→浅草へ。大きな体格のF氏が同行しているので安心して歩く。人の少ない夜の浅草寺は、ライトアップされ、とてもきれい!五重塔も美しく夜空に映えておりました。本堂の扉にへばりつくように一心不乱に祈っている若い男がいた。必死の願いは何だったのかしら→店の奥に土蔵の入り口があるショット・バーへ。おいしく、うつくしく、たのしい、三拍子揃った夜でした。
11/30(水)夕方『アエラ』編集部からお電話。『アエラ21世紀第1号』(12/25発売号)「21世紀はこの人たちが動かす アエラが注目する100人の40代(仮題)」の中に選ばれたのですって。
若合:「40代ですか?そ、そうですよね、はぁ」
Kさん:「え?あの、若合さんは40代ですよね?間違えたら失礼なので」
若合:「はい、一応、そうです、もうサバを読んじゃイケナイんですねー、これから自覚するようにします」
Kさん:「編集部内で厳正に選ばせて戴きましたので、是非、御協力ください」その後、ファックスでアンケートが届いた。小説世界での40代なら、わたしと同学年には有名な方がいっぱいいるのに、わたしみたいな無名なものが選ばれるなんて不思議。「100人の中に選ばれました!」なんて、なにかの懸賞にでも当たったみたいだなぁ。で、質問の内容。うーん、と唸るものばかり。
11/28(火)徹夜→昼近く『蜉蝣:第11話』脱稿→送信。メールに拗ねた事を書いたら、さすが、担当おぢちゃま、次また頑張ろう!という気にさせてくれちゃうんだ。『蜉蝣』は、あと3回くらいでお終い。どんな結末にしたら好いのか、胃が痛い。脱稿後、白昼から酒を飲んで脳味噌を解放(『蜉蝣』を書いた後は、毎月、そう)。
11/26(日)午後、逗子/海岸をお散歩→脳病メイトでサッカー小僧のMさんと念願の『日影茶屋』へ。「をぢさまの世界」「密談に相応しい感じ」「まるでフルムーン」離れ和室のある小さな庭園を散策。神近市子が大杉栄を切りつけた事件の名残りは一切ないにしても、やはり、訪れてみてよかった。ヘルシーでうるわしい食事→Mさん宅で結構なお点前の珈琲を戴き、帰宅。
11/23(木)初体験や性に関するインタビューを集めた『私のヰタ・セクスアリス氈x(河出文庫)が届いた。「写真を掲載しないで欲しい」と頼んだところ「他のみなさんは全員、掲載されます」と言われて渋々承諾したのだけど、ああ、ひどい顔!
11/21(火)角川書店の社屋に伺いました。(モダンでおしゃれでかっこいい社屋には、ロダン、高山辰雄などの美術品が飾られており、いやはや、すごい!)担当T氏の部署移動のため、後任のK女史を紹介して戴き、神楽坂、飯田橋で御馳走になりました。K女史のお人柄にすっかり惚れ込み、「一生、付き合う!」としつこく宣言したほどでした。今年は不幸な別離の多い年だったけれど、ああ!好きだ!と思えるひとに出会えて、嬉しい。『本の旅人』編集長M氏、T氏、K女史は、みなさん江戸生まれ。カトリック女子校出身のK女史はたいへんな酒豪だった。ものすごく楽しかったです!
11/18(土)6:30新宿『K』、朗読会(古井由吉先生×角田光代氏)ママのKK子さんから御案内とお誘いのお電話を戴きました。古井先生のボトルを御馳走して戴いた7月以来、伺っていないので、花束持参でまゐります。→たいへんな盛況でした。古井先生とゆっくりお話する事が出来ました。日付けのかわった11/19は奇しくも古井先生のお誕生日。『Happy birthday to you』を唄い、それからアカペラで戦前の歌。朝まで飲んでいた方々と『富士そば』へ行き、古井先生に家の前までタクシーで送って戴きました。次回の朗読会(来年3月、日程未定)で「あんたに五分やるから、前座をつとめなさい」と古井先生からお達しを戴き、光栄至極でごさいます。その件で、11/20(月)KK子さんから再びお電話を戴きました。季節にぴったりの掌編小説『奏楽の午後』を読ませて戴こうと思います。
11/14(火)7:30銀座『吉澤』、をぢさまの世界のような美しいお座敷で、すき焼きを食す。ショット・バー『GOOD TIME』→渋谷『サントリー・ショット・バー』(この日は、『義眼を拾った生娘の話』の協力者へのお礼&ご接待)
11/17(金)『鳩よ!12月号』発売『蜉蝣:第9話』掲載
11/09(木)3:00京橋・中央公論新社
11/08(水)『無花果日誌(3)』脱稿→送信
11/07(火)『群像12月号』発売『義眼を拾った生娘の話』掲載
11/03(金)1:30東京芸術劇場→池袋の献血センターで絵の鑑賞→新宿
10/31(火)『蜉蝣:第10話』脱稿→送信
(ひとつの物語をすでに200枚も書いたンだわ、という感慨。『鳩よ!』(マガジンハウス)は、毎回のテーマが興味深いし、内容の割に格安なので、是非、御購読ください)10/28(土)(同下)ゲラ校正終了。しかし、まだ直し足りない、と焦る気分が抜けない。どっぷりと嵌っていたせいかしら、校了したというのに、あれこれ気になって仕方ない。『群像』の新:副編集長Yさんに大変(かなり、うんと、ものすごく)お世話になりました。今回は、わたしが描いた世界では、もっとも若い人物の独り語りで、いちばん新しい時代(と言っても1980年)が舞台。(未発表の『無花果日誌』は、17才の女子高生の独白で、ルーズソックスや携帯電話が普及する前の時代ですが)旧字旧仮名という字面のお化粧が出来ない分、赤裸々過ぎて恥ずかしい。それに品性の欠如した台詞がたくさんある。『魂のストリップ小説』『親不孝小説』『お行儀悪い小説』と銘打ちました。
10/24(火)『義眼を拾った生娘の話』は改題しないことになりました。バイク便、来る。うーん、と唸る。26日、ゲラ校正。
10/23(月)朝、『**を拾った**の話』第4稿:送稿
10/18(水)3:00青山スパイラル、講談社2氏(K氏と『群像』Y氏)とお目にかかる。『**を拾った**の話』(仮題)、『群像12月号』(11/07発売)への掲載が決定しました。ああ、嬉しい!祈りが通じました。有難くて、信じ難くて、ひたすら、嬉しいです。しかし、決定稿へ向かって気を抜かずに推敲を続けます。
10/17(火)『鳩よ!11月号』発売『蜉蝣:第8話』掲載(校正ミス:P.121.4行目(×)考える(○)考へる:完全にわたしのミスです。)
10/14(土)6:00銀座で親友M嬢と蟹を食らふ。
10/10(火)3:00講談社:出版部Iさん、お越しになる。面白い話ばかりだった。Iさんのことを「あにき」と呼びたくなる。好きです、Iさん!
講談社:Kさんからお電話。伊太利へ御出張だったそうな。脳病友達のMさんも今、伊太利の羅馬へ御出張。いいなぁ、まことに、羨ましい。10/08(日)徹夜。『無花果日誌(2)』脱稿→送信。
10/03(火)『 (同下) 』第2次脱稿したものの、毎日、推敲を重ねています。少しずつ、よくなっているような気もするけれど、情緒不安定。そういう中、講談社:出版部のIさんからお電話。おおいなる励ましを戴いて、ほろり。脱稿後、泣けてきちゃう、という症状は初めてかも。
10/02(月)『**を拾った**の話』仮脱稿→送信執筆中はお腹が空かないらしい。2日は未明から夕方6時まで、コーヒーと煙草以外、何かを口に入れる行為を忘れていた。3回ほどトイレに立っただけで、約16時間、殆ど座っていたため、脱稿後は歩き方を忘れて仕舞ったようだった。足の筋肉はこんな程度でもすぐ萎縮するらしい。小説用背後霊がやっと来た。来たはいいけれども、遅すぎる。遅刻のペナルティーを課したいくらいだ。が、相手には実体がない。そういうものなんだろうな、小説の世界なんて。仮想の忘我が気持ちよくて、今日も御飯を食べるのを忘れていた。なるほど、寝食を忘れて没頭するとは、こういう事をいうのだな。なにやら、実感の新発見が得られて、ふーん、という気分。
秋田から天然舞茸が届く。香りよし、歯ごたえ、舌ざわり、心地よし。おいしい。日本人はお酒と炭水化物を同時に消化できない体質が多く、悪酔いするんですって。お酒の時は、お寿司を食べてはイケマセン。ごはんの代わりに天然舞茸。昨日は、日曜の夜に丁寧にとった天然だしで舞茸をどーんと煮て、わっさわっさ食べました。至福。
すっかり御無沙汰。
9月は2回しか外出していない。
今度、靴を履いたり、化粧をするのは何時の事やら。
このところの状況を書き始めるとキリが無いので、省略。強いて挙げれば、オリンピックでの、不可解なジャッジ、不覚、不運、理不尽、不振、不適格、といった『不』のつく場面や境遇に涙が溢れた。不撓不屈という『不』はあるにしても。柔道の篠原はサムライそのもの。ジャッジ以外では勝っている。結果に対して潔い。負けたようにして勝つ。サムライの美学がある。この精神が分かる日本人は最早稀少だろう。今、世界で最も美しい男だと思う。柔道の観戦中、幾度か『柔道一直線』の主題歌を唄ってみた。
世界中の国歌を集めたCDがあるなら入手したい。思わず聴き惚れたのはルーマニアの国歌。どう聴いても軍隊調で、戦闘意識をかき立てられた。是非とも、仕事中に流したい。
中旬に体調を崩し、執筆も思うように進まず、気が狂いそうでした。会社組織では『営業部門』と『制作部門』が敵対するのは有りがちだけれども、わたしの仕事の場合、この両方が自分ひとりの内側に共存しているため、精神的にとても大変。出無精なので、長い事、家に籠っていても平気ではあるが、益々、太ったみたい。気分転換にクッキー(黒胡麻+きなこ+粉チーズ=意外に旨い。お試しあれ)を焼いたりしました。9/25(月)『蜉蝣:第9話』脱稿→送信
9/17(日)『鳩よ!10月号』発売『蜉蝣:第7話』掲載
9/05(火)7:00角川書店T氏、お見えになる。連載『無花果日誌』の具体的な打ち合わせ。第1回の原稿にOKを戴きました。掲載は、早くて12月発売:新年号、遅くても来年1月発売:2月号だそうです。角川書店のPR誌『本の旅人』は、本屋さんでお求めください。
9/02(土)6:30渋谷。親友M嬢と大学1年から続く毎年恒例の合同お誕生会。渋谷エクセルホテル東急25階『A bientot』(夜景が綺麗です。所沢方面で花火大会をやっているのと、漆黒の闇を切り取ったような三日月が見えました)。バースデー・ケーキ&ポラロイドカメラでの記念撮影のサービス。わたしたちは遠慮したのですが、お店の人達による『Happy birthday to you』の合唱もあるようです。予約を入れる時に「**の記念日」と言えば、誕生日に限らず盛大に祝ってもらえます。→サントリー・ショット・バー。
9/01(金)『自叙伝代筆』企画書、梗概、資料作成
『**を拾った**の話』(**は、まだナイショ)は、順調と言えないまでも、執筆中です。
8/28(月)『東京新聞・夕刊』エッセイ『電網世界に俗縁あり』掲載
(訂正&お詫び:(○)ブラウザ(×)プラウザ。わたしのミスです、ごめんなさい。)8/27(日)午後、逗子。おしゃれでセンスのいい空間で、弾けんばかりに喋り、飲みました。すばらしいお部屋でした。夜、海岸で花火。部屋の主と、深夜、車で送ってくださったSさん御夫妻に感謝。(はしゃぎすぎて、自分のデリカシーの無さに、自己嫌悪。。。)
8/25(金)『蜉蝣:第8話』送稿
8/24(木)角川書店Tさんからお電話。近いうちに会いましょう、とのことでした。いよいよ、『無花果日誌』(梗概提出済み)にも着手しなければ・・・。
<年内の予定>
『蜉蝣』(毎月20枚〜来年6月掲載分)
『**を拾った**の話』(100枚未満)<**=まだ、ナイショ>
『無花果日誌』(12月掲載分〜毎月20枚)
『産婆コト始メ』続編(100枚未満)
『自叙伝代筆』(約300枚〜締切り未定)
無謀か・・・?8/21(月)『蜉蝣:第7話』ゲラ校正/中央公論新社N氏からお電話。その後、父をモデルにした書き下ろしの題名(『自叙伝代筆』)、内容、スタイル、決める。父の存命中に仕上げる予定/世の中は夏休みモード一掃の月曜日。
8/20(日)『小説現代9月号』コラム【行ってみたい場所】『死に際の未来』掲載(詐欺のような写真つき)
( 同日 ) 『日経新聞』【読書】『活字の海で』欄に、なんと!若合の名前が出ていました。“読者と直接出会う場に 作家のHP、多様な試み”という見出し。村上春樹氏のHP活字版『そうだ、村上さんに聞いてみよう』を中心に書かれたコラムで、後半に『オール讀物8月号』についても書かれてあり、その中でちょっとだけ『正字正假名遣ひ』コーナーに触れてくださっています。新聞に名前を出して戴けるというのは、有り難く、嬉しい事。署名記事を書いているM記者に感謝!
(正字正假名遣ひ文に関する言い訳。略字正假名遣ひ文で連載していたり、普段のエッセイなどは現代文で書いていたり、『正字正假名遣ひ変換ソフト:丸谷くん』を遣わず、相変わらずMacの『ことえり』で正字を1字1字拾う作業をしている事もあり、最近、どうも不徹底で、中途半端。厳格に使用している方々には申し訳なく、恥ずかしい限りです。)8/18(金)『東京新聞』エッセイ『電網世界に俗縁あり』手直し→送信
奇妙な事があった。
ある知人(女性=Iさん)が旅に出た。そろそろ帰国した頃かな、連絡を取りたいな、とわたしが考えた朝、奇しくもIさんの夢を見た。清澄な水を貯えた溜め池が幾つも点在する小高い丘にIさんと車で行った。車を降りて丘の上の細い道を歩こうとしたが、急に怖くなり「わたし、高所恐怖症なの」と言うと「じゃあ、車で移動しましょう」ということになり、Iさんの運転する車で狭く細長い曲がりくねった急坂を昇って行った。からだがのけ反りそうなほどの急斜面を蛇行しながら延々と昇る。対抗する車は次々と道を譲ってくれて、親切な村のようだった。長い急斜面をやっと昇りきり、緑豊かな、ダムのような、峡谷のような場所でIさんの話を聞いた。痩せているが矍鑠(かくしゃく)たる老人がいて、その村の長老らしい。その老人の姿ははっきりとは見えないが、なんとなく風貌が想像出来、わたしは、その老人に畏怖する。水と緑の眺めが素晴らしい。絶景だ、という夢だった。
今日、そのIさんと電話で話した。
なんと、旅の最大の目的として会った人物は、まさしくわたしが夢で見た通りの(ような)老人で、その村の長老で痩せており、風景もまた、そっくりだと言う。車を運転しなくなってから久しいという事以外は、ダムの傍の道を走った事、細い道をくねくねと行った事、緑が豊かな場所だった事など、とにかくよく似ているらしい。わたしはIさんが訪れた国や地域へは行った事がなく、Iさんがどういう場所で、どんな人物に会ったのかは、まったく知らないのだ。
「霊感、あるんですか?」と聞かれ「いや、ただ、正夢になる事は、結構、多いのだけど」と答えたものの、余りの偶然の一致に驚いてしまった。これは、ユングのいうところの共時性と解釈していいのだろうか。ユングに関しては中途半端な勉強、というか、殆ど理解出来ていないので、なんとも言えないが、こういう偶然の一致に詳しい方、どういう理屈なのか、教えてくださいまし。(霊感かぁ・・・、『小説執筆専用背後霊』に来てほしい!)それにしても不思議な事があるものだ。話し始めの時点で「その夢は、どう解釈するんでしょう」とおっしゃるので「急な坂を昇りきったんだから、いい夢なんですよ」なんて勝手な事を言ったものの、まさか、その先の話に、こんな偶然があるとは思わなかった。きっと、Iさんとわたしは何かが結ばれているのだろうなぁ。吉縁に違いない。
8/17(木)『鳩よ!9月号』発売『蜉蝣:第6話』掲載
(『蝶番』のルビが間違っていました。正しくは『てふつがひ』です。気をつけます。ごめんなさい)8/14(月)『蜉蝣:第8話』執筆、他、ゲラ校正やエッセイの手直し。
今月は、もう外出しません。
籠ればいいものが書けるという訳ではないが、肉体を一ケ所に落ち着かせて、書くべき事を内側からたたき出す。8/11(金)6:30渋谷『Chinois』
8/10(木)6:00大手町→鎌倉花火大会→鎌倉の居酒屋
8/09(水)夕方、銀座。焼き鳥屋→クラブ→韓国料理(ビール→日本酒→焼酎→ウィスキー→韓国のどぶろくを飲んで、すっかり悪酔いしてしまった)
8/06(日)『すばる9月号』発売【SUBARU BOOK GARDEN】(『尾行者たちの街角』書評)「覗いてみても、いいですか?」掲載
8/04(金)1:00池尻大橋『小説現代』担当氏とお会いして、ゲラ・チェックと写真をお渡しする。近況などを語る。非常に楽しい会話でありました→本屋→渋谷。短針が動かなくなった腕時計の修理が完了したとのことで引き取りに行く。『文學界新人賞』の副賞の時計で、乾電池交換の後、短針が外れてしまったのだった。これは、なにかの暗示か?と不吉なものを感じたが、簡単に直って、しかも無料だった。めでたし。さて、書かなければならない事が多すぎる。
暑い。毎日、きちんと汗をかき、からだに夏の実感を叩き込んでいる。大きな公園が近いこともあり、蝉の鳴き声が喧しい。夏らしく、好ましい。蚊取り線香を焚いてみたし。新薬師寺の線香『瑠璃光』を焚く。
8/02(水)『小説現代9月号』コラム【行ってみたい場所】『死に際の未来』脱稿→送信
『若合春侑事務所』トップ・ページをデザインしてくれたデザイナーのインタビュー&作品が紹介されているHP。ぜひ、行ってみてくださいね。
http://academy.i-love-epson.co.jp/space/message/screen_01.html
7/28(金)『東京新聞』エッセイ締切、『電網世界に俗縁あり』脱稿→送信(担当記者が海外出張に出掛け、掲載日も決まっていない事もあり、少し寝かせて頂く事にしました。最悪な状態で書いた文章を活字にして頂く訳にはいかないので。)
『オール讀物8月号』を立ち読みしてきました。タイトルの枠内に『若合春侑事務所』のトップ・ページの写真が掲載されており、本文中にも『正假名遣ひ文を樂しみませう。』コーナーが引用文とともに紹介されていました。旧字が文字化けすることもある、とのこと。初めて知りました。文字化けしてしまうマシーンをお使いの方々、ごめんなさい。文字化け防止の方法が分からないのです。ちなみに、トップ・ページの『若合春侑事務所』の文字は、デザインをしてくださった方のお母様が書道師範で、隷書体で書いてくださったものです。つまり、パソコンでのデザインではなく、手書きなのです。すばらしいでせう?
『若合春侑事務所』に掲示板を作れ!という希望を聞いているのですが、さて、どうしたら好いものか。『正假名遣ひ文』の掲示板は、もはやネット上の墓場と化していますし、難しいところです。7/24(月)『蜉蝣:第7話』脱稿→送信
7/22(木)『オール讀物 8月号』【人気作家のホームページ紹介コーナー】に『若合春侑事務所』が掲載されるそうです。若合なんぞ人気作家でも有名作家でもないのに〜、と照れながらも嬉しい。去年の春、『週刊文春』の【パソコンなんて怖くない】に写真付きインタビュー記事&ホームページのURLを掲載して戴いたところ、たった一日で1000を遥かに超える閲覧カウントがあり、週刊誌の威力に驚いたものでした。
7/17(月)『鳩よ!8月号』発売『蜉蝣:第5話』掲載
7/15(土)・16(日)油壺オフに参加
7/14(金)『蜉蝣:第6話』ゲラ校正&『蜉蝣:第7話』執筆
7/11(火)5:00『文學界』担当氏と約10ヶ月ぶりにお会いする(大手町駅が広すぎて10分も遅刻してしまいました!)→(同ホテル)6:30〜『江藤淳をしのぶ会』(一周忌)。昨年7/21の御命日に、わたしなりの思い入れがあり、若輩者にも拘わらずお邪魔しました。江藤先生の偉業をあらためて知り、旧友でいらっしゃった高名な方々のスピーチに感銘を受けました。
お開きに近付いた時刻、作家SM先生が声をかけてくださった。会の後、銀座テアトル・シネマでのトーク・ショーへ行かれるSM先生に「わたしも行こうかな」と呟いたところ、「うん、来たらいいよ、9時からだから」とおっしゃって戴いたので、ひとり、銀座へ。映画館の入り口で、偶然、知人S子さんと会う。濃厚な内容の、絶好調のトークで、素晴らしく充実した20分でした。映画『小さな赤いビー玉』終了後、知人S子さんと新宿『K』へ。嬉しいことに、古井由吉先生が手招きしてくださり、古井先生のボトルを頂戴しながらお話しする事が出来ました。
「若合さん、あの『カタカナ〜』の最後ね、こんなところに防空壕なんか造るかよ、とみんな言ってたけどね、実は、あれ、あるんだよ、本当に、そういう家が」
お嬢様が大正時代の家屋を保存指定にする仕事に就いていらして、先日、都内の古い家屋を調査したところ、家の中の床下に防空壕があった、と驚いていらしたそうです。
「あんなところに防空壕なんか造ったら、蒸し焼きにされるだけだ、と言っていた人もいたけどね、当時のひとは、そういうことには気付かなかったんだよ、まだ爆撃がどんなものか、知らなかったんだからね、今度、みんなに「本当にあるんだぞ」と言っておいてあげるからね」ああ、なんという幸福!古井先生、ありがとうございます。
その後、SM先生も『K』にお越しになり、ホームページ作りに関する話題で話し込む。なにげなく、SM先生が「(『江藤淳をしのぶ会』に)よく来てくれたね」とおっしゃってくださり、大感激。(SM先生は、会の発起人のおひとりでした。)
タクシーで、知人S子さん〜古井先生の住む街を経由して、朝5時頃帰宅。東京新聞のI記者からエッセイのお仕事を戴いたり、ずっと義理を欠いていた文學界の方々にお詫びが出来たり、群像の編集長とお会いする事が出来たり、講談社の出版次長に「ファンなんですよ」と声をかけて戴いたり、嬉しい事の多い日でした。これもすべて、江藤先生のお導きかもしれません、と勝手に解釈しています。7/10(月)『すばる9月号』【SUBARU BOOK GARDEN】(書評)『尾行者たちの街角』(18字×57行=1026字)脱稿→送信
7/06(木)『文學界』担当氏より電話。今月発売号から『文學界新人賞応募規定』の説明文に吉田修一氏と若合の名前が加えられた、とのお知らせ。『本賞は有為の新人のために新しく道をひらき、現代日本文学に新風を吹きこむべく創設されたものです。石原慎太郎氏をはじめ〜』の文中、有名作家の最後に若合の名前が。ああ、わたしは、ほんとうに作家になったらしぃ、と素朴な実感。同時に、多大なプレッシャー。おいおい、作家の自覚、未だ無いのか、と叱られそうだけど。この夏、生まれて初めて御中元というものを戴いた。なんだか大人になったみたいだ。こらこら、大人の自覚も無いのか、と今度は軽蔑されそうだ。
7/05(水)再び、髪を切る。切り過ぎたみたい。いいや、そのうち、また、伸びる。
7/02(日)梅雨の晴れ間に布団干し。
7/01(土)『朝日新聞・夕刊』【街の風】『田舎の囲いをいでて』(『街の壁、日々の壁』としたつもりが・・・。小山内記者が命名してくださったようです)掲載。早速、いろいろな方々から感想を戴き、喜んでいます。
【2000年の仕事・上半期】
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